黄金律(Golden Rule)については、エリクソンも触れています(Insight and Responsibility p217-243)。エリクソンはそこでは、「自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい」といったキリスト教の黄金律や「自分にとっていやなことを人にするな」と言った日本でもよく言われている黄金律など、たくさんな黄金律を取り上げています。その共通点は、自分の利益を他者の(その人自身の)利益と同一視する点に見ています。
「人を大事にできるのは、自分が大事にされた分だけ」も、いわば貰った「受容力」と、与えることのできる「受容力」が一致することを物語っているといえるでしょう。
今日はp38第二パラグラフ。
≪真の関係≫において大事にする気持ちが育つことと深くかかわるのは、≪真の関係≫において大事にする相手の発達です。子どもの最初の数か月、数年間は、子どもにとって最も身近な愛着が、母親に対して出きる時期です。この愛着はでき始めるのは、生まれる前、お母さんとの子どもが一体であった時からなんです。ただし、おかあさんと子どもは2人なんですが。赤ちゃんが生まれると、母子一体の状況がいくつかの点で変化しますが、その変化も見た目ほどではありません。赤ちゃんは、もう子宮の外にいますけれども、まだ完全におかあさんに頼りっぱなしです。しかし、赤ちゃんも日に日におかあさんなしでやるようになります。赤ちゃんは歩くようになりますし、おしゃべりするようになりますし、自分で世界をあれこれ探すようになります。お母さんとの関係は次第に、生きるか死ぬかの重要性はなくなり、その代わりにお父さんとの関係がしだいに大事になります。
フロムが愛着のことに触れています。この愛着に課題のある子どもが、ほんとに多い。それは、長時間労働、サービス残業、仕事の欲で、母親が赤ちゃんから離れている時間が長すぎるからですね。
愛着、そして、根源的信頼感は、「共に居る」、豊かに響きあって「共に居る」から始まります。
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