三月の薬師詣では埼玉県の上尾市からさいたま市の見沼区にかけて歩いてきました。
2020年の二月以来、二度目のニューシャトル乗車です。
乗車十二分、大宮から六つ目の原市駅で降りました。
原市駅から歩いて七分。最初に訪ねたのは浄土宗相頓寺です。立派な鐘楼門でした。
創建は南北朝時代の永徳二年(1382年)、開山は鎌倉光明寺の第四世だった聖満良順上人。
相頓寺本堂。
もう少し経った季節にくると、庭には牡丹の花が咲き乱れるようで、中には珍しい黄色をした牡丹があるそうです。
地蔵堂。
次に訪れるのが今日最初の薬師詣でとなる妙厳寺です。相頓寺から八分。
我が曹洞宗のお寺です。創建は延徳元年(1489年)。
本堂への参拝を済ませたあと、歴住の墓所にお参りします。
最後に薬師堂に参拝。薬師詣でにきているのですが、やはり本堂と歴住の墓所に参拝するのが先。
妙厳寺をあとにして原市駅近くまで引き返し、十分ちょっとで寶蔵寺。醫王山という山号のとおり、ここも薬師詣で。
このあと瓦葺掛樋跡を目指します。予定では二十五分の行程。少々歩きます。
原市団地前を通る道路を黙々と歩いて行きます。竣工は昭和四十二年。総戸数一八五三戸という旧日本住宅公団の中規模団地です。
この原市団地を過ぎてしばらく歩くと、「➡楞厳寺」という標識が目に入ったので、寄って行くことにしました。
あとで気づくのですが、瓦葺掛樋跡に向かう道は途中で二股になるところがあって、そこを左に進まなければならなかったのですが、気づかず道なりに進んでしまったのでした。
事前に経路を調べていたとき、この楞厳寺があることを知っていたら、どんな寺なのかを調べているはずです。すなわち記憶にない寺があるということは、予定では通るはずのない道を歩いていることになるのですが、不思議なことに、そういうことを不思議とも思わずに歩いていたことになります。
予想しなかったような広い境内を持つ寺でした。
予備知識がまったくなかったので、我が宗派のお寺だということは入山して初めて知りました。歴住の墓所に参拝します。
墓域には十三仏がありました。一番手前が七七・四十九日の薬師如来。期せずして薬師詣でができました。
道を間違えていた、ということに気づくのはかなり歩いたあと。
楞厳寺に寄ったこともあって、予定二十五分のところ、寶蔵寺から一時間近くも要して瓦葺掛樋跡に到着しました。
遠目にこの煉瓦が見えたので、なんだろうと思いながら近づいてみたら……。
瓦葺掛樋史跡公園でした。
「見沼溜井」と呼ばれる貯水池は用水として利用されていましたが、新田として開発されることになりました。それに代わる用水を確保するために、江戸時代中期の享保十二年(1727年)から翌年にかけて、見沼代用水の開削工事が行なわれました。その見沼代用水路と綾瀬川がぶつかる瓦葺の地に、立体交差できるよう綾瀬川の上に架けられたのが瓦葺掛樋です。
当初は長さ二十四間(約44メートル)、幅八間(約14・5メートル)で、水路の底は板敷き、左右は土堤でしたが、土堤を廃して全部板囲いにするなど改修を繰り返し、天明七年(1787年)には、長さが7メートル延長されて、二十八間(約51メートル)となり、舟運にも利用されてきました。
現在残されている橋台・橋台翼壁・掛樋北翼壁は、明治四十一年(1908年)に煉瓦製から鉄製に改造されたものの一部だということです。
瓦葺掛樋跡から国道16号の東大宮バイパスに沿った道に出ました。その道を歩いているうちに、上尾市からさいたま市見沼区に入りました。
多聞院。
ここは下調べのときに地図で見知っていた寺です。真言宗の寺院であり、薬師如来をお祀りしているわけでもなく、寄っていると、遠回りになるので寄らないつもりでしたが、瓦葺掛樋跡から見沼代用水東縁に沿ってつづく径は東大宮バイパスをくぐって向こう側に出ると、渡ろうとしても、横断できる道がありませんでした。ようやく渡れるところまできたのはこの多聞院近くだったというわけです。
帰ったあと、地図を視ると、一旦バイパスをくぐったあと、再びバイパスをくぐる経路があったのですが、気がつきませんでした。
多聞院から住宅地を抜けると、いまは作物が何もない畑地が広がっていました。
この日、最後に訪れることになった丸ケ崎薬師堂です。
掲示板があったので、由来が書かれているのかと近づいてみたら、歴史・文化の道と称する観光ルートの案内図でした。
御堂の裏には石仏と、かつて寺であったのだろうと窺わせる僧侶の卵塔が一基だけありました。
当初の計画では、このあともまだまだ歩くつもりでした。しかし、私の脚力は歳とともにいつの間にか衰えていて、次に行くつもりだった満蔵寺はシミュレーションでは二十分以上歩かねばならず、仮になんとか歩けたとしても、満蔵寺から最寄りの蓮田駅まではバス便もないので、さらに歩いて、都合一時間近くも歩かねばならないということだったので、行くのは諦めることに決しました。
道を間違えたお陰で我が宗派の楞嚴寺に参拝することができましたが、そのせいで満蔵寺参拝は諦めなければならない。どちらがよかったのだろうと考えても、俄に答えを出すのは窮するところで、少しばかり煮え切らない思いで、踵を返すこととなりました。
あと何回(何か月)薬師詣でに出かけられるかわかりませんが、満蔵寺に参拝するためには、蓮田駅を起点とするとしても、往復八十分近く歩くのを覚悟しなければならないので、行けないかもしれません。
帰りはファミリータウン入口というバス停から国際興業バスに乗り、東大宮駅に出ました。
東大宮から二つ目の大宮駅で反対側のプラットホームに停車していた先発の平塚行に乗り換え、浦和で京浜東北線、南浦和で武蔵野線と乗り換えて帰ってきましたが、武蔵野線を除くと、それぞれチョイと乗っただけなので、空席があってもあえて坐ることはせず、坐ったのは武蔵野線の南浦和~新松戸間の三十分弱だけでした。
→この日、歩いたところ。