細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

学部3年の講義「メインテナンス工学」での論文 「"30"と"50"。数字に隠されたメッセージ」 伊藤 美輝

2023-02-25 19:32:22 | 研究のこと

「"30"と"50"。数字に隠されたメッセージ」 伊藤 美輝

 維持管理の授業では、必ずと言っていいほど「建設後長い年月が経過し、老朽化が進んでいます」というコメントと共に、インフラの経過年数とその数を示すグラフを掲載したスライドが出てくる。本日の授業でも、「維持管理の抱える課題」という内容の冒頭で該当する内容のスライドが出てきた。しかし、本日の講義では違和感を感じたことがある。それは、建設後「30年」経過する道路に着目していたことだ。普通、建設後「50年」が指標にされやすい。それなのになぜ30年を指標にしたのだろうか。

 まず、「50年」という指標の意味を考える。

 以前、東工大の伊藤雄一先生が横浜国大にて「橋の老朽化と安全 -建設後50年を超過した構造物は危ない?-」という題目で講義を行った。そこで、伊藤先生は「健康診断を行っても、50年経過したら悪い橋が増えている、というわけではなかった」と話していた。「高齢化は事実だが、老朽化とイコールではない」と主張する。その理由として、構造物は取り換え不可能な部品はないので、取り換えを考えて設計されて居れば寿命は来ない、と述べていた。そして、最後に50年の理由として、設計施工ミス、維持管理が行き届いていないものに「年だからしょうがない」ともっともらしい理由が付けられるから、と話した。悪い桁であれば10年くらいで事故を発生させる、とも。

 まとめると、50年で寿命が来るのではなく、健全でなくなった部品を取り換えれば何年でも持つ、ということである。つまり、「50」という数字にはあまり意味がないということである。統計的には50年経つと劣化割合が増加するのかもしれないが、全ての構造物に当てはまるわけでもない。ただし、構造物が劣化していくのは事実なので、そこの修繕費用を獲得するために、「50年経ったので」と分かりやすい指標を用いることで、経費を獲得できる、というメリットがあるのでは、と想像した。

 それでは、今回はなぜ「30年」という指標を用いたのか?一般人からすると、「30年ならまだ大丈夫だから修繕必要ないのでは」と思われてしまいそうである。

 ここで、私は従来の、水みちのできやすい「矢板工法」を用いたトンネルがNEXCO中日本の管轄内には多いから、30年という指標を用いているのではないか、と予想した。矢板工法は、継ぎ目が多いので、そこが弱点となりやすいという説明があったためだ。

 この予想を裏付けるため、間渕ら(2016)*1がトンネル台帳のデータを整理した論文を読んだ。それによると、現在供用中のトンネルについて、建設後20~30年経過した矢板工法のトンネルの内、Ⅱbより悪い判定を受けた割合は50%ほどである。これは、NATMのそれの60%とさほど変わらない。さらに、30~40年経過した矢板工法のトンネルはⅡbより悪い判定を受けた割合が80%であるが、40年、50年と経過年数が大きくなるほど悪い判定を受けたトンネルが少なくなる。これは、恐らく「矢板工法は変状が起きやすい」という事実を職員が把握していて、修繕に力を入れているためではないだろうか。

 このデータだけでは、修繕によって判定が改善している可能性があるので、平成26年の判定と、それ以前の最新の判定結果を比べて、悪化している割合を示したデータも参考にしてみる。前の判定からの経過年数が書かれていないので、断定はできないが、矢板工法の方がNATMより「悪化した」「やや悪化した」というトンネルの本数が約2倍多く、特に漏水では顕著に多いことが分かった。これより、NATMよりも矢板工法の方が、劣化しやすいということが言えるだろう。

 これより、やや強引だが、「NATMより矢板工法は短期間で劣化する」と結論付けた。そのため、矢板工法のトンネルが多いから「30年」という短い指標を用いているという推測は、あながち間違いではないと考えた。

 以上の推論から、一つのことを学んだ。それは、「技術者は一律の修繕年数ではなく、個々のインフラに合った修繕年数を適用できる必要がある」ということだ。今回の例の「工法」以外にも、「インフラの種類」「周辺環境」「施工状況」「設計条件」等でも修繕の間隔は変わってくるだろう。「50年」といった分かりやすい一律の指標は、一般の人々を説得するには必要だが、全てのインフラの機能を維持する使命を持つ技術者は、この視点を忘れないようにするべきだと感じた。

<参考文献>
*1 間渕利明, 稲本義昌, 高木 繁, 上原勇気. 道路トンネルの定期点検結果の概要と傾向分析. 土木技術資料, 58-8, 2016. https://www.pwrc.or.jp/thesis_shouroku/thesis_pdf/1608-P020-023_mabuchi.pdf


身体との付き合いと健康

2023-02-12 07:53:45 | 人生論

もうすぐ50歳。自分自身との付き合いも半世紀に及びます。その間、幼少期に身体が成長したり、不摂生で不具合が生じたり、老いてきたり、と変化が続いていますが、与えていただいた命・身体を大事にして、最大のパフォーマンスを発揮したいと思っています。

