打越通信

日記ふういろいろ

仕事と震災と

2011-04-15 22:49:26 | 淳の不定期日記
どうも。甥っ子の淳です。
お久しぶりでございます。

つい最近まで、仕事に追われていたので日記(?)を書く余裕がありませんでした。

大きな震災がありましたが、なんとか生きてます。
今日はそんな震災のおはなし。


3月11日は、都内大崎の本社には出社しておらず
埼玉の県民活動総合センターで宿泊研修でした。

研修も終盤に差し掛かった頃に、グラーン・・・グラーンと
「なんかユサユサ揺れてる?」
位の小さな揺れがあって、その後ゴゴゴゴゴ・・・とすごい音がして
窓ガラスや椅子が大きく揺れだしました。

幸い全員広場に避難して無事でしたが研修は当然中止。
30分ほど外で待機して、ロビーのTVで信じられない光景が
映っていました。
「ああ・・・ちょっと大きな地震だったな」くらいにしか皆思ってなかったので
NHKの上空からの生放送は衝撃的でした。


関東全域の交通網は全てストップし、
全国からグループ会社の社員が集まっていた研修で
地方参加組は、活動総合センターで一泊ということに。

会社の寮は埼玉県内で、活動総合センターからは20km
寮に住む社員は帰宅指示が出て徒歩で帰宅することになりました。

帰宅途中、一部地域では停電で完全に渋滞しており、タクシーも捕まらない。
道路は、会社員が自宅を目指して、まるで祭りの帰りみたいな状態に。

関東圏の脆さが現れていました。

5時間近くかけて家に帰宅し、幸い部屋や家財に損害はありませんでした。


次の週の月曜日は交通網が麻痺していたので、出社できず自宅待機。

そして火曜からが仕事が地獄に。

コールセンターのアラームが鳴り響き、
お客さんからはサーバやルータの障害の復旧要請、
そして私のような営業マンは1件1件お客様先を回り、
対応策と謝罪ひたすらこなしていました。

コールセンターからのエスカレーションで営業が
客先のサーバ機器類の復旧作業にも駆り出され
徹夜で復旧作業を行ったいの毎日でした。

インフラの片翼を担う会社でもあるので
エンジニアは緊急復旧のため東北地方に回され
残されたのはコールセンター要員と僅かなエンジニア
そして営業、総務などの中枢機能だけ。結果として、
関東圏内のサーバ機器類に復旧は営業たちも駆り出される事態となりました。

それも1週間で落ち着きましたが、関東では物資が足りず、そして連日の徹夜や夜間作業で
疲弊していました。

その後は、現在にいたるまで、大規模震災に備えての
機器の冗長化やUPS手配の要請など、電話が鳴りっ放しで
連日夜中までの仕事でした。

ようやくそれも落ち着き、22時には帰宅できるくらいまでになりました。

辛いけど、震災に遭われた方の苦労を考えると
一社会人としての社会責任を果たすためにも
がんばらないといけないなと、思います。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