打越通信

日記ふういろいろ

帰省(雨の一日)

2020-07-25 18:04:14 | 日記ふう
やはり自宅は良い。
庭仕事などするべきことは多いが、狭いながらも解放感が違うようだ。
朝早くから庭木の剪定を行った。



アジサイは葉がほとんど無くなるまで切りこんだ、ハナミズキ、モミジ、枝垂れ桜は今年延びた分を切る。
途中で雨が降り出し中断となった。
妻と嫁に赤ちゃんとでミスドに朝食に行く。
嫁が新婚の頃3人で良く行っていた、そんな話をしていると、行こうとなったわけだ。



久しぶりのポンデリングにカレーパン、私の好きなミスドコーヒー、懐かしい朝食だった。
自宅に戻るが雨は止まず、音楽を聴いて過ごした。



ラックからまだデータ化していないCDが無いかチェックしリッピングをする。
昼からも雨が止む気配がなく、暇をもてあそぶ。
しょうがないので打ちっぱなしに行くことにした。
練習場には結構多くの人が来ていた。
2時間のほとんどを30ヤード先のネットめがけて遊んだ。



自宅に戻り雨も止んだようだったので、さあと松を見上げたが、あまりにも大きくなりすぎて、今日は止めにした。
天気も持ち直すかと思いきや断続的な強めの雨だった。
気温も上がらず肌寒いくらいの気候、もう7月も終わりそうなのに、今年の梅雨は長い。

帰省(大雨の熊本)

2020-07-24 23:01:57 | 日記ふう
朝からものすごい雨が降った。
2階の寝室はベッドのすぐ横に窓がある、まだ薄暗いうちから窓をたたく雨の音がすごかった。
そのうちに光が走り雷が鳴る。
一時間に72mmという大雨(ニュース)が降ったようだ。
午前中はそういう状態が続いたが、正午前から小降りになったので、新しく合志町にショッピングモールが出来たという嫁からの情報で買い物に出かけた。
鹿児島から進出した会社のようだが、広大な敷地にホームセンタや食品スーパーなど充実した商業施設だった。
熊本もショッピングモールの激戦地なのにさらに新規参入でこういった商業施設が市内から離れた場所に出来ていることにもびっくりさせられた。
食品スーパーの品揃えも豊富で家族4人と赤ちゃんの3日分の買い物をした。
買い物をして外に出ようとするが雨は激しく降ったり、小康状態になったりとタイミングを待つ状態だった。
買い物を終え自宅に戻り昼食を終えたころには雨は上がった。
庭に出て庭木を見渡せばどの木も大きく枝を伸ばしていた。



芝生を見ると雑草がかなり生えていて、先に草取りをすることにした。



長雨の影響で芝生の成長が遅いようで、その分雑草が蔓延っている。
結局、芝生の雑草取りで今日の作業は終わった。
終わったころにさらに激しい雨が降ってきた。
最後の大雨だったようで、夜中には星が見えるほど天気は回復していた。
そろそろ梅雨明けの気配がするがどうだろう。
明日は庭木の剪定のつもりだ。

帰省(墓参り)

2020-07-23 22:31:07 | 日記ふう
県南の実家に墓参りに行くことにした。
実は明日から熊本県内には大雨注意報が出ていたので急遽出かけることにしたのだ。
九州道の宮原サービスエリアすでに多くのクルマで混雑していた。
4連休とGotoキャンペーン(トラベル)の影響なのか、これがコロナ渦の緊張した状態か、と疑うほどだった。
売店や出店はどこも賑わっていて、まるでゴールデンウイークや盆正月の頃を思い出させるような風景だった。
実家には正午過ぎに到着した。
九州道からの南九州西回り自動車道が実家のすぐ近くまで伸びていたので混雑もなく着いた。
実家は今回の豪雨による被害もなく、甥っ子のジュンが庭の草刈りをしていた。
妹たちも来ているようで、昼食を食べに市内に行っているようだった。
それではとこちらも昼食を食べに出た。
今回は息子夫婦と赤ちゃんも一緒だったので、あまり迷惑にならず静かなレストランが良いだろう。
行きつけのレストランに向かった。



