今日の夕方は,土木学会の委員会で四ツ谷へ。建設マネジメント委員会の国際連携小委員会という,建設マネジメント委員会に新しく設置された常置委員会のメンバーとして出席しました。
コンクリートを研究している研究者,教育者なのに,建設マネジメント委員会で,しかも国際連携という私には似つかわしくない委員会にお声をかけていただきました。似つかわしくないと自分で思っているだけで,ある意味では自然の流れで進んでいるようにも感じました。委員会の初回での議論に,それほど違和感なく入っていましたし,結局は自分のこれまでの経験に基づいて発言をしていました。
この小委員会の活動で,今年度,ベトナムもしくはインドネシアに行くことになりそうです。どちらに行くにしても,これまでの私の両国との関わりも最大限に活用して,我が国の国際連携に少しでも貢献できればと思います。
少し気分的に一息付ける週末を迎えますが,今日の体験で,やはりどこまで行っても,日常をしっかりと生きることの積重ねで,先が開けてくることを感じました。小さなことだけど,その積重ね。一足とび,はありません。
ここのところ教育に関する日記が多かったように思いますが、研究ももちろんやっております。
我が研究室で開発した表面吸水試験はサポートしていただいている方々のご尽力もあって、知名度が上がってきているようです。あまりこのブログで書くとよくないかもしれませんが、数ヵ月後くらいには、この表面吸水試験を保有して調査研究される機関の数も5つくらいになるかもしれません。データの数もふえていくと思うので、進展期に入ったかもしれません。
表面吸水試験の研究は非常に面白く、内部への水の入り方を究明するだけでもかなりのテーマになりそうですが、耐久設計指針で計算されるポイントとの相関も非常に面白いです。「水」を用いた試験にこだわった甲斐があったようです。一つ、研究的に大きな山を当てたようですので、表面吸水試験の研究に関わるチームで責任感を持って研究を遂行していきたいと思います。
以前よりも多少は研究のレベルも上がってきているとは思いますが、 元が低いのでまだまだです。基本的な考え方はあまり変わっていませんが、研究対象は広がり続けています。
「実践」を大きなテーマにかかげ、これぞ、と思ったテーマはしつこく探求を続けたいと思います。
高炉スラグの研究では、一つ博士論文が出ましたが、もう一つ博士論文でまとめるように研究がスタートしています。この研究は2005年ごろにスタートしたと思いますが、 次の博士論文で一区切りできるよう、ベトナムからの博士課程の留学生とともに全力を尽くしたいと思います。
表面吸水試験の研究は、私の二人目の博士課程の学生のテーマに設定し、ある意味で総力戦で取り組んできましたが、今が進展期と思います。検討事項が無数にある状況なので、まだしばらく、研究室の看板テーマとして、検討を続けると思います。
ひび割れ自己治癒コンクリートは、少し鳴りをひそめていますが、検討の方向性を大きく転換しました。成果が出てくるのには少し時間がかかると思いますが、気長に続けたいと思います。
その他にも津波の研究や、ひび割れ制御やら、いろいろありますが、私の関心は建設マネジメントにも広がってきています。ようやく建設マネジメントを本当に面白いと思える年齢になってきたのかもしれません。
5月以降、どうにも論文を書く作業に気が乗らなかったのですが、研究に対する気分が盛り上がってきています。やっぱり、学生たちの研究がスタートし始めたからですかね。
現在,奥さんが10日間の海外出張中。親族からも多大な助けを得て,このような状況でも日常が回っていきます。
金曜日の深夜が橋梁架設の見学会だったので,土曜日の朝は泥のように眠っていました。ですが,10時過ぎに娘二人を連れて外出。長女のバレエの練習です。練習の間,私と次女は夕食の買い物をしたり,本屋で長女の国語辞典を買ってやったり。長女に国語辞典をプレゼントしてやりました。楽しく勉強してほしいです。
昼食を外食したあと帰宅して,私は昼寝。夕方,子供二人を連れて公園へ。私はノートPCを持参して仕事。335委員会の報告書もいよいよ最終ステージに入りましたが,私も担当箇所のブラッシュアップを重ねます。子供たちが元気に遊んでいる姿を見ながらの仕事は悪くありません。
