「東京湾アクアラインは本当に上総地域に良い影響をもたらしたのか」
松田 大生
今回の講義のテーマは「トンネル」であった。地元が千葉県袖ケ浦市である私にとって、一番真っ先に思い浮かぶトンネルは東京湾アクアラインのトンネルである。また、千葉県袖ケ浦市を含んだ地域は、1997年に神奈川県川崎市と千葉県木更津市を結ぶ東京湾アクアラインが開通により大きな変革を遂げてきた。私は約20年間袖ケ浦市近辺で暮らしてきたが、少なからず影響があったように感じる。それらはどのように私の地元に作用し、これからどうなっていくのか考えたい。
考察の前に、東京湾アクアラインの通行料などの歴史について軽く振り返る。神奈川県川崎市から東京湾を横断して千葉県木更津市まで至る総延長約15キロの高速道路である。1997年に開業したが、開通時の通行量は当時の想定を大幅に下回った。それは高額な通行料金からであり、開通当時の普通車料金は片道4,000円であった。そのため、館山自動車道~京葉道路や東関東自動車道を経由して東京へと向かっていた自動車利用者がアクアラインに転換しなかったためである。そのため約1兆4,500億円と言われた建設費用の費用対効果の面で批判を受け、フロー効果の例と呼ばれても仕方がなかった。だが、館山自動車の全通、圏央道が木更津市から東金市までつながったことにより南房総だけでなく外房地域方面への所要時間の短縮されたこと、更には2009年に森田健作がETC搭載車に限りアクアラインの通行料金を800円に引き下げるといった公約で出馬・当選し、実際に県・国の補助金を経て実行された。そのため通行量は値下げ前と比較して約4倍と増加し、通行量の引き下げによる経済効果は2年間で約1,150億円と試算されるほど上総・安房地域をはじめとする千葉県諸地域に利益をもたらした。現在も値下げは継続されており、2022年2月には熊谷俊人千葉県知事が値下げ継続を要望、国交省も経済効果が大きいと回答し、2025年までの延長が見込まれている。
上記の通行料金値下げから、実際に木更津市のアクアライン周辺へと三井アウトレットパーク、コストコといった大規模な商業施設が進出し、毎週末は多くの賑わいを見せるようになった。以前は袖ケ浦市の袖ケ浦駅前~アクアライン付近は、一面に田んぼが広がっていた。だがアクアライン開業後は大規模な商業施設や住宅街、更にいくつかマンションが建設されるなど、経済効果は目に見える形であり、三井アウトレット木更津周辺の変革の様子に、私はこの付近を通るごとに発展しているように感じた。アクアラインの通行料金引き下げから木更津市や袖ケ浦市の人口の増加も目に見える形となっている。アクアラインの近くだけでなく未開発地域を開発しての住宅地の増加が進み、京浜地域へと通勤する人が東京や神奈川から対岸の千葉へと越してくる事例も見られる。現在もその発展・賑わいは続いており、週末になると一日中アウトレットパークがある木更津金田インター周辺は混雑し、アクアラインでは、毎週末のように渋滞が見られる。上総地域だけではなく、マザー牧場や鋸山、館山地域といった南房総の観光地も東京からの所要時間は大きく短縮され、館山自動車の二車線化もあり多くの観光客が東京・神奈川方面からやってきている。運賃値下げが続く限りはこれから急に観光客・買い物客が減ることは考えづらく、東京湾アクアラインは、これからも上総地域を中心に多くの経済効果を与えていくであろう。これぞまさに「ストック効果」である。
一方で、これだけの経済効果などの目に見える形で上総地域をメインに発展を及ぼしているアクアラインが及ぼした影響は、良い形だけではないと自信を持って言える。その悪い影響は、木更津駅前を中心とした既存の繁華街を廃れさせたこと、内房線や東京湾を横断する交通機関に大きなダメージを与えたことである。特に後者は、通学や通塾、遊びへと出かけるのに必ず用いていた内房線が目に見える形で衰退していくのを自分の目で眺めていたため、印象に大きく残っている。実際に、アクアライン開通前は毎時1本走っていた東京~館山・千倉の特急「さざなみ」はアクアライン開通・通行料金値下げからみるみるうちに本数が減っていき、とうとう2015年に土休日の運行を廃止、平日も君津までに運行区間を短縮するなど、通勤特急と化してしまった。それでも空席が目立っている状況であり、いつ廃止となってもおかしくない状況である。普通電車も、毎時4~5本あったものが昼間は毎時3本まで削減され、更に君津以南は新型車両を導入して2両編成ワンマン運転をするようになってしまった。このように、内房線はアクアラインや館山自動車の影響を大きく受けた。また、前者の木更津市中心部の繫華街の廃れ方はもう不可逆の領域まで達してしまった。駅前にあったそごうやスーパーマーケットといった商業施設は相次いで撤退し、旅館などは閉店が相次ぎ、現在の木更津駅前の商店街はいつ見ても人通りがあることはなく、見る目も当てられない状況である。アクアラインが開業し、そして値下げが図られても木更津駅前に人通りが戻ることはない。また大規模な商業施設の開発でも、駅前ではなく、駅から距離のある自動車で行くことを前提とした地域を大規模に開発しているため、駅前の地域はより一層廃れていっている。
