細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

タフな日常へ

2012-09-28 16:17:37 | 職場のこと

10月1日の月曜日から、横浜国立大学の秋学期が始まります。すなわち、講義が開講になります。

8月初旬から約2ヶ月のいわゆる夏休み期間、私自身もあまり休んだ感覚はありませんが、多くの出張を重ねてきました。非日常であったと思います。

今週は、来週からの日常に向けての準備を始めています。日常と言っても、とてもタフな年度の後半戦です。

子供の様々なお世話もしながら、もちろんいろんな方々に支えられながらですが、タフな日常と格闘していきます。今朝も、鮭の西京漬けを焼いて、子供たちの夕食の準備もしました。

世界や日本各地を飛び回る出張の非日常的な時間ももちろん楽しいですが、私は日常も大好きです。そして本質的には日常の生活が重要で、これをいかに充実させるか、戦略的に計画を立てて過ごすか、が自身のパフォーマンスを決定付けることもこれまでの経験から分かっています。

今日の午前は、研究室のスタッフミーティングと、研究室ゼミでした。博士2年が終了して10月から博士3年生になる2名が発表だったので、こってりしたゼミでしたが、10月になる前に秋学期の研究室ゼミを開始する、というのはこれまででも珍しいかと思います。今年の秋学期に対するスタッフの思いである、と理解していただきたい。

今年は、私は研究室のゼミ以外にも、私が指導する学生全員とのミーティングをなるべく毎週開催するようにしたいと思っています。早速、日程を決めました。特に、学部4年生の指導方法について、これまで必ずしもうまく行っていると思っておらず、全体をレベルアップさせるための私なりのアクションです。

また、研究室の学外での活動に、研究室の学生たちをもっと参加させるための方策も考え、手を打ちました。

来年度は、スタッフの構成にも変化が生じますので、そのことも研究室全体で意識して、秋学期を皆でチャレンジする期間にしたいと思います。みんながしっかりと意識して、高いモチベーションで半年を頑張れば、その後も大丈夫です。

今日の夜は教員の送別会。谷先生が退職なされます。どんな組織も、不変ではありません。むしろ、変化することが日常であると認識し、日々を全力で過ごしたいと思います。

 


ほめること

2012-09-26 17:32:03 | 研究のこと

人を教育するとき,また組織を率いるとき,「ほめる」のが基本である,のは言葉としては分かっているつもりです。私も心がけてはいますが,実践するのは簡単ではありません。

今朝は,この9月末に帰国する留学生との研究の打ち合わせでした。帰国を明後日に控え,いろいろと忙しいのは分かっていますが,なぜ打ち合わせをしているかというと,彼の研究成果をジャーナル論文に今後投稿していくため,実験結果についての打ち合わせを帰国前になるべく進めておきたいからです。ちなみに,帰国前日の明日の午後も打ち合わせをします。

ところが,打ち合わせになっていない。すでに博士号を取得した研究者です。仮にも自分たちの専門分野における博士同士の打ち合わせです。打ち合わせの作法というものがある。私の目で見て,全く打ち合わせになっていないので,なぜ全く打ち合わせになっていないのか,なぜ彼の説明がpresentationになっていないのか,なぜ彼の説明が単なる結果の説明に過ぎないのか,を説明しました。

今後,母国で研究活動で頑張ってもらわなくてはならない人財です。研究とは,実験をやって結果を出して,はい終わり,ではありません。研究とはどういうものなのか,私の納得するレベルで少なくとも理解はしてもらわないと,主査を務めた私自身も納得が行きません。

これからジャーナル論文を書くのであれば,骨子となる論旨が不可欠です。自分の生み出した実験結果に基づいて論旨を明確に説明することが必要です。論旨の卵でもいいのだけど,それ無しに打ち合わせになるわけがない。

