エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#気高い試練

2020-03-30 12:20:50 | エリクソンの発達臨床心理
 
#心の壁 #心からの優しさ と #平和 vs #他者憎悪を合理化する心のカラクリ  と #戦争

 #我が子の様に相手を大切にする生き方 #相手の自由を豊かにする生き方 #仲良しを楽しむ人生の習慣 聖書の言葉: μετανοια,メタノイア 再び    本末......
 

「発達トラウマ障害 Enpedia」  

をご参照ください。

   今日は, Afterthoughts. 1985 「補足 1985」 から。Childhood and  Society の3番目の,最後の序文です。おそらく,エリクソンの出版した最後の論述になると思います。

 p.8の第3パラグラフから。

 今朝は,その6行目から。 

 訳語を考え直しました。

 

 

 臨床で人間をよく観察する日々を記す中で,初めて偉大な体験に戻ることができたんです。それは,心優しい友達や先生のおかげで,ウィーンのフロイト派の「先達」の中で,近年発見された,子どもの頃の体験の普遍性について,体得底することこそ気高い試練だ,というところに戻ります。それは,特別学校で私どもが観察する時にも,子どもの頃の体験にも普遍性があることを体得するという気高い試練がありますし,心の病で苦しむ大人の思い出と成育歴から,再び共に育つ時にも,子どもの頃の体験にも普遍性があると体得するという気高い試練がありますし,子どもを自由にすることそのものズバリを出来事にすることから,再び共に育つ時にも,子どもの頃の体験に普遍性があると体得するという気高い試練がありますが,それはかつて,アンナ・フロイトが(訳注:大文字の希望にまで)育てた,子どもの頃の体験に普遍性があると体得するという偉大な試練です。

  

 

 試練の中に大文字の希望があります。

 パウロさんがロマ書で教えていることと,同じです。

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#望み通り と #腑に落ちる を繋げる #温もりのある関わり

2020-03-30 10:08:29 | エリクソンの発達臨床心理
 
#悲しき運命を告げる声 からの #逃げ道 #取引 は  #痛いだけで決して逃げられないのに

 #日常生活を礼拝にする生き方 #陽気で楽しく生きる唯一の方法 #アガペーが生きる生き方 インターメッツォ: エリクソンの叡智 : コンヴァージョン(conve......
 

「発達トラウマ障害 Enpedia」

をご参照ください。

 Identity :Youth and Crisis 『聖書の神様と一心同体に成ること : 若さと危機』

 今朝は,p.174の,16行目から。

 備忘録的に,p.168の第2パラグラフも残します。

 

 

 忘れてはならないのは,気持ちがピッタリと分かり合って腑に落ちることの反対は、人に馴染めず心がバラバラだ,ということです。つまり,1番親しい母親は,いまここにあると,母親には不都合な強さや不都合な人たちを,裏切り,見て見ぬふりをして,殺してしまいやすい、ということはね,忘れてはなりません。一纏まりの人や思いに馴染むことは,別のまとまりの人や思いを上手に裏切ることなしには,あり得ませんでしょ。このように,忖度と裏切り,それは,一番親しいはずの母親と一心同体に成ることできなかったために,最深欲求を満たすことができない人のいつもの心の態度になります。最深欲求が満足していない人って,自分の「良心」に確信を持てませんから,不正な誘いを断る賢さがありません

 

