あじさい物語

七色の紫陽花のような日々の心模様
       

おひなさまをしまいながら

2019-03-12 22:29:58 | Weblog
こんばんは。

今日は、春でしたね。

朝の駅までの道すがら、紅い木蓮が空に向かって咲いているのを見つけて、「うわぁ~」と嬉しくなりました。

つぼみもあり、咲いているのもあり、今にも咲かんとするのもあり、子どもの頃「も~くれん」と駄洒落?を言って遊んでいたのを思い出します。

指宿の実家にも木蓮はあり、ままごとのごちそうに使っていました。
緑の草をむしろにして、ござ?今で言えばレジャーシートでしょうか。
春の風景には幼き頃のままごとが浮かんできます。
ちょっとかけた急須やおちゃわんを器に・・・。

「あれ、買って、これ買って」と言わない私でした。
ままごと道具は贅沢品、買うなんて思ってもいなかったと思います。

それと同じようにおひなさま。
私とあまり年の違わない姪っ子たちの家には立派な七段飾りがありました。
姉の家でそれを見ると「きれい!」と思っていたし、ほかにもお人形などもあり、楽しかったのを覚えています。

でも、自分でほしいとは思わなかった。

あれって、いま、思うと不思議ですね。

ほしいなあと思ってもいいはずだったのに・・・。


それは、我が家には贅沢品であり、必要なものだと思っていなかったのでしょうね。
よそのうちは(姉の家ですが)よその家、我が家は我が家・・・
そして、一生懸命働いている父と母を見ているから、そんなことは思わなかったということでしょうか。

ちっともほしいとは思わなかったのです。

で、長じて、家庭を持って、長女が生まれて母がひな人形を買ってくれました。

このときは「買ってくれる?」と言ったのかもしれません。娘のために・・・。
そして、母方の(私)の家が買うものと思っていたのかもしれません。
私の気持ちを母が慮ったのかもしれません・・・。

母は、大枚をはたいて買ってくれました。
どういうふうだったのか、よく覚えていません・・・。

無形文化財の米洲作の親王飾りを横浜の高島屋で求めました。

母が買ってくれたというのは事実です。

そのおひなさま、すばらしい親王飾りだと思っています。母が買ってくれたから。母の心がある・・・。



そして、今年は、おひなさまを10日の大安のお天気のいい午前中にしまいました。

例のごとく、ひとり三役の芝居を演じながら・・。

「今年もありがとう」
「また、来年、会いましょうね」
「会えてうれしかったよ」
「私も」
「お元気でね」・・・etc.


ふたりを向かい合わせました。



アップして(見つめあって)




ほこりを払いながら、かたづけながら、何度も「母ちゃん、ありがとうね」とつぶやきました。

母には本当に感謝です。
こんな高価なものを買ってもらってよかったのかしらと思うのです。

でも、娘たちが孫たちが喜んで毎年お人形を見ているということは、お空の母に見えていると思うのです。
そして、目を細めて「いいのよ、のりちゃん、みんなが喜んでくれているから」と言っているかなと自分勝手に思っています。

ありがとう、母ちゃん!



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする