演劇=ティク・ナット・ハーンさんのマインドアルネス=カール・ロジャースの自己一致 改訂版高い高い、性のエートス 女が弱みにつけ込まれるのは、文化状況の故ですね。その際には、女は男に頼らざるを得ない社会状況が背景をなします。 The ......
こんばんは。みなさん,日曜日はどうでしたでしょうか? 国立は昼過ぎから天気が回復して,青空が戻りました。新緑が目に鮮やかです。矢川沿いには,黄色のアヤメ,黄菖蒲が盛りを迎えています。これも帰化植物だそうで,すでに広い範囲で野生化していますが,抜き取らなければいけないものなのでしょうか?
そんな陽気に誘われて,矢川沿いを散歩して,気付きが与えられました。そのことについては,おいおいこのブログでも記して生きたいと思います。
その気付きと関係するのが,イエスの教えの初めです。新共同訳では,「悔い改めよ,天の国は近づいた」です。これは『新約聖書』の最初にある「マタイによる福音書」第4章17節にあります。西村秀夫先生によれば,矢内原忠雄先生は集会のメンバーを集める時のチラシには,この言葉「悔い改めよ,神の国は近づいた」を必ず用いたそうですよ。マタイが「天の国」と言うのは,「神の国」と同じです。
この聖句は,本田哲郎神父様によれば,
「低みに立って見直せ。天の国はすぐそこに来ている」
というのが正解だとおっしゃいます。これは実にうまい翻訳だと感じます。「天の国」はもう目の前に来ている感じがよく出てますからね。実際に新共同訳で「近づいた」,本田哲郎神父様が「すぐそこに来ている」としたところは,完了形ですから,「ほら,もうそこに来てますよ」と言う感じがしますからね。
そういうふうに紐解いてきますとね,この「低みに立って見直せ。天の国はすぐそこに来ている」は,実にサイコセラピーや教育,子ども等や低みに立たされている人たちとの,善い関わり,やり取りのある関わりに必要な心の態度,本音の態度のことを,ドンピシャリに言っていることに気付かされましたね。そして,これは,パウロさんの神学を表現している「ローマ人への手紙」第5章3節から5節とピッタリと重なることにも気付かされましたね。
それについては,いずれまた。
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