秋も深まり、54年ぶりという東京での11月の雪も降り、「土木史と技術者倫理」は7回目が終わり、折り返し点です。
7回目は「日本の近代化に貢献した土木事業」で、人物としては廣井勇や田辺朔郎らが主人公です。これらの偉大な先輩方の土木事業だけでなく、哲学・生き様にも触れました。
この講義の序盤に、「大衆社会」「大衆性」についても述べました。「大衆性」は近代社会の砂粒のようなバラバラの個人に宿る精神性、であり、分かりやすく説明すると「自己閉塞性」と「どうしようもない傲慢性」を特徴とします。現代であれば、ニーチェの言う「超人」でもない限り、ほとんどの人間に少なくとも少しは宿る精神性とも言え、何とかこれらを低減し、「非大衆」たろうとする努力が必要です。
講義で登場した廣井や田辺はまさに非大衆のお手本です。
藤井聡先生らによる「大衆社会の処方箋」には、3つの処方箋が示されており、その一つが「活物同期」です。
この講義で、廣井や田辺の生き方に触れ、感動することも、活物同期です。
この講義を7回受け、毎回活物同期することにより、自分の大学生活を見直すきっかけとなった学生も少なくないようです。この講義では、「活物同期」以外にも、他の処方箋である「運命焦点化」や「独立確保」も学生たちができるように、講義内容や講義方法に工夫をしているつもりです。
一方で、 今回のレポートには、次のようなものがありました。
「自分の現在の状況がよくないことは分かってきた。しかし、周囲にこのような努力をする人はこれまでもいなかったし、今もいない。」
とても辛い状況と思います。人間はこの現代社会においては、放っておくととめどなく大衆化します。何しろ、弱い人間をつなぎとめる何もの(地域共同体や大家族、信心深い宗教など)もない状況なので、砂粒の個人は浮遊するしかありません。3つの処方箋がなければ、この私でも大衆化は免れえません。
私自身は、何とか非大衆たろうと日々努力していますし、その結果、それなりに活物として生きているつもりですが、ほぼ完全に大衆化してしまった場合の生活を考えるとゾッとします。
他人なので放っておいてもよさそうなものですが、教職にあり、それなりの講義をすれば気付いてくれる学生たちも少なくない(講義終了後にどうなるかは知りません。個人次第でしょう。)ので、なるべく多くの学生に気付いてほしい、というおせっかいから、毎週数百枚のレポートを採点する、という面倒くさい講義スタイルに落ち着いています。それくらい真剣に講義する(職業の使命を果たす)ということで、私自身も廣井先生や田辺先生の非大衆性に近づいていきたい、ということでもあります。
一番簡単な方法は、活物同期の機会を多くもつことかと思います。
非大衆的な精神が躍動している人物に自分を同期させる。歴史上の人物でもいいですし、身近にそういう師匠、先輩や仲間がいるのがよいです。そういう環境に自分自身を置くのがよいし、非大衆的になってくると、同じような仲間が次々と見つかるようになってくるかと思います。
私も、そのような仲間に多く囲まれているから、さらに努力しようと思えるし、仲間と集うときの時間は格別なものになります。
残り8回の講義ですが、土木についてさらに理解を深めてもらうとともに、歴史、日本について興味を拡げてもらい、世界への興味も持ち始めてもらい、少しでも非大衆に近づくためのきっかけを得て実践を始めてもらえるような内容となるよう、私も全力を尽くしたいと思います。
「土木史と技術者倫理」や研究室等で、学生に偉そうなことを言ってますので、私も自身と常に向き合いながら改善を重ねているということを書いておこうと思います。
30歳でJR東日本を退職し、横浜国立大学に着任しましたが、「このままではダメだよなー」と明確に何度か思ったことを記憶しています。
私は大学に助教授で着任しましたが、もちろん個々人で環境も異なるのでしょうが、助教授となると日常を管理してくれる明確な上司はいません。私の場合はいなくなりました。30歳と言えば大人のようであり、今思い返せば、とても大人と言えるレベルではありませんでした。だからこそ、悩んでいたのだろうと思います。
