トイレの神様は、気持ちの神様でもあった?
Young Man Luther 『青年ルター』p205の1行目途中から。
この便秘と尿閉の傾向の身体的な因果はともかくとして、その働きそのものは、保つと出す、という身体の器官と関係します。これは、反抗的な子どもたちの場合は、一番ハッキリでますし、大人の場合でも、どっちつかずの行為に出ますね。マルティンの話す力が、子どもの頃、青年の頃の囚われから解き放たれて、ひどく抑圧的で、細かいことにこだわる質から、カッとしやすい人へと変わりました。つまり、マルティンは、自分の気持ちを思いがけずに出すは、気持ちと一緒に、持ち味のいろんな側面も思いかけずに出すは、という自分を見つけ出したんですね。
人は変わる時には、変わるもんですね。その変わり方も劇的です。
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