このように、地元の住民であった自分からすれば、アクアラインがもたらしたものは必ずしもいい影響ではないと感じていた。また、自動車を持たず移動手段が公共交通機関しかない学生や高齢者の方々にとってもそうであろう。アクアラインのもたらした経済効果は、上総地域の暮らしを自動車が必須なものに仕立て上げて成り立っているといっても過言ではないだろう。確かに現在は子育て世代が多く流入し、地元の人々も自動車を持ち暮らしているため問題がないであろう。だが、数十年後はどうか。子育て世代が高齢化し、そして自動車を運転できなくなる世代も出てくるであろう。その際に、内房線はまともに使える本数ではなくなっていて、また商業施設は自動車を使うこと前提の立地となっている。そうなれば商業施設へと来店する人は次第といなくなり、地域の外からの来客に頼らざるを得ない状況となる。地元を犠牲にして成り立つ発展は将来的にはいい結果を招かず、そして最終的には共倒れと相成る。
現在、市や県の政治家はアクアラインから得られる経済効果のみに目が向いており、木更津駅前の中心市街地の過疎化に関しては何も手が打たれていない状況となっている。そのため、このままの状態でいくと内房線の駅付近の中心市街地は一層過疎が進み、内房線はさらに本数が減り、より一層自動車前提のまちとなっていくであろう。そして数十年後には上記の状態となりかねない。最終的ににっちもさっちもいかない状態になることを回避するためには、駅周辺の再開発やスプロール拡大防止を市や県が介入して進めるべきである。例えば、大規模な商業施設の誘致の際は駅から徒歩で移動可能な距離に設置する(もちろん人が入らなければ意味がないので大規模な駐車場併設等、自動車の利用者にとっても不便にならないようにする)など、駅周辺などの中心市街地に人の賑わいを取り戻さなければならない。これからも私の地元である地域が廃れていかないよう、自治体が様々な方策を行うのか、注視していきたい。
「トンネルのストック効果を整理する」
堀 雅也
本日の講義はトンネルに関してであったが、ストック効果に関しても熱いお話を聞くことが出来たので、この2つの関係について整理したい。
まず、トンネルの役割を大きく2つに分けたい。水底トンネルや山岳トンネルのように地下を通すほかない区間に道路や鉄道を通すものと、地下鉄や山手トンネルなどのように地上の設備と干渉しないように地下に掘るものに分けて、それぞれのストック効果に関して述べる。
前者のトンネルの最大のメリットは、山岳や海洋、湖沼、河川など鉄道を通せない自然地形に遮られることなく、短い距離で結ぶことが可能である点である。この「距離の短さ」は、ただ走行距離が改善するだけでなく、高速で走行する鉄道などにおいては線形の直線化というメリットが存在するのがとても大きい。実際、上越新幹線で制限速度を上げた区間は山岳トンネルの長い下り直線区間であった。いくら車両が改善されようと、カーブが急であれば速度は出せないので、トンネルを掘って線形を改善する事で、数十年単位で所要時間を短縮することが出来る。たとえば、トンネルの建設で1分所要時間が短縮され、1日に3万人が利用しているとすると、50年経てば5.5億分、つまり1000年以上の時間が節約できたこととなる。このように時間で積分したものが恩恵として返ってくるのがストック効果の大切な点である。
また、これは特に道路の場合であるが、山沿いの道路しか無かった地域に、長大なトンネルを掘削して新しい道路が開通する事で、バス網の主要路が形成される事が多々ある。たとえば長野県白馬村から長野市方面へと結ぶ国道406号は北側の鬼無里方面に抜けた後、裾花川沿いを蛇行しながら進んでおり、酷道とも評される低規格の道路であるが、長野五輪前に主要地方道の指定を受けた南方の県道31号、33号、更に日高トンネルを掘削して作った31号バイパスはとても高規格であり、バスは白馬・長野間の45km程度の道のりを1時間20分ほどで結んでいる。松本方面にしか出られない大町・白馬エリアから長野へのアクセスを格段に向上させたこれらの道路により、大町・白馬エリアが長野への通勤圏に、そして大町・白馬エリアが長野から足を延ばす観光圏内になったのである。トンネルの活用によりエリアとエリアが密接になり、経済圏が広がったことで、県や関係市町村、観光業者、通勤客、旅行者などが末永く恩恵を受けられる、これが第二のトンネルによるストック効果である。
一方後者のトンネルの最大のメリットは、都市空間を最大限に活用できる点である。鉄道や道路によって分断された街という表現はしばしば耳にするが、都市部では大きなインフラを境に街の様子までもがガラッと変わっている例が少なくない。京都のように、鉄道が高架化されても未だに南北格差が消えていないと指摘される都市すら存在する。これに対して、地下空間は地上を歩く人の目に見えず、景観保護の上でも役立つ上に、街を分断することもなく、上部の構造物を阻害する事も無い。これを成り立たせているのが他でもない、トンネルである。
地下鉄の発展は東京の街を大きく変貌させた。それまで東京市電改め都電が縦横無尽に走っていたとはいえ、昭和初期までの旧東京市区域しかカバー出来ておらず、その外側はわずかに杉並線や志村線が走っていたのみであった。また、当時はまだ旧郡部が現在の郊外のような様相を呈しており、農村の広がる村も多かったため、都市域が実際に旧市域と然程かけ離れることも無かったため、特に問題は無かった。しかし戦後になって都市部が広がると、さすがに路面電車と地下鉄銀座線、そしてまだ発達していなかった国電ではカバーが出来なくなり、戦後間もない昭和20年代には早くも地下鉄5路線の計画が作られる。
その後も続いた地下鉄の建設とともに発展を遂げ、世界一の都市となった東京であるが、この大都市に地下鉄が不可欠なのは誰が見ても明らかであろう。近年、LRTの発達により都市交通もLRTに任せる機運が高まっているが、それは東京より遥かに小さい都市だから成り立つものである。東京は、トンネルに支えられ、トンネルとともにこれからも発展していくだろう。この発展こそ、ストック効果である。
参考
東京の地下鉄建設の歴史年表 地下鉄博物館
JTB小さな時刻表2022春 JTBパブリッシング 2022年
「ストック効果の重要性」
藤田 光
今回の土木史と文明の授業では、主にトンネルについての授業であったが、それに関連して様々なことを学ぶことができた。
今回の授業では、まずストック効果についての話題があった。参考文献*1によると、ストック効果は、「整備された社会資本が機能することで、整備直後から継続的かつ中長期にわたって得られる効果」と記載されている。今回の授業ではトンネルというテーマということもあり、山にトンネルを切り開くことで輸送のスピードを速めることで移動時間の短縮等による「生産性向上効果」におけるストック効果についてかなり学ぶことができた。一方で、*1の参考文献を読んでいて防災から国土を守る働きをしていることを改めて実感した。まず具体的には、首都圏外郭放水路が挙げられる。首都圏外郭放水路の整備により春日部市の浸水戸数が約7000戸(昭和50年(1975)~59年(1984)の平均)から約500戸(平成7年(1995)~26年(2014)の平均)に減少した。首都圏外郭放水路が完成したことにより中長期に渡り洪水の被害を減らしているという点から首都圏外郭放水路は立派なストック効果を果たしていると言える。また、近年は、川沿いの公園に遊水地を設け、川の水が増水をする際にはその遊水地に水が入るようにし、川の氾濫を防ぐ取組みが進んでいる。1つの土地を場合に応じて使い分けるように設計し、より土地の効率性をことも今後はますます重要になっていくのではないかと感じた。さらに、防災の場合、大学の近くは崖が多いが抑止工、抑制工を用いて対策を行っている所もあり、それにより中長期で人々の暮らしが災害から守られている。勿論、上記に記した遊水地の建設や急な斜面における抑止工や抑制工等の対策も立派なストック効果であると考える。
今回の授業では青函トンネル、丹那トンネル、深良用水のトンネルや青の洞門等、数多くのトンネルについて実際に学んだ。その中でも丹那トンネルは世界でも稀な難工事であり、掘削スピードが非常に遅かったことから詳しく調べてみた。
丹那トンネルは、東海道本線の熱海駅〜函南駅間に横たわる全長7804mのトンネルで、昭和9年(1934)に開通した。複線トンネルとしては当時、日本一の規模を誇っていた。
明治42年(1909)に輸送力が逼迫し、早期改善が急務とされていた御殿場回りの東海道本線を代替えする路線の検討が行われた。大正2年(1913)に熱海経由のルートが決定、測量に着手した。大正7年(1918)に工事費770万円が計上され、同年3月21日、熱海町の梅園付近の坑口予定地で起工式が行われた。丹那トンネルは排煙効果の高い、また、脱線事故等に際しての復旧作業を考慮し、NATMで掘削するという当時の技術では画期的な工事だった。掘削では削岩機を利用する予定だったが、第一次世界大戦による好景気により電力価格が高騰したことため、工事はカンテラ照明の中でツルハシを使用した原始的な手掘りで開始された。その後、蒸気機関を利用した空気圧削機が採用され作業効率が飛躍的に向上した。建設現場に電力供給が行われるようになったのは大正10年(1921)のことであった。照明が電灯に切り替えられたほか、牛馬に頼っていた余土輸送にも電気機関車が利用されることになった。
しかし、トンネルの掘削は大量の湧水との闘いとなり、崩落事故、関東大震災、北伊豆地震なども加わり、難工事を極め、多数の死者や負傷者も発生した。また、温泉余土という水を吸収して膨張する岩石にも悩まされた。
そのような中、工期は16年に及び、総工費は2600万円と膨れたが、幾多の困難を乗り越えて昭和8年(1933)に貫通し、翌9年12月に開通した。丹那トンネルの開通により、東海道本線は熱海経由となり走行時間が40〜50分も短縮された。同時に電化も行なわれた。このような丹那トンネルは現在も旅客の輸送に使用されているため、その時点でもかなりのストック効果を発揮していると言える。また、私自身も丹那トンネルを何回か利用した時があるが、そのことを知ってからはいつもそのトンネルを通る度に先人への感謝の気持ちを感じて利用させていただいてもらっていると同時に、自分も将来そのような立派な土木構造物を作ることで社会に貢献したいなと感じている。
また、最近では相鉄・東急直通線のトンネルも個人的にはかなり気になっている。実際に、昨年の4月には綱島トンネルへ、今年の6月には新横浜駅の現場見学に行ったが、かなり迫力があった。
まずは、綱島トンネルでの経験から述べる。綱島トンネルを見学した時は学部1年の入学したての時であった。まずは、ヘルメットを被り、安全チョッキを着て、軍手をはめてから現場に入った。工事現場では様々な作業車が動いており、周りの音がかなり大きかった。また、トンネル内は外の気温よりも暑く、トンネルの中は酸素濃度が少ないと感じた。この時に人生で初めて現場の臨場感というものを知った。また、シールドトンネルのセグメントの合成部について実際に見ることができた。また、その当時はトンネル内部に水が出て来る様子を多数見つけ、どうしてその現象が起きているのかについても気になったが、土中には地下水が含まれており、そこの部分を掘削するとき等に地下水が出水して来てしまうということを学んだ。今回の授業においても青函トンネルや丹那トンネルの建設においては地下水の流出が大問題であり、この問題により建設に時間がかかってしまったことも学んだ。トンネル建設と地下水との闘いは昔から続いて来て、現在は人間側の技術進歩により昔ほどは地下水の出水に悩まされることは少なくなったが、それでもまだ地下水との闘いは続いているということを改めて実感させられた。
次に、学部2年の6月に訪問した新横浜トンネルでの経験を述べる。今年の6月に訪問したため、トンネル工事は全て終了していて駅のコンコースや階段、エレベーター、エスカレーターの建設工事、線路・枕木の工事等を行っていた。そのような駅における設備も生活を支える上で重要なものであるということを再認識させられた。また、周辺に既に様々な設備が立体的にある新横浜駅ではそれらの設備との関係も考えた上で建設をしなければいけないため、都市部で構造物を建設する際はその部分も大変であることを学んだ。
相鉄・東急直通線は、横浜地域での開発なため、かなり身近に感じた。実際に、開通するとかなりの効果を発揮するものと考えられる。現在の相鉄・JR直通線は朝ラッシュの時間帯は毎時4本、その他時間帯は毎時2~3本である。相鉄・東急直通線は、朝ラッシュ時間帯の運行本数が毎時14本、その他時間帯は毎時6本(新横浜始発、新横浜止まりの電車も含む)になるとされている。そして、この事業が開通することにより相鉄・東急直通線が開通されることで相鉄線から東急線、埼玉高速鉄道線、都営三田線(東京都交通局)、東京メトロ南北線、東武東上線が直通で繋がることで輸送時間の短縮、沿線地域の賑わいがより増えるのではないかと考えている。また、相鉄・東急直通線は首都圏を走っている周辺の路線に不通区間が生じた際の重要な振替輸送ルートにもなり得るとも思った。さらに、新横浜駅に新駅が設置されることから新幹線へのアクセスが向上するという大きな利点もある。私自身の生活も相鉄・東急直通線が開通されることによってかなり変わると考えている。私は小田急沿線に住んでいて、現在は大和駅を経由し、上星川駅か和田町駅から通学をしている(講義棟の場所などで使い分けている)が、相鉄・東急直通線が開通したら羽沢横浜国大駅を利用しようと思っている。理由としては、現在、西谷~羽沢横浜国大駅間の昼間の本数が20~30分に1本ほどだが、相鉄・東急直通線が開通することで西谷~羽沢横浜国大間を通る電車の本数が昼間の時間でも毎時6本になるからである。また、羽沢横浜国大駅には全ての種別が停車するため乗り換え回数が減り、より所要時間が短くになること、羽沢横浜国大駅と上星川駅を比べてみた時に土木棟までにかかる所要時間が5分程度羽沢横浜国大駅を利用した方が早いことが挙げられる。
上記に記したことから、相鉄・東急直通線も開通したら人々に愛用される重要なインフラとなり、中長期に渡り、立派なストック効果を発揮すると考えられる。
今回のレポートではストック効果について取り上げさせていただいたが、レポートを書きながら私自身も改めて土木構造物のストック効果の凄さや重要さについて考え、実感させられた。それと同時にインフラによるストック効果は人々の生活の豊かさを支えているものであることを実感することができた。
【参考文献】
*1. インフラストック効果(2022年10月15日閲覧)
https://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/region/stock/stockeffect.html
*2. ウィキペディア 丹那トンネル(2022年10月15日閲覧)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B9%E9%82%A3%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB
*3. トレタビ 鉄道遺産を訪ねて―丹那トンネル、笹子トンネル、清水トンネル(2022年10月15日閲覧)
https://www.toretabi.jp/railway_info/entry-4271.html
*4. 東京新聞 新駅「新横浜」直通へ わくわく 相模鉄道と東急電鉄 来年3月相互乗り入れ(2022年10月15日閲覧)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/169607
*5. みんなでつくる鉄道コム ダイヤは?運用は? 開業前の「相鉄・東急直通線」を分析する(2022年10月15日閲覧)
https://www.tetsudo.com/report/393/
「地方の赤字路線が持つストック効果」
中村 亮介
今回の講義でインフラのストック効果という重要な考え方が紹介された。大学に入学してからこの考え方は様々な講義で紹介されており、私はこれがインフラが持つ非常に重要な役割であると認識している。最近の日本のインフラ整備というのは、利益を生む可能性が低いという大変浅はかな理由で、後回しにされている事例が数多く発生している。さらに、残念なことは既存のインフラが赤字を理由に壊されていることだ。例えば、北海道の鉄道がその最たる例だと言える。運営会社であるJR北海道は赤字路線を多く抱えており、鉄道路線の沿線自治体に路線の整備・維持負担を求めている。そして、その自治体の多くは、人口減少で税金の収入も少なく財政的余裕がないので、高い費用を理由にバス転換にすることを提案する。このようにすれば地域の公共交通機関が維持されると考えているからである。しかしながら、実際の所はバス転換をした所で以前鉄道を利用していた人が必ずしもバスを利用するとは限らず、また自治体はバス転換をした所で税収の収支が改善されるわけではなく、いわゆるジリ貧の状態が続くことになってしまうのだ。では、鉄道を維持することでどのようなストック効果が得られるのかそれを只見線の復旧を例に考えてみたいと思う。JR只見線は新潟県の小出駅と福島県の会津若松駅を結ぶ路線で、沿線を流れる只見川が作る風景と鉄道が非常に魅力的な風景を作っており、国内だけでなく世界的にも人気な美しい鉄道風景を持つ路線として知られている。しかしながら、2011年の豪雨災害により、橋梁などが流されるなど甚大な被害を受け、途中の只見駅と会津川口駅の間が不通になった。不通の間は代行バスが走っておりJRは当初只見線が赤字であることを理由にこのままバス転換をすることを沿線自治体に提案していた。ただ、沿線自治体は只見線が分断されることで、鉄道を利用してやってくる観光客が来なくなり地域がよりさらに衰退することを懸念し、鉄道での復旧を切望した。結果、国、福島県と沿線自治体そしてJR東日本が費用を3分の1ずつ出し合い、線路などの設備は福島県が保有し、JR東日本が列車の運行を担う上下分離方式での全線復旧が決定した。そして、2022年10月1日に全線が開通し、11年ぶりに只見線が全線再開することになった。再開初日には復旧を記念して臨時列車も運行され多くの人が訪れた。もちろん、復旧させるためにかかった費用は福島県や沿線自治体にとってかなりの支出であったに違いない。今回、無事に復旧させたが、赤字の状態が続けば将来再び存続の危機に陥る可能性も十分にあり得るため、福島県と沿線自治体は復旧後の只見線を日本一の地方創生路線とすることを目標に掲げ、様々な取り組みが行われている。例えば、鉄道の有名な撮影スポットや景観の整備を行い、やってくる人たちがまた行きたいと感じるリピーターになってもらうことを目指している。私は、この只見線の全線復旧は地元住民の利便性向上に貢献するだけでなく、鉄道を利用してやってくる観光客による経済効果も見込めると考えており、復旧するための初期投資は大きかったが、これからの沿線地域の活性化に大きく貢献すると考えており、鉄道のストック効果が成功を収めることが出来れば、沿線に赤字の地方鉄道を持つ地方自治体が鉄道を利用して地域を盛り上げることを考えるようになると考えている。いわば、只見線が成功するか否かが全国の地方鉄道の将来を決めると言っても過言ではないと感じている。只見線の沿線自治体のように鉄道をはじめとしたインフラが持つストック効果に気づく人たちが多くなれば、人々がインフラの重要性に気づくようになり、後回しにされていたインフラの整備が進むことを願っている。
