桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

2021年七月の薬師詣で・取手市

2021年07月08日 22時46分55秒 | 薬師詣で

 薬師詣での日がやってきました。梅雨の季節ですから当然ですが、どうも雨のようです。
 朝、目覚めてカーテンを引くと、窓越しに眺める庭の草花や物干し竿には水滴は付着していないものの、道路の路面は黒く濡れています。いまのところ、雨は熄んでいるようだが、どうしようかと思案投げ首のテイで外を眺めています。
 アテにはできない天気予想(三時間天気)を視てみると、一日中☁マークが多く、ときどき☂マーク。ただ、☁とはいえ、降水確率は60%となっているので、出かければ雨に降られるのは必至かも。
 十二日も薬師如来の縁日なので、日延べするかな、と当日の天気予報を視てみると、今日と同じように曇ときどき雨で、降水確率も60%。
 逡巡した挙げ句、近場を巡ることにして、やはり出かけましょうと心を決めたのですが、出発は午過ぎになってしまいました。雨に降られたとしても、あまり歩かなくて済み、我が庵から近い場所、ということで、利根川を越えて取手へ行くことにしました。昼食も済ませていましたが、この日のためにと、朝、握っておいた昼食用の握り飯を持ちました。初めて行く場所ですが、取手は何度も訪れているので、地形は大体想像がつきます。



 いつものように、プチ遠出をする前は地元の慶林寺に参拝してお賽銭をあげて行きます。

 

 今朝、花開き、閉じかけていたハスの花はピンクと白。

 常磐緩行線に乗って、北小金から四つ先の我孫子で水戸行に乗り換え、次は二つ先の取手で関東鉄道に乗り換えます。
 時刻表を確かめることなく、適当な時間に出てきたので、電車の間合いは悪く、我孫子では十八分待ち、取手では十三分待ち。



 関東鉄道常総線です。乗るのは十年ぶりです。



 取手から二つ目の寺原駅で降りました。



 寺原駅から徒歩です。
 歩くこと三十分余。目的の薬師堂かな、と思ったら、観音堂でした。
 右手前にも御堂があって、中は薄暗くて何も見えないのですが、「いざさらば こよひは……」という御詠歌を書いた額が掲げられているところを見ると、弘法大師を祀った大師堂のようです。その額には新四国相馬霊場八十八か所の八十六番札所と記されています。

 新四国相馬霊場八十八か所というのは、江戸時代中期の観覚光音(1711年-83年)という僧侶が定めたものです。出家したのは五十歳という晩年で、俗名は井出観三丸、またの名を伊勢屋源六。水戸道中・取手宿の商人でした。




 観音堂からものの一分で、稲(いな)集会所に着きました。グーグルマップには稲史跡・薬王寺と記されていて、新四国相馬霊場の四十番札所。
 入口に「稲集会所」と掲げられた下には一回り小振りな額に「稲史跡・薬王寺」の文字。いまは二つの御堂があるだけですが、かつてここには薬王寺というお寺があったのだそうです。「薬王」と謳うからには薬師如来が祀られていたのでしょう。



 集会所前左側にあった御堂。弘法大師を祀る大師堂らしい。



 石碑がありましたが、なんと彫られているのか読めません。



 稲集会所から二分足らず。グーグルマップには薬師堂とだけ記されていますが、ここも中は暗くてよくわかりません。
 庵に帰ってきてからのことですが、この御堂を紹介するブログを見つけることができました。それによると、祀られているのは弘法大師、観覚光音禅師像、不動明王、そして小さな薬師如来。
 薬師如来が祀られてはいますが、中央に祀られているのは弘法大師だということですから、地図には薬師堂とあっても、やはり大師堂と記すべきでしょう。



 かたわらには四國第三十五番の石塔。



 さらに四分ほど歩を進めると、台地の端に出ました。富士山がよく見えるスポットとして知る人ぞ知る場所らしいのですが、梅雨空のこの日はむろん遠望は効きません。
 地域の共同墓地になっているようで、通路の中ほどにある観音像はグーグルマップで見たことがあります。初めてきたところですが、馴染みのある場所を訪れたような気分でした。



 入口には四國第三十九番の石塔。



 この観音像は台地の下を走る常総ふれあい道路からも見えるそうです。



 観音様と向き合う格好で御堂がありました。ここも中は暗くて何も見えませんが、先のブログによると、祀られているのはやはり弘法大師。前と同じように、グーグルマップには薬師堂と記されていますが、ほかにも堂宇があるかというと、この御堂のほかに御堂は見当たりません。

 地図に記された二つの薬師堂はいずれも現存しません。いつ建立され、いつ、どのようなことが原因でなくなったのか、いまのところは調べがついていませんが、両方ともかつては薬師堂があったということです。
 今日は幻の薬師詣でに終わったみたいですが、今日のお勤めはこれでおしまいです。帰りは行きに降りた寺原から一つ水海道寄りの新取手駅に出ることにしました。



 新取手駅に向かう途中、遠くからでも大きな森があるのが見えたので寄ってみたら、惣代八幡宮でした。創建は大同二年(807年)。祭神は誉田別命。



 予備知識もなく寄った社だった上、現地には由来を記す説明板のたぐいが何もありませんでした。傘を手にしていなければ、どこかに腰を下ろし、スマートフォンで検索しただろうと思いますが、それもできなかったので、庵に帰り着いてから識ったのは、このあたりが平將門の生誕地だと目されていることでした。それにしてはなんとも素っ気ない。

 

 三十分歩いて、新取手駅に着きました。なんとなく見覚えがあるような駅前の光景……と思ったら、もう十二年も前になりますが、2009年の六月、高井城址公園へ桔梗の群落を見にきた帰りに乗った駅、さらにその翌月には平將門ゆかりの延命寺を訪ねたときに降り立った駅でした。

 自分では無理矢理こじつけている感が無きにしもあらず、とは思いますが、薬師詣でをしていると、いつもほんのちょっぴり佳きことがあります。
 七月の薬師詣でといえば、毎年梅雨の真っ只中です。2011年一月から始めた薬師詣でですから、七月の薬師詣でも十一回目になります。毎年雨に祟られたとしても一向に不思議ではないのに、傘を手に歩かなければならなかったのは今回が二度目に過ぎません。しかも霧雨のような雨でした。

この日、歩いたところ