このままではダメだ、と思った理由はいくつかありますが、端的に言いますと、生活習慣(特にアルコール)と、大事で困難なことから逃げる(例えば論文執筆)、という二点でした。
それらの点を改善しない限り、この分野でそれなりのレベルに到達することは絶対にあり得ない、と自分では分かっていても、人間とは弱いものです。。。
33歳になったときに、私の人生でも長く記憶に残るであろう、生活習慣の改善の第一弾を始めました。締まりの無い身体、コントロールできない飲酒習慣等に対して、相当に抜本的な改善を行いました。食生活は基本的にこのときの改善を継続し、現在まで10年近くが経っています。断酒も半年くらい行いました(その後、のん兵衛に戻りましたが。。。。) ブログを再開したのも、32歳のころからであったと思います。いろいろと改善したい、と苦しんでいたのでしょうね。
そして、やはりその改善がベースにあって、私の職業における実質的な成長も始まったのだろうと思っています。そのときの改善がなければ、今は恐ろしく低空飛行しているか、別の職業に就いている可能性も大きいかと思います。
大事で困難なことから逃げない、という点についても、少しずつ経験を積み重ね、いろいろとチャンスもいただき、逃げないマインドは少しずつではありますが育ってきたようには思います。
大事なことから逃げても、本来のあるべき自分の姿から逃げても、生きては行けます。ですが、大事な仕事は任されなくなるし、チャンスも巡ってこなくなるし、自分を肯定もできなくなるので、そのような生き方はしたくありません。
その後、何度か生活習慣の改善を行いました。
記憶に残っている改善としては、2011年ごろに朝の体操を始めました。今でも、この習慣は継続しています。体操を始めたにかかわらず、2012年1月に左肩が非常に痛くなり、カイロプラクティクに通い、治癒しました。決して若くないことを自覚しました。
そして、今年の9月ごろからの生活改善は、私の人生の中でも記憶に残るものになろうかと思います。9月23日から、超繁忙期の10月以降に備えるために生活習慣の改善に着手しました。以降、2ヵ月経過しましたが、飲酒は基本的には外でのお付き合いの時にほぼ限定し、結果的に50%の日で飲まなくなりました。お付き合いが多く、50%は決して高い数字ではないのかもしれませんが、現在の私の体力を考えれば十分です。将来、もっと減らす必要があれば、そのときの改善で考えます。また、右ヒザの痛みが一年前からあるため、体操は従来通り継続し、さらに柔軟体操も少し始めました。カイロプラクティク(マッサージ含む)にも月1回通って、身体に溜まるひずみを解消することにしています。また、9月からの生活習慣の改善に先立ち、4月末からは水泳を習慣付けました。1500m泳いでも疲れない体になりました。
本業の面では、30歳の当時のように、一人で悶々と悩む、という立場でも状況でもありませんが、周囲の同志、仲間、学生たちとよくコミュニケーションしながら、良い仕事をしていけるように様々な改善を図って実践してきているところです。
超繁忙期に入り、11月下旬まではまさにあっという間に来ました。1ヵ月で年末で少し一息付けるかと思いますが、年末までも大事な予定がびっしりです。一つ一つ、限られた時間での対応にはなりますが、出来得るベストを尽くしていきたいと思います。
11月15日(火)の第6回目の「土木史と技術者倫理」の講義は、「自然災害の克服」がテーマでした。
深く扱ったトピックは、信濃川の治水で、大河津(おおこうづ)分水路の話です。人物としては宮本武之輔に大きくスポットを当て、大成建設が主導でつくったビデオ教材も活用しています。
宮本武之輔の上司は青山士(あきら)でしたが、二人とも廣井勇先生の薫陶を受けています。廣井先生の弟子筋を下っていくと、私もその中にいることになります。大きなつながりの中で生きているし、大河津分水を初めとする様々な公共事業により、新潟の方々の暮らしは激変しました。分水がなされる前は三年に一度は洪水で水田もほとんど台無しなる悲惨な状況で、まさに子女を売らざるを得ない貧困にあったとのことです。
廣井先生がおられなければ、おそらく私が土木史の授業を教えていることはないと思います。コンクリートの研究者にもなっていないのではないかと思います。
