することがない、というか、できることがないので、日がな一日こたつに坐り、ときどき窓の外を見上げては、前にあるマンションを見ながら、朝~昼~夕~薄暮と、時の移ろいをぼんやりと眺めています。
JRの新松戸駅前から伸びるけやき通り、それと交差するゆりのき通りという、この地域のメインストリートが近いので、昼間はむろん、夜中やまだ暗い早朝に救急車が走って行くサイレンの音を聞いています。
どんな人が、どんな状態で運ばれて行くのだろうか、と思うと、ふと考えることがあります。
いまはまだ辛うじて、という状態ながら、カップラーメンのお湯を沸かすための水を汲みに立ち上がったり、日々出るごみや、ネットスーパーから送ってきて溜まって行く一方のダンボールやレジ袋を、資源回収に出したりすることができていますが、いずれそういうこともできなくなり、家の中はごみ屋敷と化して、その中に埋もれて死んで行くのか、と思ったりしました。
あるいは、室内なら結構歩けるようになった、とはいっても、痛む左脚に負担がかかるような体勢になってしまったときなどは、庇うあまり仰向けにひっくり返りそうになることがしばしばあります。
仰向けに昏倒したとき、食器棚、冷凍庫、台所シンクの角等々、私の後頭部が当たるような高さで、角張ったものはいろいろあるので、そこに頭をぶつけて絶命、ということにもなりかねない。
とんでもない! 莫妄想! と思って、にわか坐禅を試みるのですが、死んで行くのが怖いのではない、ごみに囲まれて、だらしなく死んで行くという、醜態を晒すのが云々などと、いろいろ妄想が巡りきて、てんで莫妄想には到り得ない。
正式な坐蒲(坐禅に用いる座布団です)は持っていないので、円座クッションに坐り、脚は組めないので、変形半跏趺坐の姿勢ですが、そういう半端なことだから到り得ないのか、いや、そういう形の問題ではないだろう、などと雑念も入り混じってきます。
私に坐禅の心得などもろもろのことを教えてくださった老僧が、一番大事なことは「正師」につくことだ、とおっしゃいましたが、その老僧は出会ってすぐお亡くなりになったので、私に「正師」はいないままです。
そんなことを思い返したりしているうちに、まだ若いころ、雑誌記者で警察沙汰の取材をこなしていたときのことが蘇ってきたりします。
当時はあまり目立たなかったのですが、いわゆる寝たきり独居老人にからむ事件があって、部外者であったのにもかかわらず、偶然その屍体を間近で目にしたことがあります。その屍体の右足だったか左足だったかの踵に深くえぐられた傷があるのを見た私に、そばにいた検視官が「まだ生きているときに、当人には意識がなかったのか、あっても反応できなかったのか、ネズミに齧られた跡だよ」とつぶやくのを聞いて、屍体を見たこと以上にゾッとしたことなどを思い出したりするものですから、ますます莫妄想から遠のいて行くばかりです。
朝早く、というより、まだ夜中という時刻に目覚めてしまったときは、脚の痛さを庇うために、右側を下にしなければ眠れない、というように、寝る姿勢が限られているので、腰のあたりに痛みが発生して、脚の痛さを凌ぐようなことにもなります。起きてしまったほうが楽なので、まだ眠り足りないとき以外は床を離れてしまいます。
二六時中、脚の痛みに悩まされているのに、座布団に尻を落として坐っていると、痛みなどまったく感じない。他人が見たら、あなた、どこがお悪いのですか、という感じです。立ち上がらなくても用が足せるように、インスタントコーヒーやら湯沸かしポットやら、できるだけのものを身の周りに置いているのですが、それらを手にとるため、少しでも身体をひねらねばならぬようなときは、常に「イテテッ」と叫びながら痛みと戦わなくてはなりません。
それに、睡眠不足のまま起きてしまったときは、パソコンに向かいながら、いつの間にかコックリをしていて、こたつ布団は私の涎をたっぷりと吸い込んでいます。
早起きしたときは、五時半前後に椋鳥の群れがどこかに向かって飛んで行く啼き声と羽音を、なるほどと思ったりしながら聴いています。
なるほど、というのは、十二年前には同じ新松戸に棲んでいたのですが、同じ新松戸とはいっても、場所はまったく違って、現在の庵より800メートルほど北、歩けば十分はかかるほど離れた場所でした。
そこでも椋鳥が飛んでいく様子を耳にしていたのですが、椋鳥のネグラがあるのは、いまの庵があるところとかつて棲んでいたところの中間 ― メインストリートのけやき通りにあるケヤキ(欅)の茂みの中ですから、飛んで行くときの音の聞こえ方が違います。
どこに行くのか(一説には柏の葉公園と聞いたことがあります)、椋鳥たちは北に向かって行きます。いまの庵で東を向いて坐っていることの多い私には左のほうで聞こえますが、かつての私は南から北に向かって、頭上を飛んでいく音を聞いていましたし、朝早くベランダに出て待ち構え、実際に飛んでいく壮大な群れを目にしたこともあります。
