「世に棲む日日」の終盤に、高杉晋作が、人間の人生はトータルで三銭のプラス、というようなことを言います。
村上春樹の「国境の南、太陽の西」を読んでいても、人生とは何だろう、とたびたび考えさせられます。
昨日、パリのマルシェを歩いていて、非常に活気に溢れていて、活き活きと魚を売っている女性(私と同年代)を見ていてほほえましく思ったのですが、生きるということは大変です。毎日食事を作らなくてはならないし、後片付けもしなくてはならない。そして、私も、それらの活き活きしたマルシェの人々も、皆いずれは消え去る。
毎日食べて、毎日片づけて、でも死んでしまうと、それらの営みも消え去ります。
これまで無数の人が生まれて死んで、その結果が今の世の中です。見方によっては、人間の人生はトータルでマイナスなのかもしれません。人類が活動しなかった方が、地球は美しいままだったかもしれない。
そう考えると、「三銭のプラス」とは絶妙の指摘であって、いろいろと考えさせられます。
両親や先祖の皆様のおかげで生を与えられ、人生を全うして死にます。
三銭のプラスとは何なのでしょうか。
内村鑑三の「後世への最大遺物」も考察の参考になります。
結局残るのは、広義の思想、インフラ、であって、それこそが人間がこの地球で生きていくために必須の、命がけの取組みなのでしょうね。大石久和先生の言葉をお借りすれば、大地に人間が一所懸命働きかけて、恵みを享受させていただく、そのためのインフラです。
高杉晋作の辞世の句、「おもしろき こともなきよを おもしろく」も、本質です。
プラスと思えばプラス。捉え方次第です。内村の言う「高尚なる勇ましい生涯」を全うすること、ですね。
今日は家庭の用事に対応しつつ、論文執筆作業を進めて、セーヌ川をジョギングしたいと思います。
今日はこれまでのフランス滞在で最も長時間、オフィスの机で作業したように思います。長くオフィスにいることが重要なのではありませんが、家庭の制約条件もあり、私にとっては大きなことなのです。
午前は、「PC構造の原点フレシネー」の4章を読みました。この本の中核部分で、いよいよ、フレシネーのプレストレストコンクリートの開発のところに入ってきました。圧巻です。
構造工学において20世紀の最大の発明と言われいてるプレストレストコンクリートですし、人類の構造の歴史においても、アーチ、構造材料としての鉄に並ぶ発明ですから、すさまじい革命的な偉業です。フレシネーを生んだフランスで勉強していると感慨もひとしおです。今はこの本の勉強ですが、もちろん、フレシネーの設計、施工監理した構造物の見学を近々開始します。
勉強しながら、非常に重要な内容をノートに英語で書きとめたり、メモを取ったりしながら進めています。和英併記(英文のみならず原文も記載されてますが)は素晴らしいです。
のめり込むように読んでいました。4章は読了できず、次回のお楽しみになりました。
かつて、池田尚治先生や前川宏一先生が話しておられたプレストレストコンクリートやフレシネーの生涯に関する内容は、この本に書かれていることであって、両先生ともこの本の監修、翻訳に関わられていたのだから当然です。以前から読みたいと思っていた本をじっくりと読むことができて幸せに思います。
学生の研究の指導をfacebookでした後、自身の論文執筆。ようやくある章(山口システムのひび割れ抑制効果)が固まりました。今夜から次の章(山口システムの表層品質向上効果)の執筆にかかります。図表を一つずつ手作りで作っていますので、データの検証も行いながらです。
論文執筆が一区切りした後、いくつか雑用をこなし、学生の研究レポートの添削。学生たちも指導教員のいない環境で一所懸命に頑張っています。文章の添削はむしろ私がフランスにいる方がたくさんできるので、研究レポートのやりとりを最大限に活用して、研究プロジェクトを前進させたいと思います。個別のやりとりも重要なのですが、そのやりとりをFacebookのグループでシェアするようにして、最大限に効用を高めたいと思います。
勉強が楽しく、論文執筆も進み、留学生活としては申し分のない一日となりました。こういう時間の割合をなるべく大きくしたいです。
いろんな本を並行して読み始めましたが、村上春樹の「国境の南、太陽の西」という本をスピード感よく読んでいます。
文庫本の裏の書評の一部。「日常に潜む不安をみずみずしく描く話題作」。
村上春樹の作品で私が好きな点はいくつもありますが、その一つが見事に日常を切り取ること。私も何となく感じているのだけど、そこまで明確に意識しないようなことを次々と切り取ってくれます。
私も生きた生身の人間であり、今現在を生きていますが、すべてはこれまでの積重ねの延長であり、過去から逃げることもできません。
極めて真面目に生きているつもりですが、人間は100%善でも100%悪でもありません。私の中にも悪の部分はもちろんあります。それがたまに顔を見せることもありますが、ほとんどの部分を占めている善が、その悪を飼いならしながら、大人として前進しているつもりです。ですが、今の私から見ると、若いころの自分はもちろん自己制御ができておらず、そのころに感じていたことも、村上春樹の本を読んでいるとみずみずしく思い出されます。そして、それらは決して過去ではなく、今の私ともつながっていることをしっかりと認識できます。
この本もまだ3分の1も読み終わっていないですが、読むことによって感受性が敏感になるのが分かります。
今日の火曜日は、一週間の中で最もオフィスにいる時間の長い日(といっても夕方5時過ぎには退出します)なので、読み進めている「PC構造の原点フレシネー」のいよいよプレストレスとコンクリートの開発の部分を読み、日本の学生たちの研究指導をfacebookで行った後、集中して論文執筆を進めたいと思います。
先週末もいろいろとありました。
土曜日には、次女の度重なるリクエストにより奥さんが奮起して予約してくれた、劇場でのブロードウェイミュージカル「美女と野獣」の鑑賞。すごくクオリティの高い内容で、皆が満足しました。帰宅してからの夕食でもその話題で持ちきりでした。
日曜日には、借りているホテルから、新居への最後の荷物移動。これでほぼ完全に荷物が新居に移動しました。まだ船の中で揺られている荷物も多いですが、この数か月の引越し作業の大きな一区切りです。ほっとしました。
また、子供たちも日本での慣れた生活から大きな変化を経験していることは言うまでもありませんが、それぞれ苦労しているようです。一人で抱え込む必要はなく、少なくとも家族の間では情報を共有し、うれしいことも悲しいことも共有し、問題・課題があれば一緒に考えながら解決していくポジティブな雰囲気を家庭に構築したいと思います。強くそう思ったので、日曜日の夕方以降はそのような雰囲気になるように私も努力し、実践しました。明るい雰囲気で、子供たちは寝るのを惜しがっていました。
読者の皆さんには意外かもしれませんが、私には女性的な面もあります。Facebookでは子供たちのために作ったお弁当の写真を記録として残していますが、「え?あの先生が子供のお弁当なんか作るの?」という感想を持つ人も多いと思います。私にとっては、お弁当を作ることは自然な行為で、むしろ得意な仕事の一つです。
子どもたちが学校やスクールでの生活で少し困ったことがあると知ると、それを全力で護ってやりたいという本能的な感情が昨夜は非常に強かったです。母性的な感情なのでしょうが、私にはそのような傾向があるようです。
もちろん、実際の護り方はライオンキングの父親のように、父性的な護り方となると思いますが、とにかく、何があろうとも親だけは100%、子供の味方であることを、陰に陽に示してやろうと思っています。大丈夫、君たちのパパは強い。
「世に棲む日日」の中では、高杉晋作は、家庭的なものを捨てることにより、自身の命をかけての使命を果たそうとしました。
コンクリートの混和剤の大家である服部先生からも、「世界のトップを目指したければ、夫婦のどちらでもよいがトップを目指す方を、もう片方が完全に支えなければならない。支えられて研究に没頭しなければならない」というようなアドバイスを、修士課程のときにいただいたことがあります。
今日は、家の洗濯機の修理に業者が来るらしく、私はその対応をするために自宅で仕事、片付けをしています。初めて、家に掃除機もかけます。
お弁当作りなどの家事全般に私は関わりますが、高杉晋作の生き方や服部先生のアドバイスからはほど遠い。
でも、私はそれでよいと思っています。時代は変わっています。
これからも、高杉、服部タイプのように、自分の「道」に没頭し、世界の頂点を目指すスペシャリストは必要です。
一方で、タコ壺的な状況から、横断的に、システム全体がよくなるようにダイナミックに活動する実践的な人間が、以前よりももっと必要です。
横断的にやるためには、いろんな人の気持ちが分からないといけないし、いろんなことに興味を持てる人間でないとできない。全部自分でやる必要は全くないけれど、世の中にはいろんな人がいて、それぞれの役割があり、生きがいがあるべきであることを知ろうとする人間でないとできない。
インフラの維持管理の問題は、医療の問題と似通っています。また、これらの問題も、労働・雇用の問題も、教育の問題も、大学の問題も、防災の問題も、保育園の待機児童の問題なども、 それぞれがバラバラな問題というわけではなく、根っこは共通だったりします。
私はすでに自覚していますが、タコ壺的な研究・教育で世界のトップを目指せる人間ではありません。ですが、横断的な活動では、トップレベルに迫っていけると思っており、そうすることで社会に貢献できる、と思っています。
フランスでの生活の間に、また生活そのものからも学ぶことが多そうですが、普通の家庭の主婦と同程度に家事をすることで見えてくるフランスの面も多くあります。それも、私にとってはとても大きな経験・財産になることでしょう。
さて、今日はこれから家の全部屋に掃除機をかけ、ゴミ捨てもして、それから論文執筆です。
読書は「世に棲む日日」が終わったので、村上春樹の「国境の南、太陽の西」を読み始めました。村上さんの文章はやはり私には非常に心地よい。また、中野剛志さんの「保守とは何だろうか」も読み始めており、読み応えがあり、勉強になります。
午後は、ショッピングセンターに、おたま(スープなどをすくうやつ)と、長女と遊ぶバスケットボールを買いに行く予定です。長女の小学校でバスケットボールを授業や休み時間にもやるようになっているようで、私の得意なバスケットボールを教えてあげるよ、と約束したからです。長女の快適な小学校生活のための一つの手段になればと願っています。
このブログは、自身の備忘録にもなりますので、メモのような内容も増えてくると思いますが、悪しからず。
留学中にやりたいことはそれこそ山のようにあるのですが、少しずつやりたいことの実践が始まっています。
その一つが、日本での講義資料の再構築です。
自転車操業で生きてきた結果、最新の情報をふんだんに含む講義にはなっていると思うのですが、講義資料等が十分に確立できていない状況です。デメリットがいくつかあって、
・学生が復習しにくい。
・教員の講義の準備に時間がかかる。
・教科書などの執筆につながりにくい。
などでしょうか。もちろん物事すべては両面ありますので、確立され過ぎていないからこそのライブ感とか、脱線しての雑談が多い(そちらの方が実は重要?)などのメリットもあるのですが、要はバランスです。
特に、大学院の講義の講義資料がいいかげんなので、これらの整備を留学中にしっかりしておきたいと思います。まだかなり時間があるので、後半戦のタスクでしょうか。
また、現在は担当していない科目で、「材料複合の力学」(いわゆるコンクリート構造)がありますが、近い将来担当する?つもりで、講義シラバスの作成などを今のうちから行っておこうと思います。やはりコンクリート構造は重要で、私ならではの情報をふんだんに含んだ面白い講義にしたい、と思っています。
上記と少し関連するのですが、論文執筆を進めつつ、研究成果のPPTの再構成、英語PPTの作成なども精力的に進めたいと思います。
例えば、現在執筆中の山口県システムの品質向上効果についての論文ですが、図も完成度の高いものを自分で作っています。これらの図も含んだPPTをしっかりと作っておけば、品質確保システムを日本全国に展開していくときに、同志たちに活用していただけるでしょう。
研究成果の英語のPPTは、海外での研究活動を展開する上では必須ですし、日本の大学院の英語の講義でも存分に活用できると思います。
上記のような仕事は、いわゆる「後ろ向き」の仕事ではありますが、日本にいるときにはとても時間が取れませんので、留学中の非常に大事な仕事と思っています。
今日は金曜日ということもあり、リラックスしたく、オフィスから次女のお迎えに行く電車の中では、「日本人へ -危機からの脱出篇-」 塩野七生著を読んでいました。
久しぶりに塩野さんの本を読みますが、痛快さは相変わらずで非常に納得できる部分は多いです。
民主党政権の野田総理の就任直後のころについて書かれた記事の一部。
「野党時代でも政治的カンは磨けるのではないかと言われるかもしれないが、答えは90パーセント否。政策を批判することと、政策を実行することは、天と地ほどもちがう。」
「『素質』には先天的なものが多いかもしれないが、『カン』だけは絶対に後天的なものである。ゆえにカンを磨くには、現場で積む経験しかない。現場経験にいかに多く恵まれるかでカンは磨かれ、それを使う必要に迫られたときに存分に駆使できるのだ。」
私も、自身の研究、教育では現場を重要視しますが、現場で経験を積む際に、自身の細部まで張り巡る緊張感、感性こそがカンを養う原動力なのだろうと、いつも思ってはいますが、改めて感じました。
「現場」も、自分の捉え方、考え方で、日常の結構な部分が現場になり得ます。
塩野さんのこの本の別の記事で、母国語と外国語についての記事があり、楽天、ユニクロが職場での使用言語を英語にしたことを酷評していましたが、私と全く同じ考え方でした。外国語では豊かな想像力を発揮することが不可能である、 とのこと。私のこれまでのブログでは、外国語で深い思考をすることは不可能、と記してきたと思います。
私が言うのはともかく、半世紀近くイタリアに住まれ、イタリア語の能力が日本語の能力に近いくらいの塩野さんが言われるのだから、間違いありません。
日本人であれば徹底的に日本語の能力を鍛えるべきだし、思考は徹底的に日本語で行うべき。当たり前です。
一方で、意思表明、意思伝達のツールとしての外国語、特に現代であれば英語の能力を鍛えることも重要なのは当たり前。できる人は仕事の幅が広がるし、できなければ幅が狭まるだけ。
当たり前のことが当たり前と認識され、適切に実践される世の中、社会であってもらいたいと思います。小学校の低学年から英語教育など施す必要はなく、見直すべきは中高での英語教育のやり方だと思います。
私も留学中は日本語での読書、思考、執筆は徹底して行うし、英語での勉強、執筆もたくさん行うつもりです。
予定していた日から一日延期になりましたが、私がIFSTTARに来てから初めての、研究者との一対一のディスカッションを行いました。
最初の相手は、中国人でイギリスに留学した後、IFSTTARで博士号を目指しながら研究している研究者。英語でのディスカッションでした。
数週間前に、彼がイギリスでの会議で発表したPPTがあったので、それを使って、私の机で説明してもらい、質疑からディスカッションへと発展しました。
セメント硬化体の吸着現象のヒステリシスのモデル化、なので、私が最も強い、という分野ではありませんが、まあいくつもその手の研究は見たことがあります。
ディスカッションしていて、いくつかのことを感じました。
人によるとは思いますが、博士号を目指して研究をしているレベルの人には、視野の狭い人が多いと思います。もちろん、研究のターゲットが決まった後は、しっかりと成果を仕留めるために深く掘っていく必要はあるのですが、そもそもそのターゲットがどのような意義を持っているのか、常に自問自答する必要もあると思います。プラグマティズムです。
彼の研究ももちろん意義はあると思いますが、吸着現象のヒステリシスをマクロなモデル化で表現する、というだけのレベルでは、真に世界最先端とは言えないと思います。もっと基礎的な、ミクロなレベルから構築され、 検証も材料レベルだけでなく、部材、さらには構造レベルでも行われているモデルも多数存在するためです。ただ、マクロなモデル化が悪いのではなく、その目的によると思っています。
そこで問題は、自分自身の研究の意義を問い直せるくらい、素直な気持ちで人の言うことを聞き入れられるか、ということになります。自分自身をディフェンスすることは容易だし、そのときは何かを守った気になるかもしれませんが、その後が伸びません。
彼とディスカッションしていて、視野を広げてあげること、世界にはもっと多様な研究が存在すること、研究をするにはプラグマティックに思考するのがよいこと、を気付かせてあげる必要を本能的に感じ、そのための情報提供を自然にしていました。
教育とは、特に大学や実社会での教育とは、知識を授けることではなく、物の見方についてアドバイスしてあげることだと思っています。
特定の物の見方を教えるのではなく、それぞれの人が自分の望む方向に伸びていけるような物の見方を構築できるように、そのための参考になる考え方をヒントとして授けることだと思っています。研究者とは皆プロの職人であり、自分の仕事の精度を高めるための努力は、人に教わらずとも自分でするものです。やはり大事なのは、研究のテーマ設定、社会の課題の捉え方、手法の選択であり、それは研究者自身の物の見方に左右されます。
次の彼とのディスカッションでは、私の研究の一つを紹介することにしました。
最初の一対一のディスカッションが終わりましたが、やはりディスカッションをすることが最も有意義でいろんな意味で効率的だと感じました。第二弾、第三弾を焦らず仕掛けていきたいと思います。
フランス滞在中に重点的にやりたいことの一つに論文執筆があります。和英のジャーナル論文、国際会議論文など、書きたいものがリストにたくさん並んでいます。
指導する博士課程の学生たちが執筆するジャーナル論文、私が筆頭で執筆する論文などが主です。
一つ、高エーライトセメントのひび割れ抵抗性の改善効果に関する留学生の論文の投稿が完了しました。
現在、最終審査を終えた小松君のジャーナル論文の一本目の投稿準備が進んでおり、もう何回か添削をすると原稿が完成でしょうか。この論文は英語でも執筆することになっていますし、もう一本別の論文の執筆も予定しているので、頑張ってもらえればと思います。私も丁寧に添削をさせてもらっています。
私が筆頭著者の論文としては、山口県のシステムの品質向上効果の論文執筆を進めており、グラフも自分で作っており、この週末も作業を進めます。
上記の山口県の論文の投稿が終わったら、SWATの英語論文、目視評価の英語論文を早めに執筆したいと思っており、優先順位を高く設定しています。
バランス良くスケジュールされた日常において、毎日コツコツと作業したいと思います。
今朝のパリは非常に寒く、通勤時に小雨も降っており、電車も混んでいたので、やや体調が悪くなりました。
最近、通勤の行きの時間は、ほぼいつもフランス語の勉強(Speed Learning)に当てていました。朝の頭は冴えているので、語学の勉強にも適していると思いますが、当然にフランス語の勉強をしているときは他のことを考えない。
電車での時間というのは読書や思索にも適しています。列車振動のリズムがあるからでしょうか。
今朝は体調が悪かったこともあり、フランス語の勉強をやめて、聴きたい音楽を聴いていました。 そうすると、途端に研究のことをいろいろと考え始めました。来年1月には私の指導している修士の学生が二名、IFSTTARにインターンでやってきます。実験等の研究活動を行うことになっていますので、もちろん有意義な時間になるよう私もできうる段取りをしたいと思っています。SWATもフランスに移送する予定です。その研究テーマや段取りのことなどをぼーっと考えていました。
とにかく思考することが重要。思考、コミュニケーションにより研究が進んでいきます。研究所の机で考えればよい、と思うかもしれませんが、思考に適した場所というものがあります。
「留学」という名目で来ているので、やはり勉強、研究していないと後ろめたい気持ちになるわけです。上記の例で言えば、通勤中にフランス語の勉強をすることは、満足心につながり、実際にフランス語も少しは上達するでしょうから悪いことではありません。ですが、勉強して満足するこばかりに没頭すると、リラックスした時間での研究の思考の機会を妨げることになる。
何事もバランス、ですが、自分自身の生活での過ごし方のバランスを取ることがやはり重要であり、常にいろんなことを試しながら、結果をチェックする必要があると改めて感じました。
あれもこれもやりたいことはあるし、家庭の仕事もあるし、結局どこにいても時間があり余るということはありえないのですが、模索しながらバランスの良い時間を重ねていきたいと思います。
なんだかんだ言っても「真面目」な性格であり、サボる性格ではないため、思い切ってリラックスする時間を取ることがポイントかなと思っています。
そういう意味では、毎週水曜日の次女との散策は、一つの大事な時間になりそうです。
私が日本出張を終えて、本格的なパリ滞在を始めて二週目になります。
水曜日は、次女のスクールが午前だけなので、今のところ、水曜日は私が次女のお世話をし、長女のお迎えや夕食の準備などをすることになっています。
仕事、という面ではもちろん不利なのですが、仕事だけして人生が充実するわけでもなく、仕事をする時間はほかにいくらでも創り出せます。また、家族みなが心身ともに健康であることが、すべての活動の基盤になります。
というわけで、水曜日を貴重なチャンスと捉え、次女とあちこち探検することにしました。
第一回の次女との散策は、凱旋門。家からもメトロで5駅、と非常に近く、私も上に登るのは初めてでした。
シャンゼリゼ通りの眺めが素晴らしかったのは言うまでもありませんが、凱旋門の中にもさまざまな見どころがあり、"Etoile"(星)という駅名の由来も知ることができ、満足です。
私自身もいろいろと感じますが、次女にいろんなものを見て、次女なりに感じてもらえればと願っています。
凱旋門から帰るメトロの中から撮影したエッフェル塔。最寄駅に到着する直前に撮ったので、エッフェル塔は本当に我が家の近くです。
帰宅後、溜まった洗濯物を、まだ借りているホテルのコインランドリーで洗濯+乾燥。
今日は水曜日だったので、次女のスクールの帰りに、マルシェで食材を買い物。ホタテ貝や、ミニキャベツなどを買い、夕食にはクリームシチューを作りました。初めて、ホワイトソースも自分で作りましたが、家族みながおいしく食べてくれました。
シチューができると、具を変えるといろんなおいしいシチューができるので、寒い冬のパリでは強力な武器になりそうです。
Bonjour ! Nous sommes mardi. 今日は火曜日です。
新居からの通勤、通学も二日目です。昨日、月曜日は帰りに子供たちをお迎えし、自宅に戻ってから買出し。食材や、タオル、サランラップなどを買いました。夕食も作りましたが、ようやくキッチンの使い勝手が良くなってきました。また、新居で三泊したので、かなり住み心地も良くなってきました。
今朝は、少し惰眠をむさぼってしまい、6時前に起床。長女の出発が7:25なので、お弁当を作る時間が気になります。
写真は次女の小さいお弁当の方ですが、二つのお弁当を作りました。チキンの他に、昨夜の夕食のサーモンのムニエル(カレー風味)も実は入っております。おにぎりはひじきです。黄色く見えるのは、ゆで卵を刻んでマヨネーズで和えたおかず。
毎日私が作るわけではありませんが、朝のお弁当は私の出番が多くなりそうです。
私は料理を作るのが嫌いではなく、むしろ結構好きな方だと思っています。時間に追われるのはややストレスになりますが、朝のお弁当作りも楽しいし、夕食も自分で作ったものを家族がおいしく食べてくれるのは幸せです。
料理は非常に創造的な行為ですが、すぐに食べて無くなってしまうので儚い行為でもあります。
それでも、食事は人間が毎日行う根源的なイベントです。健康によいものを、おいしくいただけることは幸せなことです。
また、私は父親にお弁当を作ってもらった記憶はありませんが、私の子供たちにとって父親のお弁当を食べることは、決して悪い影響はないと思っています。私と子供たちの絆を築いていく上で、大切な役割をしてくれると思いながら作っています。
日本にいるときよりも、外食の機会が圧倒的に減るので、はるかに料理をする機会が増えます。レパートリーを増やす必要を強く感じており、日本出張のときにフライパンでできる料理のレシピ本を電子図書で購入しました。パラパラと見ているととても参考になり、強い味方になりそうです。
日本にいるときと、使う能力、感じることがかなり異なりますが、それが留学の醍醐味でしょうか。
今朝は初めて、新居からの通勤・通学でした。
キッチンもまだ使い慣れていないため、子供たちのお弁当を無事に作れるか不安だったため、早く起床しました。キッチンが使い慣れていないだけでなく、食材も十分に揃っているとは言えないからです。
鮭ときのこの炊込みご飯(無印商品)、昨日マルシェで買ったチキン、じゃがいもをゆでたもの、アボカドを生ハムで巻いたもの、のお弁当にしました。
何とか長女の通学時間に間に合い、長女と二人で出発しました。新居からの通学、通勤が無事にスタートして、さわやかな気分でした。
まだ平日の生活が確立される過程ですが、シッターさんのサポートが確立できるまでは、子どもたちのお迎えに行かなくてはなりません。職場を14:20分に出ないとお迎えに間に合わないので、オフィスにいる時間も限られます。
幸いに、自宅でWiFiが使えるようになったので、オフィスでの時間制限はあまり気にならなくなりました。
お弁当作りもすぐに日常の一部になると思いますが、数日先まで食材が揃っているのが望ましく、今日の帰宅後に子どもたちと買出しに行こうと思います。
また、今日は初めて、クリーニング屋(Pressing)にも行ってみたいと思います。
さあ、一週間が始まります。仕事は、博士学生の投稿論文の添削、自身の論文執筆(山口システムの品質向上効果)、大型予算の申請書作成の作戦などを軸に、種々の勉強をバランスよく進めたいと思います。
奥さんが頑張って見つけて契約した新居での生活が昨日からスタートしました。エッフェル塔もすぐ近くに見える、15区のとても便利な住みやすい場所です。
昨夜は初めてみんなで新居に泊まりました。夕食は中華のお総菜屋さんで軽く食べ、チーズ専門店でおいしそうなチーズを三つ買い、果物屋でベリー、ブドウ、干しイチジクなどを買って、新居で家族パーティーをしました。みんなハイテンションで気分よく眠りにつきました。
今日、日曜日は、マルシェで買出しをした後、ホテルに戻って昼食。マルシェで買ったチキンの丸焼きなどでおいしくランチをいただきました。その後、新居に荷物を運ぶ作業。スーツケースやキャリーで大量に移送。私と長女は二往復し、へとへとになりましたが、かなりの荷物を新居に移すことができました。隙間を縫ってホテルのコインランドリーで洗濯も済ませました。
日曜日のディナーは、マルシェで買ったムール貝のワイン蒸し。家族が大好きな、こちらでのママの定番料理になっています。
現在は夕食後で、長女の部屋の勉強机(丸テーブル)で、長女は学校の宿題を、私はこのブログの記事を書いています。奥さんが設定してくれたWiFiのおかげで、家のどこでもインターネットが使えるようになり、私の機動力も格段にアップしました。
家でも問題なく仕事ができる状態になったので、明日からの平日は、新居での家族の生活がスムーズに立ち上がるようにサポートしたいと思います。子供たちのお弁当作り、子供たちの送り、お迎え、夕食作り、生活必需品の買出しなどをやりつつ、自身の仕事を着実に進めたいと思います。
いよいよ、フランス生活の第三ステージが本格始動です。
人間,長所と短所は表裏一体,ということは何度もこのブログでも記してきたことです。
学生のころから岡村先生に教わってきたことですが,年齢を重ねるごとに自身の実体験や他者の観察から,これが真実であることの理解を深めています。
私は「いいかげん」な人間だと思っています。
詰めが甘い,という短所でもあるのですが,自分の最も良いと思う状態がこの状態であることが多く,私の考え方そのものが表れていると思っています。
きっちりと細部を詰めることももちろん非常に重要なのですが,押え込みすぎると発展性が無くなる。
