エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#聖書の言葉 #単独者の恵み #神の支配

2019-06-25 09:21:09 | 聖書の言葉から
 
#聖書の言葉 #1人豊か #言行一致のキリスト
 聖書の言葉:  #アナニアの失敗 #ウソは心の死 #ウソは自分の死    インターメッツォ : 信頼して人生を歩む、ということ      今宵は、1人の無名の女性......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」

をご参照ください。



生きているのに

死んでいるあなたへ



マハトマ・まど・みちおさんの言葉から。






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#待ってました #待つことの恵み

2019-06-25 08:59:57 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの
 
#親子の断絶 #大人の良心の貧困 #良心よりも現金
 聖書の言葉:  #アナニアの失敗 #ウソは心の死 #ウソは自分の死    インターメッツォ : 信頼して人生を歩む、ということ      今宵は、1人の無名の女性......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」
 をご参照ください。

 ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』 は,翻訳が終わりましたが,印象的な言葉を適宜拾ってみようと思います。 

 June 06 ,2019,横浜の心理臨床学会で,Perezさんのお話を聴いた関係です。  p.219の,最後から5行目から。今朝は,p.221の,第2パラグラフから。

 

  体感療法の治療では,今まで起きたことを物語ることは後回しにして,まず体感を探って,過去のトラウマが身体に刻み付けた傷の場所と形を見つけることを優先します。トラウマそのものに深く入り込む前に,患者さんたちは,トラウマの時に圧倒された様々な体感と様々な気持ちに安心して繋がれる道を育てる,自分の内側にある,手応えのある体感を創造する手助けをしてもらえます。ピーター・レヴィンは,このやり方を「振り子」といいます。患者さんたちは,様々な体感と様々なトラウマ記憶に,心から優しく,出たり入ったりするんです。このようにして,患者さんたちは,「我慢できる窓」を次第に広げることをて助けしてもらえます。

 患者さんたちは,トラウマのために生じる様々な体感を意識することに,一回耐えられれば,強烈な心の震えがあることが分かるんです。打っ叩きたい気持ち,押しのけたい気持ち,走り出したい気持ち。それは,トラウマを体験している間に,生き延びるために,押し殺した気持ちです。こういった心の震えが示すのは,すぐには気付かない微かな身体の動きです。例えば,身を捩ったり,クルクル回ったり,後ずさりしたり。すぐには意識できない微かな身体の動きを,ハッキリと増やして,とても良い物差しとする生き方を実験することは,トラウマのために,未完の行為となっていた「身体を動かしたい気持ち」を,成し遂げて,できた,と言える治療過程のはじめです。体感を大事にするセラピストは,患者さんを手助けして,患者さんが,自分の感じるままに動いても大丈夫かどうかの実験をしてもらって,今ここで生きている実感を感じられるようにします。上手くいく関わりができる,陽気で楽しい歓びを実感したおかげで,生きている実感を生きる習慣ができますし,自分を自分で上手に庇ったり守もったりできる習慣もできます。

  1893年,最初にトラウマを探求した人である,ピエール・ジュネの著作に戻りますと,「自分から始めた関わりを最後までやり切る歓び」について,触れていますし,私はいつでも,この「自分から始めた関わりを最後までやり切る歓び」をいつもこの目で確かめています。それは,私が体感療法をしたり,腑に落ちる体験をしたりする場合です。患者さんたちが,戦ったり,逃げ出したりしたいと感じたことを,身体で態度で示すとき,自由になり,笑顔になり,出来た,って感じです。

 人が圧倒的な力に従うことを強いられる時,たとえば,粗末にされた子どもたち,家族から暴力を受けた女性たち,それに,獄に入れられた男性にも女性にも,あてはまる場合が多いんですが,生き延びるためには,諦めて相手に合わせなければならない場合が多いでしょ。身体に沁み付いた相手に従う行動パターンを乗り越える一番の道は,戦ったり,自分を守ったりする身体の力をつけることです。戦う/逃げる・反応を上手に組み立てる,一番好きなボディーワークは,私どものインパクト(女性の護身術道場)・センターでやってる,強盗護身術のモデル・マギングです。モデル・マギングでは,女性(いまは,男性も増えています)が,本当に襲われる模擬練習で,実際の相手を打ち負かすように教えられます。モデル・マギングのプログラムが始まったのは,カリフォルニア州オークランドで,1971年ですが,それは,空手5段の黒帯の1人の女性が,レイプされた後のことです。空手で人も殺せるような人が,なぜレイプされたのかしら?と不思議に思った友人たちが分かったのは,その女性は,怖くて空手の技が使えなかった,ということです。この本の言葉の中で,素晴らしい働き(前頭前野)が働かなかったために,その女性は身動きができなかったんです。モデル・マギングを通して,女性たちは,凍り付いて何もできなくなることを,作り替えることを教わります。それは,繰り返し,ゼロ・ポイント(軍事用語で,攻撃された瞬間のことです)に舞い戻って,恐怖を能動的に戦うエネルギーに変えるわけです。