土曜の夕食は,豆腐ハンバーグ。豆腐たっぷり,しいたけもたっぷり入ったヘルシーハンバーグをたくさん作りました。たくさん食べてくれました。ハンバーグ作りに使った赤ワインを飲みながらおいしくいただきました。
今日は日曜日。夕方から私の親が手伝いに来てくれるので,そこまで育児,家事と仕事。朝はまた今,公園に連れてきて,私は仕事しています。子供たちは遊具で遊んでいます。ダンゴ虫やアリを見つけて次女は喜んでいます。
今日の夜は,鞆の浦プロジェクトのコアメンバーたちが集まって密な情報交換をするらしく,私も呼ばれています。鞆の浦プロジェクトでは私はまだ傍観者ですが,指導学生の赤間君はすでに深くコミットし始めており,私もまずはいろいろと勉強させてもらうことから始めます。このプロジェクトにかかわる人たちはとにかく元気。良いと思うことを徹底的にやりつくす人たちです。
みんなが元気でいることが大事。その中で私も元気に本分を果たしたい。
人間なのだから悩むこともあるし,行き詰まることもある。当たり前。でも,花が力いっぱい咲くように,元気に日々を歩みたい。
金曜日深夜の見学会に参加した学生たちもみな元気でした。わくわくしていたし,巨大クレーンが300トンの鋼桁を吊り上げているときは大歓声が上がっていました。人間,わくわくしなくなったら終わりです。学生たちのこの純粋な好奇心をそのまま持続してほしいです。変なチンケな枠に閉じ込めないよう,皆で大きく育っていきましょう。
首都圏の団地内の公園のベンチで,足元にはタバコの吸い殻もたくさん転がってますが,青々と茂った木々と,鳥たちのさえずりと,まだ朝なので子供も少ないですが子供たちの歓声をときどき聞きながら,仕事を楽しみます。
私の長いブログ歴に何度か登場しているアジサイですが、私はアジサイが好きです。
単純に美しいし、どこにでも生える成長力、葉の力強さ、みずみずしさなどが好きな理由です。
子供たちと歩いていてもどこにでもあるし、子供たちと見つけては喜んでいます。
今朝もかなり雨の降る中、長女と通勤通学しましたが、お気に入りのアジサイが雨の中で生き生きとしているように見えました。
父 「アジサイはどうして、毎年この時期になると咲くんだろうね。不思議じゃない?」
長女 「雨がたくさん降る時期に、咲きたいと思うんじゃないの?」
父 「でも、6月じゃなくても、雨って降るよね。」
くらいまで会話したところで、不思議だね~、で終わってしまったのですが、不思議です。
1年というサイクルは人間が定義したものですが、それでも、アジサイが1年ごとに力いっぱい咲くという行為をただ繰り返す。
非常に不思議です。1年というものには人間には想像もできないような深い意味があるようです。
植物や人間にとっては、やはり1年というのが大きくてとても大切なサイクルですね。とかく日々のリズムに引きずられがちですが、もう少し大きなリズムでゆったりと自分自身や物事を眺めるようにしたいと思います。
一方で、日本、世界、地球などというレベルになると、もっと大きなサイクルで見るようにしないと真相を見誤りますな。
私はどちらかというと「内向き」な人間だと思っています。
「内向き」「外向き」は、個々人の感覚的な、主観的なものであるし、また相対的なものであるので、どちらが良いとか悪いとは思いません。
ですが、世界へ打って出よう!若者は外に出て行く勇気を持っていない、などいかにも「外向き」が「良い」ような議論が横行しているように感じます。
福沢諭吉の頃はまさに「外向き」が求められたのだと思いますが、今は本当にそうでしょうか。欧米の築き上げてきたさまざまなものにもほころびが見られるようになってきています。明治維新以後、日本が100数十年かけて近代文明を築き上げてきました。そのおかげでとても便利で、以前よりははるかに安全な国土で生活することができています。しかし、その過程で非常に多くのことを失ってきました。
日本の歴史、および今後についての考えは各自で異なると思います。
