打越通信

日記ふういろいろ

結婚式の後処理

2015-10-13 15:24:18 | イベント
2台の一眼レフはイトコのトシと甥っ子のジュンにお願いした。
トシにはEOS5Dに標準ズームとフラッシュをつけ、ジュンにはEOS6Dに70-200mmのレンズ付きを渡して撮ってもらうことにした。
そのほかにも娘と私のコンデジがあるが撮る暇は無かった。



ビデオは思いっきり充電をして神殿での式、庭でのセレモニーそして披露宴会場と固定して撮った。
32GBの内臓メモリーと5時間は持つという電池での撮影だったが披露宴の最後(退場)でメモリーオーバーで終了していた。



身内だけの式と披露宴だった。



テーブルでの写真撮影の時、妻のピアノ演奏もひっそりと5,6曲行った。



プロフィールビデオも事前にYoutubeで確認していたが、思ったより反応は良かったようだ。



神前の結婚式、親族紹介、披露宴と準備からすると丸一日がかりの結婚式も滞り無く無事に終わった。
しかし疲れるものだ、次の日からはさすがに何もする気がしなかった。
トシとジュンが撮った写真がそれぞれ400枚以上ある。
それに娘や親戚が撮った写真を合わせると1,000枚以上の写真が集まった。
今それをパソコンに取り込み整理している。
それぞれに撮った人の性格みたいなものが出ていて面白い。
しかし1,000枚以上の写真を一枚一枚見て表情を確認する。
とても時間のかかる作業なのだ。
これはと思った写真をA4に印刷して確認を行う。
いずれアルバムにして本人たちに渡すつもりだ。
それと参加してくれた親族に一冊ずつフォトブックにして渡すのもいいかな。
とりあえず撮影してくれたトシとジュンにはベストショットをフォトブックにして渡そう。
それとビデオの編集、これがまた大変のようだ。
アプリをダウンロードして操作を確認したところだが、これまた時間のかかる作業になりそうだ。
出来上がるまでにはしばらく時間が必要のようだ。

しめ縄作り

2015-10-04 21:44:50 | イベント
町内会の行事も月ごとにあっという間に埋まっていく。
埋まっていくのは良いのだが、何をするにも準備や実際の作業が必要になってくる。
あれもしよう、これもしようとぶち上げるのは良いが実行が伴わなくなってきている。
町内役員の高齢化に伴う健康状態も一つにはある(私も右手の痛みを抱えている)。
実際行事をやろうとすると役員が中心(役員だけで)になってやる、これにも大きな問題がような気がする。
もっと町内に働きかけを行い参加人員を募る運動に力を入れなければならないが、またそれも難しい。
今日の行事は打越神社の鳥居のしめ縄を作り新しいしめ縄と交換する作業だ。
これは町内会行事とは少し違うが宮総代を中心とした氏子が中心となって行う。



藁から手で編んで(綯(な)う)しめ縄を作る。
神社にはそれに伴う道具もあり、これを見ただけではどうやって使うのかわからないものもある。
しめ縄は3人それぞれに藁を編んでいき3本の縄をさらに編んで作る。
それを編む人、編む人に藁の束を整えて渡す人、編んだしめ縄を木にぶら下げて引き上げて行く人など等人数が必要になる。
この日は氏子の人たちが7,8名参加し子ども会の親子が数組参加があった。
しめ縄は最初は細くしだいに大きく編みそして細く編んでいく。
編み方は昔ながらの編み方があり、先ずは大人たちが手本を編み、子供たちに教えていく。



子供たちも熱心に参加してくれるので宮総代のヨネさんも真剣な表情で教えている。



なんとか皆でしめ縄を編み、次は形を整えるためハサミで飛び出した藁を切っていく。
形が整って出来上がりとなる。



父兄の皆さんのため記念撮影となる。



編み終えて鳥居まで運ぶ。
大人が古い去年のしめ縄を外し新しい縄をかける。



その間にヨネさんがふさ(というのか?)を3本作る。
そこで先ほどの道具が登場する。



新しいしめ縄が出来上がり参加した子供たちとで記念写真を撮る。
心配していた参加者不足の問題も無く、今年のしめ縄作りも無事終了する事ができた。
宮総代のヨネさんも子供たちの参加にえらく上機嫌だったようだ。

