私が棲む土地では、一月五日から昨九日までの五日間が、一年のうちでもっとも日の出が遅いときで、六時五十一分。
今日からわずか一分だけですが、日の出が早く転ずるようになりました。これも春の兆しです。
早暁に小雨の降った日が一日あっただけで、年明けからずっと好天つづきです。寒さもさほどでもないので、大きな川を見に行こうかと思い、取手行を試みました。
隣県とはいえ、利根川を越えるだけなのに、取手に行くのにはいつものことながら電車の便が悪い。常磐線の各駅停車で終点の我孫子まで行って、乗り換えで約二十分待ち。
小腹が空いたので、電車待ちの時間を利用して、プラットホームの立ち食いそば屋で空腹を満たして行くことにしました。
山下清画伯が働いていたことで有名な店です。
「おそばおいしいよ」という惹句が掲げてあったので、つむじ曲がりの私はうどんを注文。
茨城ふう(我孫子は千葉県ですが)のうどんはこういうものなのか。ふやけたスパゲッティという感じの細さでした。
取手駅の東口を出ると、利根川までは徒歩七分ほどです。ただし、それは堤防までの距離で、水辺まで行こうとすると、さらに四~五分かかります。
堤防の階段を上り切ったところに、河口(銚子市)から85キロという標識がありました。
平將門の遺跡を訪ねるべく、取手には何度か足を運んできました。
くるときはいつも電車で利根川を越えます。電車が取手駅に滑り込む直前、長い鉄橋があって、さすがに広い川だと思っていましたが、実際に水辺に立ってみると、ちょっと拍子抜けしたような感慨を覚えました。
河川敷は異様に広いのですが、上越国境を源としてはるばる旅をしてきたのにしては水量が乏しいのです。
河口に当たる銚子で、同じ川の圧倒的な広さを見た記憶があるので、もっと滔々と流れる水を予想していたのですが……。
川の流れそのものは両国橋あたりの隅田川のほうが遙かに広いのです。
真冬にしては暖かいと思っていても、水辺に立つと、さすがに冷たい風があります。雲一つない好天でしたが、見る見るうちに身体が冷えてきました。
河原で遊ぶ人の姿もまばらでした。堤防で草橇をする子が二人、凧(カイト)を揚げる子も二人。ゴルフコースだけがそこそこに賑わっていて、何面も取られた野球場は空っぽ。
川を離れたあと、取手市民会館前に見つけた八坂神社。
親子三人連れの参拝があっただけで、あとは無人。
取手市民会館では成人式の集いが終わったばかりで、遠目では見目麗しき若者たちがゾロゾロと歩いていましたが、この神社にきて神頼みをしたり、二十歳まで無事育ったことを感謝しようとはせぬものらしい。
地図を見ると、すぐ近くに浄土宗念仏院というお寺が載っていたので、寄ってみることにしました。短いが、急な石段のある参道の入口です。
念仏院本堂遠景。
いかなるお寺であるのか、取手市埋蔵文化センターの史料には詳しい記載がありません。
沢近嶺(1788-1838年)という幕末期の取手宿の豪商であり、国学者・歌人であった人の墓と歌碑があるというだけで、いまのところは創建の年すらわかりません。
沢近嶺は徳川斉昭の師だったようですが、斉昭は慶喜の父親。その師という繋がりでは、会津贔屓の私にとっては興味を惹かない人物です。
境内にあった椋(ムク)の樹。取手市保護樹木という標示があるだけで、推定樹齢も不明。
身体が冷え切ってしまったので、あと一か所だけ寄って、取手をあとにすることにしました。
一か所というのは長禅寺という平將門所縁のお寺のことです。いつの間にか、取手を訪問したときのトリは、この長禅寺と決まったみたいです。
お寺があるのは、ちょっとした高さの丘に過ぎませんが、駅から至近の距離なのに静謐であること、佇まいが落ち著いていることに加えて、いつ行ってもあまり人のいないことが気持ちを涼やかにしてくれるので、帰る前にはついつい寄ってしまうのです。
〈つづく〉
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