記録を残しているわけではないので断言はできませんが、当時は飛んで行く時刻が日々少しずつ遅くなって行ったという記憶があります。恐らく日の出の時刻と関係があるのだろうと考えていましたが、今度改めて気づいてみると、五時半から同五十分ごろにかけて、遅くなったり早くなったりしています。
いまの時期、私が棲んでいる地域の日の出は六時ごろです。五時半ごろでも、晴れだったら空はそろそろうす明るく、曇りだったら暗いので、そういうことかと考えたりしましたが、そういうことも関係がなさそうです。
これは今年の八月、たまたま夕暮れに買い物に出る必要があったとき、彼らのネグラとは違う場所で、騒音に近い音がするので、なんだろうと思って見に行ったら、おびただしい数の椋鳥が電線に止まっているのでした。ネグラにしているけやき通りからは120~170メートル隔たった「とうかえで通り」での出来事です。
この椋鳥たちの平均寿命はいかほどであろうか、かつて私が北に向かって飛んで行く羽音を聞いた椋鳥から数えると、何代目に当たるのであろうか。テナことを考えながら見上げていました。
寒くなってきたので、押入からガスファンヒーターを引っ張り出してきて、試運転を済ませました。独り暮らしなのに3DKと広い我が庵は昨冬初めて体験しましたが、非常に寒いのです。
昨年引っ越してきて、初めての冬を迎えたとき、台所の壁から出ているガス栓が合わず、工事が必要ということになったのですが、工事人の都合が合うのが随分先ということだったので、慌てて購入した石油ファンヒーターは一台では足りず、二台でも足りず、三台も揃えることになりました。灯油は700メートルほど離れたガススタンドへ灯油缶を載せたカートを曳いて買いに行きましたが、今年はいまのままでは歩いて買いに行くことなど絶望です。
灯油もきっと価格が高騰しているだろうし、ガス代も高い。彼奴のせいだけではないだろうが、彼奴らの中でもとりわけプーチンは許せぬ。ヒトラーなど比較にならぬほどの大悪人だと、しても詮方ない八つ当たりをしています。
同じ蜘蛛なのかどうか私にはわかりませんが、我が庵には二匹の蜘蛛が棲みついているみたいです。これは小さいほう。ノートパソコンの周辺に現われて、ときには私と相対峙して、私の様子をじっとうかがうような素振りを見せます。蟹のように触肢を動かすときは私を挑発しているのかと思ったりします。
「夜蜘蛛は殺すな」といったか、いや「殺せ」といったか。古くから言い伝えがあることは知っていますが、インターネットで調べてみると、土地土地で両方あるようです。結論としてはどちらをとるべきなのかはわかりません。
「殺せ」というのが正しいのだとしても、枚挙に暇がないほど出てくるチャバネゴキブリとは違って、なぜか叩き殺すのは躊躇します。小さくて軽いので、フーッと息を吹きかけて追い払ってやることにしています。フーッとやると、どこかへ飛んで行きますが、何分かすると、戻ってきて、またパソコンの上やテーブルの上を歩いています。「おのれ、そのほう……」と私が刀に手をかけるような素振りをすると、わかったかのように姿を消し、随分経ってから、私の息はもちろん、手も届かぬ襖を上っていたりします。
どこかに巣をつくっているはずですが、見たことはありません。まず動かすことのない箪笥やテレビ台の後ろにつくっているのかもしれません。
この蜘蛛の画像はノートパソコンの上に現われた瞬間に写したものです。このあと、例によって息を吹きかけて飛ばしてやりました。
画面に「森田童子」とあるのは、どんな曲だったか憶えていませんが、ちょうどユーチューブで彼女の歌を聴いていたときでした。つい最近、なにかの拍子に思い出し、ユーチューブに多くの歌があるのを知って、コレクションをこしらえ、ときどき耳を傾けるようになりました。同時に、すでに四年前に他界していることも知り、著名な作詞家であり、直木賞作家でもある、なかにし礼さんの姪っ子であったことも知りました。
森田童子には四十年以上も前に一度会った、正しくは見たことがあります。
それは私が某雑誌の編集責任者になる前、前任者に誘われて、小さなライブハウスのようなところへ行ったときでした。そこで彼女のミニコンサートがあったのです。何曲か歌を聴き、聴き終わったあと、前任者が彼女と話しているのを見ただけで、私は挨拶もせず、名刺も出さず、もちろん言葉も交わしませんでした。政治家でもあるまいに、人と見れば名刺交換をしたがる同僚もいましたが、私は正反対の人でした。
いまでこそ「彼女」と書きますが、当時は男性なのか女性なのかわかりませんでした。歌声は女性といえば女性、しかし声変わりする前の男の子といわれれば、不思議ではない。髪の伸ばし方、帽子、黒いサングラスと、見た目は松田優作を細身にしたような感じでしたから、華奢な男の子といわれれば、これもまた不思議ではない。歌う歌の多くに「僕は」「僕が」と出てくるので、よくわからない。「ふ~ん」と思いながら、歌を聴いていましたが、悪い印象はまったくなかった代わり、特別強い印象も受けなかったように思います。
その日からずっとあと、彼女は確かに女性であり、サングラスをはずせば、梶芽衣子に似た美人だったと知りました。
