打越通信

日記ふういろいろ

立田山

2015-10-30 19:54:47 | 熊本の風景
去年の今頃からだったろうか
「おはようございます」
とガラガラ声の気だるい、朝にふさわしくない声がテレビから聞こえてくる番組を見るようになったのは。
「おっさんのケツばっか映している番組、面白ろう無いやろな!」
と火野正平がさりげなく言ってのける「にっぽん縦断こころ旅」だ。
妻はその声を聞くなり
「テレビ消してよ!」
などと言っていたが、今では一緒にみるようになった。。
去年の秋の旅で九州に入り初っ端が関門海峡の小倉北区と門司区にまたがる赤坂海岸だった。
仕事で良く行っていた場所だったのでビックリしたのを思い出す。
そして熊本の旅の始まりが、ここ立田山配水場だった。
スキンヘッドの火野正平が「黒髪町」ってなんて素敵な名前だろうとか言っていた。
一週か二週休みがあって、その間に高倉健が亡くなったことなど話をしていたっけ。
それから熊本刑務所の横を通り浮島神社までの旅だったように思う。



今日は近くのスーパーで弁当を買って立田山に登る。
登るといっても150mくらいの山なのでたいした事は無い。
登山道を歩いていると台風の影響でかなりの木々が影響を受けていた。



しばらく歩くと重機の音が聞こえクレーン車が通りをふさいでいた。
作業している人がこちらに気づいて作業を中断してくれた。



山頂までのふもとに公園があるのでそこで弁当を広げ頂いた。
立田山には何回も来ているが立田山配水場から登るのは初めてだった。



弁当を食い終えて硬いベンチで昼寝だ。
工事も昼休みで中断したようで、聞こえてくるのは鳥のさえずり、そして遠くから電車の汽笛くらいなものだ。
しばらく休んで下山した。
再び動き出したクレーンに申し訳ないと違った道を下山した。




ところがとんでもない坂道に出た。
急斜面をゆっくりと滑らないように降りる。
降りた先は総合病院の中庭のようなところだった。
階段でも作れば良いようなものだが不思議な坂道だった。
壷井川遊水公園に立田山、家から歩いて行ける憩いの場所なのだ。

立田山配水場

通潤橋

2015-10-25 20:05:02 | 熊本の風景
昼前に佐世保の義兄から連絡が入る。
山都町の通潤橋に行くようで、お前たちも出て来いというような内容だったようだ。
妻と仕度をして家を出たのは昼前だった。
市内から浜線バイパスに出て山都町に向う。
途中の御船町ではバイパスが出来ていて道に迷いそうになりながらも、なんとか登山道(国道445号線)で山都町に向う。
かつて山都町は矢部町と言われていた頃、両親が3年ほど住んでいた時期がありこの道も良く通った道だ。
途中妻に電話が入り、午後1時から放水があるという連絡が入る。
通潤橋までは山都町に入ればすぐなので時計を気にしながら登っていく。
通潤橋の駐車場に着いたのが午後1時少し過ぎだった。
駐車場もクルマが多く、売店の周りではちょっとした祭りのような催しがあっていた。
クルマを置くと放水が始まったばかりの通潤橋が見える。
田んぼの稲刈りも終わった風景と通潤橋の放水が見事にマッチしていた。
橋の方に歩いていると下の方から呼ぶ声がする。
義兄夫婦と友達夫婦がいた。
そして子供夫婦とその子供たちも一緒だった。
放水した橋の下の方にいたので指を上に差して橋の上に行こうと誘った。
若夫婦と子供たちが着いてきた。



放水の様子を真横から見るとその水量の凄さがわかる。
この石橋が出来て160年も経つ訳で、熊本県内の石工の技術の高さがわかる。



橋の上に立つと高所恐怖症の私としては尻がむずむずして情けなくなる。
橋の周りには観光の人たちで一杯だ。



中には本格的なカメラを持った人たちも多い。
奥深い山の里も今日は沢山の人で賑わっている。



わざわざ佐世保からの義兄に話を聞くと、熊本も南方面へはあまり来たことが無いので、今日はわざわざ通潤橋の放水を見に来たとの事だった。
他に名所は無いかと聞くがこの地区は滝が有名なのだが時間的に厳しい。
子供たちのことも考え、ミルク牧場に案内したのだった。