 私の患者さんの1人は,粗末に育てられた大学生でしたが,モデル・マギングの講習を受けたんです。私が初めてその方に初めて会ったとき,その女性は,落ち込んでいて,意気消沈し,過剰に人の言いなりになっていました。3か月後,講習会の修了式で,その女性は,大男の襲撃役に上手に戦えました。その大男は,結局は,床に横になって,泣き出しました。

 それから間もなくして,その女性は図書館からの帰り道,真夜中に,3人の男が藪の中から現れて,叫びました「姉ちゃん,金出せ」って。その女性が私に話してくれたんですが,空手の構えをして,叫び返したんですって,「いいわよ,みなさん,この瞬間を待ってました。最初にかかってくるのは誰」って。

 

 

 モデル・マギングは,聖書の学びとおんなじで,待つことの恵みに溢れているみたい。

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#スピリットの光閃き #道を開く

2019-06-25 08:30:35 | エリクソンの発達臨床心理
 
#生きている実感 は #ヌミノース体験
 聖書の言葉:  #アナニアの失敗 #ウソは心の死 #ウソは自分の死    インターメッツォ : 信頼して人生を歩む、ということ      今宵は、1人の無名の女性......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」
 をご参照ください。

 不思議な導きの中にある,まとめ学習の都合により,Insight and Responsibility 『キリストと共に見る心眼=善い良心があると,子どもに応答できる』の、p.116,最後から。今朝は,p.117の,第2パラグラフの,下から2行目から。

 

 

大文字の希望が当てになると信頼できる唯一の条件は,母子が一心同体体験をすることだけです。その母子一心同体体験は,聖書の神様の全体像を体現した赤ちゃんが「記憶に残る前」の時代,すなわち,言葉を話せない時,話し言葉による記憶のない時分の,分裂していた母子2人の実験が一心同体になることによって,はじめて実現します。心から自由にされて善かったと語って自分を育ててくれるスピリットは,自分のたった1人の「お母さん」が心から安心できる人だなぁと顔と顔をシッカリと見合わせて,腹の底から仲良くなって,一心同体になることが,育ちの中で一番大事だとみなします。スピリットが語る言葉を生きる者は,赤ちゃんがお母さんと腹の底から仲良くなり一心同体になることが,育ちの中で一番大事だと言ったことによって,あの「対体験をする者が育つ場」がプレゼントしてくれる,「ギフトとしての自由な私」(「生きるはキリスト」)を体得底で,完全に知ることができるんだ,と言っているんです。他方で,心から自由になって善かったと思える者たちは,最初に心から大事にしてくれる1人のお母さんの重要性について,自由に訴えていますが,最初に心から大事にしてくれる,その1人のお母さんとは,手塩にかけて大事にしてくれる人は,心響かせピッタリ身体を合わせてくれる人かどうか実験して,一心同体体験は,なるほどホントだなぁ(アーメン),と腑に落ちる体験です。その一心同体体験実験をアーメンにしてくれるお母さんは,赤ちゃんの,お腹がすいたり傷んだりした身体と辛く悲しい気持ちを,赤ちゃんが期待している通りに,いつも繰り返し振り返ってくれますし,いつも自分を赤ちゃんより小さくして,赤ちゃんのために働きますから,赤ちゃんの心の中に,自分は値打ちものだという信頼を吹き込むことができます。アーメンお母さんは赤ちゃんと眼と眼を見合わせて,赤ちゃんから心から仲良くされて一心同体にしてもらえるのは,アーメンお母さんが眼と眼を見合わせて赤ちゃんと仲良しになり,一心同体だと思えるのとちょうど同じです。赤ちゃんとお母さんは,2人とも心から優しいということは,最初に知ることになっていることですし,最初に信頼を創造するものですから,大文字の希望の足です。