私は、失ってきたものがあまりにも大きすぎる、という感覚です。ですから、外に打ってでることもできるかもしれないけど、もっと足元を固めないと、という意識が強くなるのだと思います。自分はよくても、自分たちの小さな子供たちはもしかすると22世紀まで生きるのです。
でも、私が内向きの人間だとしても、周囲にはいろんな人がいて、連携させていただけるので、結局私も「外向き」の仕事もたくさんします。
だから、いろんな人がいればいい。みんなで力を合わせればよい。
「外向き」だけが大事なのでも、格好いいのでもない。
今回の台風4号で,私のスケジュールもぐちゃぐちゃになりました。
火曜の夜の横浜市での研修は来週の月曜に延期。夜はびしょびしょになりながら長女を迎えに行って帰宅。子供たちに夕食を作って食べさせました。
今日,水曜日の朝から奥さんが10日間の海外出張へ。
何と今日は台風による暴風警報で,長女の小学校が休校。誰も預かってくれませんので,私が子供二人を自宅で面倒見ることにしました。午前は1時限30分の時間割を4時間組んで,3人でそれぞれのことをしようとしましたが,次女は自分ではドリルもできず。なかなか仕事と育児の両立は難しかったです。
昼食は三人で仲良く。夕方にはまだ強風の吹く中,ゴミ捨てのついでに公園に遊びに行きました。長女も次女も私の想像よりもたくましく遊具で遊んでおり,成長を感じました。蒸し暑いので,帰宅後お風呂に三人で入りました。
夕方からサポートしてくれる援軍が到着し,私は解放されて,仕事開始。
本来であれば,今夜は橋梁の架設現場の見学会でした。これも金曜の夜に延期。
明日の木曜日からは,通常に戻るでしょうか。
爆弾低気圧といい,竜巻といい,災害が全般的に威力を増しているように思われます。。。
あいだみつをさんの本をときどきパラパラと見るのですが、「切り捨てる」という文章がありました。
自分自身を見ると、無駄な枝葉ばかりが伸びて、根が耐えられず、木が枯れようとしている。あるときに思い切って、枝葉をばっさりと切り捨てることにしたそうです。そのときは「もったいない」という気持ちをもった。でも、切り落としてしばらくたつと、息絶えようとしていた根が地中に少しずつ力強く張り巡らされ、地上からは見えないのだけど、静かな充実感を感じ始めた、というような内容。
今の世の中も枝葉ばかり。大学ですら、目先のことにばかり注力して、根が絶えてしまうのも時間の問題ではないかという気もする。もちろん、お金が無いと満足な研究も教育もできない、という論旨にも一理はあるでしょうが、そうなると世の中全体が無駄な枝葉ばかり要求し合っているようにも見えてくる。
今の私もまさに、枝葉ばかりが伸びようとして、さらには自ら求めていない枝葉までも付けられ、求められている状態。
その結果、木が枯れてしまえば、何のための人生だったのかと後悔することにもなりかねない。
教育と研究と社会貢献と。自分の根っこが何なのかを、今一度よく考えたい。
真の名言と思います。無知の知を自覚するたびに,生きていることを実感し,チャレンジする気が湧いてくるし,楽しくなります。
横浜市の職員に対する研修をここ数年やってきており,今年度は非常に多くなりそうです。コンクリート構造物の維持管理に関する研修を5回ほど,5月~6月に実施しています。夜の19:00~21:00に,横浜市の研修センターにて,50名以上を相手に行います。
私が3回,林さんが2回。コンクリートの基礎的なことや施工,初期欠陥などについて林さんが担当。その後,劣化のメカニズム,調査・診断,補修・補強などについて私が3回を担当。
コンクリート診断士を目指す,というのが一つの目標らしいので,それなりに踏み込んだ講義が必要です。かつ,JCIの診断士の受験者のための講習会のように完成されたテキストがあるわけでもないので,準備も大変です。
コンクリート診断士試験のための問題集を,受講者にテキストとして買ってもらい,補足資料を講師が作成,準備しての講義になりました。
6/19が最終回で,補修・補強です。
いざ,教えてみると,もちろんですが,自分自身の勉強になります。劣化のメカニズムくらいまでは,こちらも研究者なのである程度のことは話せても,調査・診断,補修・補強という内容になってくると,教科書や学会のテキストに載っている以上のことを話そうとするとなかなか大変です。