元々身体は頑丈な方だと思いますが、自身の身体との付き合い方が未熟なころは、様々な不具合が発生していました。すべてをここで書くわけにはもちろんできませんが、近年の改善も含めていくつか。

30歳で大学に赴任したころ、職場の土木工学棟のトイレ(大便)が和式で、すごくやりにくかったことを覚えています。中村文彦先生のご努力で、洋式・ウォシュレットになり、快適に。和式のころ、用を足すたびに血が出ていました。。。今と比べるとどれだけ不摂生だったのでしょうか。。。

33歳のころに食生活を大幅に改善し、その当時は、アレン・カーの「ダイエットセラピー」を参考に、朝食はフルーツ主体に。タバコもそのころに止めました。体重が大幅に減って、上記の出血なども改善され、かなり健康になった記憶があります。

49歳になる直前の2022年4月に、33歳のときの大改造に続く、生活習慣の大改変。お酒をゼロに。朝食は白米を中心に。12月頭と1月10ごろに発熱してしまったので、その影響もあって体重が2段階、減っている記録となっていますが、特に2023年の1月に入ってから、白米を食べる量がさらに増えていますが、体重が全然増えない状況となりました。



白米を食べる量が相当に増えていますが、胃腸などの消化器官の活動が極めて活発なようで、それによりエネルギーも消費されるでしょうし、排泄もしっかりされるし、身体も健康。食べる量を減らす、というダイエットは、内臓の働きも弱らせ、身体全体を老化、弱くさせてしまう、大変によろしくない手法であると理解しています。

しっかりおいしいものを食べ、内臓も含む身体全体を生き生きさせ、パフォーマンスも高まる。しかも、白米中心の食生活は、食事コストも下げることもできます。

食事は生きることの基本だと思いますが、運動の面でも、日常生活でとにかくよく歩くように心がけています。

通勤手段も横浜駅からのバスから、相鉄線の電車通期主体に切り替え、上星川駅から大学まで毎日山登り・下り。

毎朝の体操・柔軟体操は完全な習慣。適度なジョギング。ときどきハーフマラソンなどのレースに登録・出場。

38歳のときに通い始め、40歳のフランス滞在中は中断したものの、現在も通い続けているのが、カイロプラクティク(大半はマッサージ)。ぎっくり腰になったことはありませんが、予防保全で体調をキープし続けるために不可欠です。

スーパー銭湯のサウナで汗を流し、リンパドレナージュもしばしば。

口腔ケアも33歳のころに全面的に見直し、その後、ほぼ虫歯ゼロ。

睡眠時間を削ることはほとんど無く(よほど忙しいときを除いて)、早寝早起き。

身体の健康を高いレベルで維持し、自身の最大限のパフォーマンスを引き出すためには、適切な生活習慣と、投資が必要というのが、現時点の私の到達点です。

人生はまだまだ続くと思われ、身体も精神も変化しますし、社会での役割も、社会そのものの状況も変化していきます。それらの変化に対応して、自分の身体と付き合い続けていくのでしょうね。


研究室の冬合宿

2023-02-04 18:13:44 | 教育のこと

今日は土曜日ですが、研究室の冬合宿を実施しました。

10数年前から開催し、研究室の看板行事の一つでした。修士論文や卒業論文の最終審査会の直前に、M2と4年生が全員発表し、議論する、という場です。本番よりも長い発表時間と質疑の時間を取り、議論を深める、という場です。OBOGにも声をかけ、毎回参加してくださる年配のOBもおられ、私も楽しみにしている行事です。

この冬合宿が、コロナ禍により、2021年と2022年はオンラインのみでの開催となりました。ですから、今日の冬合宿は3年ぶりの対面での開催となりました。オンラインでの参加もできるハイブリッド形式としました。

場所は幹事学生が探してきた上郷森の家という場所で、初めてきましたが、大変充実した施設で、ゼミの会場も素晴らしく、宿泊施設も大変広く、充実していて驚きました。

参加学生は全員泊まり。私ともう一人の教員が宿泊。先ほど、10時から17時半ごろまでのゼミが終了し、私は一風呂浴びてきて、夕食前の時間です。

ゼミの開催前に私が挨拶しましたので、その内容を以下に記しておきます。

「この、学生にとっては大変な時期に、参加者の皆さんはそれぞれの思いで参加していることと思います。一所懸命努力していると思いますが、切羽詰まっている方もいるでしょう。

私自身は、実は今日のこの日をとても幸せに感じています。その理由を説明します。

一つ目は、メンバーについて。教員が4名参加していますが、前川先生もおられるし、細田、藤山先生に加えて、10月からは小松先生も加わり、今年しか知らない学生にとってはその状況しか知らないので、それを当たり前と思ってしまうかもしれません。以前は、私と椿先生二人だけのときもあったし、その前は椿先生お一人という時期も少しあった。メンバーというのはどんどん入れ替わります。4人も教員がいる、この4人がいる、というのもこの瞬間だけの状況であって、いつまでも続くものではない。一期一会とも言えます。研究室の外の人から見ると、この4人の教員がいる、という環境はうらやましいというくらいの環境かとも思います。こういう時間を皆さんと一緒に過ごせる、ということに大変幸せを感じます。