帰国までに時間がない,というのもありますが,さすがにこの状況で「ほめて」育てるという手法は私にはとれませんでした。

「ダメなものはダメ」というスタンスも,私のようなレベルであれば,研究を進める上で用いざるを得ません。

ただし,相手に私の思いを納得してもらった上で,フォローはします。

「明日,良い打ち合わせができることを,心から望んでいる。」と今日の別れ際に伝え,彼も「ベストを尽くします。」と笑顔で答えていました。

私には私のやり方しかできません。明日,最後の打ち合わせとなりますが,よい打ち合わせとなりますように。 


鞆の浦へ

2012-09-21 10:53:45 | 研究のこと

世界,国内を動き回った夏休み期間でしたが,最後の宿泊の出張に出かけています。2泊の出張で広島県福山市の鞆の浦に向かっています。

今年の4月に初めて鞆の浦に行きました。「来なさい」と言われて,私の指導する学生を連れて試しに行ってみました。日本全国でほとんど失われかけている古き良き日本,人情が,鞆の浦にはまだ残っていますが,その鞆の浦も過疎,高齢化,人間関係の希薄化,災害に対する脆弱性などにさらされています。 歴史的な街並みも美しく,将来に引き継ぐべき日本人の大切な大切な財産です。

一方で,その鞆の浦の現状を打破しようという,様々な取組みが連携して行われてきており,文化,音楽,囲碁,食,日韓交流,介護,防災など,が含まれています。様々な元気な方が関わっており,私の指導している学部4年生の赤間君はすでにその中の中心人物の一人になっています。9/15には,彼が中核になって,鞆の浦の子供たちのために,大お化け屋敷大会を開催し,大盛況だったそうです。1時間待ちの行列だったとか。

さて,この鞆の浦で赤間君と私は何をしようとしているのか。ダイナミックな動きのなかに位置付けられているので,私もまだ明確にはイメージを持ち切れていませんが,「防災」が一つの鍵。古い街並み(江戸時代の建物もとても多い),高齢化ですから,災害が生じると相当に危険です。これを放置はできません。どうするか。防災の教育もとても大切になります。実は,お化け屋敷大会は,小学生たちへの防災教育の布石でもあります。防災教育においては,福山市立大学の澤田先生とも連携ができそうです。地質の専門家で,地質学と災害は切っても切り離せません。

今日,9/21~23日に,日韓交流の大イベントが鞆の浦で開催されます。若い人たちもたくさん訪れるので,それだけで鞆の浦は活気に溢れます。ポニョの舞台になった老人ホームである,さくらホームの羽田さんが中心となる介護シンポジウムも開催され,私はこれをとても楽しみにしています。実は,4月に最初に訪れたときに,「あまりにすごい地域介護なので,介護シンポジウムを開催すると全国から,将来の職業として考えている若い人たちが集まると思いますよ」と私が提案しました。おそらくそれが引き金になって,今回,介護シンポジウムも開催されます。

音楽には人が集う。今回は,非常に数多くの音楽イベントも準備されており,美しい音楽に心が響きながら,皆の交流が活性化されることでしょう。

赤間君らは,横浜で学生たちだけで飲食店を経営していますが,その仲間たちもやってきて,今回のイベントの参加者たちに料理,デザートをふるまうそうです。海鮮カレーは100人分準備するとか。また,それらの準備を,福山市立大学の学生さんたちや,プロの料理人とも連携して行うとか。非常にアクティブです。 

私は,今回は,飛び交っている情報をキャッチし,可能な範囲で中心人物たちとお話をして情報交換をし,今後も含めて赤間君のバックアップをし,今後,継続的に関与するとして,その戦略を考えたいと思っています。また,まだ十分に鞆の浦の街を歩いていないので,早朝を中心にじっくりと歩いてみたいと思っています。 

コンクリートの研究者のはずですが,少しずつ不思議な方向に変質してきているように思います。 


すべての結果の今

2012-09-19 18:01:46 | 人生論

39年5ヶ月の人生ですが,もはや決して短いとは言えません。

イギリスの見学会から昨日帰ってきて,今日の日中くらいにふと思ったことが,「これまで経験してきたすべてのことが,今の自分につながっている」という感覚です。当たり前のことかもしれませんが,教育,研究という仕事をしている私にとって,幼少からこれまでに経験してきたプラスもマイナスもすべてのことが,私を支える土台になっていると感じます。

このような人間なので,過去には悪いことも数多くやってきています。また,非常に苦しんだこともあるし,人を傷つけて今になっても後悔していることも多々あります。それらも含み,もちろんプラスの数えきれない経験も含み,今の私があります。

特に教育という仕事は,「言って聞かせる」というよりは,「背中を見せる」「行動で見せる」のが本質と思ってまして,曲りなりにも私の行動や言うことに迫力があるのは,これまで経験してきたことに基づいていると思います。今回のイギリスの見学会での,学生たちとの対話を通しても,そのことを感じました。

