「古代、現代に巨大建築が生まれた理由」 柏崎 昌之
かつてこの地球上の各所で、まるで申し合わせたように巨大な建造物がつくられた時代があった。文明ができ始めたころ、忽然と巨大な建造物が現れるのである。エジプトの大ピラミッドや秦の始皇帝陵、マヤ文明の神殿ピラミッドなどが挙げられる。それは日本でも例外ではなかった。倭というこの列島で最初の国が誕生しつつあった動乱の5世紀初めに、仁徳天皇の陵と伝えられる巨大古墳が築造されている。いまも大阪府堺市に濃い緑と濠に囲まれてある「前方後円墳」は世界一の規模とされ、かつては現在よりずっと海に近い小高い丘の上に、海岸に沿うように築かれていたようだ。現在は樹々が生い茂って森のように見えるが、本来は径20cmほどの小石が全体を覆い、前部が方形、後部が円形というきわめて人工的な姿をしている。さて、人はなぜ巨大建築物を生み出したのだろうか。
古代に統一国家が形成される前は、どこの社会でもいくつかの部族集団に分かれ、互いに戦い争っていた。それがいったん統一されると、突然に平和が訪れる。もともと戦争ができたということは、それに消費する余剰が人的にも生産的にもあったということにほかならない。その余剰が、平和になると途端に労働力や生産物として余ってくる。それが、このような巨大建造物工事に振り向けられたのだ。
また、この時代において、戦いが終わった新しい時代や体制の到来を周知させる方法はなかった。あらゆる地域から、あらゆる人間や物資、多様な言語がここに出会い、混交し、人と物と知識が交じり合い続けた。このことは、ほかのどんな方法をもってするよりも強力に、確実に、それまで平面的に分散していた各地域の関係を一つに統合し、いわゆる国家構造へ集めることを可能にした。すなわち、このような巨大工事をともなう大事業は、かつてない範囲から人を集め、長い時間をかけざるをえなかったからこそ、統一国家へ民衆の意識を集中させる役割を果たしたと考えられる。それはただ巨大であったばかりでなく、時代の大きな変化を知らせるためのものとして、巨大でなければならなかったのだ。
現代においては、戦争がなくなったが、情報は一瞬にして世界をめぐり、他国の成長と衰退は常に意識せざるを得なくなった。そんな中で進む巨大建築の建設は、自国の統一を示すものであったかつての目的から、他国との差異を示して相対的な実力をみるというところに変わってしまったような気がする。古代における巨大建築は、現代の超高層ビルへとシフトした。2012年に完成した東京スカイツリーは634mであり、世界2位の高さを誇っている。その当時は東アジアでは一番の建物だった。日本はその技術力と国の実力を、世界に示したのである。日本にとって、中国の経済成長は嬉しいものである半面、アジアの新たな一角の台頭による焦りもあるはずだ。632mの上海タワーをはじめ、東京スカイツリー完成後に中国の超高層ビルが次々に建設され、日本の権威が脅かされそうである。上海タワーの完成に、日本と中国の差が埋まってきたことが暗示されている。情報化が進んでしまった現代は、古代と違って他国との比較ができる点で、息苦しい時代になってしまったのである。