エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

世の中を変えるために、私どもも歌を歌いましょう

2016-05-12 07:17:22 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
奇跡 ふたたび
   人と人とが一つ(人つ?)になること  ≪真≫において、人と人として繋がることが、実存的な不安を解消するのに...
 


 

 密集型軍事訓練が、驚くべき効果を上げました。

 The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.336の、第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 神経科学者、ジャック・パンクセップは、小さなバルト沿岸国、エストニア生まれですが、エストニアの「歌う革命」という素晴らしい物語のことを、私に教えてくれました。1987年7月、亜寒帯の終わりのない夏の、とある夕べに、10,000人以上の「タリン歌謡祭」の聴衆が、手に手を取って、愛国的な歌を歌いました。その歌は、ソ連の国々では50年以上、禁じられていた歌でした。こういった歌謡祭や抗議集会は続いて、1988年9月11日に、300,000人の人々が、それは、エストニア国民の4分の1でしたが、集まって歌を歌い、独立を求める大衆デモを行ったのでした。1991年8月までに、エストニア議会は、エストニアの主権回復が宣言され、ソ連の潜水艦が侵入を試みた時は、エストニアの市民は、人間の楯として、タリンのラジオ局やテレビ局を守りました。1人のコラムニストは、ニューヨーク・タイムズ紙で記しています、「映画『カサブランカ』のあのシーンを思い出してください。フランスの支援者たちが、ラ・マルセイエーズを、ドイツ軍に抗して歌う場面を。ラ・マルセイエーズを歌うことで、元気100倍になりましたよね。あの場面を思えば、皆さんも『歌う革命』の力強さがお判りでしょう」。

 

 

 

 

 

 私どもも、「誰がやっても、政治は同じ」だとか、「職場のゴロツキに逆らっても、自分が損するだけだ」だとか言って、諦めていないで、ご一緒に、ウィー・シャル・オーバーカム(必ず勝ちまっせ)を歌いましょうね

 

 

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