2022年4月6日から断酒しました。その前、飲み過ぎていたということもあり、「飲み飽きた」という理由にしております。
断酒してから最初の2週間くらいは飲酒欲が強かった時期があったのを記憶していますが、その後はほとんど飲みたい欲もなくなり、1年9ヵ月ちょっと全く飲酒していませんでした。その間、飲みたいとも思わず、お酒にまつわる執着心とか、飲んだ後などに生じ得る嫌な気分、体調不良などからは全く解放され、自分では断酒生活を気に入っていました。
2024年1月下旬にイタリアに出張があり、ミラノ、ヴェネツィア、ブラノ島などを訪れ、まあいいか、ということで白ワインを飲んでしまいました。この出張中、2日間でワインを飲酒。
2月に鞆の浦で一回飲酒。高岡市での懇親会でおちょこにほんのわずか飲みましたが、これは無視できる量。
2024年3月は途中から解禁状態になってしまい、14日において飲酒。特に、3月の最後は23日から31日まで9日間連続で飲酒し、Finish。
それで、2024年4月に入り、新年度ということもあるのか、3月末に9日間連続して飲酒してやはり飲んでいる状態に不快感を感じ、再び断酒スタート。今日で5日目となりました。やはり飲まない方が体調が良いし、余計な執着心から解放され、心地よく感じます。
断酒についての報告は以上。
⇒ 順調に?断酒が継続されるものと思ってましたが、誕生日直前の4/7に、ここのところ低かったバイオリズムがさらに低くなり、酒に頼ってしまいました。。。さて、今後の展開はどうなることやら。。。(この部分、4/10に追記)
2024年1月30日から、坐禅を始めました。自宅でも出張先でも、毎日基本的に朝に15分間の坐禅を日課としています。今日で67日連続です。坐禅については、別のエッセーにて。
11月も中旬に差し掛かりました。相変わらず様々な業務の濁流?に飲み込まれないよう、何とか乗り切っている状況です。
12月29日に、2年連続で昭和記念公園でのハーフマラソンに出場するための登録をしました。良い目標になるので、週に2回くらいのランニングも楽しんでやっています。11月7日には初めて、大学のキャンパス内でランニングしました。私はキャンパス内を3周、5km強で気持ちの良い汗を流しましたが、学生たちも付いてきて、一人だけ2周、あとは皆さん1周のみ。おじさん教員が一番元気です。。。
4月に断酒をして、体は基本的にはすこぶる健康ですが、運動の量も適度なものを保っています。普段は忙しいので、日常生活で歩くこと、を運動の基本にしています。
ランニングするときもiPhoneを携帯して歩数を計測しているので、日常生活+ランニングもすべて含んだ歩数が毎日自動計測されています。各月の平均歩数は以下。
4月:10,035歩
5月:13,101歩
6月:9,923歩
7月:9,230歩
8月:9.615歩
9月:7,950歩
10月:10,249歩
ときて、11月はここまで12日間での平均は、12,400歩程度。今月はかなり歩数が多めです。
今年は6月辺りからやたら暑かったので、夏の暑い時期はランニングは控え、9月はやたら出張が多かったこともあり、歩数がかなり減っていましたが、10月に秋学期が始まって定常的な生活に戻ったので、また歩数が増えてきました。
10月21日から、10,000歩を下回る日が無く、昨日までで23日間連続で10,000歩以上歩いています。10,000歩以上の連続記録としては、私のスマホに記録が残っている範囲では最長記録のようです。
すごく小さな目標ですが、10,000歩以上の連続記録を伸ばす、という遊びがあるだけで、意外に日常は面白くなります。続けよう、という気持ちになります。
ほぼ毎日測っている体重も、5月下旬にストンと63kgくらいに落ちた後、ほぼ一定ですが、わずかに増えて63.5kg辺りが中央値です。11月後半くらいから年末、年度末へかけて、相当に業務の負荷がかかるので、おそらく62kg台に落ちていくものと思います。
本日は日曜日ですが、早朝に起床後、ポスドクの英語の投稿論文の添削。10時からはIMPコースの留学生のオンライン面談。その後、18日に締切りを設定された学内に新たに設置される組織のための申請書の作成(結構ヘビー)。ここまでは最低ノルマで、10,000歩を達成するためのウォーキングかランニングも差し込みつつ、適宜、気分転換も。読書欲も比較的旺盛で、いろいろ読んでます。
5月が終わりました。GWも含めてあっという間に終わったようでもあり、日々を振り返ると結構長かった1か月間でもありました。
仕事が結構忙しかったこともあり、夜は結構くたびれてベッドに入る日が後半は結構多かったように思います。朝食からかなりしっかり食べているつもりですが、体重は62kg台まで落ちてきました。私の骨格や筋肉の質ですと、61kg台はやせすぎで、そろそろ体重の底を付いてもよいかなとは思っています。
5月の一か月間は、平均歩数が13,101歩/日でした。通勤時に積極的に歩くようにしたり、ジョギングも含んではいますが、近年記録を付け始めてからは最大の月間歩数となりました。アクティブに動き回った印象を自分でも強く感じます。
1か月はあっという間でもあり、日々の習慣にしっかりと目を向けると、1か月をしっかりと生きることはそれなりの長さを感じる時間でもあります。日々の中にも、1週間の中にももちろんリズムはありますが、1か月くらいの単位でのリズムも気候の変化とも合わせて大事にしたいリズムです。
新年度に入って大学での私の業務に結構変化が生じ、自然災害ミチゲーション研究拠点長としての役割と、留学生オフィスのディレクターの役割について、2か月をそれなりに忙しく過ごし、やりがいを感じています。前者の方は学長や執行部からも期待されており、全学の会議等も開催されて動きが結構激しいのですが、10年前ならともかく、今は十分にその負荷に耐えられる状況で、タイミングも良かったと感じています。