私自身,これまで何度も転機がありましたが,また一つ,転機を迎えようとしている感覚を持ち始めています。今の職場に来てから間もなく9年で,近々10年を迎えようとしているのがそのきっかけかと思います。これまでやってきたことをそれなりの形にまとめていくことが今の私には求められています。一方で,では,次の10年に何をするのか,何をしたいのか,が私に問われており,それに対して主体的にアクションを起こす必要性を本能的に感じているのだと思います。

まあ,苦労してもよいし,うまく運んでアクティブに攻めてもおい。何があろうとも,経験した分だけ,自身の肥やしになっていくのだから,どのような状況になろうとも前向きに行こうと思います。 


イギリス見学会を終えて

2012-09-18 10:33:12 | 教育のこと

今回は大変な見学会でした。

昨年,2011年の秋頃の教員懇親会での思い付きから始まり,年末の予算申請を中村先生が作成され,採択されて4月からは見学会の準備を少しずつ始めました。6月には参加希望者の選抜作業を行い,英語でのプレゼンも審査したりしました。メンバーが決まってからは,打ち合わせを何度も行い,学生たちが中心になって計画を作り上げていきました。

ロンドン,サザンプトン,ブリストル,バーミンガム,アイアンブリッジ,ロンドン,ケンブリッジなど,非常に移動が多く,公共交通と,貸切バスなどを駆使して,学生たちがよく段取りをしてくれました。幾多の計画変更も現地でありましたが,柔軟に対応してくれ,素晴らしいと思いました。

見学した中身については,すべてではないですが,ブログにも書いたので,またFacebookにもたくさん写真をアップしておいたので,それらを見ていただくことにします。また,このようなアクティブな活動を,受験生や一般の方々にもきちんと見ていただけるよう,教室の広報活動にも責任を感じて,実行していきたいと思います。

このような見学会は,一言で言うと「遊び」です。もしくは日本のはやり言葉で言うと,「無駄」なことです。無駄の削減,合理化,事業仕分け,の行きつく先はどのような未来でしょうか。

私の出身学科のある教授は,卒業式後の謝恩会で「稽古の貯金を大切にしろ」とおっしゃいました。一見無駄に見える余裕,蓄えたエネルギー,感性,能力が大事なのです。そうでないと,激流の中で疲弊します。また,別の教授は,「後々振り返って,エピソードになるような経験を積み重ねろ」とおっしゃいました。波乱万丈であってこそ人生です。

私も,7月末から,タンザニア,被災地,石垣島,山口,札幌,長崎,名古屋,イギリス,と飛び回ってきました。これで一段落,と言いたいところですが,今週末には鞆の浦へ2泊3日の出張です。主役ではないですが,いろんな方の思いが詰まったビッグプロジェクトからいろいろと学ばせていただきます。そして,今後も含めて,私が何か一つでも貢献できることがあれば,したいと思っています。その一つは、鞆の浦の小学校での防災教育です。主役の赤間君と連携して、今後につながる小学校での授業にチャレンジしてみたいと思っています。

昨年は,年末ごろから3ヶ月程度,全く休みなしで働きました。年始も休日も,家族との時間も大切にしますが,空いた時間で仕事を頑張りました。今年もきっとそうなることでしょう。当然,その先も,何年先も元気で頑張らなくてはならない。精神的な余裕,一級のものに触れてこそ得られる豊かな気持ち,多少のことは笑い飛ばせる度量,これらが必要です。

さあ,激務間違いなしの後半戦がいよいよ始まります。これからの半年で,またいろんなことを経験できるでしょう。楽しみです。


ブルネル

2012-09-17 05:31:58 | 教育のこと

2012年9月16日。今回のイギリス滞在の実質的な最終日。私は,4年生の山崎さんの発案の,ロイヤル・アルバート橋を見に行く旅に出かけました。ロンドンから,片道約4時間の長旅です。今回の見学会の主役である,I.K.ブルネルが設計して架設も指導した鉄道橋梁です。ラグビーボールのような形をしたアーチを使った非常に面白い橋梁です。

予定の列車が運休していたため,1時間出発が遅れて10時前にパディントン駅を列車が出発。3時間半ほど電車に乗っていたので,クリフトン橋の橋脚の近くの土産物屋で買った,I.K.ブルネルの小さい本を読みました。もちろん英語の本ですが,非常に良くできた本で,ブルネルの生涯と,代表的なプロジェクト,それにまつわる話がとても興味深くまとめられており,勉強になりました。

