桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

菖蒲華(あやめはなさく)

2018年06月27日 23時13分39秒 | 風物詩

 夏至を過ぎ、昨日から来月一日までは七十二候の一・菖蒲華(あやめはなさく)です。
 この季節がくると、毎年不思議に思うのは、他の七十二候を見たとき、たとえば
桜始開(さくらはじめてひらく=春分次候)にせよ、玄鳥至(つばめきたる=清明初候)にせよ、事象が大体時節と一致しているのに、菖蒲華だけかなりずれていることです。
 六月の終わりといえば、菖蒲(アヤメ)は花咲くどころか、とっくに花期を終えていて、一輪だに見られません。咲いているとすれば花菖蒲ぐらいで、それすら最盛期は過ぎています。無理をすれば六月終盤でも花期といえなくはありませんが、花菖蒲は花菖蒲であって、アヤメではありません。
暮らし歳時記」というサイトには、「端午の節供に用いる菖蒲(しょうぶ)ではなく、花菖蒲のことです」とありましたが、どちらにしても、花そのものはすでに最盛期を過ぎているのですから、ピントがズレています。

 十日近く前の十八日、葛飾区にある水元公園へ花菖蒲を見に行ってきました。



 園内にはこんな掲示があって、花の大きさに大中小の三種があるといわれても、並んで咲いているわけではないから、比較のしようがありません。
「いずれアヤメかカキツバタ」という慣用句があって、どちらも甲乙つけがたいほど美しい、という意味で用いられますが、もう一つには見分けがつけにくい、という意味もあるそうです。ただ、花の咲く時期が異なり、咲く場所-乾いた土地か湿地か-も異なるので、実際には見分けがつけにくいということはないようです。

 ショウブは漢字で菖蒲と書き、アヤメも漢字で書けば菖蒲です。

 本家である中国の宣明暦の七十二候では菖蒲華ではなく、「蜩始鳴」といって、蝉が鳴き始める季節といった意味ですが、このところ、いくら暑くなったといっても、蝉が鳴くというのは
いかにも早過ぎます。田んぼで蛙は鳴いていても、まだ蝉の声は聞こえません。

 

 最盛期は過ぎたという説明でしたが、花の数は充分にあり、眼の功徳になりました。



 園内ではこんな出で立ちのお嬢さん(?)が枯れた花を摘み取っていました。

 花を摘み取るのは、そのままにしておくと、種ができてしまい、すると養分がそちらに吸い取られて、株自体が疲れてしまうからだそうです。

 今日二十七日は私の月誕生日なので、午前中に東漸寺へお参りに行ってきました。



 山門から境内を望んだ一枚です。



 山門から200メートルほど進むと仁王門。仁王門をくぐりながら中門に当たる中雀門を眺めた境内の景色です。



 東漸寺にもそこここに紫陽花があります。



 本堂。本尊は阿弥陀如来です。



 十五日と今日二十七日は本堂だけでなく、東漸寺開山の經譽愚底(きょうよ・ぐてい)上人の墓所にも参拝します。
 暑いので、お墓に冷たい烏龍茶を、と思って用意しておきながら、さて、出かけるかと腰を上げたとき、トートバッグに入れるのを忘れました。最近こんなことが多くなってきました。

 朝から強風です。この日、我が地方の最大瞬間風速は15・6メートルを記録しました。



 東漸寺の杉の林が、折からの強風に煽られて、ザワザワと騒ぐ様子を撮ったつもりなのですが、動画ではなく静止画では、ただ樹と空を撮しただけに終わってしまいました。



 帰りは少し足を延ばして、近くにある田んぼへ蛙の声を聴きに行きました。
 ひところはあっちでゲロゲロ、こっちでゲロゲロと結構騒々しかったのに、久しぶりにきてみれば、ひっそりとしています。
 それもそのはず、田んぼの水がなくなっていました。



 こちらはまだ水が残っていましたが、蛙が棲息するのには不充分だと思われます。

 さらに足を延ばして、富士川の支流・平賀川へ半夏生の群落を見に行くことにしました。
 来月二日から七夕(立夏)までが七十二候の一・半夏生。



 半夏生。正しくはカタシログサ(片白草)。
 表(片一方)だけ白くなるので、この名があります。
 今年は何もかも例年より早いみたいですが、例年だといまの時期は葉っぱの三分の一ほどしか白くなっていないはずなのに、今年はすでに全面的に白、という葉が多いようです。

 七十二候でいう半夏生とは、この片白草のことではなく、半夏という草が生ずる季節、という意味。その半夏とはカラスビシャク(烏柄杓)のことです。
 私はまだ実物は見たことがないので、画像のストックもありませんが、笛を吹かれて踊り出すコブラのような、じつに奇妙奇天烈な姿をした草です。

 片白草は葉っぱが白くなって行くのが、まるでおしろいを塗って化粧をしているようだと解釈され、ちょうど半夏が生ずるころにお化粧をするというので、半化粧転じて半夏生と呼ばれるようになったという説があります。

 こうしてつらつら考えていると、夜の暑さも手伝って、眠れなくなりそうです。