人生で繰り返しはつきもの。問題なのは、螺旋階段を上がっての、建設的な繰り返しなのか?、 それとも、螺旋階段を下っての、破壊的な繰り返しなのか? です。
The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p50の10行目途中から。
カリスマのイメージや神様のイメージと言えば、青年期に人生を掛ける価値を探したり、成人期に男女が一致したりする文脈においては、最初の「他者」を思い起こさずにはおられません。ブロス(1967)がそのことを、「発達する時には、退行することがありうる」と呼ぶようにね。
発達には退行がつきもの。私の考えでは、それは、最初の発達危機の、根源的信頼感と根源的不信感のバランスを、根源的信頼感の方に、さらにウェートを取るようにすることが、いまここでの発達の推進力になるからだ、と感じます。つまり、信頼が豊かであればあるほど、より建設的な発達ができますから、生涯にわたって、信頼感を豊かにするための退行が起こりうる、ということでしょう。
急がば回れ、ということか。
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