 大文字の希望は,人生の実験を根底から支える良さとして一度出来上がると,「様々な上手くいく見通し」が見通し通りでも,そうでなくても,いつでも,生きているってすばらしい,という希望があります。と言いますのも,人が心身ともに大人になることの中にこそ,様々な具体的な希望って,出来事や状況を望む希望が実現したときには,もっと先にある様々な希望の足が,先回りして静かに待っていますからね。赤ちゃんが自分から関わって歓ぶ歓びが次第に増えれば,信頼を作り出すことが増して,上手くいく見通しがそれだけ豊かにされますから,もっと先にある様々な希望のおかげで,赤ちゃんは,新たな期待に胸弾ませることも増えますね。それと同時に,その赤ちゃんは,「No」と言い返す力も伸ばします。聖書の神様の最高の光に似てくれば,叶わなかった様々なよき見通しから,素晴らしい見通しが生まれます。それに,心から真似びたい相手を夢見るようになりまりますし,いまここにあるものは,とても良い,と約束してくださる聖書の神様の試練を,生きている実感が引き出されて,̪̪信望愛に至るまで,続けます。聖書の神様がいつも育ててくれる良い見通しは,何があっても大丈夫 なだけではなくて,聖書の神様の心から優しい命が一巡する場を,どこでも何度でも,作り出すことができる,と見通すことになっています。それは,聖書の神様の心からの優しさを信頼することは,様々な山をも動かす,と言われている通りなんです。聖書の神様の心から優しい命が一巡する道から外れてしまった場合でも,大文字の希望が,息を合わせる大人に育てて下さる,唯一無二の救い主キリストのスピリットに,体得底で近づけるようにしてくれます。息を合わせる大人に育ててくださる,唯一無二の救い主キリストのスピリットが働く場では,内的促しにピッタリと合う心の習慣が備わり,聖書の神様の命が一巡しますから,互いに大切にし合うことに決まっています。ただし,聖書の神様の命と正反対に粗末にし合うことが,あの全うな人や,聖書の神様の心から優しい命が一巡する場を,どこでも何度でも,作り出すことができる,と見通す,あの見通しに勝らない場合です。人間に生まれたあかちゃんにとって,自分のお母さんこそが,「現在形の創造主」です。お母さんは,聖書の神様の法則では,赤ちゃんにとって,最初に聖書の神様のあの約束を必ず守ってくれるキリストになる「予定」です。お母さんがキリストみたいに必ず約束を守る人になれば,約束を守ってもらえるという信頼が,他の人からも引き出せるし,自分が生きている実感の輪がますます広がります。ですからね,聖書の神様が,私が生きている実感を「とっても善い」として下さることは,母子が共に育つ人になる聖書の神様の法則では,スピリットの光 の中で始まります。母子が共に育つスピリットの光は,聖母マリアの様々な絵を見れば,母子2人が,正しいことを押し付け合うこともありませんし,思い煩いあうこともない,2人が共に居る道であることもわかります。しかも,聖書の神様の命が一巡する場では,母子2人を共に育てて下さるスピリットの光は,何度もバラバラにされる落とし穴がパックリと口を開いていても,ピカリと輝き閃き続けます,実る中でバラバラにされそうになっても,倒れてバラバラにされそうになっても。


 聖書の神様の,心から優しい命が一巡する場を,いつでも何度でも作り出せる,という見通しを持つことが,大文字の希望です。

 こちらも,暗号を解けば,以上のようです。

 スピリットの光は,バラバラにされそうになっても,虐められて疲れ果てそうになっても,道を開きます。

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#決まっています #陽気で楽しい歓び 

2019-06-25 07:36:01 | エリクソンの発達臨床心理
 
#信頼 と #直観的な想像力の源 #いつも共に居てピッタリと合わせてくれるお母さん
 現世考:  #沖縄の第一印象 #大田昌秀さん #不平等    釧路の事件に寄せて  : 「信ずべき本物」と「恥知らずの悪役」    釧路のイオンモールで、また......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」

 をご参照ください。

 不思議な導きの中にある,まとめ学習の都合により,Toys and Reasons 『おもちゃ と 賢慮』から,p.67から。第2章の初めから。今朝は,p.68の,第2パラグラフから。



母子2人の喜びがぶつかり合う場

 