私もJR東日本での経験などがあるので,それなりの内容を提供することはできるとは思っていましたが,やはり維持管理の実務においては全くの素人です。すべてを知っているわけがないし,日々,維持管理の実務で奮闘しておられる方々の知識にかなうわけがない。
では,私のような大学の教員が実務的な維持管理について講義をする意義はないか,というとそうでもありません。実際の維持管理には多くの問題や課題が山積していると思っています。多岐に渡りますが,そのいくつかについて本質を説明し,どのような方向性に向かうべきか,を話すつもりです。技術者が力量を発揮し,構造物が適切に維持管理なされるようになるには,多くのチャレンジが必要だし,皆で協力すべきです。
6/19の最終回の補足資料の作成も週末の仕事になりましたが,いろいろと勉強しながら作っています。無知の知を認識し,いくらでも勉強することがあることにむしろ喜びを覚えます。
横浜市の方々には,知識よりは,維持管理の課題を一緒に認識していただき,ではどうすればよくできるのか,実践の方向性を一緒に考えてみたいと思います。
結論としては,横浜市の研修,という「余分な」仕事をさせていただいたことにより,無知の知に気づき,勉強させていただき,結果としては総合力の向上につながると感じます。感謝いたします。
教育という仕事に携わっている以上,学生の本来持っている可能性,力を引き出してあげること,またそのような場を整えてあげることが一番大切な仕事です。学生の可能性や力は私などには想像もできないくらい大きいものであり,特に多くの学生たちが交わりあう研究室という舞台では,何が起こるか,どのように発展していくか,などは下手に想像すべきではないかもしれません。
そのような仕事をできなければ,教師,指導者として失格。
私自身も,多くの先生方,先輩方に育てていただいて,自身の可能性や力を引き出していただいてきました。今でも多くのチャンスをいただいて,まだまだ自分の中に眠っている可能性や力を引き出していこうとしています。
学生たちも,本当に自分を高めたくて,その先に社会に貢献できる魅力的な自分を夢見て,研究室に入ってきてくれています。そのような学生たちの可能性,力の片鱗を垣間見ることが多々ありますが,驚かされます。
一緒に研究室で頑張った学生たちが,10年後,20年後,30年後にどのような活躍をしているのか, 楽しみですが,日本も激動なので,想像もできません。
とりとめのない内容になるかもしれませんが、ここのところ思っていること。
まず今朝、長女と小学校の通学路を一緒に歩いているとき、蛾を長女が気づかずに踏んづけそうになったので、そうならないように教えてやりました。蛾にも命があります。
長女と私は別の人間です。「学問のすすめ」にあるように、別の体を持ち、別の意識を持っています。それだけですごいことです。長女に、「犬もちゃんと命があって、何かを頭で考えているんだよ。でも、人間でよかったでしょ。人間だけが文字を使って勉強できる。すごいことだよね。」というようなことを話し、長女も自分がこの世に生まれてきたこと、自分自身という独立した人格を持っていることの素晴らしさ、不思議さを感じていました。
とにかくこの世に生きている、ということはすごいことです。
私も4月以降の自身のパフォーマンスの低さに悶々とした時期が少し続きましたが、やはり自分自身のやるべきことを少しずつでいいから積み重ねていくしかありません。私個人では大したことができなくても、 たくさんの仲間がいて、トータルで見ればやはり前に進んでいる。このような私にでも、大きな期待をかけてくれたり、ご協力をしてくださる方々がいる。本当にありがたいことであり、それに応えるには、自身のやるべきことをしっかりとやるしかありません。
今日の午後は、有志による勉強会の3回目。過去2回、議論が活性化しなかったので、活性化するように皆で意見を出し合って改善を試みています。どうなることでしょうか。楽しみです。
