先日の「こころの時代」は鎌田慧さんでした。今まで130冊の本を書いているそうです。日本中のあちこちを歩き、また、トヨタ自動車の季節工になったり、したこともありました。私も、同じ早稲田ということもあり、親近感がありましたし、弱い立場の人への共感が、ルポルタージュに業間ににじみ出る文書なので、余計に好きでしたね。でも、私が読んだのは、130冊の内、10冊ほど。トヨタ自動車の季節工をやった体験を書いた『自動者絶望工場』や、釜石市長を3期やった、もともとは読売新聞編集委員の鈴木東民の生涯を描いた『反骨 鈴木東民の生涯』、日本各地の大規模プロジェクト・国策に翻弄される人々の記録、『鎌田慧の記録 3 少数派の声』など…。
鎌田慧さんは、弘前出身で、現在御年77才。1945年7月の青森の大空襲は、40キロ離れた弘前から、青森市を燃やす火が見えたそうですね。1945年3月、東京の下町を焼け野原にした東京大空襲、鎌田さんよりも2歳年上だった、私の父親は、下町から35キロ離れた東京都国立市谷保(当時は、東京府北多摩郡谷保村)から下町を燃やす火が、赤々と空を焦がすのを見た、といいます。空襲という名のジェノサイド・大量虐殺の火の恐ろしさですね。
『鎌田慧の記録 3 少数派の声』の中には、「福島原発周辺のミステリー」の一文もあります。もともとは、1976年に雑誌『潮』に書いたものらしい。3.11の47年前の文書です。そこには、当時から福島第一原発(東電、国、福島県)はウソとゴマカシだらけであったことが記録されています。冒頭から事故の話です。しかし、その事故は隠されている、という訳です。しかも、その事故のことを県議会で追及した議員が、逆に非難されてしまいます。下請けの労働者は、手配師によって、大阪の釜ヶ崎から連れてこられ、賃金はピンハネされるは、被ばく量が増えれば、3日の約束が1日でクビになるは…。原発で働く労働者の家庭では小頭症(本当は無脳症)の子どもが生まれたり、白血病やガンになる人は、東電社員ではなく、下請けばかり…などなどの現状が報告されています。
3.11の原発事故も、東電や国や福島県が、ウソとゴマカシだらけをやった、成れの果ての、人災であることがハッキリ分かりますでしょ。
鎌田慧さんは、一人の人の尊厳を大事にすることが何よりも大事にしてきた、といいますね。ある意味、鎌田慧さんは、臨床家ですね。ですから、私どもクリニカルサイコロジストと同様、眼の前の人が大事、1人が大事になるのでしょう。「国策」の暴力の前では「一人ぐらいはしょうがない」と考える人達とは対極的。
眼の前の1人の尊厳を大事にするものであり続けたいですね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます