打越通信

日記ふういろいろ

4世紀

2015-04-25 22:04:39 | 熊本の風景
月曜日の穀雨の日、福岡はとても寒かった。
その影響なのか昨日あたりから鼻水は出るはクシャミは出るは、喉まで痛くなってきてしまった。
最初はPM2.5の影響かと思ったがどうもそうではなく風邪かもしれない。
おまけに今週は忙しくしていておまけに夜になると息子達が遊びに来て、一緒に食事をしてある事柄でワイワイと話で盛り上がった。
時計を見ると夜の10半だったり11時だったりととてもパソコンを開く時間が無かった(だいたいブログは夜の10時だったりしていた)。

今日はパッソの車検で代車を借りて山鹿(熊本県北)に行ってみた。
ツツジで有名な日輪寺だ。
その昔、親父が妻や息子、娘を連れて来たところだ。
その頃の親父と同じくらいの歳になったが、残念なことにまだ孫は居ない。
そんな事を考えながら日輪寺に着いた。
いつもは近くの国道沿いに眺めていたが、ここに来るのは初めてだった。



駐車場にクルマを停め、なんじゃこれは!
すでにツツジは終わりつつありわずかに所どころ咲いているだけだった。
花の命は短くて1週間も過ぎるとこんなものなのだ。
がっかりもしながらツツジ1000本と言われる小高い丘に登った。
途中に巨大な仏像がある、しかしこの寺の仏像はしたからは木が生え茂っていて見る事はできない。



途中で横顔しか拝めなかった。
禅寺のようでいろいろな施設もあり、中には赤穂義士遺髪塔などありだからなんなのだと思うのだがかなり由緒ある寺のようだ。
小高い丘の頂上に到達した。



山鹿市内が眺望できる。



横を見ると不動岩が遠めに見える。
その頂上の広場に古墳があるのだ。



竜王山古墳と書いてあった。
だからこの小高い丘、いやいや小山は竜王山と言うのだろう。
その古墳の案内板を見ていると、県北で最古の古墳という。
そして岩を組み合わせた古墳のようだ。
側面を平石を積み上げ天井もまた平石をかぶせた堅穴式古墳のようだ。
そして驚いたのは4世紀頃の古墳のようだ。
4世紀といえば、今は21世紀なので17世紀前の事だ。
言葉はあったのだろうか?あったとして熊本弁を話していたのだろうか?
などなど考えていると面白い。
言葉が無くそんな巨大な石をどういう道具で山頂まで運んだのだろうか。
古代の先輩たちが「うふぉ!うふぉ!」などと言い岩を砕きながら、そして「うふぉ!うふぉ!」と言いながら担ぎあげたのだろうか?
そんな事を考えていると巨大な仏像もツツジもどうでもよくなってしまったのだ。

放鷹

2015-04-18 21:17:45 | 熊本の風景
近くの弁当屋さんで弁当を2個と飲み物を買って立田山に行ってみた。
立田山といっても小高い山(150mくらいかな)になっていて自宅近くの坪井川からはすぐ近くに見える山なのだが、火山だというのだ。
立田山は熊本市の真ん中に位置していて今では公園として整備されている。
自宅からクルマで10分とかからない所なのだが自然溢れる憩いの場所になっている。
前回、満開の桜を見に来たところだ。
トンボ池とサクラ池が山越えの細い道を中腹まで登っていく。
枝道に入りちょっとした場所があったのでそこに駐車し広場の方に向った。



東屋がありその前にベンチがあったのでそこで弁当を広た。
幼い子供を連れた夫婦、恰好からして登山スタイルの年配のグループ、カップル(私たちもそうか)で賑わっていた。
昼食を終え、私はふらりと周りを散歩した。
さすがにサクラは散ってしまっていて葉桜になっていた。
それにしても夏を思わせるような気候だ。



そして新緑が綺麗な季節になって来た。
眩いばかりの新緑についついカメラを向ける。



登山道があちらこちらにあり、何度か入った事もある。
元の場所に戻ってくると妻はベンチの上で昼寝をしていた。
東屋の反対方向に柱を支える石の土台らしきものがある。
案内板を見ると肥後藩主(細川家)の放鷹や泰勝寺参詣帰りの休息所があったところらしい。
ここで鷹狩りをしていたわけだ。



その横に斜面があり可愛らしい花が咲いていた。
写真を撮ろうと座り込んだがそれでもまだ遠く、とうとう寝そべって撮っていた。
斜面が良い具合になり仰向けになり空を見た。
そのまま眠ってしまった。
いままでは、季節を感じないまま過ごしてきたが季節の移り変りをひしひしと感じる。
豊かな気分になる・・・。

昭和園

2015-04-17 22:46:26 | 熊本の風景
暑い日が続き、いきなり寒気が訪れ冬のような気候になる。
夜中には雷まで鳴り出し強風が吹き荒れる。
三寒四温というより春の荒しの到来のようだ。
そんな気候も暖かく落ち着き始めた頃、2度目の診察で病院に向った。
主治医は前回の若い男の先生から中年の女医さんにかわった。
中年肥りなのかストレス肥りなのか判断できなかったが前の医師から比べると話の分りやすい医師だった。
別に通院するほどのことも無く、薬もほとんど処方されない、ただ診断書(保険申請用)が必要ために受けているようなものだ。



ちょっと早いかなと思いながらもツツジの名所、大津町の昭和園に行ってみた。
園内に入ると平日ながらも結構な人がいた。



園内を一週してみるとツツジは今から、八重桜が散り始めていた。
所によっては満開に近いツツジもあるがまだまだ全体的には今からのようだ。
花の時期は短い。
今年のソメイヨシノのようにパッと咲いて終わりというのがある。
ツツジも同じであっという間に咲いて終わりだ。



我が家の枝垂桜も花が咲いた。
街路樹として植えてあるハナミズキも花が咲き始めた。
庭の手入れをしていると隣のハナミズキも花が咲いていた。
我が家のハナミズキ、去年やっと花が咲いたが今年はまだ咲かない。



菜の花、梅から始まりコブシ、モクレン、桜、そしてツツジと季節は移りすぎていく。
我が家の近くに1kmにわたり道の両側にツツジが咲きほころぶ道がある。
山鹿の日輪時などツツジの名所もあるが、ここ昭和園も見ごろを迎えようとしている。

市役所からの展望

2015-04-14 22:31:45 | 熊本の風景
ちょっとした買い物(贈物)で街中に出てみた。
熊本市内では県民百貨店を最後に百貨店といわれるところは1ヶ所になってしまった。
クルマで鶴屋百貨店の立体駐車場に入れようとするとどうも今日は休館日のようだ。
しかたなくいつも使うコインパーキングにクルマを入れ商店街をブラブラと散歩した。
久しぶりだしランチでもしようと妻が言う。
ブラブラとアーケイドを歩きながら妻と何を食うか話し合う。
特にお腹も空いているわけでもないし、とんかつ屋に行ってみたが客が多くてあきらめた。
料理天国という夜は居酒屋だけど昼は定食を出す店があるのでそこに入ってみた。
ここも客で一杯だった。



歩いているとダイエー(旧大洋デパート)も解体がすみ更地になっていた。
洋食は重たいし中華もきつい。
そうだと思い市役所の地下に言ってみた。
大衆食堂のようなものがあり一度は行かないと行けないなと思っていたところだ。
店の前のディスプレイには、まあ普通の料理が並んでいた。



食券を買って調理場に出す方式だ。
私は肉そば、妻は生姜焼き定食にした。
結構広い店内にお客さんもポツリポツリといった感じだ。



味もそこそこだし、この肉そばは390円、生姜焼きはいくらだったか知らないが安いのだ。
食事を終えてエレベータで14階の展望階へといってみた。
ちょうど昼休みも終わりといった時間帯でエレベータは満員だった。
展望所と同じ階の大会議室では新人研修会のようなものがあっていた。



さすが目の前には新緑の中に熊本城が見える。
しまったと思った。
桜満開の時のポイントに良い場所だった。
来年があるさ・・・。

北バイパス

2015-04-08 22:26:34 | 熊本の風景
区役所に用があり北部町を通行していると新しい看板が目に入った。
帰り道新しく出来た道を通ってみた。
以前北部町(四方寄町)に住んでいたことがあり、その当時から新しい道が出来ると言われていた。
あれから何年経つのだろうかと考えると家を建て引っ越してから27年になるのでそうとう昔の話だ。
東バイパスから日田バイパスまで延長工事が終わり、あと数キロで国道3号線と接続というところまでは知っていたし工事していることも知っていた。