ダメだと言う人と一心同体に成るという選択

 お母さんと一心同体に成って,気持ちがピッタリと分かり合って腑に落ちる心の習慣がありませんと,家族や近隣の人々の中で,素晴らしいとか,望ましいとか思われている役割に対して,小ばかにし,鼻持ちならない敵意を抱くことになる場合が多いんです。人から頼られる役割は,おしなべて,腑に落ちる心の習慣がない若者がひどく毛嫌いする中心点になりがちです。このように,自分に振り向いてくれる人が欲しくて,反抗をしすぎることは,アングロサクソンの一番の古株からラテン系やユダヤ系の新米まで,あらゆる人間に見られます。自分に振り向いてくれる人が欲しくて,反抗をしすぎることは,何でもかんでもアメリカ的なことは大嫌いという態度にもなりますし,馴染めないこと全てに対して,理屈に合わないほど,買いかぶったり,軽蔑しすぎたり,ということにもなりがちです。聖書の神様のいのちが一巡して,晴れ晴れと本当の自分に生きがいのあるいのちが2人に実るのは,(訳注:一粒の麦が落ちて死んで)1人が自分のいのちを空っぽにする時だけなんですよ。反対に,生きている実感が萎んで,1人でも傲慢になると,2人が本当の自分を生きるのが抑え込まれることになります。ケース報告で印象的なバラバラになった自分が示しているのは,悪い良心が勝って,若者のよちよち歩きの一心同体の実感がバカにされている,ということなんです。「『お前はダメだ』と言う心の声が,この頃,よく聞こえるんですよ。『お前はダメだ』と言う心の声は,やることなすこと『ダメだ』と言ってくるんです,というわけですね。その若者の話では『煙草を吸っても,女の子に“好きだよ”と言っても,身振りをしても,音楽を聴いてても,本を読もうとしても,この3番目の声は私にいつでも,『お前がうまくやろうとしたって,ダメ(ウソ)ですよ』と言うんです」,この『お前はダメだ』と言う心の声は,とっても冷酷です。とある日,内から大学へ行く途中,その若者が乗った電車が,ニュージャージーの沼地と貧民街を横切りました。その若者が強く感じたのは,大学や家の人よりも,貧民街の人と,気が合う,ということでした。いのちは貧民街みたいなところにだけある感じで,対照的に,大学は庇護された女々しい場所に思えたのでした。

 この例の中で大事なのは,圧倒的な悪い良心,「お前はダメだ」という心の声(しかし,その声は,この若者が別の道を選ぶほどにはまとまっていません)のことをよく考えてみることばかりではなくて,一心同体に成れずに病んだ自分を,バラバラな社会のせいにすることをよくよく考えてみるなんです。似たようなケースはフランス系アメリカ人のケースですが,その方は,かなり栄えた炭鉱町の出身で,男の子と一緒ですと,突然不安に襲われてパニックになったんです。割り当ての悪い良心がいつもくっ付いてきて,聖書の神様と一心同体に成り損ねていると,まるで聖書の神様との関わりとは的外れな強迫的な思いに飛びついてしまうんです。その的外れな強迫的な思いとは,男はみんな,やっぱり「フレンチはこうでなくちゃ」と思われるセックスをしてくれると期待しているもんだ,ということでした。

 このように,国や民族の祖先に馴染めないことが,「本当の自分と一心同体に成る」ことが完全にダメになるのは珍しいことです。ただし,特定の名前やニックネームで呼ばれることを,新しい旗印に居場所を探している若者の中には,いつも怒っている人は珍しいことではありません。しかし,自分のルーツについて仲良く話し合って,見直すことはよくあることです。中央ヨーロッパ系の出身のとても独創的な高校生は,スコットランドから来た移民をひそかに探して,その移民の方言や習慣を熱心に学んで,真似しました。歴史書や旅行ガイドの助けを借りて,スコットランド人との関わりの中の与えられた場で,夜に長いおしゃべりをして,スコットランドの子孫であることに腑に落ちて,自分の子どもの頃を独力でもう一度育て直しました。この女子高生は,アメリカ生まれの両親のことを,「私を ”ここアメリカ” に連れてきた張本人」と言いましたし,私のところに送られてきたときには,自分のことを「ローナ」(訳注:不倫とヌードのシーンで物議をかもした,1964年公開の映画とその主人公の名前)と呼んで,「あっちスコットランド」の子どもの頃を,事細かに話してくれました。私はその話に寄り添っていましたが,彼女曰く,「それが本当かということよりも,腑に落ちる意味がある,ということがもっと大切なんです」と。その腑に落ちる意味がある,ということは,その女子高生は以前ご近所の女性にピッタリとくっ付いて馴染んでいた,という1つに思い出に繋がりました,その近所の女性は,イングランドの島の出身で,女子高生の両親が実際にしていたこと,できたことよりも心強く女子高生の望み通りの心から優しい温もりのある関わりをしてくれていたのでした…。

 

 

望み通りと腑に落ちるを繋げるものは,燃え上がる光(温もり+晴れ晴れ)です。

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#聖書の言葉 #単独者の恵み #沈黙する神

2020-03-29 12:03:00 | 聖書の言葉から
 
 


 
#聖書の言葉 #単独者の恵み #発見する毎日

「発達トラウマ障害」Enpediaと 発達トラウマ障害を英語で・英訳 ‐ 英和辞典・和英辞典Weblio辞典 をご参照ください。 生きているのに 死んでいるあなたへ......
 