防災フェア

2015-09-26 21:21:47 | イベント
町内会の会議でも「こんな催し意味が無い」とか「実際災害が発生したとき避難通路が使えないから意味が無い」とか比較的批判的な意見が多かった。
しかし中には「こんな機会に体験するだけでも意味がある」という意見もあったのは事実だ。
災害に対する考え方は自助と共助とあるという。
自助とは災害が発生したとき自分で備え対応する事、そして共助とは町内や地域でともに備え対応することとある。
災害が発生し、良くテレビなんかでヘリコプターや自衛隊などに救出される映像が流れる。
しかしそういった特殊な救助で助かる人の割合と言うのは数パーセントに過ぎないそうで、自助や共助で助かる人の割合が大部分だそうだ。
まあそういう事であるならば、人の意見は分かれていても出かけてみる価値はありそうだ。
打越町では5つの班に分かれて、朝9時の爆竹を合図に5つの集合場所に集まり、一時避難場所の高平台小学校に集合となる。
我が5班の集合場所は打越公園だ。



集合場所にはマーのオヤジにフナコイのオヤジ、それに一軒隔てたお隣のお父さん、そして3人の子供を連れたおかあさんが集まった。
少ないけど皆で小学校まで歩く。
途中で津浦(高平校区第1町内)と合流する。
小学校に着くと各く町内から少数ではあるが集まっていた。



緊急車両もずらりと並びあまり好きでは無いパトカーまで来ていた。
興味を持ったのは自衛隊の装甲車?だった。



分厚い鉄板に簡素な室内、初めて運転席に座ってみた。
それだけでも来たかいがあった。
各町内ごとに整列し開会式だの挨拶だの始まった。
これがいけないのだ、何かというと儀式になる。
それから町内ごとに別れ体験学習を行う。









こんな事が有事のときに役に立つかどうかは別にして、災害への意識付けには良い経験だったかも知れないと思った。

夏祭り

2015-08-09 15:59:15 | イベント
夕立にも見舞われず無事に打越町夏祭りは終了した。
Book Bear(ブックベア)(本と熊 いやいや熊本)という小学生の女の子くまもと応援バンドがあり、そこを卒業した中学生の女の子のバンドが来てくれた。



熊本県内だけではなく全国的にもいろいろなイベントで活動されているようだ。
楽器は当然、マイクや音響設備も自前でセッティングしてもらい数曲を披露していただいた。



食バザーも盛況のようで焼きそば



焼き鳥や生ビールも良く売れているようで忙しそうだった。





ブルーシートを敷いただけのテーブル席も家族連れで楽しそうだった。
盆踊りやラムネの早飲み大会など楽しいイベントもあり小学生たちも楽しそうだ。



開始前に配ったうちわによる抽選会も熱気があり、司会者に詰め寄る小学生たちもいて、そのたびに注意の放送も流れる。
8時半前には無事に終了した。

夏祭りの準備

2015-08-08 11:44:21 | イベント
朝6時に打越公園に集合する。
結構な人数が集まる。
公園内に設置したプレハブの倉庫からテントの支柱を取り出して組み立てる。
少し前までは少し離れた公民館の倉庫から5張り分の支柱と天幕を運んでいたわけだ。



それだけでも随分と楽になった。




5張りのテントを組上げて公園内に設置する。



その間にも公民館からテーブルや椅子、プラケース、音響などの資材を軽トラ2台で運び込む。
テントの設営が終わると配電の作業を先に行う。
専門のグッチが手際よく配線していく。



それに電球を取り付け提灯をぶら下げていく。
電気が来ると音響のセットを行う。
ジローさんと私でアンプとスピーカー、CDとの接続を確認しながら組み立てる。
マイクのテストと音楽が流れるか確認しとりあえず終了する。

昨年は台風の影響で中止になった。
私自身も私的な事が重なり何年かぶりの夏祭りだ。
計画から実行までの担当になっているが今年もあまり貢献できていない。
自治会として年に一度の祭りになる。
熊本市内では火の国祭りなど大きな行事があっている。
小さな小さな祭りなのだが心のこもった祭りしたい。
そんな思いで皆で力をあわせてやっている。
町内の方、町内で無い人の参加もお待ちしてます。
小さな小さな夏祭りですがぜひご来場くださいませ。