秋の江津湖

2015-10-24 21:20:00 | 熊本の風景
朝と昼の気温差が大きい季節になった。
早朝のウォーキングから帰ると体は冷え切ってしまっている。
それで近頃は朝風呂に入るように変ってきた。
昨夜は少し遅めの帰宅だった。
早朝に起きるのもつらかったが生活のリズムを崩したくないのできつくても起きることにしている。
朝飯を食って朝風呂に入り再び寝る。
そんな生活だった。



昼過ぎから江津湖に行ってみた。
さすがに休みということもあり、また天気も良いので多くの人たちが憩いを求めて集まっていた。
湖の湖畔から釣り糸を垂れている人、公園内のカフェでくつろぐ人、ボート遊びをする人たちだ。



湖にかかる橋を渡り中ノ島に行ってみると赤い花を咲かせる木を発見した。
デイゴの花かなと思って近づいて見ると赤い花(葉っぱ)だ。



沖縄でも無いのにデイゴでは無いだろうと思い写真を撮った。
家に帰りネットで調べてみるとアメリカデイゴにそっくりだったのでそれだろう。
子供たちがその木に登って遊んでいた。
中ノ島では個人用のテントが2つほど張ってありその中で昼寝をしている人もいる。



再び橋を渡り小島に行くと、例のサギがいた。
コイツ近づいても首だけを動かし微動だにしない。



いったい何を考えているのか、不思議な鳥だ。
今月に入り好天が続いている。
雨が降った記憶が無い。
公園の芝生も土も硬く固まってしまっているが、ここ江津湖は遊水が湧き出ていて綺麗な水が流れている。
時おり涼しい風が吹き気持ちが良い。
冬になれば渡り鳥たちで賑やかになる。

清水峠

2015-10-20 17:49:59 | 熊本の風景
息子達が旅行に出かけた。
朝8時発のヒコーキだった。
それで逆算すると、搭乗手続きが7時となる。
ヒコー場まで約1時間とすると、息子のマンションに6時となる。
だから5時半から45分には家を出なければならない訳で、妻の顔作りにそう30分から小一時間となると起床は4時半から5時となる。
つまり昨夜は9時前に就寝したことになる。
だいたい上記の予定通りで進み、ヒコー場でサンドイッチとコーヒーで朝食だった。
無事に飛び立ったのを眺め、天気も良いし、ヒコー場を出て西原村に向った。
萌の里(俵山)のコスモス畑を横目に南阿蘇外輪山の長いトンネルを抜け南阿蘇に出た。



トンネルを抜け左手に阿蘇の五岳を眺め二本松という集落に出た。
こういう時にナビは助かる、しかしその道は通行止めになっていた。
迂回路と示された道を進むと踏切があった。
なんとそこには小さな可愛い駅があった。
クルマを止め小さな駅に行って見た。



南阿蘇鉄道の見晴台と云う駅だった。
しばらくそこで休憩をして、ホームに立つと目の前にはネコ岳が見える。
高森からネコ岳の横を通り五岳一週も良いかなと思い後ろを振り向くと、外輪山を超える道が見えた。
ナビで調べると清水峠とあり、井無田高原から清和村から山都町に出る道のようだ。
さっそくその道に出て登山を始める。
しかしクルマが一台やっと通れるような道だった。