それぞれに好きな料理を注文し、私はここでは魚料理(プロバンス風)を注文した。
この町はそれぞれにうまい店があり、ちゃんぽんだったらこの店、中華だったらこの店といった特徴がありこの店もその中の一つだ。
食べ終えて店の外に出ると、この町独特の浜風が吹いていた。
天気は午後から下り坂という事もあり、実家に戻るなり墓参りに出かけた。
コロナの影響で墓参りも半年ぶりくらいになる。
前回の豪雨の影響もないではないが、納骨堂への道もきれいにあと片付けがされていた。
先祖にお参りをし、新しい赤ちゃんを紹介し、近況の報告など、一通りの挨拶をした。

実家を後にして、今回の豪雨でかなりの被害を受けた芦北町に立ち寄ることにした。
国道を離れ、20数年来お世話になった工場の前を過ぎる。
この辺りは河口からまだ上流域にあるためかほとんど被害らしき形跡はなかった。
そこからさらに山道に入り母の実家のあった地区(今回土砂災害のあった)へ向かう。
ところ処に土砂崩れが発生していて片側通行や、危険場所を表す標識などがあった。
土砂災害のあった場所近くにさしかかると遠目にもその規模の大きさが分かった。
現場はすでに救助活動は終わっいて、災害が起きた状態のままだった。
芦北町のほんの一部しか見ていないが、家の周りには水に浸かった家具などが出されていた。
それでもかなり復旧は進んでいるようで道路の周りの土砂などはきれいの撤去されていた。
芦北インターより自動車道に乗り熊本自宅に向かった。

帰省(お土産問題)

2020-07-22 22:22:00 | 日記ふう
朝7時前から帰省のため自宅を出る。
途中、用事がありそれが2時間ばかりかかり、久留米を正午頃通過する。
久留米から九州自動車道に乗るつもりだったが、食事と休憩を兼ねショッピングモールに入った。
本来ならば柳川あたりでうなぎでも食べゆっくりと帰省するつもりだったが、用事の方に思わず時間がかかり、思ったように世の中はいかない。
予定を変更して、九州道に乗り広川サービスエリアで食事と土産をと思ったのだが、再び変更になったわけだ。
さすが広大なショッピングモールだけはある。
目的だったお土産品屋もちゃんとあるではないか。
博多のお土産といえば「博多通りもん」や「博多の女」、如水庵「筑紫もち」、「名菓ひよ子」など菓子や明太子などもあるが、明太子は日持ちの問題で除外、「博多通りもん」や「博多の女」は毎回なのでこれもパスした。
結局、お年寄りには小城羊羹が良いのではないのかとそれにした。
小城羊羹は博多土産ではなく佐賀名産となるが、さりげなく渡せるし、もらった側も<えっ!ようかんか!>となるわけだ(そうかな?)。
まあいい、そういうわけでお土産問題は解決し、今度は昼飯問題だ。
ケンタッキーや私の好きなミスタードーナツ(ポンデリングだね)もあったけど、うなぎの代役にはならない。
とんかつ屋(濵かつ)の前で立ち止まった。
濵かつランチ(750円)これ良いんじゃない。



ゴマを擂って辛口ソース、辛子をつけていただく。
とんかつなど頭にもなかったが、この値段で食えるとは素晴らしい。
おしるこ(100円)これも頂いた。
予定変更の変更で結局、九州道には乗らず一般道で帰省した。

一斉に

2020-07-21 17:32:20 | 日記ふう
朝5時半の公園、あれだけ茂っていたシロツメクサ(クローバー)もきれいに刈られていた。
木々の周りの雑草も刈られすっきりとしていた。
5時半過ぎに一匹のセミが心細な声で鳴き始める。
するとその木の周り数匹のセミがつられたように泣き始める。
しばらくするとその連鎖が広がり、座っているベンチの裏の方からも聞こえてくる。
全方向セミの大合唱がはじまる。
住吉神社の森も同じようにセミの大合唱が鳴り響く。