クリフトン橋の設計,施工に関してもとても多くの事情が絡まっており,トマス・テルフォードも大きく関わっています。残念ながら,クリフトン橋の施工の途中で資金難になり,橋の材料の鋼材もすべて債権者に売り払われ,橋脚も解体するという話まで出ましたが,ブルネルが逝去します。英国土木学会は,ブルネルの記念のための橋梁にすべく,ロンドンのテムズ川にかかっていたブルネル設計の歩道橋が撤去されるという幸運を活かし,その鋼材をクリフトン橋に用います。ブルネルが23歳のときに設計した橋梁が,自身の死後に,皆の思いが結実して,ブルネルの記念橋として竣工したのがクリフトン橋です。

今日の旅に使っている,Great Western Railwayは,パディントンから西部に広がる鉄道網ですが,これもブルネルが主導したプロジェクトです。その鉄道を使って,ブルネルの傑作の一つである,ロイヤル・アルバート橋に向かうことに感動を覚えました。

ロイヤル・アルバート橋は素晴らしかったです。何と,2年かかる補修工事の真っ最中で,補修の足場が橋梁にかかっていましたが,部分的に補修が終わった箇所と,これから補修をされる劣化した部分を見ることができて,土木技術者としてはとても興味深い状況でした。

隣に架かっている吊橋であるTamar Bridgeを渡りながら,ロイヤル・アルバート橋を堪能しました。Tamar Bridgeも,補強のためか,斜張橋のようなケーブルが2本据え付けられており,長く橋梁を使いこなしていく生の状況を学生たちと一緒に見ることができました。

一つの橋梁を見に行く旅ですが,その道中でもブルネルを通した英国土木の発展の歴史を学ぶことができ,その見識を持って橋梁,および鉄道を感慨深く味わうことができ,大人の旅となりました。

ロンドンへ3時間半かけて帰りますが,ここからは心身の調子を整え,帰国後からしっかりと仕事をできるようにしたいと思います。1週間の見学会でしたが,学生たちとともに,私も多くを感じ,多くを学びました。1ヶ月くらいの留学に相当すると思えるくらい,濃厚な時間でした。こういう仕事をさせていただいて,幸せに思います。


街歩き3つ

2012-09-16 05:37:57 | 教育のこと

2012年9月14日。朝8時にバーミンガムのホテルのロビーに集合して,中村先生と一緒に街歩きスタート。今日もハードスケジュールでして,朝はバーミンガムの街歩き,その後ロンドンに電車で移動して,ホテルにチェックインした後,ロンドンのちょっとした街歩き,その後,電車でケンブリッジに移動して街歩き+夕食。結論を先に書いておくと,ロンドンのホテルに戻ったのは夜の12時でした。充実していましたが,疲れました。

バーミンガムでは,交通の観点からの解説を専門家にいただきながら,街歩きを楽しみました。途中からは,街の中に張り巡らされた水路と街並みの融合を楽しみながら歩きました。運河が発達していたイギリスの現在の水と親しむ街の姿は,日本のいくつかの都市,街にとってとても参考になると思いました。横浜ももちろんその一つ。

ロンドンでは,再開発されたバービカンを見ました。再開発後,30年以上経っているそうですが,表面を目あらしされた,鉄筋コンクリートの建物がほとんどで,一般的な打ちっ放しコンクリートと異なる印象を受けました。とにかくイギリスでは,「持続」「伝統」を感じますが,日本の再開発された街並みが数十年後,50年後,100年後にどうなっているのか,想像を膨らませながら皆で歩きました。



ケンブリッジは,ミーハーな気分で歩きましたが,大学の建物が集まった地域の雰囲気はさすがで,数学橋もみんなで見て,その近くの"The Anchor"というレストランで夕食となりました。ロンドンよりも安くて,しかもとてもおいしいレストランで,Fish & Chipsもロンドンのパブよりも圧倒的においしく,皆が満足しました。