「発達トラウマ障害 Enpedia」
をご参照ください。

 

生きているのに
死んでいるあなたへ

 

今朝も,ヘンリー・ナウエンさんの言葉から。

 

 

聖書の神様は

 

沈黙しています

 

沈黙の中から

 

聖書の神様は

 

み言葉を囁きます

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#コロナ以上にパンデミック #薬もワクチンもない #発達トラウマ障害

2020-03-29 11:50:39 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの
 
#キリスト者の生き方 #目覚めた生き方 #人類皆兄弟を自覚的に目指して生きる

 #一心同体になるように賢く思いやりに満ちて互恵的に時間を使う時空 が  #一番大事 #鑪氏西平氏のピンボケ 現世考: 国会小話    発達トラウマを抱えた愛着......
 

「発達トラウマ障害 Enpedia」  

をご参照ください。  

 ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』 は,翻訳が終わりましたが,印象的な言葉を適宜拾ってみようと思います。 

 p.117の,ブランクから。

 今朝は,p.119の,第2パラグラフ,5行目から。

 

自分が体験した両親と生きる

 

 子ども等は誰でも,お母さんにピッタリとくっついて一心同体に成る生物的な本能があります。なのに,子どもには選択肢が1つもないんです。その子等の両親や育ての親が,心から優しくしてくれて,大事にしてくれるのか? それとも,よそよそしくて,鈍感で,相手をしてくれず,粗末にするのか? によって,その子等は,少なくともいくつかのニーズを手に入れようとして,コッソリと打つやり方を育てることになります。 

 私どもがこのコッソリ打つやり方になりかねない振舞い形を評価し,身に着けて来たのは,2人のアメリカ人科学者,メアリー・アインズワースと、メアリー・メインの業績のおかげです。また,2人の仲間は,何千時間もかけて,お母さんと赤ちゃんの観察を,何年にもわたって,行ったんです。こういった地道な研究に基づいて,エインズワースが作り出したのが,「見慣れたお母さんが居ない場面(ストレンジ・シチュエーション)」と呼ばれる研究法です。それは、赤ちゃんが一時お母さんから離れたときに,赤ちゃんがどのように反応するのかを観る方法です。かつてボールビーが観察したように,安心してお母さんにくっついて一心同体に成った赤ちゃんは,あ母さんが見えないと強い不安に陥りますが,お母さんが戻れば,歓びますし,束の間安心を取り戻すと,落ち着いて遊びに戻ります。

 しかし,安心してくっ付けないせいで,一心同体に成り損ねた赤ちゃんは,その赤ちゃんが描く絵はもっと複雑です。お母さんが振り返ってくれず,見て見ぬふりをする子どもは,不安に処するのに2つの方法を用います。研究者たちが気が付いたのは,いつもイライラしていて,お母さんに対して不満タラタラの子もいれば,おとなしくて,引っ込み思案の子もいる,ということです。どちらの集団も,お母さんと触れ合っても,気持ちを落ち着けることができませんから,安心してお母さんにくっ付いて一心同体に成れた子ども等みたいに,満足して遊びに戻れません。

 1つのパターン,「人を避けることがくっ付く代わりをする」と呼ばれるパターンでは,赤ちゃんは,お母さんを1つも気にしていないように見えます。お母さんが居なくなっても泣きませんし,お母さんが戻ってきても,知らん顔です。しかし,だからと言って,子ども等が,影響避けないんではありません。実際に,子ども等は心拍が速くなりますから,いつも過覚醒なんです。私と仲間たちは,このパターンを,「やり取りはあるのに気持ちが1つも籠らない」と呼びました。「人を避けることがくっ付く代わりをする」と呼ばれるパターンの赤ちゃんの,お母さんは,たいてい,自分の子どもに触れるのがお嫌いですこの手のお母さんは,赤ちゃんにスリスリしたり,抱っこしたりするのも、気が進みませんし,赤ちゃんと楽しいやり取りを繰り返し作り出す表情や掛け声ができません

