今日の午前は、集中して震災調査の中間とりまとめの報告書の作成。
午後は昼食を取りに、家族で外出。帰りに本屋で「声に出して読む論語」を2冊購入。
2冊買った理由は、小学校に入学した長女と1冊ずつ持って、一緒に素読をするためです。
早速帰宅後、81番の小学生に一番人気らしい、「己の欲せざるところ、人に施すことなかれ」のところを一緒に勉強しました。
なぜ論語を素読で勉強したらよいのかを、まず長女に説いて聞かせ、納得してやる気になってから
勉強を始めました。とても楽しいそうです。
また、勉強は実践を伴って初めて意味を持つことも教えました。
3/27~28に仙台エリアの構造物を調査し、4/1~7に東北地方全般の被災状況(構造物のみならず、ライフライン、市街地なども)の調査を行いました。
4/20には大学内の新大学院(都市イノベーション研究院)の新設のキックオフイベントで30分の講演をすることになりました。震災の調査を経て感じていることを語ります。
現在は、同じ研究室の林さんが海岸工学の専門家たちと津波の痕跡の調査に行っています。
私の研究室でも、津波による橋梁の被害の研究を立ち上げることにしました。構造物の被害、という視点も大事ですが、ラインとしてのインフラの被災、歴史的経緯、今後の対策なども勉強しながら、現地調査結果を有効に活用する所存です。
4/28~5/1には、私と林さんの視点を融合して、研究室の学生もメンバーに組み入れて、橋梁の被害の調査を行いに再び東北へ向かいます。秋田の大館能代空港を使って往復し、レンタカーで盛岡を拠点に、三陸地方と、気仙沼の南辺りを重点的に、事前にかなりの準備をして調査に臨みます。
今年は、震災の調査や、去年からの継続で構造物の表層品質の調査、などなど、現場を飛び回ることが多くなりそうです。
今日は多くの橋梁の調査をしました。
この橋は国道45号線の歌津大橋で、45分くらいかけて入念に調査しました。
破壊した状況から、どのように津波によって橋梁が崩壊したか分析しました。
詳細は報告書にまとめますが、ここも津波でしか生じないようなすさまじい破壊でした。
今日は、実質的な調査の最終日。津波による落橋にテーマを絞って、終日調査しました。
写真は鉄道(気仙沼線)のPC桁の落橋。私も写っているのでどれだけ大きな桁が津波でぶっ飛ばされているか、そのすさまじさが想像できるでしょうか。
5日は3つの首長と面会。陸前高田、気仙沼、南三陸の市町長と会いました。
写真は最後の南三陸町長。すばらしいリーダーで、復興のビジョンも明確でした。
南三陸町は、日本でも津波、災害に対する意識が非常に高い自治体で、それでも1000人を超える犠牲者が出るであろうことには心が痛みます。海岸付近の人たちは比較的うまく非難できたのですが、川を遡上したため、まさかここまでは来ない、と思った方々が大変な被害にあった、という面もあったようです。
漁業を核に、やる気のある方々で復興に向けて力強く立ち上がろうとしている姿に感銘を受けました。
女川では、湾や地形の形もあり、激甚な被害でした。女川原発の報道に隠れ、激甚な被害が全く国民に伝わっていないといってよいと思います。
RCの建物が転がっていました。中には、簡易な基礎のあるものも引き抜かれているように見えました。
常磐線の新地駅付近にも行きました。
マスコミでも報じられてはいましたが、近くで見ると想像を絶する状況に呆然。
何箇所かこのような光景を見ましたが、帰りの車でも力が抜け、呆然としていました。
ホテルに戻った今、もちろん元気になっていますが、ひとつひとつのことを積み重ねていくしかありません。
明日は5時に起きて、レポートの作成など、やるべきことをやってから、4日目の調査に出ようと思います。
今朝は、土木学会の調査団と東北地方整備局のミーティング。
徳山整備局長の強力なリーダーシップのもと、国道交通省が震災の復旧にどれだけ尽力されているかを知り、感服しました。
自衛隊や救急隊が入るための「啓開」という行為。道路をとにかく通して緊急車両を通す作業。これにより、救援や復旧の初動が迅速に行われたことがほとんど報道されていません。
また、東北地方整備局は自治体の物資の救援などにもすごく活躍されており、感銘を受けました。
「国としては左手の火傷。県としては半身火傷。市町村レベルになると全身火傷に至っているところもある。健全な地方整備局からヘリコプターや復旧のための重機をかき集め、役立てる。これは国のやるべき役割である。」という趣旨の局長の説明は的確でした。
日本はやはりこのレベルの有能なリーダーに支えられている国なのですね。
名取川の流域(仙台平野)の被害には言葉が出ません。
写真は、河口から数キロは離れた地域での被害と、土木学会会長の後姿です。
とにかく一帯が壊滅。
ただし、仙台東部道路という有料道路が防波堤の役割を果たしたのか、その道路の海岸側は壊滅、山側はほぼ無傷。たまに有料道路(盛土)をボックスカルバートが横断していますが、そのカルバートを津波が伝って、道路の山側に到達していましたが、勢いがそがれているのでしょう、山側はほとんど無傷でした。
道路が防波堤の役割を果たす、というのはオランダでは例がありますが、日本でも効果がありそうです。今後の国土計画、街づくりに大きなヒントになるでしょう。
今日は調査の2日目で、午前は国道交通省の関東地方整備局のヘリコプターでの海岸線沿いの調査。午後は陸上の調査。
ヘリコプターで俯瞰的に被害の状況を把握できることのすごさに感嘆しました。写真は、北上川の追波湾で、津波の遡上が激しかった地域です。河川の堤防の崩壊も多く、河川外も浸水が著しい状況です。河川にかかる多径間のトラス橋梁の上部工が2連、流出しているのがわかるかと思います。
とにかくすさまじい被害です。なるべく俯瞰的な理解をし、今後の再建にどのように知見を生かしていくのかを、いろんな方々と本音で議論しています。