神社からの帰り道、朝雨に降られ24時間営業のスーパーに雨宿り。
このコロナ渦のなかでも、同じように食品売り場にはウナギの蒲焼がずらりと並んでいた。



別のスーパーでは盛大にウナギが売られていた。
今日は土用の丑の日、皆さん一斉にウナギを食べる日だ。
「一斉に」という言葉は、セミにも人にも同じように使える言葉のようだ。

昨日、腹痛で一日苦しんでいた。
季節の変わり目だし、食中毒(特にノロなど)、体力(抵抗力)の低下など、いろいろ原因は考えられるが、気を付けないといけない。
胃薬と痛み止めで何とかしのいでいる。

こちらもコロナも「一斉に」とはならないようにと思う。

モニター接続について

2020-07-19 18:50:44 | パソコン
久しぶりにさわやかな朝だ。
このところ睡眠不足と熟睡が交互にやってくる生活になりつつあり、起きる時間がある程度守られている分まだ基本的には良いようだ。
今日は熟睡日の朝で、天気も久しぶりの晴天(少し雲は出ているが)夏空だった。
さわやかな浜風が吹いている。



公園にはアジサイやアガンパスに代りオニユリが咲いていた。
公園の各方面からセミの大合唱がうるさいくらいだった。
もうそろそろ梅雨明けだろうと思う。



パソコン関係の話ばかりで面白くもないだろうけど、ノートパソコンの画面がちょっと厳しくなってきている。
文字が小さいし画像もコントラストや色合いが角度によって違って見える。
画質の良いモニターが欲しいのだが、今の現状(小さなテーブルだけ)では食事、読書、パソコンを同じ場所でやっているわけで、とても24インチや25インチ程度のモニターを置き場所すらない。
中古パソコン屋で21インチのモニターを見つけている。
価格は5000円程度なのだが、接続形態で迷っている。
VGAやHDMI、DVI、D-subなど接続形態があり、それによってケーブルや変換機器が必要になる。
無線(Wi-Fi)でも接続できるようだが何せモニターやプリンターといった機器は情報量が多いので接続状態で大きく変わってくる。
ゲーム用モニターなどはスピード重視という事で早さが求められるモニターで価格もかなり高くなっている。
また画像や動画専用機器となれば画質を重視した設計になってるのでそれなりの価格という事になる。
通常のフルハイビジョン程度のモニターは1~2万円程度で、外部からの干渉や長時間使用の疲れなどを考慮した機器を除けばそれほどでもない。
テレビとして使っているテレビ(何か表現がおかしいな)でもモニターとして接続できるわけだが、これは実用的ではないな。
中古を買ってみる方法も一つかなと思っている。
古いパソコンはVGA(アナログ)ポートしかなく、今のモニターにはHDMI(デジタル)デジタル系の接続しかない。
古いパソコンでも使えるモニターはVGA接続しかない(VGAからHDMIの変換装置は5000円ほど、USBーHDMIはもっと高い)そういう意味もありVGA付きのモニターはレガシフリーの中、貴重なものなのかもしれない。
あくまでこれは古いパソコン達(VGA出力しかない)の事で、今のパソコンはHDMIやDVIなのでモニタがその受け入れがあれば問題ない話だ。

古きパソコンたち

2020-07-18 20:36:54 | パソコン
Windows7の延長サポート終了を受けて新しく2台の中古パソコンを購入した。
実際には熊本に住む義理の娘用にも購入したので3台、いずれもi5のSSDで3万円前後のパソコンだった。
新しく買ったソフトもあったけど、ほとんどが以前に使っていたソフトが動いている(一部機能が使えないなどあるが)。
フリーソフトもWindows10で稼働はするが広告メッセージややはり一部機能が使えないところがある。
SSDで立ち上がりが早い点は良いことだが、立ち上がってしまえば変わりないので今までのハードディスクでも良いような気がする。
SSDだと128GB程度、ハードディスクだと1TB(または500GBが当たり前)などディスク容量を考えると、特に写真や動画、音楽など扱うとなるとどちらにメリットがあるかは個人の判断なのだろう。
しかし外部にもハードディスク(またはSSD)は必要で、外付HHD(2TB)1台とポータブルHHD(1TB)2台を使用している、
外付けとポータブルの1台は完全にバックアップ用に、あと一台のポータブルは仕事や持ち出し用に使っている。
インターネットとテレビはケーブルテレビなのでネットワークから録画用のハードディスクも使用はできるが、接続がWi-Fiなので遅い。