私は学会の委員会の幹事長を三回務めました。すべて委員長,周囲の皆様のおかげで,非常に自由にやらせていただきましたが,特にJCIのデータベース委員会は,委員長の田村先生の大きな懐のもと,まさに私のやりたいようにやらせていただきました。
多くの委員の方々が,「発散してしまうのではないか」と私の運営方法を心配され,懇親会などで何度も私に声をかけていただきましたが,「大丈夫です」と答えました。
委員会の発足当初から決まっている目標に向けて委員に作業を割り振って片づけていく,というような委員会は私には全く不向きです。
データベース委員会のように,目的そのものが進化,発展していくような委員会で私の真価が発揮されます。復興道路の構造物の品質確保や地域への展開,はまさにこの委員会の活動と歩を揃えるように育ったプロジェクトですが,次々と展開が広がっていく状態を創り出すことは,いいかげんさが根底にあります。事前に想定した目標など,どんどんと突き破って展開していただくポジティブな雰囲気を,委員会中に充満させることを常に意識して運営しました。
強力な信念とエネルギーを底に携えた,楽観的ないいかげんさ,です。
一方で,細部を詰めていくことも重要で,こちらは現状では,論文投稿の作業で鍛えています。博士課程の学生らとの論文投稿では特に私のチェック能力が鍛えられますし,筆頭著者の論文では,自身の思考・経験を和文,英文,図表で形にしていく一つ一つのプロセスを,フランスでのゆったりした時間の中で楽しみながらできることを幸せに思います。このプロセスでは,いいかげんさと闘うことが大きな課題です。
国立大学の教員ですから、当然に公に奉仕するための人間であるわけです。
公のことを常に考えて行動しているつもりではありますが、一つの人間の中に当然ながら私の部分もあり、完全に切り分けることはできません。
私の部分にばかり注力するわけにはいきませんが、私が充実することによって公に貢献できる状態に至るのも事実です。
昨日は、職場からの帰りにオルセー美術館の近くのSolferino歩道橋を見学しました。橋の本で予習していったので、見どころも分かっており、充実した時間でした。
このような見学は、気分転換にもなるし、美しいものを見てのセンスの涵養にもつながるし、どちらかというと私、の部分の行動に見えます。しかし、当然にこれらの経験は土木史などの講義にも反映しますし、日本からの知人が私を訪問してきたときのもてなしツールにもなります。これらの経験の積重ねが私の総合力のアップにもつながり、結局、公のためになります。
11/10にパリに到着後は、非常に健康的な生活を送っており、毎晩、私は家族で一番先に、夜の8時過ぎには寝てしまいます。時差の関係もあるのでしょうが。そして朝は4時台には起床して、仕事をしたり、家族の朝食や子供たちのお弁当を作ったりもしています。そして、毎朝、テレビ体操・ラジオ体操(何も見ずに一人でやる)をしています。
体が健康であることや、体操をすることも、私、の行動ですが、肉体が健全であることにより、こちらでの活動も活性化し、総力アップにつながり、結局、公のためになる。
そのように考えると、未明の体操など、私的な生活のほぼすべての部分を充実させるモチベーションになります。
来週の木曜日には、中国人の研究者と研究のディスかションをすることにしました。とにかく人とコミュニケーションするのが、有益な情報を得る最短ルートです。どのようなディスカッションになるか分かりませんが、私とディスカッションすることに意義があることが、他のメンバーにも伝わっていけば、多くの研究者、博士課程の学生とディスカッションできるようになっていくでしょう。ですから、すべてのディスカッションを楽しく、真剣にやろうと思います。
まだ片づけないといけない仕事がいくつか残っている状態ではもちろんありますが、処理がかなり進んできたので、来週あたりから、いよいよ自身が筆頭著者の論文執筆に取りかかることができそうです。この作業は、フランス滞在中の主目的の一つでもあるので、 時間がたっぷりあることを十分に活用して、完成度の高い原稿を投稿できるようにベストを尽くしたいと思います。