今月の薬師詣では茨城県つくば市を歩いてきました。
北小金から新松戸、南流山と乗り換えて、つくばエクスプレス(TX)の終点・つくば駅で降りました。
TXつくば駅に降り立つのは七年前のお正月、筑波山神社に初詣にきたとき以来二度目です。
一年前、いや、一か月前のことすら定かに憶えていないのですから、七年も前となれば、ほとんど記憶がありません。駅前のロータリーはこんなふうに整備されていなかったような気がします。
剪定されてしまっていますが、並木は欅(ケヤキ)。つくば市の市の木です。
こういう新しい街はきれいでモダンで、すべてが快適であるかのように思えますが、なんとなく身体がムズムズして、こそばゆい感じがします。
駅から歩くこと二十五分。無個性な建物の立ち並ぶ道が終わり、てんで勝手な家並みが現われるようになって、ようやく身体のムズムズが治まりました。
さらに歩いて行くと、完全に田舎の道になりました。茨城県道123号線です。
白線からガードレールまでは見た目は充分そうな余白がありますが、ガードレールの直下は土が盛り上がり、草が生えているので、実際に歩ける幅は30センチそこそこしかありません。
左手に筑波山の男体山(左)と女体山。
目的の常光寺薬師堂近くにある倉掛バス停です。TXつくば駅からここまで歩くこと三十分弱。
土浦駅とつくばセンター(つくば駅)を結ぶバスが走っていますが、バス便があるのになぜトコトコと歩いてきたのかといえば、ここを通るバスの便は平日は一日三便、土日だと二便しかないのです。
筑波山をカメラに収めようと寄り道をしていたので、約四十分かけて、倉掛部落研修センターというところに着きました。
今日は使用されていないようで、ひっそりと静まり返っています。
研修センターの左手に薬師堂がありました。
近づいてみると、扁額には醫王山常光寺摩尼殿とあります。常光寺というお寺はすでにありません。
格子戸の隙間にカメラを突っ込んで撮影に及びました。
真ん中にある厨子の中に薬師如来が祀られているようです。
このあと、今日のもう一つの目的地である覚王寺に向かうのですが、途中(といっても、少し遠廻りです)に一乗院というお寺があるので、寄って行くことにします。
上ノ室橋で花室川を渡ります。霞ケ浦に注ぐ川です。上流にカメラを向けて、シャッターを切りました。
橋を渡ると、径は上り坂になり、先ほど歩いた茨城県道123号線に出ます。その先に同201号線との交差点があり、そこを左折して行きます。
私が携帯してきた地図では、交差点の右にココスがあることになっていましたが、ココスはすでになくなって、ファミリーマートに変わっていました。
常光寺薬師堂から二十五分で一乗院に着きました。
真言宗豊山派の寺院。一乗院本堂です。
一乗院に向かっている途中、グーグルストリートビューの撮影車に遭遇しました。それも二度。最初は対向してすれ違い、二度目は追い越して行きました。
今日現在、つくば市倉掛、同花室あたりのストリートビューを視てみると、2015年九月の撮影というクレジットがあります。
いつ更新されるのかわかりませんが、更新された暁にはどこかに私が写っているのだろうと思います。
一乗院をあとにして、最後の目的地・覚王寺に向かいます。
途中で、またグーグルストリートビューの撮影車に遭遇しました。三度目です。
遥か昔、グーグルの撮影車と遭遇したことがあります。そのときは、そこらじゅうを走っているとはいえ、互いに一分、いや、三十秒通るのが遅ければ出会っていないのだから、奇遇といえば奇遇と思ったものですが、同じ日に二度ならず、三度も会うということはまずあり得ないことではないでしょうか。今後、なんらかの形でグーグルからの配当を得ることになる、というような吉兆であればよいのですが。
この先、あとで戻ってくることになる茨城県道24号線(土浦境線)をガードでくぐると、径は谷を下って、また上ります。
立派な懸崖で向こうが見えませんが……。
周辺は戦国時代には花室城があった一帯です。痕跡は何もありませんが、私が下って上ったのはどうやら堀の跡のようです。
懸崖をくぐった石段の先には見上げる高さに山門がありました。
覚王寺本堂。行基作といわれる釈迦如来が本尊です。
境内左手にある薬師堂です。伝運慶作の十二神将木像が祀られています。
曹洞宗のお寺なので、歴住の墓所に参拝します。
創建されたのは室町時代の明徳年間(1390年-93年)だといわれています。ただし、創建時は真言宗の寺院。
墓碑銘には最初に古開山として骨山全徹大和尚の名が刻まれています。「古」とは何かというと、室町時代の大永七年(1527年)、この地を治めていた信田右衛門によって現在の地に再建され、そのときに招かれたのが、千葉県市川市にある総寧寺の十七世骨山全徹大和尚だったのですが、その後、寺は荒廃し、明暦元年(1655年)、四代将軍家綱の時代に、総寧寺から二十四世の智堂光紹大和尚を招き、改めて開山として覚王寺再興を依頼しました。従って、さきの骨山全徹大和尚を古開山と称しているのです。
覚王寺から十五分歩いて、茨城県道24号線(土浦境線)に出ました。
一時間以上、ほとんどぶっつづけに歩いてきたので、脚は棒のようです。時刻表を見ると、十分後につくばセンター(TXつくば駅前)を通るバスがあったので、乗ることにしました
北小金に戻ってきて、慶林寺に参拝しました。
門前に咲く河津桜は満開期を過ぎて、散り始めです。