発達トラウマ障害=愛着障害の子どもに、罰とエサを与えるような関わりは、虐待です。
ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第11章、「癒しのやり取り」のp.244の、第3パラグラフのから。
心理的課題のある子ども達には、痛みがありますね。しかも、その痛みは、人をイライラさせたり、不安にさせたり、攻撃的にされたりする痛みです。本当の自分が出てくるのを待つこと、言葉に出来ない気持ちを大事にすること、≪約束≫に基づいて一貫した関わりをすることだけが、心理的課題のある子どもに、効果があります。これは、3歳、4歳の子どもに当てはまることですが、それは、これが、10代の子どもにも当てはなるのと同じです。子どもが一つ一つ年を重ねるからと言って、罰を与えるような関わりが、芳しく、効く、というわけじゃぁ、ありませんからね。またまた、残念なことですが、社会の仕組みが、このことをよく分かっていないんですね。社会の仕組みは、「その場しのぎの弥縫策」をいろいろやりがちですし、その弥縫策がうまくいかない時は、いつまでも罰を与えるやりかたをしがちです。私どもに必要なプログラムとサービス資源は、罰を与えたり、何かを取り上げたり、強制したりする関わりは、心理的課題のある子ども達のトラウマの傷に塩を塗り込む所業であり、心理的課題をますますひどくさせるだけだ、ということを理解したプログラムであり、サービス資源なのですね。
ニッポンの学校や児童自立支援施設などで、発達トラウマ障害≒愛着障害の子どもにやっていることの、ほぼすべては、ここでブルース・ペリー教授が、「悪い例」として取り上げている、罰とエサのやり方、あるいは、一時しのぎの弥縫策です。ですから、学校や児童施設は、税金を使って、発達トラウマ障害の子どもたちをさらに虐待しているのが、悲しいかな、今のニッポンの現状なんですね。特に悪い良心の大人は、この罰とエサ、その場しのぎの弥縫策に加えて、「その怒鳴り声を聴いたら、ションベン漏らすなぁ」というような怒鳴り声がプラスされます。その悪い良心の大人も、発達トラウマ障害の大人ですから、激しい怒りを隠しきれないで、ションベンちびりそうになる様な「激しい怒りがこもった怒鳴り声」を、あの夫婦のように上げる訳ですね。
いま必要なのは、これを、本当の自分が出てくるのを待つこと、言葉にならない気持ちを大事にすること、≪約束≫に基づいて一貫した関わりに転換することです。
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