 もう1つのパターンでは,「心配」しながらくっ付くのと「ぶつかる気持ち」がありながらくっ付くパターンと呼びますが,赤ちゃんは,泣いたり,大声を出したり,しがみついたり、泣き叫んだりして,自分に注意をいつも引こうとします「気持ちがあるのに,やり取りがない」んです。この手の子ども等は,何か目立つことをしない限り,誰も自分を見てくれない,と感じているように見えます。こういう子がひどく騒ぐのは,お母さんがどこにいるか分からない時ですが,お母さんが戻っても,あまり元気になれません。お母さんと一緒でもあまり楽しそうには見えないのに,黙っていても,あるいは,怒りながら,お母さんを気にしているんです。他の子だったら,遊ぶだろう場面でも,黙ったままで,あるいは、怒りながら,お母さんを気にしているんですから。

 赤ちゃんがお母さんにくっ付いて一心堂内になるかどうかを研究する研究者たちが考えたことは,くっ付いて一心同体に成ろうとして「出来上がった」戦略は,3つ(安心してくっ付く,人を避けてくっ付く,不安なままでくっ付く)が働くのは,特定の親がくれる世話から一番を引き出すためでした。1つしかない世話のされ方(その世話の仕方が,気持ちが籠っていなくても,自分の気持ちを汲み取っていなくても)に出会う赤ちゃん等は,その世話をされる唯一の関係に適応していきます。これは一つも問題がない,ということではありません。このくっつくパターンは,大人になっても変わらないのが普通です。心配しながらくっ付いていたよちよち歩きさんは,心配しながら人と関わる大人になっちゃいますし,人を避けながらっ付くよちよち歩きさんは,自分の気持ちも人の気持ちも分からない大人になります(「お尻をピシャリとやられることは悪くない。お尻をピシャリとやられたからたからこそ,いまの成功を勝ち得たんだから」という場合みたいに)。学校では 避けてくっ付く子はいじめっ子になりやすいですし,心配しつつくっ付く子は,いじめられっ子になりやすいんです。しかし,発達は直線的に進むものではありませんから,人生の様々な体験のおかげで,結果が違ってくる場合も多いものです。

 しかし,実はもう1つのグルーブがありまして,そのグループこそ,適応が一層怪しいのであるとともに,私どもが治療しているたくさんの子どもたちなるグルーブですし,同時に,精神科のクリニックに来るたくさんの大人たちになるグルーブです。20年ほど前,メアリー・メインと仲間たちは,バークレーで,親との関わり方が分からない(研究協力者の約15%)子どもたちがいることに気が付きました。危機的だと分かったのは,親も自分の子どもがストレスと恐怖の元になっている,ということでした。

 こんな事情にある子ども等は,頼る人が1人もいませんし,解決できないジレンマに直面します。すなわち,お母さんは生きていく上では居なくてはならないなのに,同時に,恐怖の源なんです。こんな子等は,「近寄ること(安心してくっ付く「戦略」とアンビバレントな気持ちでくっ付く「戦略」)も,意識を逸らすこと(避けながらくっ付く「戦略」)も、逃げ出すこともできません」。こういう事情を抱えた子どもは,保育園やアタッチメント研究所などでよく観察すれば,親が戻ってきたときに,そういう子は親を見ていて,その後に素早く踝を返しているのが分かりますよ。

 

 

 残念ながら,この手の子は,ニッポンに,溢れかえっています。

 コビット19がパンデミック

 コロナ以上に,発達トラウマ障害が、パンデミック

 薬もワクチンもありません。

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#自分を責める人生のハビット #心身の病の源  #喧嘩と虐めの源

2020-03-29 11:27:44 | エリクソンの発達臨床心理
 
#聖書の言葉 #単独者の恵み #発見する毎日

「発達トラウマ障害」Enpediaと 発達トラウマ障害を英語で・英訳 ‐ 英和辞典・和英辞典Weblio辞典 をご参照ください。 生きているのに 死んでいるあなたへ......
 