断酒してから2か月が経過し、懇親会も何度か経験し、飲め飲めと勧められたときもありましたが、飲みたいと思うことは全くありませんでした。お酒を飲まなくても懇親会は大変楽しく、このまま習慣になりそうな感じです。
4月6日以降、毎朝の体操・柔軟体操も、一日も欠かさず2か月続きました。Running、ロードバイク、水泳を組み合わせた運動も適切に行っており、過去に何度か行ってきた生活習慣の改善の中でも最も高レベルでの改善を実践中かと思います。口腔ケア、カイロプラクティクやマッサージなどの癒し、読書・勉強等の投資、も組み合わせており、ここまで約半世紀生きてきての学びや経験を総投入しての生活です。
ここから夏場。体力を使う時期ですが、どんな月を重ねていけるか、自分でも楽しみです。
5月も下旬に入りました。
人間は習慣の生き物、とよく言われますが、習慣が変われば生活の質や結果ももちろん変わってきます。
平日はほぼ毎日4時ごろには目が覚め、徐々に活動を開始します。娘たちのお弁当箱を洗い、お弁当を作り、しっかり朝食を食べて、体操・柔軟体操をして、軽く浅めのお風呂(微炭酸)に浸かり、身づくろいをして、出勤します。今年の5月はあまり暑くなかったので、通勤も相鉄線の上星川駅から大学まで上り、帰りも上星川駅まで下りの日がほとんどでした。GW前くらいからほとんどバスに乗っていません。上星川からの上りだけで階段で20階分くらいの上りに相当するようで、通勤を活用した運動です。この運動は、夏場は暑くてきついので、継続するかどうかは分かりません。
2021年度末まで、結構、在宅勤務が多かったのですが、現在はほとんど無くなりました。遠方への出張が4月、5月と少なかったこともあり、職場へ行き、日中のスケジュールはほとんど埋まっているので、あっという間に夕方になり、上星川駅まで下る、ということを繰り返しているうちに一週間がすぐに過ぎ去っていきます。5月下旬から、遠方への出張が少しずつ増えてきそうです。
5月20日までの5月の一日の平均歩数が13000歩を超えている(Runningも含む)状況で、2021年10月が12,266歩/日でしたが、それを上回る平均歩数で、生活が活性化している状況が数字にも表れています。ちなみに、平均歩数の推移は、以下の通りで、2022年1~3月辺りは活動が停滞していた状況が歩数からも分かります。
2021年9月:7,503歩
10月:12,266歩
11月:9,853歩
12月:9,001歩
2022年1月:7,584歩
2月:7,269歩
3月:8,161歩
4月:10,035歩
5月20日まで:13,100歩程度
夜は19時台にはすでに眠く、脳や視力も疲れを感じます。20時を過ぎるとベッドに入り、本を読んだり、Youtubeでお気に入りの番組を聴いたりしながらすぐに入眠します。
お酒は変わらず飲んでおらず、45日が経過しました。以前、私と宴席をよくご一緒していた方々からは、「え?」とよくびっくりされますが、それはそうですよね。まあよく飲んでおりましたので。
酒に支配されるような情けない生活に終止符を打ちたく、4月5日の夜中に決断し、翌日から止めました。止める前は、「節酒でいいんじゃないかな、お酒飲むの楽しいしな」とほとんどの人と同じような考え方でしたが、断酒後に適切な知識を蓄えていきましたので、我慢ではなく「知識」で止めた状態であり、今は全く飲む必要を感じない状況です。ですので、我慢して止めているという状況ではないので、ご配慮無用ですし、懇親会で飲んでいなくてもご質問も無用です。
お酒を日常的に飲んでいるときは、お酒が楽しみなのですが、止めてしまうと他に楽しいことなど山ほどあるものです。ものすごくおいしいジュースの方がよほど飲みたいし、それこそコストパフォーマンスもはるかに高いです。
リラックスしたければお風呂に入った方がよほどリラックスできますし、マッサージやリンパドレナージュの方が心底リラックスできます。
体は正直でして、余分が贅肉がどんどん落ちていき、体重は63kg台に入りました。まだお腹周りなどに少し贅肉があるので62kg台くらいまでは落ちていくかと思います。
食事も、基本的には食べたいものを食べたいだけ食べて、全く太りません。炭水化物を極力減らす、というようなおバカなことは全くしたくないので、朝はごはんをしっかり食べます。卵かけご飯、卵かけご飯専用の鰹節、納豆、の組み合わせが今のことろすごく気に入っており、毎朝食べています。
この歳まで眼鏡をかけたことがないのですが、さすがに老眼のような感覚を覚えることがあり、3D立体視で目をトレーニングするマジカル・アイの本が家に2冊あるので、夜寝る前などに5分くらい視力のトレーニングもしています。これも趣味。趣味が非常にたくさんになりました。
以上のように、生活習慣が大きく変わりました。
息苦しくないのか?と思われるかもしれませんが、心身にエネルギーがみなぎっている感覚なので、仕事も講義も研究指導も楽しく、朝のお弁当作りから通勤の山登り、読書、睡眠まで、すべて自分のお気に入りの時間になるので、ストレスもほとんど無く、心地よい毎日です。
季節も変わったり、繁忙期がやってきたりと、数か月単位や1年単位の生活習慣となると、上記の一本調子ではいかないと思うので、模索しながら生活習慣を確立していきたいと思います。
今日も朝一番からジムでRunningと水泳、です。5月末締切りの論文の執筆を今日と明日で仕上げる予定。
GWが終わり、その後の一週間もあっという間に過ぎていきました。2022年度に入り、生活習慣が変わり、平日は娘たちのお弁当作りから朝がスタートするので、朝4時半までの起床と、そこからフルに活動して、夜は20時ごろにはすでにお眠で、読書しながら睡眠に入り、朝まで快眠というサイクルになりました。土日も朝は早く目覚め、スポーツや勉強、仕事、趣味、家族のための食事作り、などなど、ダラダラしている時間はほとんど無くなりました。
