打越通信

日記ふういろいろ

時がながれ

2019-02-24 19:35:33 | 日記ふう
1月2月と過ぎていく。
今年は花粉の拡散が早いのか、そのあたりはよくわからないが、アレルギーが出ている。
まあ、アレルギーかどうなのかはわからないが、風邪(特にインフル)ではなく、クシャミや鼻水や体のだるさだ。
病院に行けば風邪やインフルではないと判断するようで、アレルギーの薬を処方する、だからアレルギーだろうと思うのだ。
熱もなく少々からだがだるいだけで、自宅のマンションの狭い部屋にいてもしょうが無いので、出かけることにした。
博多駅からソニックに乗り込んだ。
目指すは門司港、小倉で在来線に乗り換える。
7,8番乗り場にある「かしわそば」の立食いそば屋による。
ここは結構有名で、午後1時前だったが人だかりが出来ている。
ソニックで降りた車掌も帽子と上着を脱いで立ち食いそば屋の食券売り場に並んでいる。
厨房の中ではおばちゃんが、そばにうどんにてんてこ舞いの忙しさだった。
当然初めてではなく、過去には嫌というほど通っていた時期があった。
そばを食い終わって在来線で門司港に向かう。
ここ十年ばかりで門司駅周辺はずいぶんと変わった。
高層のマンションや近代的な住宅が立ち並び、あの当時のうす暗いイメージが変わってしまった。
2駅で門司港駅に着いた。



数年間の修復工事でやっと昔の駅が復元していた。
しかし昔の門司港駅と少し違った印象を受けた。
駅舎の色も昔はまだピンクがかった色だったように思うし、ずいぶんとしゃれた色になっていた。
レトロ門司港のシンボル的存在なのだ。
駅前から門司港ホテルまでの道沿いは今も変わらない風景だった。



仕事で叩きのめされ門司港駅までの帰路、通った交差点も昔のままだ。
駅横にある喫茶店(白人のマスターがいた、焼きカレーがうまかった)は閉店していた。
いまではインバウンドたちが我が物顔で行き来していた。
港のたもとにあるビール工房(レストラン)に行った。



3階の木漏れ日が入るテーブルに案内された。
窓からは仕事で通った会社が見える。
とんでもなくつらい仕事だったが、つい最近その当時を知る同僚と飲む機会があり、今でも取引がうまくいっているという。
数年間通い続け、後輩に指導をし、それが今でも生きている、なんともうれしいかった。
木漏れ日の中しばし窓の外を眺め過ごした。



門司港はすでに過去のものになろうとしているが忘れられない場所になった。



門司港駅までの海岸線を歩いていると、ポメと出会った。
ビン(メス2歳)飼い主(若い女性)と会話をして撮らせてもらった。
門司港駅から小倉に戻った。
帰りの切符を買うためだ。
何度も失意の中で行った立ち飲み屋に入ってみた。
一品頼むごとに現金で払っていたが、今では店を出るとき一括払いの店に変わっていた。
かわいい店員の娘も今は居ず、外国人店員が対応するように変わっていた。
小倉からは新幹線に乗り込んだ。
熊本に帰るため、さくらを待ったホームだが、博多駅までの一駅なのでこだまでものぞみでもなんでもいい。
来た電車に乗り込んで2月の日曜日は終了した。