「発達トラウマ障害 Enpedia」  

をご参照ください。 

 Ontogeny of ritualization in man. 「人の中にキリスト(生きている実感・本来の自己・本心と本音)を創造する毎日礼拝」

イギリスのThe Royal Societyが1966に出しています。

 p.344の,ブランクの後。

 今朝は,p.345,5行目から。

 

 4 子どもの頃 :あの台本通りに,とあの形

 

 私がこれまで取り出した毎日礼拝の元は2つです。その2つは,本当の自分を創造発達させる中でキッパリと根付かせました。最初の病因を突き止める「病因論」の視点で見る時,繰り返し申し上げておきたいことは,赤ちゃんの時期と大人の人生のハビットの間に単純な因果関係があるということを私が申し上げているわけではない,ということです。それは,大人の様々な毎日礼拝には,特に,子どもが自分の足で自律したいという,目には見えないニーズに応えるという意味がありますから。ご先祖様や聖書の神様は次第に大人になることを求めている,というイメージ(これから見ますけれども)は,子どもに顔を近づけるお母さんの真似をしたり、「正義」の理想を追ったりすることだけじゃない,子どもの頃の悪い良心が外に現れることだけじゃない、ということです。むしろ,人が聖書の神様の予定(説)に従って創造発達するのは,人生のハビットを形作る主たる元(型)のそれぞれが,長い子どもの頃のそれぞれの舞台にありつつ,それぞれの子どもの頃の舞台に根差していることは確かにそうなんですが,その人生のハビットを形作る元(型)が展開すると,繰り返しシャローム英和をより気高く前進させるんですヌミノースの元(型)は,分別の毎日礼拝でも繰り返し現れるますが,それは,全ての「気高い相手」や「正義の女神」の気高さにくっ付いている燃え上がる光みたいです。あるいは,ヌミノースの元(型)は,「正義の女神」のイメージを象徴したりイメージしたりする礼拝を具現する人物に付き物の燃え上がる光のようです。ところが,ヌミノースの元型や分別の元型そのものが,たとえ,特定の人生の舞台や特定の人生のハビットを差配するとしても,毎日礼拝を「作り出す」訳じゃないんです。他の元型も2つの元型と一緒に働かなくちゃならんからです。もちろん,この後であの台本通りに努める」元型,「完全にやり遂げる」元型、「理想に賭ける」元型も論じます(p.348の図1参照)。

 まず,「あの台本通りに努める」元型です。この元形は,私は,「陽気で楽しい歓びを歓ぶ力」が完熟する中に根差している,と信じています。「陽気で楽しい歓びを歓ぶ力」さえあれば,子どもは手に入るものを使って,「台本通りに聖書の神様のいのちが一巡する役割を果たして,2人が一心同体に成る物語を創造し,「最高の結末」ができます。

 第2の「分別」の舞台は,親の声が子どもの心に入る所に特色がありますが,他方,この(訳注:第2の)分別の舞台が(訳注:1歳か2歳の)子どもに手渡すのは,1つの小さな実感です。その小さな実感の中で,その小さな子どもは,親がやる毎日礼拝から逃げ出して,過去に体験したことをもう一度生きて,正して,創造し直しますし,未来はこういう役割してこういう出来事があります,ということを,全ての毎日礼拝の特色である,自ら願って諦めずに繰り返し,信頼して待つことになります。しかし,この年頃の子どものテーマは,親の役回りを奪ったり,真似したりする場合がとても多いんです。それで,私はこの原理を,腑に落ちない,と名付けたいんです。腑に落ちない気持ちがありますと,遊びの中では,イライラと頑固になりますが,自分を責める人生のハビットとなってしまいます。

 

 この腑に落ちないは,自分と仲良くできないことの源です。

 でも,それだけではもちろんありません。

 この腑に落ちないがありますと,理由がなくてもイライラしますし,頑固になります。自分をいつも責めるのが人生のハビットになりますから喧嘩や虐め、それから,戦争の源です。

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