体重が明らかに減り、体が引き締まってきました。お酒を止める前の2021年度の終盤は体重も結構増えており、ズボンもパチパチという感じだったのですが、もうすぐ63kg台に入りそうな状況です。2021年度の終盤は、不摂生のときには67kg台、68kgに届く時期もたまにあったので、すでに4kgぐらい体重が落ちたことになります。
4月上旬からの体重の推移
毎朝、お弁当や朝食のために3合の炊飯をしますが、朝に無くなってしまうようになりました。娘たちも朝食に卵かけご飯などを食べていますが、私もお味噌汁のための大きめのお椀にたっぷりと盛った白米に、たまご、卵ごはん用の醤油をかけ、備えがある場合は卵かけご飯専用の鰹節をかけ、さらに納豆をかけて食べています。毎朝しっかり食べても、午前中はすぐにお腹が空く状況。。。
以前から毎朝の体操・柔軟体操は習慣でしたが、たまにサボることもありました。4月6日の断酒以降は、土日も含めて毎日続いており、本日までで39日連続、飲酒なし、体操・柔軟体操を実施、ということになりました。
さて、GWの振り返り。大変楽しみにしていて始まったGWですが、充実はしていましたが、あっという間に終わってしまいました。。。
4/29(金)サイクリング10.6km、Run5.83km、水泳1200m
4/30(土)土木学会コンクリート標準示方書の改訂の会議(9:00~18:00@市ヶ谷)
5/1(日)サイクリング10.67km、Run6.07km、水泳1200m、スーパー銭湯であかすり・リンパドレナージュ
5/2(月)通勤で上星川駅からの上り(行き)下り(帰り)、カイロプラクティク
5/3(火)朝、有栖川宮公園へジョギング(9kmくらい)。その後、両親と妹と嬬恋村へ旅行。石樋の滝ウォーキング。
5/4(水)鬼押出しの散策、八ッ場ダム訪問。
5/5(木)サイクリング10.5km、Run6.17km、水泳1500m
5/6(金)出勤
5/7(土)川越まで輪行。川越から自宅までロードバイク(62.44km)。喜多院、氷川神社、平林寺、石神井公園経由。スーパー銭湯でリンパドレナージュ、スーパー銭湯から自宅までの帰り30分ウォーキング。
5/8(日)夕方ウォーキング
スポーツやら体の癒しに限った趣味だけでも上記のような状況。博士論文の予備審査を控えた博士3年生の留学生が2名おり、彼らの論文原稿添削や発表練習などももちろん対応し、いつも長期休暇にやろうやろうと思っていてなかなかできない勉強系も、建設マネジメントやポーラスコンクリートについて勉強も進めました。趣味の読書も毎日楽しんでいます。
ほぼ理想通りに10日間のGW期間を過ごすことができ、お酒を止めたことの効果を実感しています。4月頭は自己嫌悪に陥るくらいの状況で、もしそのまま変化を起こさずにいたら、どんなGWだったのでしょうか。。。
さて、GW明けの一週間も過ぎ去り、仕事に対する情熱も昨年度までとは異なるレベルに上がっており、自分なりに様々なアクションを起こしています。様々なアクションを起こすと、連鎖反応が生じるので、仕事も良い感じで各所で盛り上がってきているように感じます。もちろん仕事は増えますが、良い増え方だと思っており、この週末も趣味や息抜きもしつつ、仕事の段取りを進めておきます。
唯一、十分な時間が割けていなかった、原稿の執筆に時間を割くべき時期がやってきました。2つ論文の原稿を書く必要があり、比較的自由に構想を練れる解説文も執筆を待たれている状況で、そして、自分自身にすべてかかっている土木史の講義副読本的な教科書の執筆にもいよいよ着手しようかなー、と思っております。
<概要>
「土木アカデメイア」は、土木工学を専門とする者、その精神に共感する者によって結成された有志の団体です。月1回の読書会を開催し、図書の紹介やフリーディスカッションを通じて、多様な観点から土木哲学を探究しています。今回、その様子を一般公開することで、土木のこれまでとこれからをより多くの方と共に考えていくことを目指します。
<日時>
2022年3月27日(日)14:00-16:00
<開催形態>
オンライン
※事前参加登録された方にURLを送付します。
<登壇者>
有馬 優(横浜国立大学 都市イノベーション研究院 職員)
落合 佑飛(横浜国立大学 都市科学部 都市基盤学科2年)
白木 綾美(清水建設株式会社 技術展開グループ 主任)
田中 尚人(熊本大学 熊本創生推進機構 准教授)
長 洋平(横浜国立大学 都市科学部 都市基盤学科3年)
西川 貴章(早稲田大学 創造理工学部 社会環境工学科4年)
細田 暁(横浜国立大学 都市イノベーション研究院 教授)
松永 昭吾(株式会社インフラ・ラボ 代表取締役)
<主催>
土木アカデメイア(代表:有馬優)
from DOBOKUの連載、土木スーパースター列伝への寄稿を2つ依頼され、2つ目が公開されました。津田永忠です。
土木分野の方でも知らない人が多いのではないでしょうか。むしろ建築分野で閑谷学校が有名かもしれませんね。
ぜひぜひ津田永忠のことを知って、ファンになってください!
ちなみに私が執筆した一人目のスーパースターは、濱口梧陵でした。
こんなすごい方々のことを書かせていただいて、光栄なことです。土木史、というものも、私の人生において不可欠で大事なものになってきております。。。
土木学会のWeb情報誌の "from DOBOKU"の中の、「土木スーパースター列伝」から寄稿を依頼されまして、
濱口梧陵(はまぐち ごりょう)についての原稿を書きました。11月5日に掲載予定、とのことです。
編集部に、一般向けの楽しい語り口に「厳しく」修正される、と聞きましたので、初校をこのブログにあげておきます。
濱口梧陵を知らない方も少なくないと思いますが、日本人全員が知っていてもおかしくない偉人です。ぜひ、この機会に知ってください!
+++++++++++
タイトル:【濱口梧陵】「これぞ公共事業!」 土木スーパースター列伝 No. ??