外輪山のふもとには清水寺(きよみずてら)というのがあって行って見たがまだ朝の9時少し前というのもあり、お堂ではお経の声が聞こえた。



それから再び細い登山道だ。
峠を越えると高原が続く。
高原一帯が放牧場になっているようでそこでクルマを停めた。



妻が手を振って
「コーイ!コイコイ!」
と言っている。
すると5,6頭の赤牛が集まって来るでは無いか。



数頭の牛を柵があるとはいえこんなに至近距離でみることはそうあるものでは無い。
しばし牛達と世間話をして分かれた。


聖滝

井無田高原から清和村の文楽館や男成神社(ここは結局行き着けなかった)清和村の天文台(館長は同級生だが休館日だった)と行き山都町に出た。



山都町から吉無田高原の水源で一休みだ。
それから西原村、大津町に出て例の蕎麦屋で昼食をとり、無事息子達をヒコー場に送り届け、家に戻った。

水辺プラザ

2015-10-08 16:49:38 | 熊本の風景
昔風の水辺の風景を求め山鹿方面に向った。
菊地山鹿方面には一級河川の菊地川が流れている。
その支流のひとつに道の駅「水辺プラザかもと」がある。
物産館にレストラン、温泉施設や宿泊施設まである道の駅というより本格的な総合施設のようなところで、上内田川沿いに沿って建っている。
今や川という川は水害による氾濫対策のため河川工事が進められコンクリートで固められている。
しかしここは自然の護岸で草や水草が水面まで続いている、昔ながらの風景がある。



今の季節はススキやコスモス、春には桜や春の花が咲きほろこぶ自然がある。
その川沿いには散歩道があり河口に下れば鯉が住む池がある。
遠目には黒い魚が泳いでいるなくらいしか思ってなかったが、水辺に行くといるわいるわ大きな鯉がウヨウヨといた。
散歩道に鯉のえさが売ってあり一袋買って妻に渡すとひつ粒池に投げ込んでいた。
すると遠くにいた鯉もいっせに集まりだし小川の水は黒一色に染まる。



餌を投げ込むたびに水中から鯉が口をあけて寄って来る。
鯉の下にはニジマスなのかウグイなのか小型の魚がこれまたウヨウヨいる。
餌を投げ込むと鯉の動きが遅いため下から小魚が一斉にえさを目がけ横取りしていく。
その速さといったら一瞬なのだ。
鯉たちはあいも変わらず口をあけるだけで動きが鈍い。
口元にあるえささえ横取りされてしまうのだ。
釣りで言うところの入れ食いの状態だ。
こんなとき浮きがスーッと一気に沈むのは小魚たちで、ゆっくりと沈む時は大物のときだ。
目の前の様子を見ているとその様子が良くわかる。
鯉の群れの中になまずも居た。



なんともユニークな面構え、コイツも動きは鈍いようだ。
魚たちの食欲のすごさに感心しながらレストランに向う。
ここは田舎風レストランでバイキング方式の食堂だ。



妻の目的地はここなのだ。
いつも満員で入れないが今日は平日の午後も遅い時間帯。
それでも人は多く賑わっていた。
お一人1,000円(+税)なので手頃な値段で料理も上手いとあってネットでも人気らしい。



私は一皿に山盛りだったけど妻はデザートを含め3皿分を平らげたのだ。
食欲の秋、鯉も人も食うことに夢中だ。
そういう私も去年と違い食欲が戻ってきた。
食って食って体重を増やし体力をつけないといけないな。

本妙寺

2015-10-03 17:21:47 | 熊本の風景
今日は朝から熟睡で目が覚めたのは7時過ぎだった。
昨夜は飲み会(食事会)などあり帰宅時間が遅かったせいもある。
久しぶりに早朝散歩とラジオ体操を休んでしまった。
それにしても寒い朝だった。
午前中に息子が家に立ち寄り、妹が来てお茶を一杯飲んで帰った。
運動のため午後から金峰山に登ろうかと思ったが家を出るのが遅かった。



クルマで15分くらいの所にある本妙寺に向かった。
寺の途中にある駐車場にクルマを置き石段を登る。
秋晴れの良い天気だ。
子供が小さかった頃よく子供たちを連れ遊びに来たことを思い出す。