そもそも勉強などしなくたって生きてはいけるでしょう。しかし、実践できるエンジニアとして、勉強を重ねていくことはとても素晴らしいことであり、幸せなことです。有志で集まって、一級の論文や、「学問のすすめ」を勉強できる、議論できる、ということ自体が実はとても尊いことである、楽しいことである、ことを心の底から認識した上で、皆で楽しみたいと思います。どうせやるなら、最上のものにする、それが私の原則です。
独立した人格をいただいているのだから、それを徹底的に高めることができることに心から感謝すべきだし、高めていく気概を持つこと、周囲に伝播して実践していくこと、が世の中を良くすると信じています。
自分自身の「分限」をわきまえて、できること、やるべきことを実行していれば、堂々と世の中を渡っていける。それが「権理通義」です。英語で言う、"right"です。「権利」は正しい訳語と思えません。
6月も中旬になって、ようやく自分の本来の立ち位置に戻ってきたように思います。やっぱり仕事に、家庭に、育児に張り切って取り組んでいる自分自身でありたい。
今朝は、初めて、次女が「パパと保育園に行きたい」と言ってくれました。最近、私と長女が先に出て、奥さんが次女を保育園に連れて行く、というパターンが固定化していたのですが、明日の朝は私が次女を保育園に連れて行く約束をしました。ものすごくうれしかった。これ以上ない表現でうれしさを直接、次女に伝えました。
読書欲が相当に戻ってきました。「読むこと」も生きることそのもの,の重要な一つであり,自身の精神世界が奥深くなっていく感覚はたまらないものです。
村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」が最終盤に差し掛かっていますが,面白い。最近読んだ村上春樹の長編,「羊をめぐる冒険」「海辺のカフカ」「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」と比べると,最も不可思議な物語ですが,私はかなり好きです。
昨日,長女に「どんな話なの?」と質問されて,答えようがなかった。
村上春樹の本にはよく音楽の話も出てきますが,プリンスもよく登場します。プリンスの音楽が好きだからよく登場するのでしょう。
私も中学生のころからプリンスが大好きで,今でもベスト・アルバム"The Hits"など,よく聞いています。そして,その不思議な世界に引き込まれていっています。
「ねじまき鳥クロニクル」はプリンスの世界と共通するものを感じます。何だかよくわからないのだけど,根源的。スピリチュアル。
この話は,確実に,第二次大戦のこと,およびその後の空虚を根源的に探るものです。終盤が近づいてもしっかりとはつかみ切れていませんが,スピリチュアルな雰囲気にどっぷりつかるのも,気持ちのよいものです。
昨日は、17:50~、7人ほど。今朝は何と7時半から5人ほど。そして、明後日の日曜日にも5人ほど、面接をいたします。
学生が事前に与えられたイギリスに関するお題に対してプレゼンテーションを行い、教員と留学生が英語で質問をする、というもの。
学生もイギリス見学会に行きたい一心でとても頑張っています。拙い英語の人もいるけれど、頑張っているのはほほえましい。とても英語が上手な学生もいて感心します。
今週は講義系が非常に忙しく、何だかよくわからないうちに金曜日になだれ込んでしまった感じです。
私が主催、の研究室の有志の勉強会も昨日2回目を行いましたが、議論がもっともっと活性化することを期待して、参加者に具体的なアクションを起こすようにメールも送りました。とにかく当事者意識を持つこと。自分が何でもかんでもやる、という意味ではなく、どうせやるからには少しでもクオリティが上がるように改善、工夫をしようというポジティブな意識を持つ。今の我が国にもっとも必要とされている意識の一つです。
元に戻りますが、昨夜、今朝、と学生たちが頑張っている、それこそ必死の様子を見て、いいものだなあ、と思いました。みんな、イギリスに連れて行ってやりたいけどね。
昨日はなかなかハードに働きました。21時に日本大通りの横浜市研修センターで講義が終わり、その場で15分ほど打ち合わせをして、一日の仕事が終わりました。午前も講義で、講義時間の終盤に実験室に移動してコンクリート、モルタルの圧縮破壊を見せました。