こんにちは。横浜国立大学教授の細田 暁です。
コンクリートの研究をしておりますが、土木史が大好きで、勤務先の大学の全学教養科目の「土木史と文明」という講義も担当しています。講義では国内外のたくさんの偉人を紹介しています。土木史は面白いですよ~。
今回は、濱口梧陵(はまぐちごりょう)を紹介します。この記事を書くにあたって、復習してみましたが、まあすごい人物です。私の土木史の講義では時間が限られているので、濱口梧陵のことを紹介できていなかったのですが、大反省しました。今年の10月からの講義では絶対に紹介します!
濱口梧陵(1820~1885)は、皆さんもご存知のヤマサ醤油(1645年創業)の七代目の当主でした。当主の時は濱口儀兵衛(ぎへえ)という名で、梧陵は当主を退いてからの名前です。今回は、儀兵衛の名で彼の伝説的な生涯を紹介しますね。
稲むらの火の津波防災でも有名ですが、なんと儀兵衛は勝海舟、佐久間象山、福沢諭吉などとも親交が深く、我が国初代の郵政大臣でもあったすごい人物なのです。
レジェンド儀兵衛①〜稲むらの火
「稲むらの火」と聞くと、小学校の教科書で習ったのを思い出す人もいるかもしれません。この話は、江戸時代末期の安政南海地震での儀兵衛のレジェンドです。
1854年,34歳であった儀兵衛は,醤油づくりの銚子と江戸の店での陣頭指揮と,家族のいる地元の紀州(現在の和歌山県)の広村を行き来する生活を続けていました。
11月5日の午後4時頃,安政南海地震が発生しました。津波から高台へ人々は逃げましたが、逃げ遅れた人も多くいました。儀兵衛も逃げる途中で第一波に飲み込まれ、木の幹にしがみついて何とか小高い丘にたどり着いた、という状況でした。
第二波,第三波が来ることを知っていた儀兵衛は、高台の神社の近くの稲むら(稲を刈り取った後に、実を取って干した稲の束。翌年の肥料として使ったり、縄の材料として貴重)に火をつけて、逃げ遅れた人々を高台に誘導しました。四回にわたった津波は広村を壊滅させましたが、ためらわずに稲むらに火を放った儀兵衛の勇気と判断力が、多くの人々を救ったのです。
レジェンド儀兵衛②〜広村の復興
儀兵衛のすごいのは、壊滅的な被害を被った広村の復興を私財を投げうって成し遂げたことです。土木や公共事業の理想的な姿が見える気がします。
大地震の翌朝、隣村の庄屋さんと交渉して、五十石もの年貢米を借りる約束を取り付けます。神社の近辺に1400人もの人が避難していたので、約2週間分の米を確保したのです。
広村を捨てて他の土地へ移住することも考える住民が少なくない中、儀兵衛は濱口家の財産を使って、50軒の仮設住宅を建て、無料で住んでもらうことにしました。
農民の農具、漁民の用具や船、商売への資金、などの援助も行いました。
そして、将来も確実に襲ってくるであろう大津波から広村を守るための、堤防の建設を主導したのです。建設費用も自分で支払い、高さ5mほどに及ぶ大堤防の建設は、財産を失った村人の仕事を作る目的も兼ねていました。まさに公共事業ですね。
儀兵衛は、村を救うために5000両(現在の約2億5千万円)もの財産を投じたと言われています。堤防工事の始まった1855年の10月には、江戸で安政の大地震が起こり、ヤマサ醤油の江戸の店も大きな損害を受けました。しかし、当主の儀兵衛の世のための行いを支えるため、銚子の店の者たちは一丸となって働き、尊敬する当主を支えました。
1858年に、高さ5m、幅20m、長さ600mの堤防が完成しました。この堤防のおかげで、1946年の昭和南海地震の津波のとき、広村の人々は大きな被害からまぬがれたのでした。
11月5日が「津波防災の日」とされているのは、ここまでご紹介した儀兵衛の津波対策にちなんでのことなのですね。
学生たちとの見学会で,広村堤防の上にて。
レジェンド儀兵衛③〜独立の精神と教育への情熱
儀兵衛は、1841年に蘭医学者の三宅艮斎(ごんさい)と出会い、お互いに尊敬し合う関係を築きます。当時、日本の各地で天然痘やコレラなどの伝染病が流行し、多くの人が命を落としていました。儀兵衛は艮斎の医療を支援し、後に、艮斎が江戸で多くの蘭学医と協力して、種痘所を建設するときにも多額の寄付をしています。予防接種を目的に建てられた種痘所は、現在の東京大学医学部の前身でもあります。
30歳のときに、儀兵衛は佐久間象山の弟子となり、津波防災の科学的な知識を得たのも象山からのようです。
同じく30歳のときに、儀兵衛は勝海舟と出会い、終生の友となります。勝海舟が咸臨丸の館長として日本で最初のアメリカ渡航をしたときにも、儀兵衛を強く誘いましたが、深く悩んだ結果、広村の教育を放り出すことができず、泣く泣く断りました。
我が国の発展のため、儀兵衛は教育事業に情熱を注ぎました。1852年に「広村稽古場」を開き、学問と武道の両方を教えました。現在も、耐久中学・高等学校として残り、1870年に建てられた稽古場の建物が「耐久舎」として中学校の敷地内に残っています。
私の研究テーマの一つが、コンクリート構造物の「耐久性」です。なんとも言えない親近感を覚えてしまいました。。。
儀兵衛が広村での教育事業をさらに本格的なものにしようと考えていた47歳のころ、32歳の福沢諭吉と出会います。二人はすぐに打ち解け、儀兵衛は諭吉から教育事業における様々な助言を受けました。
レジェンド儀兵衛④〜政界への進出とアメリカでの最期
土木の分野では、津波防災で有名な儀兵衛ですが、晩年は政界でも大活躍しています。ここでは、ごく簡単にですが、梧陵の活躍をご紹介します。
巨大津波からの復興事業などの功績が認められ、1868年に正式に紀州藩の役職に就く。3年後に和歌山藩大参事(副知事のような役職)に就く。
明治政府から、初代の郵政大事に指名され、西欧の郵便制度の導入に着手。
1880年に和歌山県議会の初代議長に選出。
1884年に64歳のとき、すべての役職から引退し、いよいよ念願の海外渡航計画を実行に移す。
1884年5月30日、福沢諭吉の弟子である金子弥平をお伴に、横浜港からアメリカに向けて出発。アメリカの自然の雄大さ、列車の速さなどに驚く手紙を諭吉に送っている。
ナイアガラの滝の観光を終えて、ニューヨークに着いてから、体調を崩す日が多くなり、1885年4月21日、ニューヨークの病院で息を引き取った。
金子が力を尽くして立派な棺を用意し、多くの防腐剤をしこみ、厚いガラスでふたをした鉄の棺は、約1か月後に横浜港に到着した。海舟と諭吉の提案で横浜にて開かれたお別れの場には数えきれないほどの人が3日間、長い列をなした、とのこと。
おわりに
皆さん、濱口儀兵衛の生き様、いかがでしたか?まさにレジェンドですよね。儀兵衛の防災、公共事業に対する考え方、教育事業への情熱、は現代のわれわれもお手本にすべき素晴らしいものと思います。
もっともっと濱口梧陵のことを、多くの国民に知ってもらいたいですね!
参考文献:時代を切り開いた世界の10人 レジェンドストーリー,10巻 浜口儀兵衛,学研教育出版,2014
2021年5月が終わりました。この月は丸々、東京都は緊急事態宣言だったようです。東京都民ではありますが、この宣言についてとやかく言うことはこのブログでは避けますが、正直に言って相手をする気にもならないので、自分自身の生活リズムを向上させ、仕事のクオリティを高めるように力を注いだ一か月、でした。
3回目の緊急事態宣言、という社会的に異常な状況において、私も含めて極めて多くの方の人生が多大な影響を受けていると思います。海外出張は2019年12月以降、1年半も行ってませんし、こんな状況が長々と続けば、社会のあちこちが壊れていくでしょうね。元に戻るのか分かりませんが、極めて怖ろしい「インフォデミック」に人類は襲われてしまいました。
5月に入って、数ヶ月失っていた運動習慣を取り戻すことから始めました。結果的に、5月はすべての日で朝の体操を行い、最後の2日を除いてすべての日で柔軟体操も行いました。歩き方も改善した上で、一日の歩数を増やすことも心がけました。5月は休日も含めて、一日の平均歩数が10000歩程度でした。スマホに残っている過去の記録によると、コロナ禍に入ってから明らかに歩数が減少していましたが、2021年5月の平均歩数は過去数年の中では最も多い結果となりました。
休日は散歩もしますが、平日は通勤時に上星川の駅からキャンパスまで登ったり(強烈な坂道)、帰りに下ったり、と通勤方法の工夫でウォーキングを楽しみました。
4月初旬からの左手のしびれも5月に入って改善されてきたので、5月中旬からは腕立て伏せ20回、も朝の体操の最後にやる日が増えてきました。ちなみに現時点で左手のしびれはほぼ解消しました。
2月ごろから、白米を食べる量を増やしています。日本人にはとにかく白米が健康によく、ご飯をしっかり食べるのがよい、という世の中で一般的に言われているのとは異なる情報に接し、説得力があったので、我が家でも白米の摂取量を増やしています。
白米を増やした結果かどうかはまだ分かりませんが、体重がこれまでの平均的な数値より1~2kg多い状況となっています。太ったという感じではなく、全体的にがっしりした、というイメージだと自分では勝手に思っています。
5月は明らかに読書量が増えました。カラマーゾフの兄弟を読了したのもこの月で、今年もいろいろな書物にチャレンジしてみたいと思います。
今年度の研究テーマも本格的にスタートしましたが、全く新しく始めるテーマもあり、昨年のいまごろに比べると、研究活動を楽しんでいる自分がいます。勝負所に差し掛かっている研究や、手探りでスタートし始める研究など、いろいろありますが、どの研究も一人でやるものではなく、担当の学生や共同研究先の方々と、真摯に議論しながら多くを学びたいと思っています。
5月には学部3年生用の学生実験もスタートし、コンクリートの実験は合計6回(毎回、14:40スタートで、18:00ごろ終了の長丁場。受講生は3回で終了。提供するスタッフ側は同じ内容を2回。)ですが、6/1(火)で4回目が終わり、折返し地点を過ぎています。昨年、ほぼすべての講義、演習がオンラインで、学生実験もオンラインで対応しました。実験室での実験が2年ぶりとなり、担当のTAの学生たちも不安を抱えての出発でしたが、ここまでいくつか失敗はありながらも、修正・改善を重ねながら何とかここまでやっています。教員とTAも良いチームになってきており、受講生だけでなく、我々も多くを学べている良い機会になっていると感じます。
昨年度と今年度、土木の主任教授を務めていますが、24ヶ月のうちの14ヶ月が終了しました。残り10ヶ月、まだまだ先は長いですが、組織に迷惑をかけないよう、自身の務めをきちんと果たしたいと思います。
6月がスタートしました。ウォーキングや毎朝の体操などはそのまま継続しますが、もう少し改善したい生活習慣もあるので、6月の新たなチャレンジに設定し、スタートしています。1ヶ月継続すると「習慣」になるので、生活の記録を付けているエクセルファイルに毎日の結果を記録し、自身の励みにしながら、日々の生活を習慣化しようと努力しています。
5月は研究での出張は無かったのですが、6月はそれなりの数の研究出張が予定されています。出張も、自身の研究活動や生活リズムを活性化させる大事な機会なので、最大限に活用したいと思います。
先ほど、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を読了しました。さすが、歴史に残る名作とあって、何とも言えない読後感です。この作品について私が語っても仕方ないので、読むに至った経緯や、おそらく再読すると思うので、その辺りの気持ちのみ、まとめておきます。
おそらく15年近く前のことと思いますが、横浜国立大学の工学研究院長をされていた白鳥先生が、学内の広報媒体か何かで、カラマーゾフの兄弟のことを書いておられました。白鳥先生が若いころに読まれたのだけど、年配になられてからまた読み始めた、そういうような内容でした。白鳥先生のことは個人的にはほとんど存じ上げませんでしたが、教授会でのご発言や、間接的にお話を伺ったことがあり、少しお慕いしていたこともあり、それがきっかけで、光文社文庫(亀山郁夫訳)のカラマーゾフの兄弟を購入しました。
当時、少し読み始めたと思うのですが、全く読み進められず、挫折。私の職場の本棚に眠っていました。
その後、私もいろいろと読書をしました。読書の点では私は奥手でして、小学校のころはほとんど読書せず。甲陽学院中学校で中倉邦男先生のご指導で、少しずつ良質の本を読むようになり、大学では岡村甫先生とのご縁で、読書の幅が拡がりました。30代、40代といろいろな本を読んできましたが、それらは私のバックボーンになっています。
本格的な長編小説もいろいろと読みましたが、40歳のころにフランスに滞在しているときに、「土木チャンネル」で藤井聡先生と宮崎哲弥さんの対談で、三島由紀夫の「豊饒の海」のことが取り上げられ、いつか読んでみたいな、と思っていました。
その後、藤井先生は「表現者クライテリオン」の編集長を務められ、その中での編集委員たちの読書会の企画で三島由紀夫の作品が取り上げられ、「憂国」や「真夏の死」などの短編を読み、感銘を受けました。
2019年、コロナの前でしたが、土木チャンネルの藤井先生と宮崎さんの対談を再度視聴し、一念発起して、「豊饒の海」を読み始めました。これもとてつもない作品でしたが、途中少し間も空きましたが、2020年のコロナ禍の4月ごろに読了しました。この作品も、おそらく人生の中で再読する小説になろうかと思います。
NHKの「100分de名著」という番組が結構好きで、番組自体と、番組で使われるテキスト(本屋で買える)が大好きで、これも自分の読書ライフを支えています。この番組で「カラマーゾフの兄弟」が取り上げられ、亀山郁夫先生が解説者で登場し、大きな興味を持ちました。
コロナ禍で「豊饒の海」を読了し、その次の長編小説として読み始めたのが「カラマーゾフの兄弟」でした。これまたときどき読む「まんが学術文庫」の「カラマーゾフの兄弟」も入手し、登場人物のイメージもクリアに持つように参考書として活用。
光文社文庫で4冊の分厚い文庫本と、エピローグと亀山先生の解説・解題を収録した第5巻。
昨年の最初の緊急事態宣言が終了したころに第3巻の途中まで読み進めて止まってしまっていましたが、今年2021年GW明けに、私自身の生活リズムがアクティブさを取り戻した5月の勢いとともに再開。引き込まれるようにリズム感のある第3巻の魅力にはまり、毎日の通勤時や休日なども読み進めました。
そして、先ほど、ついに歴史に残る名作を読了。訳者の亀山先生の解説・解題を読み始め、この作品がいかに深く、緻密な構成となっているかを少しずつ理解し始め、おそらく人生の中でもう一度は読むことになるのではないか、と予感しています。
古典、名作を読むこと、読み切ること、は人生における喜びでもありますね。
いろんな本が「積読(つんどく)」状態になっており、自分自身の好調のバロメータの一つ、でもあります。。。
2020年の読書は、三島由紀夫の「豊饒の海」(全4巻)を読破し、現在は、長編ものとしては「カラマーゾフの兄弟」を読んでいます。もともとどちらかというと乱読タイプなので、三島由紀夫の「英霊の聲」など、短編もいろいろ読んでいます。
「カラマーゾフの兄弟」を読み始めたのは、世界の歴史に残る小説を読みたい、という単純なミーハーな気持ちが一番でした。研究、教養などにおいても、やはり古典、名作の力はすごく、すぐにすたれるような最先端の話よりも、本質に触れたい、本質をつかみ切りたい、という気持ちが自分には強くなってきています。それも、読み始めた大きな理由の一つかと思います。
哲学者ウィトゲンシュタインは、カラマーゾフの兄弟を少なくとも50回は精読した、と言われていますが、それだけの名作であればやはり読んでみたくなります。
ただ、難しくて読み切るのも大変、という噂は聞いていたので、5月8日のブログにも書きましたが、以下のように読書を開始しました。
「さて、私個人は、1年以上前に第1巻だけ読み終わっていた、三島由紀夫の「豊饒の海」を最終巻の第4巻まで読破し、その次はドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を読み始めています。読み切ることも難しい、とのことだったので、まずは講談社の漫画で読み、NHKの100分de名著で理解を深め、さらに「100分de名著」の4回の番組をオンデマンドで見て、それから亀山郁夫(100分de名著、の解説者)訳の小説を読み始めました。」
さて、本日は在宅勤務ですが、朝の10分間読書の時間(今朝は実際には20分)に、カラマーゾフの兄弟の2巻の終盤に出てきた二つの表現。
第2部、第6編「ロシアの修行僧」、2 神に召された修道苦行司祭ゾシマ長老の一代記より
伝記的資料 (b) ゾシマ長老の生涯における聖書の意味について
より引用。
「必要なのは、ごく小さな、一粒の種なのだ。民衆の魂のなかにその種を投げ入れてみなさい。すると種は死なず、民衆の魂でずっと生きつづけ、闇や罪の悪臭のなかにあってわずかに灯る光のように、偉大ないましめとして一生息をひそめつづけるだろう。だから、あれこれと説明する必要も、教えてやる必要もないのだ。民衆はじつにあっさりと、すべてを理解してしまうのだから。」
「どんな草も、甲虫も蟻も、金色の蜜蜂も、生きとし生けるものが、およそ知恵などというものを持たず、驚くばかりに自分の道をわきまえ、神の奥義を証明し、倦むことなくその成就につとめている。・・・・」
人間とは何か、についても改めて考えさせられるフレーズが随所に散りばめられています。
大会出場までちょうど1週間となりました。何やら台風が発生した模様で、次の3連休(12~14日)は全国的に荒天とも言われていますが、3連休の中日がトライアスロンです。中止にならなければ、そこそこの雨であれば、逆に汗をかき過ぎずによいか、などと気楽に構えております。
私が担当する講義の開始は10月8日(土木史の初回)ですが、9月30日の週から、実質的に秋学期が始まりました。
9/30(月) ジョギング30分(朝)、その日はJCIのシステム革新委員会(幹事長)の委員会報告会。
10/1(火) 気仙沼へ出張。ホテルで30分のマッサージ。
10/3(木) ジョギング30分(朝)。
10/5(土) バイク22km、Run 6.22km(30分)、水泳1500m。
10/6(日) 体重64.5kg。ジョギング30分(朝)。現在、盛岡に移動中。日本遠隔医療学会にて、講演とパネルディスカッション。
上記以外に、朝の体操・柔軟体操と、腕立て20回、腹筋10回(毎回4回ひねり付き)をやっており、体がかなり引き締まってきました。気分的には、トライアスロン出場へ向けた練習のラストスパート、です。
スポーツの良いところは、自分を比較的簡単に限界まで追い込めること、です。
10/5(土)は、3つの種目をまとめてトレーニングする最後の機会かと思い、部分的に追い込みました。30分Run(マシン)は、出だしから時速12kmにし、20分経過したところから12.5kmに上げ、最後の2分は13.0km、13.5km、瞬間的に14.0kmまで上げて終わりました。限界ではありませんが、自分にとってはかなりの負荷です。苦しいタイミングもあるけれど、それを乗り切った時の充実感は心地よいです。極端ですが、30分間走っている間は、「自分はこの30分を走るために生きている」と考えるようにし、そうすると、苦しいこともいつか終わるし、その苦しみとどう向き合うかがまさにその瞬間の自分に問われている、と感じることができます。そのように考えると、瞬間瞬間をしっかりと過ごせることにもより深いレベルで体得しつつあるように思います。
バイクの22kmも、10kmはジムへの往復のロードバイク。残りの12kmはマシンでのバイク漕ぎで、これはアルペンの設定にしたので、何度か非常に勾配のきつい時間帯があり、ほぼ限界状態に至りました。
自分のパフォーマンスの限界に近いところで自分と向き合うことは、仕事のやり方にも影響を及ぼすと思っています。
今日は日曜日ですが、仕事で盛岡に向かっています。中高(甲陽学院)の同級生の馬場さん(お医者さん)に声をかけていただき、何と、日本遠隔医療学会の学術大会にて、「命の道」である復興道路について、私の関わってきたことについて短時間ですが講演し、パネルディスカッションに登壇してほしい、という依頼でした。特別講演は大石久和先生で、PDもご一緒しますので、何とも光栄なことでございます。
翌日の10月7日に特段の予定が入っていなかったので、復興支援道路の大きなトンネル(建設中)の品質調査を研究に携わる学生たちを同行して行うことにしました。また、執筆中のコンクリートの絵本の、画家さんのNATMトンネル建設の取材も兼ねております。時間は限られているので、知恵を絞って有効に活用するしかございません。
今でこそ、トライアスロンで完走しよう、などど本気で思って地道に練習しておりますが、それこそ2年くらい前までは、トライアスロンに出ようなどと思ったこともないし、
そんなものに出る人の気が知れない、というような感覚でした。このブログを読んでおられる大半の方もそうであろうと思います。
2014年9月末にフランスでの1年の滞在から単身で帰国し、その後、3ヶ月程度は浦和の実家に居候し、ほとんど休みの無い日々を過ごしました。30日くらい休み無く動き回っていた時期もあったと記憶しています。疲れが溜まったのか、2015年の年明けくらいから右ひざの痛みがひどくなってきたこともあり、2012年ごろに通っていたカイロプラクティクに再び通い始めました。
朝の体操はフランス滞在中も続けていましたが、カイロプラクティクに通い始めたのが健康志向の再出発となりました。
2015年の春にクロスバイクを購入し、2016年の春からは水泳が趣味になり、2017年春にはロードバイクを購入するに至ります。
右ひざはひどく痛む時期もあったり、全く気にならない時期もあったり、でしたが、まさか走る、というようなことは思い付きもしなかったので、膝への負担の少ない自転車と水泳を中心に運動していました。
2017年元旦に、「歩こう!」と思い立ち、ウォーキングを始めました。水泳と合わせて、水中ウォーキングを始めたのもこのころかと思います。
2017年の秋ごろから、ジムのマシンでRunを始めました。これで、トライアスロンのパーツが揃うことになりました。
趣味としてロードバイク、Run、水泳をしているだけでも十分楽しかったのですが、品質確保の委員会(229委員会)の打ち上げの懇親会で、津野さんと話しているときに「ヒルクライム」を勧められました。2017年7月末のことです。登りのレースなのでスピードも出ないし、膝への負担も少ない、ということでした。勧められたときは、「えー?」という感じでしたが、結局、2018年5月に、大槌のヒルクライムに出場することになります。
大会に出るのであれば、大きな有名な大会もよいけれど、所詮は完走が目的のおじさんスポーツですので、自分の思い入れのある地域や町の大会に出たいな、と思い、何度も何度も通った釜石や大槌の辺りでヒルクライムの大会があることを聞きつけ、これに出ることにしました。
ロードバイクを大槌に運ぶことも含め、大会出場は初めての経験で、初めてのことには様々な苦労も伴いますが、無事に完走し、これが第一歩となりました。2018年の6月末にはお台場のナイトマラソン(7km、34分51秒)にも出ました。また、4月と7月のトライアスロン教室(それぞれ初級、中級)にも参加し、このころには明確にトライアスロン出場を意識していました。
右ひざ痛とはそれなりに上手く付き合えるようになっていましたが、やはり気になるため、右ひざ痛が一番ネックとなるRunでチャレンジしようということで、2018年12月に港区のハーフマラソンに出場。週末中心に1時間のRunで練習を積み、結局、1時間49分台で完走し、これも大きな自信となりました。
2019年5月には2回目の大槌ヒルクライムに出場し、初回に比べて5分、タイムが縮まりました。
2019年9月には熱海のオープンウォータースイムに出場し、42分かかりましたが、完泳しました。出だしのオーバーペースで大変苦しみましたが、実際のレースを一度体験しておいてよかったです。
そしていよいよ、10月13日に、これまた何度も何度も通った鞆の浦のトライアスロンに出場することになります。トライアスロンは準備も、装備の搬送も大変ですが、これまでいろいろと経験してきたことの組み合わせなので、それほど不安には思っていません。一番不安なのは、40kmのバイクがヒルクライムに近く、かなり体力を奪われそうなこと、です。ヒルクライムは2度ほど大会にも出ましたし、まあ何とかなるでしょう。
レース中は苦しくなる局面が何度もあるとは思いますが、応援してくれている人も少なからずいますし、様々なことを積み重ねていく、という自分の生きるスタイルそのもののチャレンジである、と捉え、完走を目指したいと思います。
トライアスロンに出ようとすると、いろんな装備が必要になります。今回は、いよいよ出場に向けて装備の準備も最終段階に入っているので、それについて。
ちなみに、昨日の土曜日は久しぶりの休日でしたが、午前にサイクリング(ジムまでの往復)10km、Run 5.8km、水泳1100mの練習を行いました。夕方にはさいたまスーパーアリーナでSHISHAMOのコンサートがあり、次女、私の母、私の妹との4人で鑑賞してきました。良いロックバンドです。次女もファンになっておりました。
今日、9月29日は、以前からウェットスーツなど、大物の買い物をする予定にしていました。ウェットスーツなどもちろん買ったことありませんし、昨年7月上旬のトライアスロンの実践練習のときに借りて着たことが一度あるだけでした。そのときのウェットスーツは非常に着にくく、あまり良い思い出が無く、「あんなもの買うのやだなー」という抵抗感もあり、結局直前まで買いに行きませんでした。
もはや背に腹は代えられない、ということで自宅からアクセスの良いトライアスロンショップに行きました。行くときに、行きつけの店でロードバイクのメンテナンスもしてもらうため、ロードバイクを預け、ロードバイク用のビンディングシューズのクリートの交換もお願いしておきました。
結局、親切な店員にいろいろと助言をもらいながら購入した、トライアスロンスーツとウェットスーツが以下。あまりこだわりのある方ではないので、とにかく着心地、着易さを重視し、なかなかよい買い物ができたかと思います。トライアスロンスーツの上にウェットスーツを着て、泳ぎだすことになります。
いろいろと売っている店だったので、オープンスイム用の大き目のゴーグルも新調。
自宅に戻って、子どもたち二人と昼食。冷やしそばと、買ってきたおにぎりにしました。溜まった皿洗いも次女と連携して。
早めの夕方に、ロードバイクのメンテが終わったと連絡があり、ジョギングも兼ねて引き取りに行きました。ビンディングシューズも修理され、ロードバイクのチェーンもきれいにしてもらったので、非常に快適に帰ってきました。走り足らなかったので、15分強のジョギングにもう一度出発。
まだ小物を追加、補充する必要はあろうかと思いますが、トライアスロンに出場するための基本装備は揃ったかと思います。
私の記録によると、水泳を日常的に始めたのが2016年のGW。3年前ですね。
4年半くらい前に子どもの自転車も買うついでにクロスバイクを購入しました。それまではママチャリしか乗ったことありません。その2年後に、ほぼ衝動買いに近かったですが、ロードバイクを購入しました。そこから次第にトライアスロンへの志向が始まったように感じています。
あと2週間なので、可能な範囲でしっかり練習すると思いますし、体調や体重等にもでき得る配慮をするかと思います。レース中は苦しいシチュエーションは何度も訪れると思いますが、SHISHAMOの「明日も」の精神で乗り切りたいと思います。
9月は出張の嵐でしたが、24日の日帰り鞆の浦出張で一段落しました。
10月13日に鞆の浦でトライアスロン大会があり、私としては初めてのトライアスロン出場になりますので、トライアスロン日記シリーズを始めようと思います。
まずは最近の練習状況から。
国内外の出張が続きましたが、この状況はかなり前から分かっていたことなので、出張中に練習をする状況を作り出しました。
8月にウィーンへ家族で旅行したときに、ジョギングセットを持参し、私はウィーンで4回ほど、30分程度のジョギングをしました。ジョギングは準備も簡単で、どこでもできるのがメリットですね。
その後、国内外の出張でも、運動できるように準備を持参しました。結果、那覇、博多、高松、プラハ、などでジョギングをしました。体のトレーニングなのですが、いろんな街を走ることの楽しみにも気づきました。
3泊のチェコのプラハでは3回の30分ジョギング、その後、バングラデシュのダッカでも3泊しましたが、そこでは3回の30分水泳、をしました。
23日の夜にダッカからドバイ経由(!)で深夜に帰りましたが、翌日は鞆の浦で小学校の4年生の防災授業のために出張。
25日は久しぶりに大学へ出勤して、ほぼ会議ばかり。血流も悪くなった気がしたので、帰宅後に30分のジョギング。気持ち良い汗をかいて、軽く夕食をして、気持ちよく寝ました。この日は飲酒を止めて、トライアスロンまでは会合を除いて飲まないようにし、節酒モードに入りました。
実は、ダッカから帰国した夜に体重を測ると、67kgを超えていました。私の場合、66.0kgを超えることは一年でほとんど無く、67kg超えは相当な体重オーバーです。25日の夜にジョギングしたこともあり、また食生活が元に戻ったこともあり、26日の朝には64.75kgと正常に戻りました。
26日の朝は、長女のお弁当を作り、出発が9時過ぎでよかったこともあり、30分のジョギング。すごく汗をかきましたが、シャワーを浴びて、キッチンの片づけをしてから出勤しました。
このように、出張続きやら仕事と両立しながら、ではありますが、トライアスロンではもちろん完走したいし、自分なりにそれなりのトレーニングを積んで臨みたいので、無理をしない範囲で努力を重ねております。