エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

苦しい言い訳 結局バレマッセ

2016-05-14 00:12:29 | エリクソンの発達臨床心理

 
キリストのまこと 「ガラテヤ書」から考えました 改訂版
  今日は、「キリストのまこと」について考えます。意外にこのテーマでブログを書いてなかったんですね。不覚でした。 昨日、当ブログの正しい翻訳が、正しい信頼、正...
 


 東京都知事、舛添要一さんの記者会見。見苦しいものでしたね

 舛添びいきでも、言い訳に次ぐ言い訳の山に、愛想が付くものだったろうと思います。ウソとゴマカシを感じた人が圧倒的多数だろうと思います。実際、上の写真の舛添さん、苦しそうですもんね。ウソと分かつて、つくウソですから、意識ではコントロール出来ないレベルで、「私はウソつきです」という "顔" になってますもんね。目が悲しそうでさえありますね。一度ウソをやったら、ウソをつきつづけなくてはならない。でも、現実ではない話ですから、どこかでツジツマが合わなくなりますね。ばれるのも時間の問題です。

 なぜ、舛添さんのことを取り上げたかと言ったら、それは、無知無恥夫婦の一件で、舛添さん同様の苦しい言い訳を聞く羽目になったからですね。その方は、あの無知無恥夫婦とは違って、良識的な人だとは感じます。しかし、真実よりも他に、庇わなくてはならないものがあるのだろうと想像します。話し合いの中で、思わず、言い間違いをしてましたしね。フロイトが無意識の言い間違えについて触れているところが、どこかにありましたよね。それを思い出します。真実を語りたい気持ちが、「いい間違い」という形で出ましたね。ホンネがポロリ、という、あれです

 舛添要一さんのケースにしても、無知無夫婦のケースでも、ウソとゴマカシをいくら重ねても、結局バレマッセ。その時が楽しみです

 

 

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