古いパソコンもたまに引っ張り出して開いてみる。
元はWindowsXPベースの機械にWindows7をインストール(自分でしたんだっけ?)したタイプにさらにWindows10をインストールしたが、さすがにCPUの負荷の問題とメモリー(4GB)の問題とWindows10のライセンス問題で諦めたのだった。
アプリも必要最小限しか入っておらず割とストレスなく動いてくれる。
一台はディスクを完全に空にして安物のスピーカーを接続し、音楽再生専用、Youtubeやネットラジオ専用として使っている。
もう一台は完全に使っていないがいざという時の予備機になっている。
久しぶりに中を開いてみると、写真データやこれはと思うデータが大量に入っている。
当然バックアップはとっていると思うが、気になる。
まあいずれにしても、今使っているパソコンも、旧パソコンも中身の整理をしないといけないという事だ。



そういえば家電屋でChromebook(クロームブック)を見た。
GoogleのChrome OSなのでAndroidスマホのアプリが使えるとか、売れているのか?
Windowsに振り回されている時代も懐かしい時代になるのかもしれない。

天神で親子丼

2020-07-17 22:07:51 | 食事
朝食をとってマンションの外に出る。
久しぶりの夏空が広がっていた。
それでも気温はそんなに高くなく、涼しい浜風が吹いていた。



住吉さんから那珂川沿い(夜になれば屋台が立ち並ぶ場所だ)、春吉橋(工事中)を渡り市役所方面へ歩く。
30分から40分を目安にしていたが1時間弱の時間がかかってしまった。
体力が落ちてきているのかな。
用事が済んだのが2時半近くだった。
さて遅めの食事をどうしようかと、関係者に聞いてみた
私 <いつも食事はどうしているの?>
「近くのセブンです」
私 <あそこの焼きビーフン美味しいよね>
いやいや聴き方が悪かった。
私 <天神でどこか美味しい店は知らない?>
「ここ気に入ってもらえるかわからないけど、ちゃんぽんがおすすめです」
とわざわざ地図まで書いてくれた。
地図で確認すると、歩いて来た道(国体道路のすぐ近く)にあった。
いつも歩く道なのに気が付いていなかった店だった。
さっそく行ってみた。



場所はすぐ近く、気を付けないと通り過ぎてしまうような店だった。
「花びし」
うどんそば屋と言った感じの店だった。
中に入ると3時過ぎの中休み時間と思いきや客が数名いた。
何にするかメニューを見ていると、うどんそばの値段が400円から600円前後。
丼ぶりものも600円前後、セット(定食)ものがが700円から800円と、今の時代手ごろな値段だった。
なかでも「卵かけごはん」200円というものがあった。
何にしようか<そういえばあの人はちゃんぽんといっていたが、この頃麺類が多い>
親子丼(600円)にした。
あとから入ってきた客は
「ちゃんぽん小に卵かけごはん」
と注文していた。



出てきた親子丼は甘さや濃厚さが微妙に調整された伝統的なというかオーソドックなしっかりした味だった。
私にとって、博多に来て2件目かな3件目かな手ごろでおいしいうどんそば屋になった。
まあ、この界隈でよくぞこの味を守っていることを感謝している常連客は多いと思う。

唐人町商店街

2020-07-16 19:11:06 | 写真投稿
朝から散歩して朝食をとってから再び眠りに入ってしまった。
目を覚ますと昼食という変な始まりだった。
別に体調が悪いわけでもないのだが、天候のせいかな。
7月も16日といえば、もう中旬なのに<梅雨が明け夏の始まり>といった気配すらない。
昼飯を食ってふらりと出かけてみた。
かつて社会人になり、静岡県掛川のつま恋というレジャー施設で1カ月間の研修、地元に戻ってきてから福岡のメーカー研修で3ヵ月間、西公園の古びた旅館にお世話になった。
一度訪れてみたが、それらしき旅館のあとは無く、マンションが建っていた。
再び訪れることにした。
古き記憶をもとに唐人町商店街を目指す。