しかし急に開通するとは知らなかった。
昔住んでいた頃の国道3号線は植木町までの渋滞がひどかったものだ。
アパートから国道に右折するのに大変だったことを思い出す。
そして交通事故も頻繁に起こっていた。
旧国道3号線と新しい国道3号線(清水バイパス)の3差路からわずかな距離なのだが、これで少しは渋滞が緩和されるのか分らないが熊本市を環状する道には違いない。



走ってみると信号も少なく交通量もそんなに多くは無かった。
だけど新しく道が出来ると人(クルマ)の動きも変り、コンビニや飲食店には影響が出るかもしれない。



熊本市内も少しずつではあるが新しい道が出来てきている。
我が打越町付近ももっと道幅を広げて欲しいものだが、広げると交通量が多くなるようで、どっちが良いのか一概には言えないわけだ。
でもねバス通りだからね。

さすがにネット上の地図は何処もまだ更新されてなかった。




センタープラザ

2015-03-31 22:57:26 | 熊本の風景
週末になるとこの季節、桜を求めて熊本城付近は人でごった返すことになる。
お城付近の駐車場は何処も満車なので辛島町から船場橋の中間のコインパーキングにクルマを入れた。
それもわずか1台しか空いてなかった。



クルマを降りて歩き出すと、今はもう閉店してしまった県民百貨店の白い建物が見える。
その横には交通センター(バスセンター)がある。
歩道橋はあるものの地下街を通ったほうが便利なのだ。
地下街の入口には3月31日で閉店の看板がかかっていた。



中に入ると地元熊本の主要な報道会社のカメラマンたちがウロウロしていた。
この地下街も今日で閉店し今年8月ころから解体が始まるという。
その昔、父に連れられて県南の実家からバス(当時快速バスといった)に乗りここでバスを乗り換えて叔父が住むところまでのバスに乗り換えていた。
今の辛島町公園あたりがバス乗り場だったと思う。



しばらくして交通センタが出来、同じく父とこの地下街でうどんやカレーをよく食ったのものだ。
その当時テレビコマーシャルが流れていた。



哀愁のある曲で<泉の広場で会いましょう・・・ 最後のバスはもうすぐ来るのに、いつまでもいつまでも センタープラザ>だった。
今でも店内では流れている。
学生時代に親は矢部町(いまの山都町)に住んでいた。
新幹線で博多駅でのりかえ熊本駅に着きバスで交通センターまで来た。
当時、赤バス(熊本バス)の乗り場は辛島町ロータリーから世継橋方に少し行ったビルの一階にあった。
交通センターからそこまで重い荷物を抱えながら歩かなければいけなかったことを思い出す。
今では赤バスも交通センターを利用していて赤バス専用のターミナルはなくなっている。



学校を卒業して就職して最初の赴任地が天草の本渡だった。
本渡からも快速バスだった。
熊本駅、次はこの交通センタそして県庁前を経由して熊本空港までのバスだった。
その頃、両親は実家近くの高校の校長宿舎にいた。
再びここでバスに乗り換えたっけ。
国鉄(現JR)を使う場合は熊本駅で乗り換えた。
熊本駅の前に丸い形の2階建てのビルがあり一階がバス乗り場だった。
しかしクルマに乗るようになり、熊本駅もこの交通センタも利用する機会がなかった。
娘が福岡に行くとき、実家の佐世保に帰るなど、たまにしか利用する事はなかった。
まだ熊本事務所があったとき一時バス通勤をしていた頃があった。
その時期は毎日のように33番乗り場を利用したものだ。
隣の乗り場でバスを待つ関係会社の人とバッタリ出会い、センタープラザで一杯などと思いでもある。



そしてセンターボール、県内でも公式レーンを36持ったボウリング場だ。
公式戦を見に来たり練習で何度か投げた事はあるが、公式戦で投げたことは無かった。
そんなボウリング場も今回の再開発で無くなることになってしまう。
46年という一つの時代が終わろうとしている。
そして数年後には新しい時代が始まる。
そんなやって移り変っていくのだ。

