人生の黄金律 : 人を大事にできるのは、自分が大事にされた分だけ根源的信頼感は、赤ちゃんの時の発達危機で、良い音色が響きあう時空を経験すると、身に着けることができます。今の日本では、赤ちゃんの時の、この発達危機が乗...
法政大学の山口二郎教授が、日本を「狂気の国」と呼んだコラム(上掲)を書いたのが、去年の7月20日。それから1年ほど。この時、山口二郎教授は、日本の狂気の例を3つ挙げていました。1つは、川内原発のこと。原子力規制委員会の田中俊一委員長が「委員会は、(川内原発の)安全性を確認していない」と言っているのに、アベシンちゃんの政府は「(川内原発の)安全性が確認されたので、再稼働を目指す」という狂気。2つは、アベシンちゃんは、「武力行使はしない」というのに、「武力行使」と見なされるのが国際的なスタンダードである「機雷掃海」はやるという狂気。3つは、小保方晴子さんの「ろくに審査もせずに出した」博士号を、早稲田大学が撤回しない狂気。これは、この後10月になってから、コッソリ博士号取り消しが決定されましたが。いまや、小保方晴子さんの話題は懐かしい感さえある。
山口二郎教授教授は、この狂気を「事実と論理によって議論を重ねて結論に至るという当たり前のことが打ち捨てられていること」だとして、その原因を「政治や学術の指導者に共通しているのは、我田引水と責任転嫁の組み合わせ」に見出しています。
これは、丸山眞男教授や加藤周一さんが繰り返し指摘してきた、古くて新しい問題です。それは、組織や国内だけでしか通用しないことを、最も大事なことをしているかのようにやるのが、集団に埋没した日本人のルーティーンになりやすい、ということです。
その後、日本は正気を取り戻したのでしょうか?
今国会の、アベシンちゃんの意味不明な言葉を聞くにつけ、狂気が深まりこそすれ、正気を取り戻したとは思えません。
その中で、いくつかの希望があります。
1つは、官邸前の戦争法案反対デモと集会に、多数の若者が参加していること。若者が戦争法案に明確に「NO」と言っていること。
もう1つは、憲法学者が、戦争法案を明確に「違憲だ」としたこと、それを受けて、専門や大学の垣根を超えて、良識ある人々が、戦争法案に対して明確に「NO」と声を上げていること。
宮田光雄先生流に申し上げれば、
私が「NO」とハッキリ言う、故に、日本の市民が人間らしく生きることが可能になる。
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