脳みそもフットワークも十分に使うと、心地よい疲れと充実感を覚えます。21時に講義が終わる15分くらい前には疲労で顔面の左の辺りが少しひくひくしましたが、まあ何とかなりました。1週あけて、再来週に最終回。最終回は補修・補強ですので、私のこれまで学んできたphilosophyを横浜市の方々にお伝えしたいと思います。
帰宅中に、久しぶりに村上春樹の「ねじ巻き鳥クロニクル」の第3巻を開きました。読書意欲もやや減退していましたが、心身の活性化とともに読書欲も戻ってきたように思います。帰宅後、入浴した後、糖質70%オフの発泡酒を1缶ゆっくりと飲んでほろ酔い気分を味わいました。
結局は、私の体も脳みそも、使ってあげることで、負荷をかけてあげることで、活性化します。使われないと、劣化する一方。
仕事も一緒です。私を使っていただける場があって初めて、負荷がかかり、その結果活性化する。
また、ここのところ調子がいまいちであったこともあり、自分と向き合う日記が多いですが、何と言っても、自分のやるべきことを一所懸命やることが大切です。傍から見て清々しいようでなければならない。ようやく普段の自分に戻ってきたように感じます。
偶然かもしれませんが、昨日、プレストレストコンクリート工学会から、PC構造物の高耐久化・保全に関するガイドラインを作成する委員会の委員の就任の依頼も来ました。大学では、大御所の先生3人に混じって、准教授1人、という最近よくあるパターンですが、産官学のトップレベルの方々と議論できる場ですので、ありがたくお引き受けいたしました。
今朝は2年ぶりに健康診断を受けてきました。悪天ですし、子供二人のお迎えもあるので、仕事の時間は限られていますが、打ち合わせ2件以外の時間は、貴重なデスクワークの時間を存分に楽しみたいと思います。
5月31日にセメント技術大会の中での特別講演として、竹村公太郎さんが90分お話をされました。「日本文明の謎を解く」などの著者で、私は以前から大ファンでした。
竹村さんは文明を以下のモデルで表現しており、下部構造がインフラストラクチャー。4つの要素、「安全」「食料」「資源」「交流」で成り立っており、上部構造を支えています。下部構造は、動物も必要不可欠なもの。上部構造は人間だけが行うこと。
下部構造がジグソーパズルでできているところがミソ。一つでも崩れると文明すべてが崩壊します。
「交流」がイメージしにくいでしょう、と竹村さんもおっしゃっていました。そもそも我々人間も、父親と母親の遺伝子の交流から生まれている。クローンばかりでは人類は生きていけません。また、滋賀県が工業製品の付加価値を付ける力では47都道府県でNo.1なのですが、それは名神高速道路(1964年開通)と北陸自動車道という動脈が交わる部分だからだそうです。交流は生物にとっても不可欠、人間の発展にとってはもちろん、人間が生きることそのものにも必要。
だから、例えば橋一つだけを見てると無駄なものに見えても、それらの一つ一つのインフラが、実は我々にとって不可欠な交流を支えているのです。
とても面白い話なので、講義でも紹介しています。今日の横浜市の研修でも話しましょう。
交流は大切。大分元気になってきましたが、娘たちと交流していると、元気が湧いてきます。
まだまだ日常を回すことで一杯の状況ですが,本日も講義や研修がびっしりです。
2限は「材料と複合」で,前回,実験室でコンクリートやモルタルの練混ぜを行いましたので,1週間経過して,硬化コンクリートの性状を少し,再度実験室で見せます。やはり「見る」ことは大切。この講義は毎回小テストをしてますので,結局2限までの朝の時間も講義の準備でかなり時間を消費します。
12:30~,研究室ゼミ。ゼミの後,数件打ち合わせ。
17:00~ 18:00は博士論文の予備審査。この時期集中いたします。
日本大通りへ移動して,19:00~21:00は,横浜市の技術職員を対象とした,コンクリート診断士を目指す方々のための研修。
一応,日常を回すことで,教育という,人のための仕事ができるのは幸せなことでございます。
もう一段,パワフルになって,これまでたくさん種まきしてきた研究活動をぐいぐいっとやりたいものです。