人吉

2015-03-30 22:52:20 | 熊本の風景
朝10時少し前、ジロー夫婦が我が家にやってきた。
ドライブでもしようという魂胆なのだが、行き先は不明。
そう前回も不明のまま団地を出て行き先はクルマに聞いてくれという旅だった。
そのときの運転手は私だったが今回はジローさんに任せた。
国道3号線を南下して小川、宮原とやってきた。
そこから五木村(五木の子守唄で有名)を目指すことになった。
途中、東陽村にある石橋公園に立ち寄った。
この地区(東陽村)はその昔に全国に知られた石工を生み出したところなのだ。
<肥後の石工は技術がとても高いと言われ、通潤橋や霊台橋などの歴史的な重要文化財があり、全国の石橋の4割を熊本県が占める>



氷川の川原には子供連れの家族が水遊びをしていた。
気温はかなり高くなり初夏のような陽気、水遊びもしたくなる陽気だ。
菜の花と桜がどちらともほぼ満開だった。
さあ休憩のそこそこに急な坂道をグイグイ登り大通峠を越え五木村に来た。
問題の川辺川ダムも建設中止が決まり中途半端な状態な状況だった。
ダムに振り回された子守唄の村をあとに人吉市に向った。
途中ナビで人吉市内の飲食店を探すがナビの検索は五木村を探していた。
すでに人吉市内に入っているのに検索は五木村を探している、まったく操作が難しい。
ひとみちゃんが持ってきたタブレットで「ほうらい茶屋」を見つけた。
ジローさん運転のクルマはとりあえず人吉駅に向った。
妻が降りて観光案内所に行き人吉市内の観光地図をもらってきた。
上村うなぎも考えたが、食べログを見ていた妻が店員の評判が良くない(過去のブログで私も書いた
らしく、私も同じ意見だったので違う店に向った。



前回熊本市内で一緒に行った「ほうらい茶屋」だった。
私は前回と同じ荒炊き定食にした。



皆さんそれぞれに定食を頼み賑やかな昼食だった。
さすが本店、同じ定食でも刺身は新鮮だし魚の量が多いのだ。



食事も終わり、近くの青井阿蘇神社に行った。
蓮池には蓮はまだ無く、鴨が2羽泳いでいた。



こちらの桜もほぼ満開のようで桜を入れて一枚撮った。
なんといっても萱葺き屋根が目に入る。
なんといっても国宝なのだから相良氏の功績は後世に多くを残したわけだ。



そんな境内を見回しているとなんと放し飼いにされた鶏を発見した。
そして鳴き声が懐かしい感じだ。
この鶏も国宝なのかと思わせるような鳴き声だった。
しばらく境内を散歩して、人吉インターを目指し高速で山下りをして無事に自宅まで帰ってきた。
ジローさん夫婦と久しぶりのドライブ、運転はジローさん任せでのんびりと車窓を眺めることが出来た旅だったのだ。

高架走行開始

2015-03-14 17:51:07 | 熊本の風景
朝起きて新聞を取りに庭に出ると雨が降っていた。
今日の朝の散歩は中止だなと思ってコーヒーを淹れ新聞を読む。
そうか今日は在来線の高架走行開始の日なのだと思い出し颯爽と着替えてクルマで自宅を出た。
上熊本駅までは5分もかからない。
どうしようか迷ったが熊本駅を目指した。
幸い土曜日だし、この時間帯(7時前後)は渋滞が無い。
熊本駅の新幹線側の駐車場にクルマを停め駅舎に入った。
通勤時に毎日来ていた場所だ。
白川口よりJQカードで改札を抜け新しい上りのホームに向う。



駅の構内にもホームにもJRの関係者が多い。
始発からの切り替えでいろいろと点検事項もあるのだろう。



8時1分発の電車に乗った。



運転席にも運転手のほかにもう一人乗り込み確認をしている。
発車まで少し手こずっていたがなんとか走り出した。
レールの切れ目が気にならず、電車はスーといった感じで走り出す。
3分くらいで上熊本駅に到着した。



上熊本駅で降り、外に出てみた。
木をふんだんに使った駅で、風除けも木ならばホームの足元も木が使ってあった。
上熊本駅前では記念の式典があるのだろう、関係者が忙しくしていた。



下りの電車に乗り込み外を眺めていると新幹線と同じように熊本城がはっきりと見える。



新幹線が隣を通過して行くが熊本駅にすべての列車が止まるため、新幹線はあまり速度も出ていないためシャーという音で通りすぎていく。
残念ながら下りの列車は高架駅でなく、今までの在来線の1番ホームに到着した。
熊本駅ではさらに高架工事が行われ何年か後にはすべて高架が完了する。
高架走行の一部だったけど、新しい上熊本駅も見れたし、実際乗車も出来たわけで、新しい熊本の幕開けを体験できたのだ。