8月8日(土)17:30より
北区打越町 打越公園(駐車場なし バス:高平南公園行き 津浦公民館前 徒歩1分 電車:熊本電鉄 打越駅 徒歩5分)


阿蘇カルデラスーパーマラソン

2015-06-08 18:09:56 | イベント
熊本駅に暴走老人を迎えに行く。
阿蘇への国道、休日の朝は結構混むのだ。
ゴルフなどで朝早く阿蘇に向った経験から、行楽の人たちや観光関係に従事する人たちがホテルや観光所への通勤なのか立野を中心に良く渋滞したものだ。
しかし今や4車線化は進み、ほとんど渋滞もなく進んだ。
波野支所まではナビに任せクルマを進めていると、まだ9時前だというのに100kmの選手たちが走っていた。
集合場所の阿蘇市波野支所に着くが駐車場はまだ空いていた。
クルマを降り外に出るとひんやりとした空気、そして硫黄の匂いがした。
中岳の噴火が風によりこちらに流れているようだ。
彼はさっそく受け付けに行き、私はブラブラとスタート地点をうろついた。
100kmの選手たちにとって50kmの中間点は最大のエイドステーションのようでうどんのような食料を補給している。
南阿蘇の谷間から外輪山を高低差500mを駆け上がって来たとは思えないほど元気だ。
時計を見ると9時ちょっと過ぎ、スタートして4時間が過ぎている。
50kmを走るという人(女性)と年配のオジさんと3人でランニング話に盛り上っていた。
そうこうしていると熊本駅からのシャトルバスが次々にやってくる。



子供たちの太鼓演奏が始まった。
そしていよいよ11時、50kmのスタートだ。
クルマに戻り地図を見て、応援場所をナビにセットするが、11時半までクルマは出られない。
30分遅れでランナーのあとを追い、裏道で先回りする。
産山村役場を目指したが交通規制にかかりそうなのでそのまま県道40号線で75km(50kmは25km)付近のロケーションが良い所を見つけたのでそこで待つことにする。



300mmの望遠をつけたカメラと標準ズーム2台のカメラを持ち構図を決めていると必ずと言っていいほどランナーたちが立ち止まってピースのポーズと取る。
100kmの人たちもきつそうで中には歩く人、足を引きずるように走る人、気温は20℃くらいでそう暑くも感じられないけど、走る人にとっては暑いのだろう、しかしカメラの前では笑顔を作ってくれる。
オフィシャルなカメラではないのだが、シャッターを切ったよ(切ったふり)と片手を挙げると嬉しそうに走り去っていく。
待つこと4,50分、やっと暴走老人が見えた。
まだまだ余裕の表情だった。
彼を見送り、次のポイントに向う。
左手にランナーたちを見てゆっくりと追い越していく。
ロケーションをバックミラーで探しながら、そしてクルマを停める場所を探しながら行くとランナーたちは左折して細い路地に消えた。
新緑の杉木立の中を進み、南小国町に出た。
急いで外輪山を降り内牧温泉に出た。
小嵐山(しょうらんざん)方面に向う。



ゴール近くから逆走になるがここら付近を走るランナーは青ゼッケン(100km)の選手ばかりだった。
95km(50kmでは45km)付近で路肩にクルマを停め阿蘇五岳をバックに撮影場所を探る。
時計を見ると15時近くだ。
30分待ったが来る気配が無い。
クルマを捨ててコースを逆に歩き出した。
小嵐山まで来てしまった。
幼い頃、良く来た場所だ。



その横道から選手が降りてくる。
生存確認と思い外輪山への坂道を登り始める。
上が後どのくらいあるのか分らないが随分と登ったところで彼とであった。
まだ元気そうで彼も私を見るなりビックリした様子だった。
写真を2,3枚撮り彼は降りていった。