すでにあの世に行ってしまったと知ると、ほとんど接点がなかったのにもかかわらず、ずっとそばにいてくれた人がいなくなったように、妙に懐かしい気持ちになります。
もう一人懐かしい思いに駆られるのはイギリスのギタリスト・アルヴィン・リー。私が二十代のころ、夢中になって聴いていましたが、彼の活動が間遠になるのに連れてあまり聴かないようになり、歳を重ねるのに連れてさらに聴かないようになり、ごくごくたまにCDを引っ張り出してきたときに、そういえばどうしているだろうと気がついてみたら、九年も前にスペインで客死をしておりました。享年六十八歳。
Alvin Lee & Ten Years After - Lost In Love - YouTube
薬の効果が出てきたのか、足の運びはかなりよくなってきました。
昨日四日は好天で暖かかったこともあり、久しぶりに窓を開けて庭を眺めると、雑草がすごい状態になっていました。ちっとばかり仕事をしてみるか、と思い立ち、置いてある長靴を履いて庭に降り立って、枝切り鋏を手に草刈りに挑んでみました。脚の痛みを庇うため、腰を曲げたままなので、すぐ疲れてしまいます。仕事をするか、と意気込んでみても、できるのは窓の近場だけ、それも短時間だけです。
庭に降りてみると、窓際に立つだけでは死角になる場所に置いてあるプランターの一つに、一本だけスクっと立って、小さな花を咲かせている草があるのに気づきました。スマートフォンのカメラに収め、グーグルレンズで検索してみましたが、なぜか説明は横文字ばかり。よく見ると、フランス語でGlaines de Morelle noireとありました。Glainesは私が持っている小さな佛和辞典には載っていなかったので、別の方法で調べてみると、古フランス語で「鶏」を意味するらしい。Morelleは「いぬほおずき」とありましたが、これも別の方法で調べると、ナイトシェードのことらしい。ナイトシェードとはナス科の植物の総称ですが、悪魔が愛した花という意味があり、悪茄子(ワルナスビ)とか犬酸漿(イヌホオズキ)とか、毒を持った花を意味するので、悪魔という語が使われているらしい。
「鶏」という意味の語を冠しているので、「いぬほおずき」そのものではなく、仲間なのだとしても、ちょっと違うところがあります。私はワルナスビもイヌホオズキも、実物をじっくりと観察したことがあるのですが、花の様子、茎の様子がどうもしっくりととこないのです。ことに二つの花の間に写っている緑色の実がイヌホオズキにしては大き過ぎます。
しかし、仲間なのだから、中には大きなものもあるのサ、といわれてしまえば、元も子もないのですが……。
イヌホオズキは手許に置きたいものだと思っているので、種をもらってきましたが、間に火事による引っ越しが挟まっているので、どこに置いてしまったか未確認です。持ってきたつもりでいるが、実際は忘れてきたのかもしれない。持ってきたが、引っ越しのドサクサに紛れて、何かの下敷きになってしまっているのかもしれない。いえることは、尠なくとも播いてはいないということです。
蛇足ながら、種はもらってきたというより、盗ってきたというのが正しいのですが、ある県道の傍らに咲いていた草、いわゆる雑草です。それでも県道にあったのだから、所有者は千葉県ということになるのでしょうか。
このプランターは今年か来春、白桔梗の種を播くつもりでいたので、いずれ種子を購入と考えていたので、土を盛るのも途中でしたから、仮に私がイヌホオズキの種をどこかに播いてしまっていたことを忘れているのだとしても、間違ってもここに播くはずはないのです。
風で飛んでくるとは考えにくいので、恐らく鳥の糞に入っていたと考えるしかないが、鳥にとっては毒ではないのだろうか。人間なら感電してしまう電線を、人間に近い猿だとやすやすつかむことができる、ということもあるのだから、鳥にとってはなんでもないのかもしれない。
いずれにしても私の手許には花図鑑しかなく、インターネットでもわからないとなると、図書館へ行きたいが、家の中ですら苦労して歩いている私には当分無理なことです。
酔芙蓉(スイフヨウ)のほうは、いっぱいあった蕾を目にすれば、いずれ百花繚乱! となると思ったのにそうはならず、一輪咲き、二輪咲き、という状態の繰り返しの上、いつの間にか花はもちろん蕾も姿を消して、残されたのは多数の茎だけです。
芙蓉の仲間なので、椿と同じように散るときは花ごとドサッと落ちて終わります。桜みたいに花弁が一枚ずつ落ちるのとは違うので、昔は打ち首になった武者や罪人の首が落ちるようだと忌み嫌う人もあったそうです。
薬師如来の縁日である八日が徐々に近づいてきていますが、この調子ではまた欠礼ということになるのでしょう。九月、十月、十一月と三か月もつづけて欠礼することになります。
来月十二月がくると、終い薬師です。そのころにはなんとかなっていて欲しい。遠出などてんから望まず、かつての地元、慶林寺でもいいから参拝に行きたいもの……と思っているのですが、どうなることでしょう。