私どもの良心が、自分と隣を厳しく裁く「悪い良心」ですと、心の病が増えますし、子どもを心の病にもしますし、犯罪者を厳罰にしようとします。ノルウェーで、ニルス・クリスティ教授を中心に進めているような、犯罪者にも非常に寛容な「修復的司法(どんな罪深い犯罪を犯した人も、モンスター・化け物ではなくて、人の心を取り戻すことができる、人格と尊厳がある、と認めて リハビリ重視の司法制度)」とは、天と地の差があります。この差はなぜ生じるのか? を考えることは、日本の民主化を考える時に、非常に価値があります。
The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p48の第2パラグラフから。
「遊ぶ年代」とは、結局、学齢前の頃にあるいくつかの礼拝について、語り終えるのに都合が良い舞台です。心理・性的に申し上げれば、遊ぶ年代は、根源的な家族関係を司る、(子どもと母親と父親、3人の)エディプス・コンプレックスのある3項関係を解決しなくてはなりません。家族以外に生まれる、いろんな強い愛着関係は、その子が学齢期を過ぎるまで、引き延ばされます。それは最初の学校教育がどのようなものであっても、違いはありません。しばらくは、遊ぶ年代の間は、子どもたちが自分自身の礼拝の生活領域を上手にできるようになる力を発揮する場面が大幅に広がるのに任せます。すなわち、ミニチュアの玩具の世界、時間と場所を約束する遊びの世界です。悪者を征服する夢を見過ぎたり、その結果、僕は悪い子だと感じすぎたり、そんな空想遊びに夢中になる頃ですね。
遊ぶ年代は、幼稚園に行く3歳から6歳くらいまでです。このころは、最初の愛着関係、根源的信頼感(自分と母親を信頼する感性)が豊かでがあり、2番目の、自分の感性を大事にして自己コントロールしていい感性が育っていれば、実にいろんな空想遊びの中で、自分の力を発揮するわけですね。いろんなごっこ遊びもをしますしね。
ここでも大事なのは、≪約束≫に基づく遊びなんですね。関わる大人は、子どもとの≪約束≫を意識的に大事にする関わりが、この子どもにとって、最も大事な関わりの一つになります。なぜなら,子どもも大人も,根源的信頼感をお互いに豊かにしながら,関われるからです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます