せっかくの10月の休日、運動不足を補うためウォーキングに出かける。
クルマで出かけるか電車に乗って出かけるか迷ったが電車で出かけた。
博多駅から各駅停車で鳥栖で乗り換える。
しかし乗り換えに1時間ばかり時間が出来た。
鳥栖駅を出て近くをブラブラするとJ1のサッカーの試合があるようだった。
ブラブラとスタジアムまで行ってみる。
サガン鳥栖とFC東京の試合があるようだ。
試合前の雰囲気だけ頂いてJRの陸橋を渡っているとななつぼしがやってきた。
あれれと思っていると私たちが降り立った7番ホームに停車した。
佐賀行きの各駅停車の発射時間までまだ30分以上あったが改札を入りななつぼしが停車するホームに向かった。
遠目には何度も見ているが近くで見るのは初めてだった。
停車しているだけでドアは閉まったままだった。
時間調整しているのかしばらくすると警笛を鳴らし発車していった。
長くなりなりそうなのでこれくらいにして各駅停車の電車で吉野ケ里公園駅に着く。
公園までは700mくらいだろうか、田舎道の稲穂が並ぶ道を歩く。
あまりの晴天で帽子を持ってくるのを忘れたことを悔やんだ。
吉野ケ里はもう数十年ぶりだった。
確か人骨の入った瓶が発見されたころに来た以来だ。
正面玄関には立派な建物がありその昔の頃とは全く違っていた。
切符(460円)を買って中に入る。
すぐさま案内人の人が来られてパンフを頂く。
笠帽子(無料貸出し)がありそれを受け取って地図を見ながらしばらく案内をしてくれた。
地図を見ると縦長に広大な敷地があるようだ。
園に入り右手から回ることにした。
各エリアが村になっているようで竪穴式の家が立ち並ぶ村にやってきた。
その一つの住居に入る。
半地下の住居で夏は涼しく冬は暖かいからだと案内人の人が言う。
火起こし場の上に竹で編んだすのこのようなモノがある。
ここで火をおこすので火柱が飛ぶのをこれで抑えるためだという。
発掘して柱の位置など正確に再現されているという。
高床式の蔵や祭場なども再現されていてこれぞ弥生時代の村の再現だった。
しばらく歩くと北墳丘墓(きたふんきゅうぼ)に来た。
むかし来た時に展示があっていた「人骨の入った瓶が発見された」場所だった。
ここも立派な建物が建っていて、発掘されたそのまま(本物)展示されていた。
発掘された品々も膨大な量のようで瓶などに至っては今での修復(バラバラになった破片をつなぎ合わせて)作業がされているという。
これだけの量が発掘され邪馬台国の古代ロマンが眠っている。
弥生時代は中国では三国志の時代だという。
戦が嫌になった結構位の高い人たちが朝鮮半島を渡ってきたのではないかといわれているそうだ。
公園はかなり広い。
その広大な公園の草むらに寝ころび空を眺める。
邪馬台国の卑弥呼、どういう人だったのだろうか。
現代の今にまでもその名前が伝えられる人物だ。
横で寝ころぶ家人が云う
「何か懐かしい気分、私、卑弥呼の生まれ変わりかもよ」
古代へのロマンが一気に・・・。
クルマで出かけるか電車に乗って出かけるか迷ったが電車で出かけた。
博多駅から各駅停車で鳥栖で乗り換える。
しかし乗り換えに1時間ばかり時間が出来た。
鳥栖駅を出て近くをブラブラするとJ1のサッカーの試合があるようだった。
ブラブラとスタジアムまで行ってみる。
サガン鳥栖とFC東京の試合があるようだ。
試合前の雰囲気だけ頂いてJRの陸橋を渡っているとななつぼしがやってきた。
あれれと思っていると私たちが降り立った7番ホームに停車した。
佐賀行きの各駅停車の発射時間までまだ30分以上あったが改札を入りななつぼしが停車するホームに向かった。
遠目には何度も見ているが近くで見るのは初めてだった。
停車しているだけでドアは閉まったままだった。
時間調整しているのかしばらくすると警笛を鳴らし発車していった。
長くなりなりそうなのでこれくらいにして各駅停車の電車で吉野ケ里公園駅に着く。
公園までは700mくらいだろうか、田舎道の稲穂が並ぶ道を歩く。
あまりの晴天で帽子を持ってくるのを忘れたことを悔やんだ。
吉野ケ里はもう数十年ぶりだった。
確か人骨の入った瓶が発見されたころに来た以来だ。
正面玄関には立派な建物がありその昔の頃とは全く違っていた。
切符(460円)を買って中に入る。
すぐさま案内人の人が来られてパンフを頂く。
笠帽子(無料貸出し)がありそれを受け取って地図を見ながらしばらく案内をしてくれた。
地図を見ると縦長に広大な敷地があるようだ。
園に入り右手から回ることにした。
各エリアが村になっているようで竪穴式の家が立ち並ぶ村にやってきた。
その一つの住居に入る。
半地下の住居で夏は涼しく冬は暖かいからだと案内人の人が言う。
火起こし場の上に竹で編んだすのこのようなモノがある。
ここで火をおこすので火柱が飛ぶのをこれで抑えるためだという。
発掘して柱の位置など正確に再現されているという。
高床式の蔵や祭場なども再現されていてこれぞ弥生時代の村の再現だった。
しばらく歩くと北墳丘墓(きたふんきゅうぼ)に来た。
むかし来た時に展示があっていた「人骨の入った瓶が発見された」場所だった。
ここも立派な建物が建っていて、発掘されたそのまま(本物)展示されていた。
発掘された品々も膨大な量のようで瓶などに至っては今での修復(バラバラになった破片をつなぎ合わせて)作業がされているという。
これだけの量が発掘され邪馬台国の古代ロマンが眠っている。
弥生時代は中国では三国志の時代だという。
戦が嫌になった結構位の高い人たちが朝鮮半島を渡ってきたのではないかといわれているそうだ。
公園はかなり広い。
その広大な公園の草むらに寝ころび空を眺める。
邪馬台国の卑弥呼、どういう人だったのだろうか。
現代の今にまでもその名前が伝えられる人物だ。
横で寝ころぶ家人が云う
「何か懐かしい気分、私、卑弥呼の生まれ変わりかもよ」
古代へのロマンが一気に・・・。