フェイスブックで,獨協大学の河村肇さんが,上の投書欄の記事を示して,どう答えるのか? と問うておられます。
私なりに応えようと思いまして,フェイスブックで応答したのとは別に,ここに記すことにしたんですね。
本を読むことは,知識を得るための場合もありますね。教科書がその代表です。でも,それだけだったら,非常につまらないものかもしれませんね。
絵本だったら,お母さんに読んでもらったら,それは,共に居る歓び,共に見る歓びを分かち合うものですから,知識というよりも,自分の感性を呼び覚まし,研ぎ澄ますことに役立ちますね。感性が研ぎ澄ますことなしに,知識をリアルに実感することもできませんからね。勉強しても,面白みは分かりません。
大学生くらいになれば,小学校高学年くらいから可能ですが,内省するために,読書は欠かせませんね。私も,読書は主として内省のためにしてきました。内省なしに,≪本当の自分≫を生きることはできないからです。内省のための読書の代表が,本の代表,世界最大のベストセラー,『聖書』の読書でしょう。『歎異抄』,『コーラン』,『正法眼蔵』…などの読書も,同様です。仏教においては,とくに,禅においては,鈴木大拙が繰り返し説いている様に,読書も,自己=≪本当の自分≫になること=自由になるためです。
ですから,投書をした大学生に対する答えは,次のようになります,すなわち,
「読書は,≪本当の自分≫になるため,自由になるため」
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