内村鑑三といえば、堅いキリスト教の中でも、ことさらお堅い「無教会」(無教会キリスト者)の元祖。お堅い、偉い、近寄りがたいイメージが従来ありましたね。しかし、今回鈴木先生が取り上げた内村鑑三は、実に親しみやすく、人間的、しかも、ポスト3.11のヴィジョンを携えていることがはっきりさせる、「新しい内村鑑三」でしたね。
第1回「迷いと慰め」では、実際接した弟子、志賀直哉や矢内原忠雄などの手になる、内村鑑三の紹介で、実に親しみやすい人だったことがわかります。不完全、至らなさのある内村が、そこにいます。
第2回「現生と後世」は、内村の代表作『後世への最大遺物』が話題の中心。しかし、この本は今まで、「各分野の一流」の人の「バイブル」のように語られることが多かったと感じますが、鈴木先生は「失敗学の書」と位置付けます。「私はこんな失敗をしました。しかし○○でありたいと願って生きています」という本だというのです。その点、カナダ留学中の学生で、かつて不登校で苦戦した人も、『後世への・・』に復活の力を得ていることが紹介されているのが、慧眼です。そこに、目先の利益のためには、ウソとゴマカシをも辞さない、今の日本の主流とは別の視点がありますからね。
第4回「真理と寛容」は、「真理は楕円形」という視点が実に実践的ですね。「真理が円」だと、それは「美しい」のですが、「自己中心」になりやすく、したがって、対話が閉じがちです。しかし、「真理は楕円形」となれば、その2つの中心(焦点)の間にやりとり、相互性、対話が生じますし、それが、他者、異質な存在、自分とは意見が異なる人との対話にも開かれる道があります。それが寛容の基として、きわめて肝要です。
第6回「宇宙完成の祈り」は、原発事故のただ中にいるわれわれ日本人にとって、極めて重要なところです。足尾鉱毒のために、故郷を捨てて難民とならざるを得なかった谷中村の人々は、現在原発のために、故郷を失って、難民となっている150000人のひな形でしょう。この事態の改善には、明確なヴィジョンが必要なことが示されます。また、ポスト原発のエネルギーについて考えるとき、内村が
「エネルギーは太陽の光線にも在ります、海の波濤にもあります、吹く風にもあります、噴火する火山にもあります、若し之を利用するを得ますれば是等は皆な悉く富源であります」
と述べているのにおどろかされますね、これは、まるでこれからの日本の歩みを90年前に預言しているかのようです。
このように、本書によって、「ニュー内村」に必ず会えますよ。
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