昨日までの見学内容とは打って変わって街歩き3つという内容でしたが,いろいろな一級のものを見て感じることが,後々の肥やしになることは間違いないでしょう。


田園都市とアーセナル

2012-09-15 16:13:41 | 教育のこと

2012年9月15日。早朝に地下鉄のEarls Court駅に集合して,田園都市の見学へ。世界初の田園都市,レッチワースへ向かいました。

開発されてから100年以上経過した街が,非常に美しい姿を保っていることに,この国のすごさを感じます。放射状に広がる道路の歩道の美しさにはため息が漏れました。我が国のニュータウンは街が老いていくにつれて種々の問題が顕在化しているそうですが,そもそも老いていく,ということを適切に想定していたかが一番の問題のように思います。膨大なインフラの劣化問題も,国民としての想定不足が一番の要因に思います。国家,国民がもっと想定力,想像力を豊かにしないといけません。

その後,ロンドンに戻る方向に少し電車に乗って,ウェリンへ。レッチワースよりも後にできた田園都市だそうですが,中村先生が心から賞賛される街です。駅を出ると目の前に公園が広がっていました。大胆な街構造で,二軸に広がる街内の庭園スペースには単純に感動しました。都市計画の専門の方々が一級と感じるものを見ておくことは,その分野の研究,教育を理解する上でよい経験をさせていただきました。何事も,とにかく一級のものを見るのがよいです。



夕方は,二つのグループに分かれて,我々はアーセナルへ。初めて,プレミアリーグの試合を見ました。アーセナル対サザンプトン。控えでしたが,吉田麻也が初出場し,記念すべき試合となりました。アーセナルが非常に強く,6対1という派手なゲームでしたが,ゴールがたくさん見れてよかった。しかも,ボックス席というバーのようなスペースも使える贅沢な席でした。アーセナルのホームで,プレミアリーグの迫力,スタジアムの一体感,ロック,ポップのイギリスのスタジアムの音楽のカッコよさを堪能しました。いろんな観点からその国を眺めることもまた大切。同行した男子学生3名は,感激しておりました。

 


世界遺産2つ

2012-09-13 17:09:55 | 教育のこと

2012年9月13日。ブリストルから長距離バスでバーミンガムへ移動。バーミンガムで貸し切りバスに乗り換えて,まず最初の目的地,ポントカサルテの水道橋に向かいました。ウェールズへ少しだけ入ったところに位置し,あのトーマス・テルフォード(英国の土木学会の初代会長)が設計した非常に美しい水道橋です。

現在は,観光のための船が運航しており,水道橋の上を歩くこともでき,絶景でした。船からの景色を楽しんだ後,水道橋の橋脚,川の方へも皆で歩き,アーチの水道橋の景色を堪能しました。

昼食を食べる時間が取れず,皆,お腹が空いていましたが,次の目的地,アイアン・ブリッジへ。

コークスを用いた鋳鉄の製造がダービー親子により行われた地に,セバーン川に架けられた鋳鉄のアーチ橋です。非常に落ち着いたシックな雰囲気で,美しさに見とれました。前日に,セバーン川の下流にかかる吊橋,斜張橋を見ていたこともあり,上流のアイアンブリッジを見た時の感動はひとしおでした。

今回の見学会はかなりタフな行程で,学生も教員も非常に勉強になっていますが,そもそもこの見学会の企画の発端になったのが,土木工学教室の教員の懇親会での,「見学会でアイアンブリッジを見に行こう!」の一言から始まっています。今回の見学会の発端の地に来て,山田先生と感慨に浸りました。夕方5時を回りましたが,皆おいしいミートパイを食べて,空腹も満たされました。その後,バーミンガムに戻って,中村先生が合流。非常に濃い教員3名が揃い,パブでわいわい夕食となりました。 


クリフトン吊橋

2012-09-12 17:09:01 | 教育のこと

2012年9月12日。朝,サザンプトンのホテルを出発。の予定が,事件発生。学生が盗難に会い,教員が2名いたのでしかるべき手続きを順番に取り,サザンプトンの美人警官と話しながら事件の調書も作ってもらいました。

被害に会った学生は山田先生とロンドンに戻って手続きをしてからブリストルへ。残りの学生たちを私が引率してブリストルへ。ブリストルに到着すると,ホテルが予定通りに予約されていない,というトラブルもあり,今日はかなり気を引き締めないといけない日のようです。

状況が一段落してから,気を取り直して,バスでクリフトン吊橋へ。その途中でも,バスの運転手が路線の途中で交代する場所で,代わりの運転手が来ない,というトラブルも発生。今日は運がないようです。