新幹線の下の線路(今までの在来線)には立ち入らないようにロープが張られていた。
在来線と新幹線の乗り継ぎは一旦一階まで降りなければならないのが少し不満であるがいずれどうにかなるのだろう。

青カエル

2015-03-08 21:14:00 | 熊本の風景
今朝方の2時半頃に目が覚め、一時間ばかり起きていた再びベットに入り熟睡だった。
起きたのが7時半、夜中に起きた分遅かった。
今日は天草パールラインマラソン、応援に行こうかと思ったが明日から天気が悪くなるようで今日のうちに走っておこうと断念した。
朝飯を食って壷井川遊水公園に向い公園内を一週軽いジョグで走った。
しっかりとカウントして今日は1232歩だった。
1.8kmだからそんなモンだろう。
200歩から300歩あたりがくるしかったのでそのあと500歩をインターバルで2本踏んだ。
公園の端で北熊本駅に目が行った。



ホームに人だかりが出来ている。
公園の堤防を降り、北熊本駅に向い改札を抜けホームに行って見た。
多くの鉄道ファンがカメラを構えて青カエルを撮っていた。
なんだろうと思ったら、青カエルのさよなら(引退)セレモニーのようだ。
5101Aと5102Aが連結している。
いつもは別々に単体で運行しているので連結しているのは始めて見た。



プーと警笛を鳴らし北熊本駅を電車が出て行く、しばらく行った先で折り返してきた。
カメラマンはその姿を撮っているのだ。
しかし私としてはカメラに目が行ってしまう。
EOS7Dや70DなどCANON製が多いようだ。



カメラマンの一人が言うには沿線にもカメラマンが張り付いているようで、このあと上熊本駅までのさよなら試乗があるのだろう。
知っていれば一眼を持ってくればよかったと思ったがポケットにデジカメを入れていて良かった。



帰り際には4台の電車のスナップまで撮れたのだ。
今月内で1台の青カエルが引退するようだ。
3月はこんな別れの時期でもあり、熊本市内では在来線の高架運行が14日だったけ始まるのだ。

垂玉温泉

2015-02-16 21:06:44 | 熊本の風景
この日も妻が病院まで迎えに来てくれた。
ちょうど昼飯の時間だったので近くに出来た喫茶店のようなところで食事をした。
昼から4時間ばかりの時間が出来たので、垂玉温泉に行った事あるか聞いてみると、ないという。
風呂の準備はしてこなかったので温泉が目的ではない。
当然運転は妻であり、私にハンドルを握らしてくれない。
助手席に座る娘がナビに向って目的地を入力する。
光の森周辺は渋滞が多く、ナビはその渋滞している道に出るように誘導する。
私がそこを真っ直ぐに行けというと、ナビは100m先を右に曲がれという。
妻もどっちを優先したら良いのか困っている様子だ。
やっと阿蘇までの主要幹線道路に出る。
立野近くで右車線に入るように言うがなかなか信用してくれない。
いつもこんな感じで喧嘩が始まるのだ。
それでこちらが黙っていると勝手に右折したり左折したりして、いったいどこに連れて行かれるのかわからなくなることが多い。
来た道を戻ることも出来ない、方向音痴なのだ。
右折する交差点の手前でやっとナビが右折のアナウンスをする。
我が家のクルマのナビは女性の声だ。
右折して高森方面の道を走る。
垂玉温泉ももう何十年前に一回行ったきりで左折のポイントが分らないのでナビに任せた。
ナビが左折のアナウンスをするのに妻は真っ直ぐ行ってしまう。
「俺の言うことも聞かないが、ナビの言うことも聞かない!」
というと素直に認めた。



細い山道を登っていくと突然古ぼけた宿が見えてきた。
山が深く、滝から水が落ちていてなんとも雰囲気のある場所だ。
古い旅館に赤色のポスト、これが垂玉温泉の山口旅館だ。
クルマを降りると硫黄のにおいがする。
前来たときのことを思い出す。



部屋のコタツには温泉が流れていてそれが暖房の代わりをしていた。
温泉は濃い白濁した温泉だったように記憶している(記憶違いかも知れない。
妻も娘も気に入ったようで、今日は下見ということで次回はぜひ温泉に入りたいものだ。