歩いて来た道(4,5km)をてくてくと歩いて戻り、ゴールの阿蘇総合センター(内牧)に行く。
途中で彼からメールが入り、45kmから歩きになるとの事だった。
ゴールではすでに何人かがゴールし歓声の声があがっていて異様な雰囲気だった。



100kmと50kmはゴールが別になっているのだが、100kmのゴールにはかなりご高齢な方やご夫人も多くいた。
待つこと1時間弱、時計では6時間50分過ぎ、彼がやってきた。
手をあげてゴールし写真に納まった。
しかしその後は芝生に倒れ込み30分間は立ち上がる事ができないでいた。
下り坂は足に来る、100kmの人たちは高低差500mを駆け上がりそして下ってくる。
100kmのトップは7時間40分を切ったとの事だ。
なんとも過酷なレースだが100kmを7分半ペースとは驚きだ。
それもアップダウンの激しいクロスカントリーみたいなコースで、驚きとしか言いようが無い。
彼の回復を待ってクルマで自宅を目指したが、彼は助手席でシートを倒し寝ていた。

新年度

2015-04-13 23:05:17 | イベント
新年度になり27年度の1回目の役員会が公民館であるので向った。
打越神社にお参りして公民館に入ろうとしたが人気が無い。
時間を間違えたかと思ったがそうではなかった。
事務所で今日の会議の資料を作っていたのだ。
しばらく手伝いをして6時には資料も出来上がったが圧倒的に人数が少ないのだ。
いつも役員会は7時からになっているのに今日は6時からなのだ、皆さん勘違いしているようだった。



グッチの丸坊主頭が見えたので後ろから頭をつかんだ。
振り向いて
「なんね!ケンちゃんは真っ白たい」
とグッチが言う。
そういえばグッチとも久しぶりだった。



ジローちゃん夫婦とドライブで人吉に行ったとき
「ケンちゃん役員会に絶対行ってよ」
と言われていた。
そして自治会長(セイのオヤジ)からも来るようにと言われていた。
しかしここ数年来、親父の事や母のことなどあり4,5年ばかりご無沙汰している、そして突然の入院だったのだ。
会長が言うには名前はそのまま残してあるという。
会計の人が役員手当てを持ってきたが活動していないのでお断りし前回も会長にそういったので会計上の処理は会長に聞いてくれといってお断りした。
会議は今月末に予定されている新年度の組長会(総会)の資料の内容の確認だった。
数箇所訂正が出たが会議は30分程度で終わり、懇親会だった。



弁当を頂いてグッチが公民館の裏山で取ったタケノコをもらってマーのオヤジと一緒に団地に帰った。
体調のこともあり役員を辞退しようと思っていたが、新年度の役員名簿に名前がしっかり載っているし、あと1年ぐらいは貢献しようと思うようになった。

農業フェスタ

2014-11-08 16:30:05 | イベント
妻が右手の親指に何か分からないが細長いものを突き刺してしまったようで痛いという。
それでピンセットを持ってきて抜いてやろうとしたが根元まで入っていて頭の部分が出てないので抜けない。
早速、朝から病院に一緒に行った。
そしたら待ち時間が3時間だという。
「まあ人気の病院だからそれくらいは当たり前よ」
などと言っているが、いやはやだ。
予約を入れて3時間あるので農業公園に行こうと妻に言うと、良いよとの事だったので向かった。
実は明日、叔父の母の3回忌の法事に呼ばれているのだが、体調をくずしてしまった。
激しい嘔吐と下痢、病院に行き血液検査と点滴だった。
医師が血液検査の結果を診るとウイルス性の胃腸炎だろうと言う。
そういうわけで今回は近くに住む叔父に香典とお供え物をお願いすることにする。
それでお供え物に果物が良いのかなと思ってここで探すことにするのだ。
熊本農業公園(アグリパーク)は冬場には植木祭りという結構ロングな催しモノをしているところだ。
土日となると駐車場も一杯だし会場にも人があふれている、今回の農業フェスタは2日間の催しなのでそんなに混んでないと思っていたが、何のことは無い、植木祭りより少し少なかったが結構な人出だった。



会場には県内の農業高校生たちの姿もあり、高校で作ったマーマレードや名前なんだっけ(ヨーグルト)、ソーセージなどを売っていた。
妻はというと阿蘇の赤牛のサイコロステーキ(300円)に目が行き、目的を伝えているのに困ったものだ。



会場をぐるりと一回り、会場横にはひまわりとコスモスが時期的には遅いと思ったがまだ咲いていた。



そして子供たちの遊具もしっかりと設置されていて子供の声がまわりに響いていた。
会場ステージにはあの人気キャラのくまモンも来るそうで子供たちも楽しいのだろう。
あるブースでメロンを見つけた。
メロンとみかんがセットで化粧箱に収めてある。
それで、メロン2個をその化粧箱に作れますかというと、良いよと返って来たのでそれにした。
近所に住む叔父にも1個買った。
目的は果たせたので妻はサイコロステーキを買いに行った。



ベンチに座り美味しそうに食べているのだ。
妻の手を見るといつの間にかレジ袋がいくつか下がっている。
大坪の梅干、落花生、里芋などなどだ。
熊本は寒い朝だった、そして夜から雨が降る予想だ。
明日まで開催との事だ。

打越神社例大祭

2014-10-23 16:58:15 | イベント
結婚して上の子が生まれ土地を買って家を建てて、この打越町に住むようになって27年目になる。
引っ越してすぐに下の子が生まれた。
したがって我が家では下の子だけが打越(菅原)神社の氏子という事になるわけだ。
27年になるがやっぱり私たちは地の人たちからすると参入者なのかも知れない。
だけど町内役員等で老人会や子供会、婦人会などとふれあっているのだ。
今日はそんな行事の中の宮総代主宰の打越神社の例大祭がある。
当然、町内役員もお手伝いと例祭に参加する。
27年住んでいて2回目の参加になる。
大体平日に行われるため仕事の関係で今まで参加できていなかった。
宮総代のフナコイから電話があり台風の影響で今日に変更になったのだ。
午後2時半公民館に出かけた。
神社にはすでに幕が張られ高平神社の宮司が来られていた。



神事のことは良く分からないが供養のための鯛や果物などお供えする。
打越神社は菅原神社なので天満宮の筋に当たるので九州では大宰府天満宮の筋に当たるようだ。



神社の鳥居の前には、神を導く猿田彦の石像がある。
1851年、嘉永四年に建てられたものと何かで知った。
神事は良く分からないが例大祭が始まった。
どうも町(里)の安全を祈願する祭りらしい。



神事が進み神楽が始まる、首を垂れてみそぎを受ける。
神事は約30分で終わり、公民館で懇親会だった。
神社と鳥居にかかるしめ縄には由来があるようで、しめ縄自体は雲、垂れ下がった縄は雨、そして紙で作った紙垂(しで)というのが雷との事だ。
紙垂(しで)、当然、猿田彦の石像にもつけるのだ。



公民館でお神酒をいただき無事に打越神社の例大祭は終わった。

秋刀魚としめ縄

2014-10-06 17:49:12 | イベント
いつもとおり7時前に目が覚めた。
朝飯を食って庭の草取りだ。
台風18号の影響で風が吹いてきている。
テレビでの報道では熊本への直撃は無いが、今日の秋刀魚は大丈夫なのだろうか。
そう思っている8時半、ジローさんからメールが届いた。
<ケンちゃん、台風の風が強いので風対策をするので早めに来て>
事前の連絡では9時半からの事だった。
慌てて公民館に行くと銀友会(打越町の老人会の名前)の人たちがもう準備をしていた。
ジローちゃんとグッチが作ったバーベキュー用のコンロ(ドラム缶を半分に切って足を付けたのも)を取り出し、さあこの強風の中でどうやって火を起こそうか考えた。
新聞紙やゴミで火を点けるとこの強風では飛んでしまい危ないのだ。
公民館の台所に行くと、あったあったカセットボンベにつけるバーナーがあるではないか。



早速それで炭に点火した。
一度点火してしまえばお互いの炭同士で点火する。
そうこうしているとノボルのオヤジとマーのオヤジがやって来た。
約30匹の秋刀魚を焼くのだ。



でも台風の影響で風が強くそして舞っているので目は秋刀魚の煙で大変だ。
秋刀魚の焼く匂いで公民館の中も煙が漂っていた。



やっと焼きあがって良い火だねと言うので、ジローさんと買い物に出た。
そう残った炭火で焼き鳥をしようとの考えだ。
一人1000円出しでジローちゃんと買出しに出た。
老人会の会議後、皆で秋刀魚を食べる、恐るべし打越町の老人会なのだ。



私たちにも一膳が用意された。
ありがたい事に<○○さん、今日はありがとう>と老人会会長から言葉を頂いた。



老人会の催しは無事に終わり、その後打越神社のしめ縄作りがあるのだ。
マーのオヤジが最初の縄を編む、そして右から左の合図でしめ縄が編まれていく。
台風の影響で雨も降ってきた、だけど長老が言うにはこういう湿った時が良いようで、カサカサした状況ではわらがかさついいて編みにくいようだ。
ジローちゃんとそういう風景を見ていて
「打越町も捨てたもんじゃないね」
編みあがって会長のセイのオヤジ(自治会長)
このまま鳥居に取り付けると言う。



台風の風が強いので危ないと思ったが、会長の命令なのでしょうがない若手の二人がと取り付けた。
私とジローちゃんはこの後の飲み会にためスーパーで買って来た鶏肉をフライパンで炒めた(もうすでに炭火は雨のため終了していたのだ)。
約10人で炒めた鶏肉で久しぶりの宴だった。



清めた酒に焼酎、セイのオヤジにレシートを渡すと
「安いね、ケンちゃん上手」
と言って4500円分をも貰ったのだ。
ジロー、グッチ、自治会長のセイのオヤジ、ノボルのオヤジ再びの付き合いが出来るのか。
それはテラのオヤジ、そしてケイのオヤジが握っているのか?

25周年記念行事

2013-10-29 20:20:56 | イベント
約90戸からなる我が団地。
今年で入居以来25周年を迎える。
前回は20周年記念行事を少し大々的に行ったが今回は有志のみで有料の参加だった。
約30名ほど(いやいやもっと多かったかも)、テラのオヤジの司会で始まった。
ただブルーシートを敷いただけの会場。
この団地に入って最初に住民会なる組織を結成された長老のご挨拶があった。
大正生まれの方だからもう87歳、いやはやお元気だ。



我が団地はNTTや自衛隊、大手建設会社、学校の先生など多く、だけどもう引退されている方々が多い。
25年ということは平成と同じ年齢、実に4分の1世紀となる。
ここで生まれた子供たちもすでに成人し独立している。



団地にそのまま居る子の方が少ないだろう。
事実、我が家も2人の子供たちも博多に居るわけだ。
高齢化が世間では言われているがこの団地もまさしくその様な状態になってきた。
高齢になるとバリヤフリーのマンションが便利だと家を売って出て行かれた方もいる。
でも世間付き合いが無くなり、孤独死という恐怖もある。
そんな事を考えるとこんな懇親会は非常に大事な事になるようだ。
お酒も入り、次の春はこの打越公園で花見をするそうだ。



最後は小学校の校長先生をされていたMさんのハーモニカ演奏で締めくくりだった。
そういえば12月でこの25年、裕福でない私たち夫婦を苦しめてきたモノが終わる。
子供の学費や景気低迷で賃金は平行線、そんな状況でもお構いなしに差し引かれていた。
我ながら良く耐えたものだ。

第33回豊かな海作り大会

2013-10-28 20:24:36 | イベント
水俣はご存知のように水銀に犯された海に泣いてきた事実がある。
水俣というと世界に通用するところでもある。
去年、沖縄が会場だったこの大会は今年は熊本県が開催県になった。



そのメイン会場が水俣市だった。
あいにくテレビでしか観れなかったがとても天気が良く、素晴らしい大会ではなかったろうか。



今日の新聞で知ったのだが、熊本から九州新幹線で水俣入りされたという。
当然、専用列車だけどいつも乗っている新幹線で水俣入りをされるとは、なんとも身近に感じらてうれしかった。
テレビでは天皇皇后両陛下が放流の場面が映っていた。
天皇の笑顔、皇后の笑顔が素晴らしかった。
水俣病が発生してもう半世紀以上経ってしまった。
初めて水俣をご訪問された天皇皇后両陛下にはどのように映られたのだろう。
水俣病に苦しんでこられた患者さんたちにとってはとても素晴らしい出来事だったろう。