しかし,クリフトン吊橋では皆が心から感激。渓谷に,チェーンの吊橋が,明治維新前に架けられています。非常に高名なブルネルが設計し,資金難による事業の中断なども経て,結局はブルネルの死後に,彼の偉業を称える意味もこめて完成したようです。非常に美しく,ディテールも品格があり,まさに見とれました。

15時ごろにロンドンに手続きに行った部隊と合流し,山田先生のご提案で,セバーン川にかかる吊橋を見に行きました。非常に野心的な吊橋で,初めての箱断面の桁が採用された吊橋とのことです。主ケーブルからの吊材も斜めです。しかし,疲労の問題が発生し,補強もなされましたが,ウェールズとの重交通が厳しく,5kmほど下流に第2セバーン橋の斜張橋が建設されたようです。

今回は,セバーン・ビーチ線(ディーゼル機関車)の終点駅,セバーン・ビーチから徒歩で歩いて,この二つの橋梁を見ました。吊橋のセバーン橋の至近までは遠くて行けませんでしたが,2時間の散歩。吊橋のセバーン橋の手前には草原が広がり,牛たちが放牧されていました。草原,牛,セバーン橋と青空。非常に贅沢な散歩でした。

ブリストルに戻って,またまたクリフトン吊橋に行き,ライトアップされた吊橋を見ながら,皆でディナー。ライトアップにも品があり,古い素晴らしい橋梁の見せ方に心から感銘を受けました。

いろいろと大変な一日ではありましたが,非常に素晴らしい見学ができています。このような見学をできる学生たちは幸せだと思います。どれだけ彼らの肥やしになるかは知りませんが,感性の豊かな,良い仕事のできるシビルエンジニアになっていただいと心から思います。





研究室夏合宿2012の学生の感想

2012-09-08 14:50:14 | 教育のこと

せっかく学生たちが感想を提出してくれたので、土曜日に出勤した際に、研究室HPへの掲載の作業をしました。うまくサーバーへアップロードされるか分かりませんが、9/9(日)から見れるかと思います。こちらをご覧ください。

研究室HPの更新がここのところ、滞っていますが、大きな理由は私のデスクトップPCの変更(2012年5月)と、その後、HP編集ソフトウェアのインストールが遅れたことでした。 今日、かなり久しぶりに研究室HPの更新作業をしました。

研究室のHPは非常に重要で、その真の重要性を認識しているのは、研究室では私だけかと思っています。ですから、過去、かなりの時間を投資して、HPのコンテンツを整備してきました。ですが、近年、その作業の質・量が著しく落ちており、過去の遺産で食いつないでいる状況でした。

受験生はHPを見ています。我が研究室のHPの研究活動の情報がとても古い情報であるのは、申し訳なく思っています。ようやく、HPの整備環境が戻ってきたので、私も何とか時間を作って改善したいと思います。

「真の重要性を認識しているのは、研究室では私だけ」と書きました。研究室のHPとは、運営のために非常に大事なツールです。もし研究室HPが無かったら、私のブログがなかったら、研究室が今のような状態になっているとはとても思えません。何年も先を見越して、また「営業」の非常に重要なツールとしてHPを捉えているのは「私だけ」と言う意味で書きました。これは、研究室の運営費用などにも責任を持つものしか分からない感覚であろうと思います。円滑に回っているように見えても、人と金が集まらなければ、ダメなのです。

が、現在、研究室の学生スタッフにもHPの更新作業に加わってもらうように議論を開始しています。いくらスタッフと言っても、学生は研究室の運営に直接責任を負っているとまでの認識はもてません。自分も学生なので、研究室のHPの更新に本腰を入れるということはかなり難しいことです。世の中の大学の幾多のHPを見ていて、学生が運営しているHPで秀逸なものはほぼ皆無です。

プロに任せる、という選択肢もあるとは思いますが、見た目よりも中身が大事と思っています。中身はプロには作れません。自分たちの活動がすべてです。かなりの活動をしているのだから、それを適切に皆さんに見てもらう、という手段がHPです。 

見た目は格好悪くとも、これまでそれなりに築き上げてきたコンテンツが、我が研究室HPにはあるのだから、これを活用できるよう、研究室のメンバーとクリエイティブな議論を重ねたいと思います。 