黒門橋の袂に古くは旅館だったのか由緒ありそうな建物があった。
商店街はそのちょっと先から始まっている。
アーケード街になっていて細長い通りが続く。



中に入ると今の時代とはかけ離れた、昔懐かし空間が広がっていた。



奄美大島とどういった関係があるのか知らないが、アンテナショップのような空間があり、ベンチで飲み物を飲みながらくつろいでいる方々がいた。
商店街は魚屋、肉屋、八百屋などどこにでもある店が並んでいるが、どういうわけか雰囲気がレトロだった。



横道にもいろいろな店があるようだ。
人の流れで横道に入ってみると、スーパーがあった。
美野島(私が今住んでいる場所)にもあるマミーズというスーパーだった。
品揃えは全く同じなのだが、商店街からの入り口だけでなく、表やマンションの一角にも出入り口があり意外な存在のようだ。
まるで商店街に溶け込むような作りになっていた。
商店街の先まで(そんなに長くはなかった)歩いてみたが、正面にはお寺の門があった。
横の路地は狭く、クルマが一台やっと通れるような道で、古い住宅街とマンションが入り組んでいるような街並みだった。
そういう意味では今私が住んでいる美野島に近いのかもしれない。



この商店街は唐津街道に発展したとネットにある。
歴史は古く400年というからすごい。
<唐人町商店街の「唐神さん」は"闘神"すなわち闘いの神です>
江戸時代には鬼才の軍師といわれる官兵衛が 過ごした地だそうだ。
古くから中国からの窓口として基礎が置かれここから遣隋使などが派遣されていたそうだ。
いま福岡市が目指す「アジアのリーダー都市」「FUKUOKA NEXT」
そういう構想の原点はすでに400年前に出来ていたことになる。

櫛田宮で思う事(追い山の日)

2020-07-15 19:31:56 | 日記ふう
昨夜は割と早めに寝つき、午前2時半頃に一度目が覚めた。
どうしようかと考えたが、そのまま寝てしまった。
ゆっくりめに起き、ゆっくりめに朝食を食べ、ゆっくりめに櫛田さんに向かった。
黒い雲が立ち込め、しばし霧雨が降り、気温は肌寒い(25度ないな)。
本来であれば博多祇園山笠の最終日、追い山笠の日に当たる。
娘もこれに合わせて帰省したわけでもないのだが、一緒に散歩に付き合ってくれた。



境内に入るとすでに山笠関係の行事(午前3時)は終わっており、飾り灯篭などは取り外され、いつもの櫛田宮の風景だった。
ただ、番外編として、ここ櫛田宮だけの飾り山だけが新しく公開されていた。

「清正公虎退治誉(せいしょうこうとらたいじのほまれ)」



うれしいことに肥後国(熊本県)に馴染みがあり、加藤清正と言えば朝鮮出兵の際の虎退治が有名である。
難攻不落の熊本城を築城した名手でもあったのだ。

見送りは
「桃太郎鬼退治誉(ももたろうおにたいじのほまれ)」



<昔々、ある所にお爺さんとお婆さんが住んでいました。お爺さんは山へ芝刈りに、お婆さんは川へ洗濯に出かけました。
ある日、お婆さんが洗濯をしていると、川上より大きな大きな桃が流れてきました。その桃を拾い上げて家に持ち帰り、桃を包丁で切ると、中から男の子が出てきました。
その男の子の名前を『桃から生まれた桃太郎』と名付けました。>

と始まるおなじみの「桃太郎鬼退治」の一場面だった。
人形師は両方ともに中村弘峰(新進気鋭の人形師)とあった。



境内はいつもの静けさで、あっかんべー?!の風神様も相変わらずひょうきんな表情を見せていた。
公式サイトの発表では
<本年の行事遂行を断念し来年に延期する>
つまり中止ではなく延期という事だ。
コロナが落ち着き、疫病退治の祭りが2倍になって帰ってくる、と思っていいんだな。
ぜひともそうなってほしいと願う。