写真集『煉獄のクリスマス』から
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ヴァン・デ・コーク教授の The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』
第2章。「革命 心と脳を理解する点で」に入ります。p.28の,第2パラグラフ,8行目以下も。
いろんな抗精神科薬が,全米の精神病院のいたたくさんの患者さんの数を減らすのに役立ちましたね。その数は,1955年に50万人だったところから,1996年には,10万人に減りました。薬物療法の進歩の以前の世界を知らない今日の人にとっては,この変化は信じられないくらいでしょう。医学校1年生として,私は,イリノイ州のカンカキー州立病院を訪問して,身体の大きな病棟看護人たちが,薄汚れて,裸で,支離滅裂の何十人もの患者さんたちにホースで水を放射していたのを見たことがあります。そこは,家具もないデイルームで,水が流れるように溝がありましたね。この記憶は,いまでも悪夢であって,この目で見た証拠という感じではありません。1974年,レジデントとしての研究が終わった後の最初の仕事は,かつては由緒ある知的障害者施設の最後からに場面の所長になることでしたね。そこは,ボストン(マサチューセッツ)州立精神薄弱者施設(訳注:例の「ホスピタル」です)でして,かつては何千人もの入所者たちがいましたし,何千坪もの敷地に,何十棟もの建物があり,温室,庭園,作業所もありました。そのほとんどが当時廃墟になっていました。私の任期中,3人の入所者が「地域」に徐々に出ていきました。その「地域」とは,大風呂敷を広げた言葉でして,無名のシェルターや介護付きグループホームについて言ったものです。そこが彼らの終の棲家でした(皮肉にも,知的障害者施設は,「アシュラム,避難所」として始まったのですが,この言葉の意味は「サンクチュアリー,聖域」ですが,次第に皮肉交じりの意味になっていったんです。知的障害者施設は,(初めは)現実としては,守られた地域を作ったのですが,そこでは,みんなが入所者の名前も個性も知っていたんです)。1979年,私が退役軍人省で働くようになった直後に,ボストン州立精神薄弱者施設の門は,永遠に閉ざされました。いまは,ゴーストタウンです。
日本も,独特の響きのある「ホスピタル」=「キチガイ病院」=刑務所=知的障害者施設,を廃止できる,人間らしい社会を作る必要があります。
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