また、大河津分水の公共事業がなければ、私の土木史の授業を受けている方の中には存在しなかった人もいるかもしれない。何しろ、新潟の歴史が完全に変わっていますので。
我々すべて、生かされていると思うのが正解のように思います。
昨日の朝、私が今の職業に就いたきっかけのことをぼーっと考えていました。
学部3年生秋のときに、岡村甫先生の小人数ゼミ「人間学とリーダーシップについて考える」を受講しました。今、私は全く同じ名前の少人数ゼミを学部3年生用に開講しています。昨日の3限はこのゼミの2回目でした。
このゼミも大きなきっかけとなり、私は4年生の研究室配属でコンクリート研究室を選びました。
配属された4月の研究室歓迎会(学士会館分館で)で、岡村教授がご挨拶されたとき、6人並んだ4年生の中の私を指差し、「あなた名前なんだっけ。細田君か。皆さん、彼のような姿勢(考え方)で、1年間研究に取り組んでください。」と言われたのです。岡村先生が私のことで知っておられることと言えば、少人数ゼミでのパフォーマンスのみです。これまでと全く違う情報に触れ、岡村先生という人物に魅了され、一所懸命にゼミに取り組んでいたのだろうと思います。それにしても岡村先生の言葉には驚きましたし、うれしかったのも覚えています。
その後、コンクリート研究室で研究活動に携わり始めるわけですが、まあ結果が出ず血ヘドを吐く思いでした。卒論、修論は今思えば完全な撃沈。ですが、このブログにも何度か書いたように、卒論のテーマはコンクリート構造物の品質確保であり、修論は材料と構造をつないだシミュレーションと検証、です。今でもしつこく続けています。下手するとライフワークになりそうです。
博士の研究(膨張コンクリート)は最初は岡村先生にご指導いただきましたが、博士2年になるときに岡村先生が高知工科大に行かれたので、その後は岸先生にご指導いただきました。途中から何とか研究というものが少し分かってきて、最後の1年半くらいは研究にのめり込みましたが、自分の至らなさを多く発見する時間となりました。
修士1年の終わりごろに博士課程に進学する決意をしましたが、昨日の朝、思い返すと、やはり4年生の歓迎会での岡村先生のお言葉が最初のきっかけのように思います。
何とかその言葉(ご期待)に応えられるよう、成長したい、という気持ちが今でも原動力の一つになっているようにすら感じます。
あの歓迎会から21年です。人生の半分近く、あの歓迎会から経過しているわけです。多少は成長していないと何をやってるんだ、という話になりますね。
博士課程への進学、その先に大学教員になりたい、という道を選んだのは、これもブログに何度か書いていますが、その道が、自分にとって最も努力を必要とする道だと思ったからです。これは偽りない理由です。そしてその努力は、大変だろうけど、自分にとっては苦痛ではないだろうと思っていたと思います。
今も、これからも、努力の日々が終わることはないと思いますが、私ももう後進を育てる大きな大きな役割を担っていますので、責任感をしっかりもって日々を過ごしていくつもりです。
ライフワークになりつつある、コンクリート構造物の品質確保、耐久性確保でございますが、展開していくためには教材、参考資料等が充実している必要もあります。
品質確保システムのツールの一つである、 「目視評価法」の解説動画を作っていただきました。3ヵ月前の夏で、あまりしまっていない体型、顔付き、が悔やまれますが(その後、生活習慣を改善して多少はスリムアップしましたので・・・)、技術的な内容はしっかりしたものになっているかと思います。各地域での品質確保の展開に役立てていただければと思います。
目視評価法の内容を文章で参照されたい方には、こちらがよろしいかと思います。私も各地での講習会でこの資料を配布して説明しております。
品質確保、耐久性確保関連の情報は、今後もこのサイト(品質確保チャンネル)にまとめていく予定で、継続的にこのサイトのブラッシュアップも行っていくつもりです。
