ルターは、信頼を回復した後でも、宗教改革を進めている中にあっても、信頼が地に落ちるほど、弱くなっちゃいました。
Young Man Luther 『青年ルター』p.241の、最後の行の途中から。
ルターが、この内なる声に打ち勝つことが出来たのは、無限に仰々しいことをした時だけでした。たとえば、自分の教えを天使たちの裁きの上だと言ってみたり、しかも、それは、自分の教えを正しく理解しているので、自分の教えこそは、神の教えであって、ルター自身の教えじゃない、との理由からでした。自分を正当化するために、ルターは「ガラテャ人へに手紙」第1章18節「たとえ、私どもであれ、天から舞い降りた天使であれ、今まで宣べ伝えてきた福音以外に、他の福音を宣べ伝えるのであれば、その者は呪われろ」を引用しました。これは、「ガラテャ人への手紙」第1章1節「使徒パウロ(人でも、人に遣わされたものでもなく、イエス・キリストによって遣わされたものですよ)」が、この聖句の前にありますね。
ちょっと誇大妄想でしょうか? アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちほどではないにしても、ルターも誇大妄想だったといえますね。アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちは、誇大妄想や、エバルことをしてないと、マザコンで、頭のネジが2・3本足りないことが、不安で、みっともなくて、仕方がないんですね。
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