いつもは平坦な道を歩くが階段登りはさすがに疲れる。
本妙寺に着きお参りをする。
ろうそくの火が一本二本とついており線香の香りがする。
しばし境内を見て回る。
清正の命日である7月24日の前夜は頓写会(とんしゃえ)が行われ、参道には出店が並び多くの人たちで賑わう。



本妙寺の裏に回ると急勾配の石段が現れる。
その石段を一歩ずつ登る。
さすがに足が痛くなり踊り場で休みながら上る。
やはり体力と持久力がかなり落ちていることを実感する。
若者が数名いかにもスポーツマンといった服装で上り降りを繰り返していた。



息を切らせて頂上に着くと加藤清正公の銅像が建っている。
本妙寺はかつて肥後藩主の加藤清正公の菩提寺になっている。



銅像が建っている場所からは熊本市内が一望でき目の前には熊本城が見える。
その横の藤崎台野球場では秋の高校野球の試合があっているようで吹奏楽部の応援の音が聞こえる。
透き通った空気と青い空、吹奏楽部の音楽と新幹線が高架を通る音がさわやかな風に乗って聞こえてくる。

田崎仮陸橋撤去

2015-08-23 17:45:38 | 熊本の風景
新幹線ならびに在来線の高架化に伴い田崎陸橋が撤廃されて何年経つのだろう。
田迎方面からの陸橋のアプローチ部分を使い巨大な仮陸橋が架かった。
大きく曲がった巨大陸橋を大型クレーンを使い数ミリ単位で設置してどのくらい建つのだろう。
新聞広告で田崎仮陸橋は通行止めになり仮の踏切が高架下に出来き今日を持って切り替えるというのが入っていた。
仮陸橋がどういう風になっているのか前日クルマで出かけてみた。
仮陸橋を通ってみたが、すでに撤去用なのか部材に囲まれて陸橋の上からの眺めは望めなかった。
最初に出来た頃は迷路のようで迷ったことを思い出す。
熊本駅の新幹線口から田崎方面へ新しい道が出来少しはすっきりしたが、この仮の陸橋がどうなるのか興味を持っていた。
クルマを近くに停め歩いて百貫踏切に行ってみた。



確かに仮陸橋が邪魔になり在来線の下りと豊肥線の高架作業は途中で止まっている。



仮踏み切りもコンクリートブロックで今は通行出来ないが明日には通行が出来る状態だった。



新しい踏切には黒いカバーのついた信号機が設置されている。
踏み切るのは鹿児島本線の下りと豊肥線の2本しかない。
道路は片道1車線なので切り替えと同時に渋滞が予想される。



今日の昼前に行ってみるとすでに仮踏切に切り替わり、仮陸橋への道は通行禁止になっていた。



通行したときは渋滞らしき混雑も無く、今までぐるりと回っていた道が真っ直ぐに繋がっていた。
これからこの巨大な仮陸橋をどうやって撤去するのかしばらくは気になる工事になる。
田迎からのアプローチも取り除かれ片道2車線の踏切(在来線が高架になれば踏切では無い)になるのだろう。
熊本駅周辺も仮陸橋の撤去後、鹿児島本線の下りと豊肥線の高架作業に入る。
そして熊本駅の在来線側の駅舎が取り壊され新しい駅が出来る。
残った在来線の跡地にJR九州の商業施設が出来る事が決まっている。
様変わりする熊本駅周辺の整備工事も最終段階に入るようだ。

帰省ラッシュ

2015-08-13 17:38:51 | 熊本の風景
娘を迎えに熊本駅に向う。
新幹線の改札前で娘を待つ。
<18時54分着(熊本駅)で帰る>
とメールを受けていた。
駐車場も多いだろうと思い早めに出かけしばらく駅をブラブラとする。



以前は<フレスタ>といっていた商業施設も<えきマチ1丁目>と名前が変った。
くまモンの人形の前で写真を撮る人などいつもと違うお盆の雰囲気だった。
列車が着くたびに多くの人たちが改札を通りすぎて行く。
18時54分着ということは小倉から直接新幹線に乗るのかな?
などと思いながら列車を待つ。