二つ目は、研究というものについてです。世の中、嘘が蔓延していたり、ごまかしや悪さばかりで私などは辟易としてしまいます。しかし、研究とは真理を探究するものですから、嘘をついては決して真理になど到達できません。この世の中で最も誠実に取り組まないと目的を成就できないのが研究なのかもしれません。こういう世の中において、研究という高尚な行為に皆さんと真剣に取り組み、真剣に議論できる場を持てること、そのことにこの上ない幸せを感じます。研究の成果が役に立つとか立たないとかも大事かもしれないけど、一旦そういうことは置いておいて、誠心誠意、取り組んでみる、ということを大事にしてみましょう。

今日は、OBの方々も、対面やオンラインで参加してくださっています。

私はいつも学生たちに言っていますが、厳しく言う局面もあるかもしれないけれど、それは間違っていては真理に到達できないし、少しでも研究の内容やプレゼンの内容が良くなるように、という一心での発言です。私も全力で臨みますが、皆さんから良い意見がたくさん出ることを期待しています。

それでは、私も一日、大変に楽しみにしています。良い時間になりますように。」

ゼミは終了しました。大変に充実した、ポジティブなエネルギーに溢れたゼミだったと思います。学生たちもベストを尽くしていたことがよく分かりましたし、グングン伸びているように感じました。教員もOBの方々も多くのアドバイス、コメントがあり、大変勉強になる議論ができたと思います。

こういう場を持てるために、一年間努力してきた、とも言えますね。

最後、まだまだ伸びていくと思いますが、その姿を見ることを楽しみにしています。

もうすぐ夕食、懇親会です。大いに笑って、ガスを抜ければと思います。


発言や判断の重さ

2023-02-02 06:47:59 | 教育のこと

現在、私が研究室の中で直接指導する学生やポスドクは、学部4年生が6名、修士1年が4名、修士2年が4名、博士課程が3名、ポスドクが2名、という状況です。19名ですね。その中には、留学生がいたり、社会人博士がいたり、と国籍も年齢もバラエティーに富んでいますが、これが現時点の私の直属の研究チームです。

大学の研究室は入れ替わりが激しいので、次の4月にはメンバーも大幅に入れ替わります。新陳代謝を繰り返しながら、前進し、努力の方向性良かったり周囲の条件が良ければ発展します。

すでに私の研究室を卒業して、社会で活躍している人たちも数知れず。

学生であれば、私の講義を通じて私の影響を受ける人も数知れず(特に、土木史と文明、とか、メインテナンス工学、といった風変わりな講義をデザインして提供していますので、影響は小さくないかと)。

学外の方々との連携も多いので、それらの方々への影響ももちろん小さくありません。

私の場合、ブログでの発信も細々とずっと続けているので、面識のない人にも影響していることも少なくないようです。

そして、周囲の皆さんにとって私自身がどのような人間に映っているかは推して知るべし、ですが、一応、私は「繊細な」というか「敏感な」方のタイプの人間だと思っています。私自身の発言、判断、行動の影響が小さいとは全く思っていません。良い影響だけでなく、悪い影響が及ぶ場合ももちろんあろうかと思います。職業が教師なので、なるべく悪い影響を小さく押しとどめて、良い影響を後輩たちに与えられるようにする職務、義務があると思っています。

私のこの性格、性質ですので、嘘はほとんど付けません。学生たちへのアドバイスもストレートです。グサッと来るときも少なくないかと思いますが、ダメなものはダメ、と言うべきでしょうし、頑張っているときは賞賛すべきかと。どういう判断基準で私が「ダメ」と言っているかが重要と思っており、それも含めて伝えるようには努力しています。もしくは、すべては伝えられないので、このブログ等から私の判断基準を感じ取ってもらっています。信頼関係がないと、教育は成り立ちません。

私自身も変化します。もちろん体は衰えてきますが、簡単には劣化しないようにありとあらゆる努力をします。不摂生だった若い時よりも身体的なパフォーマンスで改善・向上している部分もあります。また、年を重ねるごとに伸びていく能力もあります。その瞬間の瞬発力・能力はもちろん大事ですが、これまでに積み重ねてきた経験やそれに基づく勘も重要で、それらの総合的能力をフル活用して、学生たちの指導をすることになります。

私の長女の年齢と、学生たちの年齢もそれほど変わらなくなってきました。それも、私の心境にもちろん変化をもたらします。丸くなります。。。

いまだにとんがった部分をたくさん抱えておりますが、これでも若いころに比べるとはるかに丸くなってますし、「細田さんも丸くなったなあ」と結構いろんな人に言われます。。。

いずれにせよ、私の発言、判断、行動が周囲に与える影響は決して小さくないことを自覚して、自身の修行を重ねて、後輩たちが育つための環境整備やお手伝いをし、「適切に」とんがった情報発信も重ねていきたいと思っています。