条件設定と論理展開

2012-09-08 13:26:45 | 研究のこと

研究者としてのあり方そのものにつながる話かもしれませんが,従来から思っていることでもあり,ふと思考がその点に及んだので,メモ書きとして。

論理を展開する上で,境界条件,前提条件は非常に大切です。また,その条件の中で論理を展開するわけですが,その展開が正しくないと受け入れられないのも当たり前。ですが,人間ですから,条件の設定もしくは論理の展開の双方で間違いをおかすわけです。 

私は,間違いをおかさずに,論理を展開するというのが苦手です。間違いを犯してはならない,と思っているので,非常に複雑な論理を展開するという方向に進みません。設定された条件の中で,高度な理論を展開できる人をすごいと尊敬します。

一方で,土木工学だと,境界が非常に広い,複雑な問題を実際に相手に実践していきます。その場合,条件の中で高度な論理を展開する,というよりは,その条件の中での実態をどう改善するか,もしくは条件そのものを見直す,という行為が重要になります。高度な論理展開は,むしろ害悪になる場合すらある。私は,こちらでの行動が得意です。

世の中を見ていると,条件の設定の仕方で致命的な間違いをしている方もおられるし,設定した条件の中での論理展開が完全に間違っている方もおられる。難しいわけです。しかも,間違ったまま,学位論文が授与されているようなケースすらある。これはさすがにどうかと思います。

条件の設定にもフレキシブルに対応し,設定した条件の中でパーフェクトに論理展開できることが望ましいわけですが,これはとても難しい。特に条件設定が難しい。いろんな人間が関与する社会システムを相手にすると,なおさら難しい。

難しいことを自覚して,「無知の知」を常に意識して,条件設定・変更能力と,論理展開能力を磨くことが大事です。私も論理展開が苦手ですが,鍛えれば能力は向上します。また,一人でやる必要はない。いろんな人と連携しながら,チェックも受けながら,論理をブラッシュアップすればよいので,長く生きればどちらの能力も向上します。

まあ,ありとあらゆる現象があるといえども,貫く本質の共通性くらいは,生きている間に何となく分かってきそうですが,100%の真実や理論などないし,たどり着くことはそもそも人類には不可能でしょうし,気張りすぎずに,自己の研鑽を重ねようと思います。間違ってはいけない,というのも私の臆病なところなのですが,間違ってもいいじゃないか,学習すれば,というようないいかげんな方向に振れてきております。


イギリス出発前

2012-09-06 18:14:55 | 職場のこと

昨日5日は、名古屋での土木学会の全国大会に出席し、朝一番のセッションで座長。それなりに余裕を持ってホテルを出たつもりですが、セッションの教室に到着したのは開始10数分前。危なかったです。

そのセッションで教え子のJR東日本の児玉君も発表し、セッション後、コーヒーを飲みながら話をしたり、昼食も一緒に食べたり、共通セッションで東日本大震災に関連する様々な分野の発表を聴いたりしました。久しぶりに児玉君と二人で長時間話をしました。私もいつの間にか教え子の数がすごく増えていますが,とても印象に残っている強いリーダーシップを発揮してくれた教え子でした。いろいろと話をしましたが,「横浜国大に行って良かった。先生と会えたから。」とお世辞もあるでしょうが,言ってくれたのはとてもうれしいことでした。

夕方にNEXCO中日本の方々に表面吸水試験の説明でデモ。名大キャンパス内のN2Uブリッジ(ニューブリッジ)で、デモを行いました。林さんがすべて段取りし、よいデモができたかと思います。今後の規準づくりや、フィールドの提供など、バックアップしていただけることになりました。非常に心強いサポートです。夜もおいしいお酒をいただくことができました。深夜に自宅に帰宅。

今日の6日は完全に缶詰で会議。きつかったですが、お役目はきちんと果たしております。

明日7日にはいろいろと打ち合わせが詰まっていますが、子供たちのお迎えに行かなくてはなりません。かつ、示方書の維持管理編改訂の作業が終わっておらず、夏休みだというのに追われている状況です。この作業を終えてから、イギリスに出発することになります。

出張処理や、雑用もあるので、8日の土曜日も大学に来ることになりそうです。研究室の夏合宿の感想を学生たちに提出してもらっているので、これを研究室HPにアップしたいと思います。我が研究室の夏合宿の素晴らしさを,学生たちの感想を通して皆さんにも知っていただければと思います。

9日の朝にロンドンへ出発し、10名の学生を、山田先生と引率します。部分的に中村先生も合流してくださって、良い見学会になることでしょう。私もたくさん学びたいと思います。また、元気の良い学生たちなので、わいわい騒いできます。

