十三年目となる薬師詣で。今年最初となる初薬師は茨城県の結城へ足を延ばしました。
南越谷(新越谷)で武蔵野線から東武線に乗り換え。乗った電車は南栗橋止まりでしたが、ホームの反対側に東武宇都宮行が停まっていたので、乗り継いで栗橋まで。栗橋でJRに乗り換え、小山でまた水戸線に乗り換え。
乗り換えが忙しかった割に結城までの所要時間は一時間と四十二分。結城駅は北口に出ました。
最初に訪れたのは結城駅から徒歩六分の一言薬師堂。結城三大薬師の一つです。門柱には一言薬師堂と記されていますが、地元の人には立町の薬師さんと呼ばれて親しまれているそうです。
一言薬師堂から五分で孝顕寺に着きました。
結城家の菩提寺です。堂々たる山門と奥に見える本堂。山門下、脚立のように見えるのは花水盤です。真上からカメラ(ソニーサイバーショット)に収めましたが、なぜかカメラはここで故障。写ってはいますが、メモリカードではなく、カメラの内蔵メモリに記録されてしまい、カメラとパソコンを繋ぐケーブルがないので、いまのところはどんなに知恵を絞っても、パソコンに取り込むことができません。
孝顕寺から六分で浄土宗弘経寺。
お薬師さんを祀るお寺ではありませんが、行く前から是非とも行ってみたいと考えていたお寺です。
文禄四年(1594年)、家康の次男であり、結城家十八代の結城秀康(1574年-1607年)が、娘の松姫供養のため、飯沼(常総市)にある弘経寺の壇誉上人を招いて建立した浄土宗の名刹です。江戸時代には僧侶の養成所である、関東十八壇林の一つが置かれました。
弘経寺の裏門を出ると、金福寺がありました。時宗の寺院で、開山は鎌倉時代の正応年間(1288年-93年)。
金福寺と隣合わせに真言宗の光福寺がありました。
このあと、境外地にある辻の薬師堂を訪れるので、本堂に参拝して行きます。
光福寺から七分で安穏寺。山門は至徳二年(1385年)の建立。
曹洞宗のお寺なので、歴住の墓所を訪ねて焼香。先の孝顕寺も曹洞宗のお寺だったのですが、そうとは知らなかったので、歴住の墓所にはお参りすることなく、立ち去ってしまいました。
結城は古くからの城下町でもあり、結城紬で知られるように商都でもありました。有形文化財に指定されている建築物も数多くありました。
結城紬の卸商・中澤商店見世蔵。
紬問屋・奥庄店舗。
有形文化財の説明書きが陽に晒されていて、まったく解読不能でした。
安穏寺から十四分。光福寺の境外地にある辻薬師堂。三大薬師の一つ。ここも地元の人は「さがりの薬師さん」と呼んでいます。
辻薬師堂から八分。この日、最後に訪れた番匠町の薬師如来。ここも三大薬師の一つ。地蔵尊と並んで祀られています。
※(後期)この日の歩数は13000歩近くにもなりました。ほとんど休息をとるここともなかったのに、脚の痛みも腰の痛みも出ませんでしたが、気が張っていて、気づかなかっただけのようです。
以前とは違って、身体には相当ガタがきていて、この日はなんでもなかったのですが、ブンブンと歩いて、真冬だというのに、上半身はうっすらと汗をかき、汗ばんだ身体のまま、結城駅では三十分以上もプラットホームのベンチで寒風に晒されていたので、風邪をひいてしまったのでしょう。翌日は終日ベッドから抜け出すことができず、翌々日はなんとか起き上がることはできても、こたつでへばっているだけでした。
⇒この日、歩いたところ。
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立派な山門があるのですね。お伺いしたことはありませんが、お陰様で居ながらにして、先輩のお寺を観させていただきました。