JRの職員の姿、なぜかホークスのユニフォームを着ていた。
駅の時刻表には発車の時間しか書いてないので不安になる。
ケータイを忘れてきていたのでなおの事だ。
時間になり娘の元気そうな顔が見えた。
やっぱり小倉駅から直接さくらで帰ってきたようだ。
小倉駅の状況、そして平日でも多い小倉博多間の乗客など頭に浮かぶ。

さあ!お盆休みの始まりだ。

朝のラッシュ時の光景

2015-07-21 21:20:24 | 熊本の風景
朝起きて新聞を取りに外に出たらポツリポツリと雨が降っていた。
今日の朝の散歩は無理かな、と思ったが小止みになったので折りたたみ傘を持って家を出た。
雨が降りそうな天気だが相変わらず散歩組、徒歩組ともに多い。
3連休も終わり早朝に気合を入れている人もいるのだろう。
すっかり散歩コースになった熊本電鉄の踏み切りだ。
北熊本駅を眺めると3番線に青ガエルがいた。
ダイヤ改正で平日ダイヤでの運行は初めてでは無いだろうか。
踏み切りを渡る前に1番列車が御代志方面に出て行った。



北熊本駅で一休みする。
今にも雨が落ちてきそうな天気だった。



2番線にいた電車が再び御代志方面に出て行く。
単線なのにもう2台の列車が御代志に行っている。
そのあとホームの外にいた電車が踏み切り付近まで後退し、1番線に入線してきた。
すぐに電車は藤崎宮へ発車してしまった。
まだまだ朝夕の増便は客には浸透していないようで客はまばらだった。
北熊本駅をあとにし住宅展示場を過ぎ再び熊本電鉄の踏み切りに来た。



すると北熊本駅から2本の電車が先を争うようにやってきた。
こんなときにカメラを持って来るべきだと思いながらも、連写の効かないコンデジで後を追った。



同時?
いやいや青ガエルの方が少し早いようだ。
目の前をあっという間に過ぎて行ってしまった。
上熊本線は青ガエル1台での運行だけど、藤崎宮・御代志線には4台の列車がいることになる。
単線だというのに朝のラッシュ時はこんな光景になっているんだと、初めての光景に少し興奮気味なのだ。

熊本駅から市電を追って

2015-07-13 20:57:37 | 熊本の風景
野暮用で忙しかった時期もある程度落ち着いてきたところだ。
何も予定がない日は朝の散歩から帰り、カメラをリックに詰め込みぶらつくことにする。
確かに視力は回復しているようで、以前より明るくなったような気がする。
カメラを持って良かったと思うのは自然の風景や町並みなど、今まで気付かなかったものが見えてくることだ。
今日はリックを担ぎ打越駅に向う。
クルマで出ても良かったが駐車場にも困るしブラブラと気ままには動けないのだ。
熊本電鉄の2両編成の電車に乗って上熊本駅まで出た。
JRの在来線との待ち時間が20分ほどあったので市電の車両基地を覗いてみた。
新型車両のCocoroがいた。
3億数千万円をかけて熊本交通局が購入した電車だ。
ななつ星を思わせる優雅な車体だ。

上熊本駅から在来線で熊本駅まで行く。
通勤していた頃と熊本駅は変り、帰宅時の20分から30分ほど無意味に過ごした4番線5番線のホームはすでになくなっていた。
階段で上がっていく連絡橋も半分は取り壊されていた。
下り線の高架工事に入る準備をしているところなのだろう。
熊本駅を出て新たしく建設された合同庁舎の横を抜け百貫踏切まで行ってみた。