山口旅館から阿蘇登山道へ抜ける道があったのだが、ナビは反応しない。
その道から登山道に出て阿蘇ファームランドを目指したが、登山道への道は通行止めになっていた。
しかたなく来た道を引き返すが、再び妻が娘にどっち?などと聞いていた。

鉄砲小路

2015-01-29 20:25:05 | 熊本の風景
朝から午前中はフリーになった。
前回一著に行ったオヤジと病院をぬけて近くの温泉に行くことになっていた。
食事後すぐに外出届けを出し彼を待っていると、なにやら看護士たちともめているようだった。
彼が言うには、脚が悪いので途中こけて骨折でもしたら外出許可がでないという。
彼は病院側からクルマの運転はダメということで病院内においてあったクルマも自宅に持って帰ったようだ。
彼の足では30分以上かかるだろうと思っていたし、この寒さでは帰りに湯冷めしてしまう可能性があるので、彼には申し訳ないが一人で出かけた。
病院の裏口から出て歩いていると、武家屋敷のような佇まいを思わせるような場所に出くわした。
家の敷地がもの凄く広くて、昔風の屋敷がありその横には小屋がいくつもある。
一軒の土地の広さにビックリ、いったい何坪あるのか検討もつかない。
そんな屋敷が通り沿いに何件も続いていた。
もちろんそんな屋敷郡の中には新しい家もあるが、庭の広さに驚くばかりだ。



大きな農機具を保管する倉庫がある。



また、道を隔てた反対側には、牛でも飼っているのか牛舎なのか豚舎なのか酪農をしているのだろう。
広大な一軒屋を囲む庭木、そんな家が永遠と続くのだ。
道を隔てた反対側の小屋の裏にはこれまた広大な畑が広がっている。
鉄砲小路と云うらしく江戸時代に肥後藩主(細川氏)が熊本城から鬼門に当たる地区にこうした鉄砲屋敷を作らせた名残(ネット情報)らしい。



畑には酪農用の家畜に食べさせる草なのか生い茂っていた。
また時期的には早いが人参用の畑なのか、きれいに耕してある。
後ろを振り向くと阿蘇の山々が見える、が中岳の噴火は雲にかかって見えない。
鳥の声が聞こえる。
<ひばり?>と思ったがどうなんだろう。
温泉にゆっくりつかり病棟に戻ると、同じ病室で暮らし退院していった青年から、私があげた退院祝いのお礼という事でみかんと手紙が届いていた。
乾いた喉に、甘いみかんの味は最高だった。

午後からの雨空を見ながら、今日(1月29日)は・・・。
そう13年乗った愛車の車検日なのだ。
夕方、妻が洗濯物を取りに来た。
クルマは愛車でなく新車が来るまでの代車だった。
今日の朝、クルマやさんが取りに来たという。
なんとも切ない気持ちになった。

植木まつり

2015-01-25 20:29:27 | 熊本の風景
朝9時15分、病院のロビーで新聞を開いて見ているとケータイがなった。
ロビーを出て目の前に妻と娘が乗ったクルマがあった。
妻と運転を変って、先ずどこに行くか聞いて見ると、朝飯がまだだという。
途中ミスタードーナッツに寄り、彼女らは朝セットとやらを、私は屋外のテラスで本を読んで過ごした。
小一時間ばかりゆっくりとして、さあ、どこに行くか?
今日は博多から帰ってきた娘もいるので、彼女の好きな温泉に行くことは決まっていた。
お昼にはまだ早いじかんだった。
昨日のテレビニュースで流れていた催しを思い出して<植木まつり>と言うと、娘がえらくのってきて行くことに決定した。
会場への道はもの凄い渋滞していた。
それでもなんとか駐車場にクルマを停め、会場に向う。
朝の10時半すぎだったけど、もうすでに買い物を済ませ帰ろうとする人たちもぱらぱら見かけた。
毎年のように出かけているが今回は40周年と云う記念の年だそうだ。
クヌギやみかんの木や盆栽から高さ4,5mもある立派な庭木などもある。
ある庭木には800万円の値札がついているものもあった。



