打越通信

日記ふういろいろ

博多での生活

2016-07-06 20:49:04 | 日記ふう
会社までは歩いて15分程度、往復で5000歩前後の歩数を毎日踏んでいる。
会社の事務所はビルの5階だが毎日階段を使っている。
しかし筋力の衰えは今回の入院でかなり落ちてしまった。



落ちてしまったというより老化が早くなったのでは無いかととも思う。
今では食欲もかなり増え、体重もかなり増えてきている。
前回の健康診断では問題の肝臓の値もすっかり標準値に戻り、血液検査では異常は無かった。
そして驚くことに、視力がさらに良くなり、両眼とも0.8と1.0まで回復しているのだ。
しかし良いことばかりでは無く、右手の腱鞘炎(?)はまだ回復はしていない。
右手の指もかなり曲がるようにはなったがまだ握れるまでには回復していないし、右腕の腱は突っ張ったようにまだ痛みも残っている。
まあ、生活に支障があるわけでも無いので完治するまで気長に待つしか無いようだ。
そして生活の方もだんだんとストレスもとれて来ているようで、心のゆとりも少しは出てきている。
毎日、アパートと会社の行き帰りだけで、以前のように飲みに出る事はめったにない。
会社は博多駅のすぐ近くで南側に位置している。



アパートは線路を挟んで反対側にあり、博多駅を通ることもなく、博多駅の南側の高架下をくぐり通勤している。
仕事を終えてビルを出るとすぐ前にはヨドバシカメラの派手なビルが待ち受けている。
博多に来る前は時間があると行っていた場所だ。
カメラを見たり、オーディオを見に行ったりとそのころは楽園のような場所だった。
しかしいざ博多に来てみるとまったく興味を失ってしまった。
なぜだか分からないが不思議なものだ。
仕事を終え、妻を呼び出して夕食をともにする事もたまにはあるが、あくまでたまにだ。
生活用品の調達などは美野島商店街やクルマに乗れば安売りのスーパーがある。
日々はそれで十分にまわっている。
こちらに来て2回目だったろうか、妻と博多駅で待ち合わせをする。



駅前には飾り山が建っていて、博多の街は祭りの雰囲気で盛り上がっていた。



新しく開店した丸井のビルも、狭いビルだが多くの人で賑わっていた。
いつもはビルが建ち並ぶ細い路地をてくてくと通勤し、ちょっと寄り道をするとうってかわって賑やかな場所になる。
通勤には音楽を聴いている。
今はピアノ曲を中心に聴いている。
イヤホンで聴くにはピアノの音が頭の中で心地よい。
そんな毎日が続いている。

生物たちは

2016-07-05 21:40:24 | 日記ふう
法事は伯父達が住んでいた古い家で行われた。
家を整理処分し仏壇を移すために行われた。
法事が終わりお坊さんを囲んで雑談をしていた。
当然、話題は熊本地震が中心だった。
今回の地震で莫大な被害を受けた阿蘇神社の話になった。
阿蘇神社の真下には地下数キロメートルというところに巨大な水瓶のようなものがあるという。
今回の震災の影響を阿蘇神社が一身に受け、周りの被害を少なくしたという。
確かにネットなどで調べてみると阿蘇山水系の上に阿蘇神社が作られたようだし、阿蘇神社の参道はたくさんの水基がありそれが観光の目玉にもなっている。
昔の人たちの知恵なのかも知れないが、この話には何かホットさせられる思いを感じた。
更に話は進み、何事にも災害というものはつきもので、災害を乗り越えてこそ本当の安らぎがあるのだ、というものだった。
災害の時に生物たちは異常な行動を起こすといった話になった。
ネズミやイナゴが大発生したり、ナマズが異常な行動を起こしたり、植物も異常な発育をするといった事だった。
人間だけはどうもそうでは無いようで
「今回の地震で良かったことは、母ちゃんが助けて!としがみついてきて夫婦の絆が深くなった事ぐらいだ」
とお坊さんは言っていた。
しかし
「人は災害を経験して初めて強くなる」
と締めくくっていた。



我が家に帰り、妻が買っていた水槽を眺める。
赤ドジョウの<どじ>ももう一年になるが元気にしていた。
それよりも<グッピー>には驚かされた。
妻が一匹飼っていたグッピーに私がメスを1匹買って水槽にいれた。
今年に入り何回目の出産だろう。
またまた赤ちゃんが生まれ10匹近い赤ちゃんが別の水槽で泳いでいた。



年の初めに生まれた魚は親と変わらない大きさまで育っていた。
そして庭に出てみる。



芝生も順調に成長していたが、花壇を見てびっくりした。
数年前に阿蘇の仙酔峡で買ったヒゴタイが大きく育っていた。
平地ではうまく育たないだろうと思っていたがいやはやだ。

お坊さんの言っていた事はあながち当たっているのかも知れないと思った。

帰熊

2016-07-04 20:22:48 | 日記ふう
熊本で法事があるので博多のアパートを8時ころに出る。
途中でお土産などを買い大宰府インターより高速に乗る。



久留米インターに近づいたころ急にクルマの列に並ぶことになった。
11時半から会食、14時から法事だというのにクルマは止まったまま身動きできなくなってしまった。
先方に電話を入れとても会食の時間に間に合わない旨を伝える。
筑後川の橋の上で1時間半から2時間近く待たされた。
久留米と広川の間で事故がありその影響だった。
その日はそれと別に鳥栖ジャンクションでも事故があり、九州道はほぼ一日通行止めが発生したようだ。
植木インターを出るとき料金表示を見て、妻が
「それでも取るか!」
と捨て台詞を吐く。

熊本市内に入るとあちこちで工事が始まっている。
ブルーシートをかけた屋根に足場がかかっていたり、壊れたアパートだろうか取り壊しを行っている。
ある所ではすでに取り壊しも終わり、鉄骨で骨組みが組まれていた。
熊本市内に入ると震災が現実であった事をつくづく感じさせられる。
しかしこうして復旧が始まったこともまた現実として感じることができる。
家に帰り土砂崩れの現場に行ってみた。



朝早いこともあり現場には重機が作業中のままの状態で置いてあった。
道沿いには土砂が流れ去った後がまだ残っていた。
ものすごい量の土砂が流れ出たようで、何台ものダンプが来て処理したそうだ。
その影響か団地の調整池もその土砂で流れが止まり、水があふれそうになったようだ。



自宅の近くでこんな大参事が起こるとは全く他人事ではない恐ろしさを感じた。
自宅にいる間にも余震は続いている。
梅雨もまだ明けきれていない今、災害がこれ以上続かないことを祈るばかりだ。