熊本駅方面を見ると今からまさに高架工事が行われようとしている。
そして0番線AホームやBホームそして1番線と2番線、その広大な跡地も高架工事が終われば商業ビルが出来るという。
下り方面を見ると新幹線と在来線の高架が見える。
その横に在来線の高架が見えるがその横に下りと豊肥線の高架が出来る予定だ。
市電の田崎橋まで歩く。
熊本駅周辺の開発で一番変った場所だ。
田崎橋駅(終点)から熊本駅まで市電は道路の端を走る。
ここからJRの高架下をくぐり田崎市場方面への市電の延長計画もあるようだが定かではない。
夏の激しい日差しの中、熊本駅前の森都心で休憩する。



現在の熊本駅も何れ取り壊され新しい駅に変る。



そんな風景もあと数年だと思いカメラに収める。
よく通った白川沿いの道を歩くと懐かしい。
建設中だった高層マンションも窓に洗濯物が干してあったりと生活感がある。



ある場所で市電を狙って見た。
しかし広告を羽織った車体はどうもいけない。
前いた事務所の横を抜け呉服町電停から市電が走る道を歩く。
熊本で最古のビル(早川早野ビル)の前に来た。
しばらく市電を待ったが信号停車のバスの陰になる。
おまけに来る電車は蜂蜜屋だったりチキンラーメンの電車ばかり。
コンビニでミネラルウォータを買い飲みながら汗を拭く。



しばらく待つと上熊本にいたCocoroがやってきた。
広告電車や古びた電車の中に超高級な電車だ。

撮り終えて閉店したばかりのセンタープラザに潜りこんだ。
店はシャッターが閉まっていたが地下街は冷房が効いていてここでしばらく涼むことにした。
下通り、上通りと歩き、熊本電鉄の藤崎宮駅に来た。
改札の前に手書きの看板だった。
運休の案内だ。
キップ売り場に行き事情を聞くと、黒石原付近で車両故障と言う。
町中の家との隙間すれすれを走る電車なのでクルマとの事故が多い電車なので心配したが車両故障ならしかたない。
妻に電話をかけ迎えに来てもらった。
帰り道、警察車両や救急車など数十台が来て交通規制があっていた。
家に帰りテレビのニュースを見ると、中学校で熱中症が発生し児童24人が運ばれたそうだ。
そういえば暑かった。
35.9度の猛暑日だったのだ。

小萩園

2015-07-05 16:32:16 | 熊本の風景
熊本市内でアジサイの名所というのを考えてみた。
熊本城にも行けば何がしかのアジサイの花はあるのかもしれない。
水前寺や江津湖といってもアジサイの名所というわけでもなさそうだし、立田山辺りでも聞かない。
ネットで調べてもアジサイの名所というのはあまり無いようだ。
妻とそういう話をしていると「小萩園」という名前が出てきた。
子供が小さかった頃、遠足で行った事があるという。
地図を見ると我が家から直線距離で5kmもないところだ。
さっそくクルマに乗り込み妻に道案内をお願いする、しかし方向音痴の彼女は右も左(東も西)も分らない。
ナビを呼び出し行き先をセットし任せることにした。
上熊本駅付近からナビを頼りに山道を登っていく。
クルマがやっと一台通れるような道だ。
大きな杉の木に囲まれ、道のすぐ横は絶壁に近い谷になっている。
市内から3kmも離れていないのにまったくの大自然(大自然といえば聞こえは良いが、ど田舎)だ。
対向車が来ないか心配しながらも小萩園の駐車場に着いた。
案内板を見ると管理棟や展望台があるようだ。
森の中を整備された道を進む。
もう7月だというのにホトトギスの鳴き声が聞こえる。



やっと管理棟に着いた。
管理人らしきおっさんが出てきていろいろと話をしてくれた。



展示場には大きなカブトムシがいた。
別棟にはバトミントンが出来る体育場みたいな設備もある。
「春に来ればいろいろなサクラが見れます」
山菜など取りに来る人もいるようだ。
休日の梅雨の晴れ間というのに人影は私たちだけだった。
展望所に言ってみた。
小高い丘に登ると市内が一望できる。
金峰山からの眺め、花岡山からの眺めと少し違う。
熊本市は盆地といわれるのは金峰山郡によって不知火海からさえぎられているからだ。