〜参考資料~
https://toyokeizai.net/articles/-/622606?page=4
『社会が受容する技術開発、そうでない技術開発』
中嶋 駿介
トンネルの掘削技術は、自然に挑む先人の知恵と努力によって格段に進歩してきた。技術開発である。そして、日本が将来にわたって世界をけん引する存在になるために、ひいては日本が「豊かな」社会になるために、土木分野の技術開発を真剣に進めていく必要があると考える。技術は社会に実装されて初めて効力を発揮するが、実際には実装は一筋縄ではいかないことが多い。今回は、技術の社会実装を妨げる要因を考察する。
技術開発は日本の将来を占う上で肝となる。なぜならば、技術開発に伴い労働生産性が向上し、ひいては国民の所得が向上するからである。講義で紹介されたこの理論を、データから確かめる。日本の隣国であり経済成長が著しい中国と2010年から2018年の8年間で比較する。初めに、両国の研究開発費を比較すると、日本は約15兆円で毎年ほぼ同額であるのに対し、中国は約5兆円から約20兆円へ約15兆円増加している。続いて、両国の労働生産性成長率を比較すると、日本は約3%から-2%の間を往来する結果となっているのに対し、中国は毎年約7%の成長率を記録している。(マイナスの成長率はすなわち国の衰退を意味している。)最後に、両国の国民所得を比較すると、日本は約6兆ドルから約5兆ドルへと減少しているのに対し、中国は約6兆ドルから約14兆ドルへと増加している。データから分かるように、当該8年間で日本の所得が減少しているのに対し中国の所得は増加している。もちろん、多様な原因によってこのような結果になっているとは思うが、その一因として技術開発が挙げられることは間違いないだろう。
技術開発が日本にとって重要であることを示した。では、どんどん技術開発に力を入れていけばいいじゃないかと思うかもしれないが、それだけではこの国の技術開発は進展しないと考える。なぜならば、冒頭でも述べた通り、新技術は開発されるだけでは意味がなく、社会に実装されて初めて効果を発揮するからである。新技術を社会に実装する必要があるわけだが、ここで問題が生じる。社会、すなわち新技術を受け入れ恩恵を享受する側に拒否反応が生じることが往々にしてあるのだ。このような新しいものへの拒絶反応にはNIH症候群という名前が付けられている。NIH症候群は日本のみならず世界中で共通してみられる現象であるが、日本社会では特に顕著だ。これは、社会の構成員が新しい情報に対して理論的に考えて結論を出せるか、それとも直感に頼って結論を出すかの違いだと私は考える。前者であれば、新技術が社会にとってメリットとなるのかデメリットとなるのかを理論的に判断し、社会を正しい方向に導いていくことが可能となる。しかし、後者は感覚的に判断を下してしまうので、新技術はおおむね否定されてしまう。現在の日本社会には後者のタイプが多いと私は感じる。そのために、日本においては新技術の社会実装が困難になっているのだ。
特に土木分野に限って言えば、新技術が社会に受け入れられにくいのは事実だろう。しかし、これは他分野の新技術についてもそうだろうか。日本人が大好きなiPhone。毎年発売される新機種に毎年追加される新技術。ここ最近だと、自動で画像を切り抜く機能が実装された。このような新技術にたいして日本社会は拒絶反応を示しているだろうか。
新技術には、社会に受容されるものとされないものがある。これらの違いを考えると、社会を構成する国民の見識の狭さが露見する。本質は、国民の土木分野に対する知識の致命的な欠如である。社会に受容される新技術とは、国民に直接影響し分かりやすい変化を伴うものである。先に述べたiPhoneは国民が毎日手にするもの、身近なものだから新技術が受け入れられやすい。新技術の社会実装が比較的円滑に行われる。一方、土木は国民の興味関心を普段から集めているとは言い難く、国民の見識が致命的に欠如している。そのため、新技術が開発され、マスコミなどを通じて急に社会に晒された途端に社会は拒絶反応を示し、批判を浴びることとなる。
土木分野における技術開発が進展しない問題の本質は、国民の土木分野に対する知識の致命的な欠如である。土木は自分に関係ない分野だという認識が蔓延っている。周りを少し眺めると、道路、水道、電気、鉄道、そしてトンネルと、土木技術なくして生活が送れないことが分かるはずである。トンネル一つとっても、鉄道や自動車などの交通のために供されるもの以外に共同溝という目には見えないが身近なところで生活を直接支えているものもある。土木に関する知識を深めれば、土木は決して遠いものではなく、生活に直接影響するものだという認識を持つことができるはずだ。国民の多くがこのような認識を持つことができれば、土木分野における技術開発は進展し日本社会は「豊かな」社会に一歩近づくだろう。
参考文献
CEIC, “中国 労働生産性成長率”, https://www.ceicdata.com/ja/indicator/china/labour-productivity-growth
CEIC, “日本 労働生産性成長率, https://www.ceicdata.com/ja/indicator/japan/labour-productivity-growth
Science Portal, “論文数で中国が米国抜き初の1位 日本は4位に下がるも、特許出願数でトップ維持”, https://scienceportal.jst.go.jp/newsflash/20200812_01/
GraphToChart, “日本の国民総所得(GNI)(名目)の推移と他国との比較”, https://graphtochart.com/economy/japan-gni-current.php
「難工事だった鍋立山トンネルとそのストック効果」
副島 翔馬
今回の講義を聞いて、私は鍋立山トンネルの話を思い出した。このトンネルは新潟県を走る北越急行ほくほく線の、ほくほく大島からまつだいに至るトンネルであり、一般的な知名度はほぼ皆無に等しいと思われる。その一方で、このトンネルはNATM工法さえも通用しなかった大変な難工事のトンネルとして一部に知られているのである。
このトンネル周辺は泥炭質の土壌で極めて地質状況が悪く、また、内部には高圧の天然ガスを有していた。結果的に建設中に側壁や路盤が膨れてくる、掘っても地面の膨張により先端が押し返される、坑内にメタンガスが充満しておりダイナマイトを使用したところ誘爆するなどの被害に見舞われた。一部ではNATM工法を諦め手堀りに切り替えなければならぬ場面もあり、国鉄解体による第三セクター移管などのいざこざもあり、工事は中断期間を含め21年11か月、殉職者は5名に及んだ。
これほどの犠牲を以てして、このトンネルを通した意義とは何か。そもそも、北越急行ほくほく線は国鉄直江津駅~六日町駅~越後湯沢駅を結ぶ国鉄北越北線として着工された経緯がある。しかしながら、この路線は俗に国鉄再建法と呼ばれる赤字路線廃止政策により、いったん建設の中止を余儀なくされたのである。それならば、わざわざ第三セクター化してまでこの路線の構想を復活し、再びこの山に挑んだのには相当な理由があるはずである。
実際の所、これは当初は新潟出身の田中角栄による圧力であるところが大きかったようだ。だが、建設中の1988年、この路線を高速化しJRとの直通特急を走らせる構想が持ち上がり、この北越北線→ほくほく線には北陸新幹線が直江津以遠まで開業するまでの越後湯沢→直江津間の速達化という重要な使命が与えられることとなった。結果として東京~金沢間の所要時間はそれまでの長岡経由のおよそ15分短縮され、沿線の人口や観光客も増えたといわれる。結果的に北越急行は北陸新幹線開業までに130億円という第三セクターとしては莫大な留保を確保することができ、それが現在でも同社のしばらくの安定につながっている。近年は列車の一部スペースを活用した小規模貨物輸送なども行われており、日本海側の物流に貢献している。
このように、知名度の低い地方の一インフラであっても、その効果は計り知れない例があるのである。先人の、この路線の重要性に気づき鍋立山トンネルを完成させた意地と知恵と根性には感服せざるを得ない。
「イノベーション成功のカギ」
木崎 拓実
古くからトンネルは、上下水道や交通のための重要設備として数多く建設されてきた。しかしながら、トンネル建設予定地の地質状況を詳細に把握することは難しく、予想外の出水や地盤の崩落などにより、建設時に多くの人命が失われてきた歴史がある。そのため、トンネル掘削時の危険を減らす手段も数多く考案されており、その一つにシールド工法がある。
シールド工法とは、シールドという機械を用いて、切羽周辺の土砂が崩れることを防ぎながら掘削していく方法で、19世紀にイギリス人技術者のブルネル親子がテムズ川を横断するトンネルに初めて使用した。この方法は現在では、都市部の地下トンネルやリニアモーターカー用トンネル掘削などに使用されており、信頼性の高い工法となっている。また、土砂や水が坑内に流入することが少なく、坑内で作業する人数が少ないため、人命保護の面でも優れている。そのため、シールドマシンの建設や設置に高額な費用が必要となるにも関わらず、この工法は現在でも採用され続けている。
このように、今では代表的なトンネル掘削工法の一つとされているシールド工法であるが、ブルネル親子が世界で最初にこの工法を用いた時はどうだっただろうか。前述のように、シールドの建造には多大な費用がかかる。そのため、シールド工法を使うためには強力な出資者が必要不可欠であるが、その時点では当然ながらシールド工法の実績は一つもなく成功する可能性すら予想できない。おそらく、ブルネル親子は資金繰りに苦悩したことだろう。そのような状況でもトンネル掘削に成功したということは、何らかの手段で資金を用意できたことになる。つまり、ブルネル親子はシールド工法の発想やその実現といった土木技術者としての能力のほかに、資金確保のために他人を納得させ、行動を促す能力を有していたため、テムズトンネル建設に成功し、シールド工法の実用化というイノベーションを実現することができたといえる。