でも流石、女性人たちはそんなのにはまったく反応せず、もっぱら食への思いが強い。
各地域の食材を見てまわる。
熊本の名産もたくさんある。



いきなり団子に豚足。



からしレンコンに阿蘇のとうきび(とうもろこし)などさまざまな食が並べてある。



なぜか海産物まである。
そう天草や芦北は海産物が豊富だし、山間の五家荘からは山女の塩焼きなどを売っていた。
当然われわれも昼食時ということで各自それぞれ買い求めた。



私と娘は紫がかったおこわ(名前は忘れたがシソやシラス?がはいっていた)、私は馬筋の煮込んだもの、妻は肉まん(阿蘇の赤牛?)を買ってきた。
当然それだけでは足らず山菜おこわを追加した。
お腹一杯になり、そのあと温泉に向ったのだ。

ピーカン

2014-10-15 19:50:43 | 熊本の風景
朝飯食って坪井川遊水公園にウォーキングに出た。
いつもの堤防を歩く。
5kmほど歩いていると何か腰が重い(痛い)腰の付け根(牛乳を飲むとき手をやる場所だ)を指で押すと痛みが出る。
まあ筋肉痛なので心配はいらないが念の為中断した。
台風一過の晴天。
あまりにも天気が良いのでドライブがてら熊本港に行ってみた。
ホントは天草あたりにドライブしようと思ったが、妻が遠いところは嫌のようだ。
自宅から熊本駅を抜け花岡山をくり抜いたトンネルを抜け田崎市場の横を通る道だ。
何とか大橋を抜け、アクアドームを左に見てあとは真っ直ぐな道を雲仙普賢岳を正面に見て熊本港まで走る。
しばらく行き大橋を渡れば熊本港なのだ。
つまり熊本港は干拓された離れ島になっているのだ。



ここからは長崎の島原までオーシャンアローというフェリーが発着している。
駐車場を探すがどこも満車だ、一番遠くの駐車場が空いていたのでそこに駐車した。
今日は平日なのになぜクルマが多いのだろうと思った。
待合室の建物に入ると中は切符売り場はもちろん、港カフェなるレストラン、物産館などもある。
港カフェなるものでドリンクなどいただき建物の外に出た。
すると黒い子猫が2匹愛らしい顔で迎えてくれた。
人怖じしないようで、おいでおいでをしていると、どうもお腹がすいているようで食べ物をねだっているようだった。



するとおじさんが売店でパンを買ってきたようでそのパンをちぎりながら子猫に与えていた。
するともう2匹大きな黒猫が現れたのだ。
その様子を見ていると親猫のようで家族のようだ。
妻と横並びで<タラララッタ ラッタタン タラララッタ ラッタタン>などとCATSのテーマソングを口ずさんでいると黒猫ではなく茶色の猫がもう一匹現れた。
<猫にえさを与え無いでください>の看板の下でそのおじさんはその猫にもちぎってパンをやっていた。



その茶色の猫はCATSの主人公のグリザベラのように年老いてくたびれた感じの猫だった。
私の頭の中は<メモリーの歌>に切り替わった。
どうも野良猫の様だがいったいどうして家族をなしているのだろう?
黒猫のほうは目がエメラルドグリーンをしていて日本の品種では無さそうだし、離島化している熊本港にあの長い橋を歩いて渡ってきたのだろうか?
飼い主がここに捨てたとしか考えようも無いのだ。
しばしそんな事を考えながら猫たちを見ていた。



堤防には釣り人たちがいて
「何を釣っているんですか?」
と聞いてみた。
ハダラ(ザッパ)を釣っていると言う。
このおじさん話好き様でこっちから何も聞かないのに釣りより口のほうが動いている。
ハダラはママカリ(岡山名産)の魚で日本ではどこでも釣れる魚のようだ。
下におもりの付いたカゴがありそれに撒き餌を入れ釣る、アジゴ釣りと同じ要領だ。



クーラーを見させてもらうと何十匹かのハダラが釣れていた。
そんなおじさんの話と釣れ具合を見ながら熊本港を後にした。



真っ直ぐな道を市内方向に走っていると目の前に阿蘇の噴煙が見える。
えらく今日は噴煙をあげているようで、数週間前の御嶽山を思い出す。
後ろは雲仙普賢岳、目の前には阿蘇、熊本はそういう所なのだ。

