発達トラウマを負わされた愛着障害の子どもには、寛容で鷹揚な、子どもを決して怒らない「良い良心」の大人が、継続的に関わることが必要です。
ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.212の第5パラグラフから。
私どもが今まで見てきましたように、私どもの脳の回路の配線は、いろんな相手に合わせて発達するものです。トラウマからの回復も、私どもの仲間の人と絆を結ぶ(結び直す)ことも含まれます。ですから、いろんな人との関係の中で繰り返されたトラウマは、交通事故や自然災害から生じたトラウマよりも、治療が困難なことが普通です。私どもの社会では、女性でも、子どもでも、一番よくあるトラウマは、両親のせいで負わされたり、あるいは、親しいパートナーのせいで、負わされたりしています。子ども虐待(子どもを間違って利用すること)は、性的ないたずら、家庭内暴力は、すべからく、あなたのことを一番大事に思っているはずの人たちがしでかすことです。一番大事に思ってくれるはずの人がトラウマを負わせるということが、トラウマを負わされることに対する一番の守り、すなわち、あなたが一番大事に思う人がかばってくれる、ということを、ぶち壊しにします。
世の中で、これほど理不尽で、これほど苛酷なことはないでしょう。殺されるよりも、理不尽です。なぜなら、それは生き地獄だからです。一番自分を大事にしてくれるはずの人で、自分も一番大事に思っている人が、自分にトラウマを負わせることを繰り返すのですから、これが生き地獄でなくて何ですか?
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