「品質確保チャンネル」には、「品質確保物語」の連載も行っておりまして、現在、第12回まで進んでおります。この後、数回、品質確保の実務で活躍している国土交通省の監督官や、施工業者、事業促進のためのPPP(官民の連携組織)の方々の奮闘される状況をご紹介していきます。
今年度は、品質確保・耐久性確保を、土木学会の重点研究課題に採択していただき、1年の活動を集中的に行っております。委員会報告書を作成しますし、H29年度の早い段階で講習会を、また、H29年の土木学会の全国大会での討論会でもこの委員会のテーマでパネルディスカッションを開催予定ですので、皆様、奮ってご参加くださいませ。
「土木史と技術者倫理」も6年目を迎えました。
来年度、新学部である都市科学部がスタートした後は、「土木史と文明」というタイトルに変更して、引き続き、教養科目として提供を続けます。
故合田良実先生の執筆された秀逸な教科書である「土木文明史概論」を軸に据えた講義ですが、この本の在庫が無くなりそうなことが講義開始直前に判明し、出版社に掛け合った結果、重版されることが決まりましたが、講義開始に間に合いませんでした。来年以降も、しばらくはこの教科書を使い、4~5年くらい以内を目標に、私自身で土木史の教科書を執筆したいと思っています。もう少し時間がかかるかな。
今年は、講義開始日に教室が聴講希望者で溢れかえりましたが、教科書を持参することを義務付けた結果、200人台で収まり、講義も軌道に乗り、5回目が終了しました。
例年通り、数百枚のレポートを毎週採点し、翌週に返しています。私の講義スタイルをとても良い、とレポートに書いてくれる学生も少なくなく、手法は定着したように思います。
私の発信する情報も幅が広がり、質も高まってきたようで、学生たちを覚醒させるタイミングが年々早まってきているようです。
例えば豊洲問題に深くふれることはありませんが、「真実」を知るということの大切さと合わせて、様々な情報を提供しています。
この講義では深く、かつ多角的に、社会や国家、歴史等を考えていくための重要なキーワードを学生たちに提示し、それらのキーワードを有効に使いながら講義を展開していきます。当然に、学生たちのレポートにもそれらのキーワードがふんだんに表れることになります。
竹村公太郎先生の「文明モデル」
「ストック効果」「フロー効果」 (「トンネル掘削技術の発達」の回で)
「交流」「つながる」「つなげる」「道路特定財源」 (「橋梁の発達」の回で)
「当事者意識」 (「都市の巨大化と環境問題」の回で)
「構造強化」「国土強靭化」「国民強靱化」 (「現代の自動車道路と空港の建設」の回で)
これ以外にも、「大衆社会」なども出始めました。
あっという間に5回が終わり、あと10回しかない、というのが私の実感です。伝えたいこと、知ってもらいたいことが山のようにあるので、そのように感じるのだと思います。
来週の第6回目は「自然災害の克服」、そして第7回目は「日本の近代化に貢献した土木事業」で、廣井勇や田辺朔郎らのスーパースターも登場します。
心の底から大事と思う授業に、これ以上ない全力で取り組んでおり、受講生たちも全員ではないものの多くが共鳴してくれている状況は、教師冥利に尽きると思っています。受講生たちにも感謝です。
11月も中旬に差し掛かってきたので、学生たちの研究、という意味では一番バリバリとやる時期に入ってきました。
9月に修了した博士の留学生がポスドクで4ヵ月ほど研究を続けているので、そのディスカッションはもちろんレベルが高いです。
10月に新しく仲間に加わった3名の留学生(1名は博士課程、2名は修士課程)も、早く研究に取り掛かりたいようで、研究テーマの設定の議論も進んでいますし、今年の10月に開始したOpen Hour(今日で7回目が終わりました)にも積極的に勉強のために参加しています。
Open Hourは新しく始めた試みですが、研究室の全体ゼミとは別に、私の空き時間を提供して、ミーティングルームで1時間ほど、立候補者による研究のプレゼンとディスカッションをする時間です。 一対一の議論よりも幅が広がるし、研究室ゼミよりも圧倒的に深いところまで議論ができます。よって、発表者はもちろん、聴衆もいろいろ学んていると思います。