黒川温泉

2014-09-15 21:52:29 | 熊本の風景
娘が再び温泉に連れて行けと言う。
クルマに乗り込み約1時間半、着いたのは黒川温泉郷だ。
今では全国的に有名になってしまったところだ。
阿蘇五岳のカルデラを突き抜けやまなみハイウェイをしばらく走ると右折する。
それからしばらく走ると黒川温泉郷だ。
最初に妻を連れてきたとき
「えっ!ちょっと寄っていこうよ、雰囲気が良い」
などと感じた場所だ。
それはそれは都会の喧噪とかけ離れた場所なのだ。
町、いやいやそれはど田舎の一集落の山間の村に一本の川が流れる場所なのだ。
はじめてくる娘の目にも妻の感覚と同じ印象があったのだろう。
「良いね!良いね!」
などと言っている。
娘、何を感じたか



「あそこ、入ろう!」
私たちは何度か来ているので、娘の直感に任せた。
ここ黒川温泉郷は数十軒の温泉旅館が一体となり一軒の旅館が一つの部屋のような雰囲気を作り上げている。
有名になったので阿蘇地域や熊本の温泉地とは1割ほど高いといわれている。
娘が選んだ湯、中心地から少し離れた場所だった。



茂った林の中にあるようで自然の中の温泉のようだ。
料金を払い、妻と娘と別れて男風呂へ行く。
洋服を脱ぎ湯船に向かう。
先客は一人、林に囲まれた露天風呂だった。
川のせせらぎをを聞き、林からこぼれる日にさほど熱くない温泉につかる。
先客も上がって私一人の貸切状態だった。



湯船につかり林からの空を見上げる、至福のひと時だ。
そんな時間をすごし<女どもは時間かかるのだろうな>などと思い、喫茶が出来るようなところがあり<ビールありますか?>と聞くとあると言う。



至福の温泉に至福のビールなのだ。
そんな至福の時間を過ごしていると
「おとう!どこにいると!」
娘のこえだった。



初めて黒川温泉に来た娘のために温泉郷をぐるりと散策したのだった。

松島

2014-09-05 16:44:57 | 熊本の風景
妻は同じ団地の親友のジローちゃんの妻ひとみちゃんとバスツアーに行ってしまった。
「軍艦島ツアー」だ。
長崎の端島という炭坑島で今は廃墟となっているが狭い島に高層のアパートはあるわ映画館もあったと言われる、その狭い島に5000人も住んでいたという。
娘と行く予定だったが、娘も都合が悪く、私も会社の有志が博多で送別会をしてくれるそうでその日程と重なりそうだったからひとみちゃんを誘ったようだ。
朝6時に起きて7時前に交通センターまで送った。
家に帰り明日はクルマで行くか新幹線で行くか考えた。
クルマで行くならパジェロIOのオイル交換をしなければいけない。
ということで家を出たのだが、久しぶりに天気も良いし、天草方面へクルマを走らせた。
この頃は、糸の切れた凧のように家を出たらあちこちに向かうようになってしまった。
目的は、ランチだったり写真だったりする。
今日はカメラを持って出かけた。
釣り竿も持っていこうか考えたが、今日は下見で良いでは無いかと思いとどまった。
久しぶりの好天で三角までの道は海岸線を走る。



夕日に染まる砂の造形で有名な「おこしき海岸」だ。
写真にはうっすらとしか見えないが対岸は雲仙普賢岳だ。



一号橋を渡り大矢野を過ぎ2号橋まで来た。
パールラインマラソンで何度も走った2、3、4号橋だ。



5号橋を越え松島町のフェリーターミナルまで来た。
しかしフェリーも今は運航してないようで切符売り場も閉鎖されていた。
天草5橋が開通するまでは船の発着場として賑わっていただろう船着き場前には旅館や食堂が今も残っていた。



昔住んでいたことがある本渡の街まで行こうか迷ったがクルマのオイル交換と今日の晩飯は私の当番との事で食材を買わないといけないなど頭にあり松島から引き返した。



途中の道の駅や海の駅に立ち寄り新鮮な魚が安い値段で出ていた。
おみやげに買って帰ろうかと思ったがクーラーを持ってきてない。
まあ次回でも良いだろう。
オートバックスでオイル交換をすませ、その間に昼食を摂り、カレーの食材を調達して家に戻ったところだ。
娘は6時ころ、妻は8時頃の帰宅になる。
さあ今日は主夫となり、今からカレーを作るところだ。