展望の中に新幹線、在来線の高架も見られる。
遠目だけど新幹線が走っているところを撮ってみた。
整備された道の脇には全国各地から持ってきたサクラの木が植えられていた。



アジサイは一本もなかった。
今年に入ってセミの声をまだ聞かない。
ジーっという声はするがセミなのかどうかは判断できない。
再び大自然の中の一本道をゆっくりと進み、峠の茶屋に出た。

梅雨の晴れ間の能天気

2015-06-20 18:20:49 | 熊本の風景
今日のように晴れの日で休日の日にはカメラを入れたリュックを担ぎ散歩に出かける。
靴も当然ウォーキング用のヨネックスだ。
公園をゆっくりと一週して自動販売機で缶コーヒーを買い、競技場のスタンドで休憩を入れる。
歩いている時間より休憩している時間の方が長いようだ。
それから再びスイレン池へ行ってみる。
休日ともあり、カメラ女子がいる。



スイレンの花を撮るより撮っている姿を撮るほうが主になってしまった。
自前の椅子に三脚、EOS5DM3と雲台の間に水平垂直を図る水準器、100mm-300mmのレンズを装備したオヤジがいたので話しかけた。
やはり熊日の記事を見てやってきたようだ。
「熊日に載ったら、もうダメですよ」
と言う。
もう一人、SONY製のミラーレスカメラを持ったオヤジも会話に参加した。
この方もすぐ近くを通るのに全然気が付かなかったようだ。
話はハスの話になり山鹿方面に古代の森というところがあり、ここは全国でもハスで有名なところらしい情報を得た。
ただし午前中の7時前後が見所らしい。
SONY製のミラーレスカメラを持ったオヤジがモニターに映し出し見せてくれた。
よしよしと情報を得て池を一週する。
先ほどのカメラ女子にいい写真取れているかと聞く。
EOSKissに白帯で無い望遠のレンズをつけている。
「いやぁ、下手ですから」
といっている。



多分、こんな写真を撮っているのだろう。



久々に青空を入れて一枚撮ってみた。
家に帰り妹に電話をいれた。
読むところが無い地方紙にあきれて購読を止め、他の新聞に切り替えたため記事が気になる。
さっそくFAXで記事が流れてきた。
<スイレン開花 印象派の世界>の題目で<ふだんはあまり人が訪れない場所で・・・>の記事が載っていた。
しばらくは<ふだんはあまり人が訪れない場所>では無くなったわけだ。
記事を書いた女性記者は満足気だろうが、良い迷惑なんだ。

上江津湖2

2015-05-25 22:47:10 | 熊本の風景
歩いていると花を見つけた。
アヤメなのか、ショウブなのか、私には判断がつかない。
その花の横に札が建っていて「肥後花菖蒲」と書いてあった。



しばらく歩くと、いつも大勢のカメラマンが居る場所だ。
今日も2人先客が居たが行って見た。
小さな池の真ん中に鶴のような木が一本建っていた。
すぐ先は近代的な建物が建つ熊本県立図書館だ。
この木の先に野鳥がとまればいい絵になりそうだ、でも今は野鳥の季節では無いようだ。



江津湖公園のあちらこちらから湧水が出ているようで江津湖(加勢川)に勢い良く流れ込んでいた。



この季節、蝶が多く飛んでいた。



少し季節が遅いが、夜になれば蛍も舞っているようだ。
湧き水なので透き通った湖の岸辺には水草の緑色がとても綺麗だった。



何枚もカメラで撮ってみたがなかなか表現が難しい。
初夏のような気候なのだが雲行きは怪しく、ポツリポツリと雨が落ちてきた。
あわてて江津湖の島伝えにかかる橋を渡っているとサギがすぐ近くに居た。



川辺でもないのに一本足で立ち微動だにしない。
若いカップルが近づくと体はそのままで顔を向けた。
作り物じゃない、などと笑い声が聞こえる。
そういえばコイツ前回来た時もここにいた。
ポツリポツリと雨は降ったがそれ以上は降ることはなかった。