研究が進むと誰でも楽しいので、ポジティブスパイラルに入っていくと思います。
まだ流れに乗り切れていない学生もいるようではありますが、11月の中旬の全体のレベル、雰囲気としては、これまでの5、6年くらいの中では一番良いように思います。
研究室の多くのメンバーが、問題意識を持って、努力を重ねてきた結果だと思うので、この場の雰囲気を大切に、年度末まで努力を続けていければと思います。
私は当然、環境、場の整備、改善に大きな責任を負っていますし、努力を重ねるつもりですが、私自身もこの場で大きく鍛えられることになります。
今週末もいろいろと宿題がありますが、持ち直した体調をさらに整えつつ、こなしたいと思います。次女とインフルエンザの予防接種にも行きます。
かなり久しぶりにタイに来ました。学生のころは何度か訪れていたのですが、スワンナプーム国際空港ができる大分以前に訪れて以来なので、相当に久しぶりです。
バンコクへのフライトの中で、「シン・ゴジラ」と「君の名は」を見て、どちらにも感激しました。
激務と言ってよい10月を、自分なりに満足できる形で働き終えて、一区切りする形でタイ出張が入りました。6日の日曜日に帰国した後、再びひっちゃかめっちゃかになるのは分かっていますが、出張中に心身ともにリラックスして戻りたいと思います。出張中ももちろん仕事をしっかりしますが、同志の方々とたくさん議論できるし、新しい出会いもあるし、新しいことも知れるし、海外出張のホテルは広いので体操もできるし、今回は2回ほど泳げそうだし(今朝、1回すでにしっかり泳いだ)、タイは食事もおいしいし、というわけで、働きながらリラックスです。一石二or三鳥。今朝の朝食も、田村先生とゆっくりいろいろなお話をして幸せな時間でした。
今日からがタイ出張の本番ですが、私自身、中途半端にしか知らない、タイ国でのフライアッシュの非常に先進的な有効利用の状況について様々な情報を収集することが第一義的な目的です。とても楽しみ。
付随的には、H28年度の土木学会重点研究課題委員会の成果を取りまとめる段階に入っていますが、その報告書の目次構成を固めること、もこの出張中に議論しながら達成したいことです。
10月の最終盤は、講義、研究指導、執筆関係、予算申請、事務仕事等、でフル回転状態に一度入りましたが、気分は明るかったです。 一つ一つの仕事をさせていただけることに「ありがたい」と思えさえすれば、どのような状況でもまあ何とか楽しくできるものです。9月下旬から体調管理、節制のレベルを相当に上げたので、体調がいつもよりも良かったこともその基礎になったのかと思います。
今年度が開始した4月、今年度は再スタート(2013年10月~2014年9月のフランス渡航がやはりいろいろなところに影響を及ぼしていたと思われる)を切るつもりで、研究活動を活性化させるべくいろいろと手を打ってきました。学生たちも呼応してくれたように思いますが、例年とは異なる雰囲気が醸成されてきているようには思います。10月以降、刈り取る段階に少しずつ入ってきますが、ポスドクのChamilaが英文ジャーナル論文に最低1本、できれば2本を1月末までに投稿するべく精力的に研究(トンネル覆工コンクリートのひび割れ数値シミュレーション)を進めているので、それを中核に、論文投稿にも力を入れたいと思います。
私自身が筆頭で執筆すべき、目視評価法と、SWATに関するしっかりした英語論文(ジャーナル)も、遅くとも2017年7月ごろまでに2編、投稿できるように努力、自己管理したいと思います。そのような時間を確保できるよう、新学部での時間割調整でも工夫したいと思います。
今年度中に、熱血ドボ研2030が本を出版する予定で、現在、その執筆作業も進んでいます。11月が執筆作業の山なので、充実した本になるよう、皆で刺激し合えればと思います。活動が形になっていく、ということももちろん苦労は伴いますが、とても楽しいステージであることを実感しています。
今日の午後は、タマサート大学のSIIT(シリントーン国際工学部)にてInternational Workshop。もちろん私も発表しますが、いろいろ情報交換できると思います。ディナーも含めて楽しみ!