暗い水俣の歴史、それを変えようとエコを前面に出し、なんとか暗いイメージを払拭しようとした。
「エコで飯が食えるか!」
などと批判された。
それでも強い意思を持ち続けその結果、今の「エコシティー水俣」がある。
天皇陛下と皇后様のご放流を見ていて涙が流れそうになった。
父が生きていれば満足そうなあの笑顔が目に浮かぶのだが・・・。
早速、仏壇に行き父に報告した。

清正公まつり

2013-07-29 20:54:24 | イベント
土曜日はまったくダウンで寝て過ごした。
翌日はすっかり疲れもとれ、蒸し暑い中温泉でも行こうと声をかけると妻が乗って来た。
ネットで清正公(せいしょうこ)まつりの道順と通過時間を見て出かけた。



温泉からの帰り、時間を見るとちょうど良い時間だ。
仁王さん通りに入ろうとすると交通規制がかかっていて入れない。
近くのコインパークにクルマを入れ、少し歩いたが、横町縦町と言われるところまで来た。
コンビニに場所をとり前を見るとNHKのカメラが来ていた。
壷川小学校の方から太鼓やドラの音が聞こえるが、なかなかこちらまでは遠い。
NHKの人たちの声が聞こえる。
取材場所の確認と何を撮るかを話し合っていた。



このまつりは私も始めて見るまつりなので何がなんだか分からない。
事前に調査しておけば良かったなと後悔だ。
加藤神社の神幸行列のようで、15時に加藤神社を出て、市内の一部を回るようだ。



先頭の人が通過し、鮮やかな服を着た人たち。
船の形をしたみこしの上で太鼓を叩く女の子たち。
みこしを担ぐ人たちを良く見ると、このみこしにはクルマが付いていて、押しているだけだった。



子供たちも元気よく、千人清正行列と言われているらしい。



馬に乗った人は誰だろう。



行列はかなり長く、仁王さん通り一杯に長蛇の列を作っていた。
これから上通り、下通りを練り歩き、御幸坂から加藤神社に戻るのだ。



今回で39回ということらしいが初めてのまつりに、城下町の雰囲気とマッチしていた。

博多祇園山笠

2013-07-14 10:04:50 | イベント
今年もいよいよ山笠が始まっている。
駅前には巨大な山笠が登場し、存在感をアピールしている。



駅前商店街の今年の表標題の絵柄は八重のさくら。



そして見送り標題はサザエさん。
回りにはデジカメやケータイで写真を撮っている人で一杯だ。
今年の追い山は7月15日、見にいけそうも無いようだ。

今日客先からの帰り、えらく道が混んでいた。
ラジオをつけると「追い山ならし」があっているという。



博多祇園山笠が終わると博多にも夏がやって来るといわれているそうだ。

餅つき

2012-12-24 10:49:09 | イベント

当日は田舎に法事の用があり、恒例の餅つき大会には出席できなかった。
それで前日、町内会長のセイのオヤジにコンデジを預けた。
15枚くらいで良いと言ったのに、50枚近く撮っている。
オヤジ達の写真は取り除いて、何枚か編集してみた。
町内会長さん自らが写した、打越町内餅つき大会だ。











法事には叔父であるてっちゃん、そして伯母と三人で出かけた。
熊本市内から約二時間。
叔父といっても歳は10くらいしか離れていないので兄貴みたいなものだ。
私はキャノン派、彼はニコン派の違いはあれど、彼もカメラが趣味で、写真談義に盛り上がった。
法事は10時に始まり、なんと一時間半のお経だった。
最初のうちは正座をしていたが、チーンと鐘の音が鳴るたびに再びお経が続く。
長い長いお経だった。
法事を終えて自宅に戻ったのは五時すぎ。
町内会長のセイのオヤジがコンデジを持ってきた。





写真を見ていると去年の事を思い出す。
昨日来てくれたお母さんのような方、打越に住んでいた時は、毎年もちを買いに行くのが楽しみだとおっしゃっていた。