ヴィジョン(ハッキリした目的、目標、と言い換えることが出来ます)と組織がいかに深い関係にあり、それがメンバーひとりびとりのアイデンティティ形成と、いかに深く関わっているかが分かりました。ヴィジョンが非常に重要なことが、改めて分かります。
今の日本を考える時、日本のこの閉塞感は、ヴィジョンがない、少なくても、ヴィジョンが曖昧であることから生じていることも、ハッキリ分かるだろうと思います。
「群れる組織」のリーダーとメンバーは、目に見えないところで、<私>と向かい合い、やり取りすることがありません。 「群れる組織」は目に見えるところでも、リーダーやメンバー間で、やり取りや話し合いがありません。 「群れる組織」で行われているのは、目先の利益(波風立てずに、ホドホドで行こうよ」、「組織のためには、白いものでも『黒』って言わないとね」、「出る杭は打たれるだけだよ」…) のために、リーダーやメンバー間で、目に見える形で取引する、ということです。この目に見えるところでの取引は、そのリーダーやメンバーひとりびとりが、<私>と向かい合って、その問いかけに真摯に応えること等せずに、その問いかけにも気づかないで、気付きそうになったら、忙しくするなどして誤魔化す、という目に見えないところで毎日毎日している取引の反映(re-pre-sent)なのです。したがって、目に見えない部分で毎日している取引がより本質的と言えるでしょう。
こういった絵(運命)は、なかなか描くのが難しいものです。しかしながら、創造的なフリが信頼を作り出すのは、創造的なフリには、地理的・歴史的(に証明可能な)事実とやり取りする力がありますし、既存の社会の日常生活とやり取りする力もありますし、さらには、人々の心の生活ともやりとりする力があるおかげである、と思われます。比較をしてみますと、リアルに感じることのない現実(a certain fake reality)が優勢になるのは、確かな情報に基づく、優れたヴィジョンが衰えているところです。しばらくは、そのような実感のない現実がしつこく続いてしまいます。ちょうど、蔓延したウソっぽい感じが人々を脅かすのと同様です。本物のフリは、(証明可能な)事実と戯れていると言っていいのですが、本物のフリは、ウソは申しません。他方、手応えのない現実は、ある程度まで、(証明可能な)事実をコントロールすることはできますが、決して本当のことは言葉にしないのです。
リアルに感じることのない現実=実感のない現実=手応えのない現実は、すべてfake realityです。手応えのない現実が、本当のことを言わないのはなぜでしょう?
それは、手応えのない現実に甘んじている人(当人にはその自覚はなく、「まっとうに生きている」と思っているはずです。ただし、なんとなく「生きづらさ」「閉塞感」は感じている場合もあります)は、とにかく<私>と向き合っていませんから、本当の自分を知らないのです。ですから、「本当のことを言葉にしていない」という自覚はありません。これはまとめますと、こう言えるでしょう。
<私>、すなわち、本当の自分、と向かい合っていない人は、必然的に<私>とビィビィッとくるような(inspired)やり取りをしていませんから、人の心に響くような(inspired)本当のことを、言葉にすることができないのです。
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