勤務先の近くに「こぶし公園」という小公園があります。ブランコとジャングルジムがあるだけの、ごくありきたりの小公園です。
辛夷(コブシ)の樹が何本かあるので、そこから名前をつけたのか、「こぶし」と名づけたので辛夷を植えたのか-詳細は不明ですが、ともかく辛夷の樹があります。
関東では三月の終わりから四月にかけて、桜の開花にほんの少し先だって白い花を咲かせる樹です。
名にし負う桜と同時期に咲くのが辛夷にとっては不幸だったのかもしれません。飲み屋などで桜の話はよく耳にしますが、辛夷を愛でる声はかつて聞いたことがありません。
今日、昼休みに通り抜けようとして、ふとあと二か月ぐらいかと思い、何気なしに見上げて、初めて蕾に気づきましたので、撮影に及びました。まるで猫柳みたいです。
後ろに写っているのは楠(クスノキ)の大木です。いまの季節はあまり有難味を感じませんが、夏になると強い陽射しを遮って、大きな木陰をつくり、見ているだけで瑞々しい思いを味わわせてくれます。桔梗おぢさんの好きな樹木の一つです。
東京・目白の裏通りには高さ10メートルぐらいの辛夷の高木があって、毎春花の季節になると様子を見に行っていました。当時棲んでいたマンションと買い物で利用する大丸ピーコックというスーパーの中間にあったので、わざわざではなく、通りすがりに見ることができました。
目白……と、思い返すと、じつに懐かしい……。
1992年から八年間住んで、2000年に引き払いましたので、もう九年も昔のことになりました。
いまではすっかりおぢさんであることが板についてしまった桔梗おぢさんも、棲み始めたころはまだ四十代という、男としてはピチピチの時代でもありました。
目白時代は若かった以外に何がよかったか、といっても特別すごいことではないのですが、タクシー代まで呑んでしまった、というときでも、新宿からも池袋からも、歩いて帰れるのがよかった。
いまでは新宿も池袋も行く気にならぬ-というより、遠過ぎて行けません。両方とも電車に乗ってしまえば一時間もかからずに行けるのですが、遙か遠いところへきてしまったような気がします。
一昨々年、一昨年と、ちょうど桜の季節に、かつての友人たちと新宿で呑んだのですが、いざ呑み始めると腰が重くなってしまい、ついつい終電を逃して、二度ともホテルに泊まるハメに陥りました。
齢を重ねると、昔の思い出ばかり甦るようになりますが、決して悪いことばかりではありません。
嫌な思い出を思い出すことは存外なく、取るに足らぬほどのことですが、愉しかったり、美しかったり、気持ちの佳かったりしたことだけが、まるで狐火のようにポッポッと浮かんでくるのです。