フロムとエリクソン、精神的には親戚でしょうね。
p115の7行目から。
これらの条件の中で最も大事なのが、子どもの人生の中で重要な誰かが、その子のポテンシャルを信頼することなんですね。この信頼があるなしで、教育と操縦は違ってきます。教育は、子どもが自分のポテンシャルを発揮するのを手助けすることにほかなりません。教育の反対が操縦です。操縦は、ポテンシャルが成長することに対して全く信頼してないだけじゃぁなくて、子どもが正しくできるのは、自分たちがやっていいことと悪いことを口うるさく言う時だけだ、と思いこんでます。機械を信頼する必要などないし、機械にはいのちなどないからです。
子どもの、人のポテンシャルを信頼することができないのは、子どもを、人を人間ではなく、モノ扱いしているからなんですね。でも、日本の学校の教員と校長の少なくない人が、子どもをモノ扱いしています。子どもを、人を信頼するためには、教員自身が自分のポテンシャルを信頼することが必要なのに、その信頼を日々確かにするための自省する時間、1人の時間が持てないほど、「お忙しい」からなんですね。
ですから、少なくない教員や校長が、子どもに「正しいことを教えよう」とするんですね。その弊害については、このブログで何度も取り上げていますから、ここでは繰り返しません。その教員自身が、信頼を培わなくっちゃあね。そのために必要なのが、1人の時間なのにね。信頼の代わりに入り込んでくるのが、悪魔の「人間を上下2つに分けるウソ」なんですね。これも今日は指摘するのにとどめます。
教育の現場にいるあなた、あなたが日ごろやっているのは、教育ですか?
それとも、「難しい言葉」や「厳しい言葉」と「大声」や「正しいこと」(ウソとゴマカシ)で、子どもを操縦してませんか?
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