※EOS6D 70mm-200mm f4

上江津湖

2015-05-24 23:00:54 | 熊本の風景
朝の散歩も今では毎日とは行かず、少し運動不足になっている。
毎日同じ道ばかりでは飽きてしまうので今日は江津湖にやってきた。
駐車場にクルマを起き、リックにEOS6Dと70mm-200mmのレンズを入れ、手にはコンデジを持ち歩き出す。
さすが土曜日ともありボートも何台か出ているし散歩をしている人たちも多い。
中の島を渡り駐車場と対岸の道を歩く。
前回来た時は冬場だったので数多くの野鳥がいたが、この季節、数は少ない。
それでも鳥の鳴き声だけは聞こえる。
今にも雨が降りそうな天気だが、かえって紫外線も少なく快適ではある。



水前寺公園の方に歩いていると子供たちが何かを取っているようだ。
いたる所から湧き水が出ているようでその水の中の中の何かを取っているようだ。
川沿いの道を離れうっそうととした芭蕉園に入っていく。



まるでジャングルの中に来たような異様な風景だ。
これが熊本市の都心なのかという風景だ。
その昔はそんなに気にはならなかったが、こうしてあらためて来て見ると新しい発見といった感じだ。



再び川沿いの道に出る。
こんな自然があるすぐ近くには高層のマンションが数棟建っていて、昔からすると随分と高層化したものだ。
電車通りを渡りその昔、水前寺体育館が建っていた場所に来た。
今では公園になっておりそこで休憩だ。
ベンチに座り看板を見ると<ジェーンズ亭>の看板が見える。
クルマでは行けそうも無い細い路地を歩いていると古い洋館が見えてきた。



明治も初期に建てられた建物のようで日本の屋敷とは異なる建物だ。
一度は来たことはあったがもう数十年も前のことだ。



すぐ横には夏目漱石の第三の旧家もすぐ横にある。
時代背景が良く分らないが、漱石とその外国人教師のジェーンズとはお隣同士で面識があったのだろうか?
と思いながらお腹が空いたので電車通りまで引き返した。

※コンデジでの撮影。

天草

2015-05-10 21:36:06 | 熊本の風景
連休の疲れもとれ陽気に誘われて天草までドライブに出かけた。
昔と違い随分と道も良くなり1時間ちょっとで本渡に着いた。
その昔、1年半ほど住んでいたこともあり街中は知っていたつもりだった。
しかし新しい道が出来、また町並みも随分と変わってしまっていた。



本渡に着くなり港に行ってみた。
ここからは実家の水俣までフェリーが出ていたが今は運行を止めてしまっていた。
社会人になったばかりで本渡に赴任、クルマを持たなかったあの頃はそのフェリーが実家への足だった。
今は熊本港までの高速船も無くなり、三角行きや御所浦行きの船が運航していた。



港の周りには天草五橋が無かった頃賑わっていただろう旅館や倉庫などがまだ点在している。
岬の丘に建つホテルに行ってみた。
ヤシの木が建ち並び青い海と非常に合っていた。
隠れキリシタンの島でもあり、西海岸に行くと大江の天主堂や崎津の天主堂などの教会、お墓も日本式の墓の上に十字架が乗っていたりと独特の文化がある。



このホテルではちょうど結婚式があっていて丘の上の教会で式が終わりこれから記念写真というところだった。



かつてここにはロープウェイがあり水族館もあったところで眼下にはトライアスロンの国際試合がある茂木根海水浴場がある。
街中は変ってしまったが天草独特の空気の流れというのか時間の流れというのか懐かしくもあった。
そういえば当時、母からの手紙に
「天草郡本渡市」
と宛名があった事を思い出す。
今では天草市本渡と言うのだが、当時は本渡市だった。
天草郡では無いのだ。
そんな事を思い出し、今日は母の日だったことに気がついた。