自分の身体が感じることに意識を向けることは、エリクソンが「≪私≫という感じ」を意識するといったことと、結局、同じことです。
ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.210の 2節の第3パラグラフから。
トラウマを負わされた人たちは、感じること自体が怖いと言います。敵になるは、加害者たち(さいわいにも、もう近くで自分らを傷つけることもありませんから)ではなくて、自分自身の身体が感じることだと言います。不快な感覚にハイジャックされたと感じれば、身体は固まり、気持ちがふさぎ込みます。トラウマが過去のことだけれども、感情脳は、苦しい人の気持ちを怖れさせ、どうしようもない気持ちにさせ続けさせる感覚を生み出し続けます。トラウマを負わされたたくさん人々が、強迫的に飲み食いするしたり、セックスするのが怖かったり、いろんな人との関わりを避けたりすることになるのも、不思議じゃぁありません。感じることは、大部分、立ち入り地区になっちゃうわけですね。
発達トラウマのある愛着障害の子どもたちは、感じることができなくなります。怖いからです。ですから、感覚や感情を言葉にすることも苦手です。アレキサイミア、失感情語章になりやすい。
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