イギリス出張中には、読書したり、早めに起床して論文を書いたりする予定で、本来の夏休みらしい時間にしたいと思います。 


研究室の運営

2012-09-04 17:44:08 | 職場のこと

私が今の職場に赴任してからもうすぐ丸9年になります。あっと言う間のようでもあり,いろんなことが詰まった密度の濃い9年であったように思います。

最初,私が赴任した直後は,研究室の活動の全体を把握することもそれほど難しいことではなく,教員3名の社会的な活動を全て合わせても大した量・質ではなかったと思われます。よって,どうやって全体のパフォーマンスを向上させていくか,考えやすかったとも言えます。

今は,質はともかく,研究室の全員で行っている活動の全貌を把握することは,私でも容易ではありません。9年間の投資で,実験設備や数値解析等のツールも格段に増え,教員3名の社会的な活動の量も圧倒的に増え,自分自身の活動だけでも相当な量に至っていると思います。

このような状況でも,当然に研究室の活動をマネジメントしていかなくてはなりません。自分自身にできることは限られている。

基本は,得意な人,できる人,やるべき人に任せることに尽きると思います。その代り,自分自身でないとできないことをしっかりやる。

メンバーの入替えの激しい組織ですから,すべてのパフォーマンスを維持することは考えない。部分的にパフォーマンスが落ちても気にしない。もちろん,事前にそれなりの対処をできるのであればするべきですが,まあ全体的に上向きのベクトルであれば良し,とするぐらいの鷹揚な気持ちでいるくらいでちょうどよいと私は思っています。

元々,大したことができる人間ではないので,私のマネジメントはこのようなやり方になります。でも,それを長所と捉えれば,私のやり方で組織が一色に染まるのではなく,構成員の真の長所を生かした成果が生まれる可能性がある,ということになります。そうありたい。

そもそも,研究室なんて,人が入れ替わることが当たり前の組織であり,教員の入れ替わりだっていつ起こるか分からないような流動的な組織です。だからこそ,一年一年,そこに集えることそのものが喜びであり,そのときのメンバーで全力で日常にチャレンジすることを楽しむべきであると思います。そう思える構成員が増えれば増えるほど,研究室の活動の質が上がっていくでしょう。 

今年度もまだまだ種まきの段階ではありますが, 年度の後半はきっと充実することでしょう。


2012-09-04 09:00:10 | 家族のこと

昨日は,子供たち2人をお迎えに行った後,食事をして,家まで歩いて帰りました。我が家は川沿いにあるので,最後,川の土手を歩いて帰りました。日曜日の夕方に,子供たちと同じ土手に虫取りに行って,コオロギやバッタを捕まえました。そのときは雨上がりだったので虫の数は少なかったです。コオロギだけ虫かごに入れて持って帰って,夜は子供部屋でコオロギの鳴き声が響いていました。

昨夜は,そのコオロギたちのために草を取ってやろうと子供たちが思っていたらしいのですが,日曜日よりもはるかに虫の数が多く,バッタも簡単に手づかみで捕まえられました。3匹ほど大きなショウリョウバッタ(2匹は茶色)を捕まえて,そのまま長女が手で持って家に帰りました。エレベータの中でおばさんが気持ち悪がってました。

夜の河原は虫の音が響き渡っていました。

大都会に住んでいますが,川沿いということもあり,子供たちには恵まれた環境だなと改めて思いました。私は幼少期,生き物にたくさん触れて育ちましたが,やはり虫の音を幼少期に聴いたことがあるかどうかは,その後に大きく影響すると思えて仕方ありません。

この夏は,子供たちと一緒に,ザリガニ,ゴマダラカミキリ,バッタ,コオロギ,セミ,セミの幼虫の羽化,カエル,などなど多くの生き物と触れ合いました。以前は虫がやや苦手だった長女も,平気で虫を捕まえてつかんでいます。

コオロギは結局子供部屋で二晩過ごしました。初日はキュウリを,昨夜はナシをあげました。虫かごで長生きさせることはできないので,今朝,早起きして一緒にすべての虫を逃がしましたが,コオロギが一匹,息絶えていました。やはり自然のものは自然で暮らすのが一番です。コオロギの死からも学んでほしいと思います。

今年やり残したことで,長女とやりたいね,と話しているのは,ツクツクホウシの羽化を見ることです。