 5歳の男の子のおもちゃ療法の中にあった(訳注:p.31の挿絵にある),母子2人のやり取りの真実のど真ん中にピッタリな,人の音色に合わせて心身を動かす人,キリストこそは,たった1つの象徴である,とキリストと共に居る私は,見ますね。キリストが仲良しの2人のど真ん中にいるのは,遊びの場面でも,子どもがいつでも生きている実感を信頼する,様々な空っぽの場で一巡することになっている,人の音色にピッタリ心身を合わせる音色でも,同じです。5歳の男の子が生きている実感,命の響きを腑に落ちて身に着ける時には,腑に落ち,感動し,心の傷がピカリと光るんですから。それに,この5歳の子が投げかける仲間の様々な課題,この子の心が育つ人との関係,それに,その子が与えられている正義も関わります。ここで,1人で夢中になって喜ぶ時期から,互いに関わり合う時期を繋ぐ敷居で,身に染みて分かるのは,1人で夢中になる喜びには空っぽの場が1つしかないことですし,母子2人が互いに夢中になることがぶつかり合う場も1つしかない,ということです。そうして,キリストとともにいる私が見つけたのが,あの大きな空っぽの場でバラバラにされた,母子2人のド真ん中には,自分を小さくして空っぽにする,聖書の神様の心から優しさが,母子2人をピッタリくっつける,という,唯一無二の気高い働きがある,ということです。その他の命の響き合い,すなわち,今ここで生きていることを実感した,あらゆる空っぽな場にある,陽気で楽しい歓び,という,あの温もりに溢れたスピリットが下さる,自ら関わる心からの自由と2人の関係にピッタリな,歓びを互いにプレゼントしあう関係を紡ぎだそうと願えば,歌手のピーター・ウォルフが「ピッタリと響き合う関わり」と呼んだ者に,育つはずです。「ピッタリと響きあう関わりができる」のは,身が大きくなり,心も広がる人間は,水の如く,自分が下に立ち,相手に心響かせることができますし,また,相手に心響かせる内側に留まることができます。例えば,子どもの頃が過ぎれば,対等な対体験を作り出し,聖書の神様の声に従って,聖書の神様の命が一巡するように,相手を振り返ることが,「ピッタリと響き合う関わり」という務めになります。その「ビッタリと響き合う関わり」は,2人が対等な新しい生き方をすることですから,陽気で楽しい歓びをプレゼントするように自ら関わる関わり合いが育ちますし,様々な腹から湧き上がる歓びが漲ります。生涯にわたって,生きるはキリストのスピリットの陽気で楽しい歓び漲る平和を作り出すことができれば,腹の底から歓ぶ関わりがいつでもどこででも,聖書の神様からの力があるだけではなくて,2人が腹の底から歓ぶシャローム平和も作り出すことも,人類皆兄弟,梵我一如に至るまで,育ちます。それは,聖書の神様の心から優しい命の全体像を,自覚することです。この聖書の神様の心から優しい命の全体像の中では,2つに分けることができない人類皆兄弟に至る,「人類を上下2つに分けるウソ」に侵されない全うな2人は,眼の前で,2つにバラバラにされた,人が育つ場を,キリストのおかげで,互いに大切にし合って一心同体にしていただく,神の法則に従う場になるに決まっています。大人になれば,仕事で人を育てることと,子どもを儲けたり,力を出したりして自分から関わることは,一人の仮面をかぶった人が,自分勝手な見通しと自分勝手な自由を切り取って,ぶつかり合う場の分け前になりますし,あるいは,子どもが歓ぶことを自分の歓びにすることを確かにする自分を生み出す,生きるはキリストを生きます。それに,聖書の神様の法則の中では,人とやり取りする実験が,発達創造の天国への階段で,自由な喜びがぶつかり合う子どもっぽい大人しかいなければ,「人間を育ててくださる,ウソのない聖書の神様の法則は,アーメン なるほど,ホントだね」という微妙(みみょう)の法門に至る者など,一人も生まれません。母子2人が,死で区切られる聖書の神様の命の法則の全体像,平和シャロームを,一緒に体得底で判って初めて,共にあの微妙(みみょう)な光の下をひれ伏し,聖書の神様のあの約束を,なんとなく,繰り返し思い出し,唱えながら日々を生きることができます。その約束は,聖パウロさんも固く約束していることです,「いまは,『汚れたガラス越しに』見ていますけれども,キリストがまた私どもの間の下に,来られる日には,私ども人間は,聖書の神様から心から大切にしていただけるのとピッタリとおんなじに,互いに大切にしあうことに予定されています」。

 「聖書の神様のギフト,腹の底から湧き上がる歓びたち」に聖書の神様の創造の舞台である人生の中で従えば,私どもひとりびとりは,私ならではの生き方をシッカリつかみ取りますから,心の欲する所に従っても,矩(のり)を踰(こ)えませんからね。その生き方は,赤ちゃんの身体と親たちの身体は,聖書の神様の教えが育つ唯一の源だというところから始まりますし,おチビちゃんがおもちゃ遊びに,自分のスピリットを吹き込むことから始まりますし,自分が生きている実感が育って,聖書の神様の命と目の前の相手と一心同体になって,陽気で楽しい歓びを分かち合うことに決まっています。



 きれいに暗号が解けると,以上のようになります。

 エリクソンの驚くほど緻密な文体。

 聖書の神様のスピリットは,キリストのスピリットを介して,ひとりびとりの魂に働くように決まっています。

 その摩訶不思議な働きは,自分と目の前にいる人,森羅万象と一心同体にする,摩訶不思議で,圧倒的な力ある働きであり,腹の底から,心の底から湧き上がる,陽気で楽しい歓びが必ずあることに決まっています。

 

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