また、イノベーションの例の一つとして、移動スーパー「とくし丸」がある。とくし丸では、公共交通機関の劣化や身体的な理由で買い物に行くことが難しいお年寄りを対象として、生鮮食品や雑貨などの商品を積んだ軽トラックで各家庭まで向かい、販売する形態をとっている。買い物は現代社会で生活するうえで必須となっており、とくし丸は通常の買い物が難しい人に商品を提供する重要な手段の一つとなっている。しかし、とくし丸も開始当初は顧客の確保に非常に苦労した。買い物は生きる上での必須条件であるため、既存の手段で十分だという人が多かったためだ。そのような状況であったが、とくし丸の経営者たちは、対象地域の住宅を一軒一軒訪問することで顧客の獲得に成功し、現在ではとくし丸は全国に広がってきている。この方式は、高齢化が進む日本における買い物の手段として、一般的なものになるのではないかと思われる。
以上の例から、次の二点のことがいえる。まず一つ目は、のちの社会では優れた方法だと評価され、開発当時も当時の状況を大きく改善できる方法だったとしても、信頼がないことや既存手段でそれまでうまくいってきたことから、実現が難しいことである。シールド工法では、軟弱地盤を比較的安全に掘削する方法として、とくし丸ではすべての人が買い物を快適に行えるようにする方法として、当時の状況を改善しようとしたが、実現が難しかった。二つ目は、それでも実現できたのは、開発者がその方法を他の人を納得させ、行動させる能力を有していたためということである。より良い社会を目指すイノベーションは、言うまでもなく重要なものである。しかし、既存の方法でも社会は回ってきたということも事実としてある。新しい手段を考え、実現しようとするときは、このことを忘れずに、既存の手段を使用してきた人にどうやって新しい手段に興味を持ってもらい、活用してもらうかを考慮しなければならない。また、その方法を学ばなければならない。相手のことを考えずに、ただ新しい手段の長所を述べるだけでは、その手段がどれだけ優れていても、机上の空論で終わってしまう。
「将来を見据えた投資の必要性に気付け」
樫本 和奏
講義内で登場した深良用水について、周辺地域では米が増収となったにも関わらず、請負人は投資として見込み違いだったとして失望したという点が興味深かった。これは用水整備によってストック効果は十分に得られたものの、フロー効果が十分得られなかったということである。これまでインフラ整備・計画に関して学んできた中で、「フロー効果とストック効果」という観点は、土木において大きなテーマの一つであることが分かってきた。そして一般的に、土木施設整備の中心的な目標は主にストック効果を期待したものが多く、フロー効果はそれに「付随してくる」という意識が強いように思える。土木の社会基盤という側面から見るとこの認識は至極当然のようにも思えるのだが、土木についてあまり専門ではない人々はどうしても短期的かつ即時性のあるフロー効果に目がいってしまいがちである。どうしても人間は「よく分からない未来の持続性が高い恩恵」より「単純明快な現在の一時的な恩恵」を享受したくなる性質を持っているため、ある程度仕方のないことだと思う。
しかしそれならば、「よく分からない未来の恩恵」を「分かりやすい恩恵」にしてしまえばよいのではないだろうか。土木施設整備の実施に「フロー効果の不十分さ」を理由として反対する人間は、その長期的な恩恵を知らない、または信用していないのではないか、という仮説が私の中に浮上したのである。たとえば一定数の人々が「損害保険」と称した現状何の恩恵もないサービスに金を払い続けるのは、保険というもののシステムを理解し、かつそれらのサービスを信用しているからであろう。学校教育の一環としてストック効果の考え方についての理解を深めさせたり、土木設備の恩恵を計画時に説明したりすることで理解と信用を勝ち得れば、土木計画とそれに対する住民の協力獲得はよりスムーズになるのではないかと私は考えた。
しかし同時に、それは特に日本において大変難しいことなのではないかとも思う。そしてその理由は「将来的効果の恩恵と、それに対する投資の必要性を感じる機会の少なさ」にあると私は考えた。たとえばアメリカにおいて、公的医療保険は高齢者や障害者、低所得者が対象で、その他の人々は民間の医療保険に加入する「自己責任型」が一般的である。中には医療保険に加入していないために高額な医療費を請求され、困窮する国民もいる。将来について自分で考えて投資しなければ破滅する社会なのだ。しかし日本では国民皆保険制度があるため、ほとんどの場合は充実した医療を少額で享受できる。「もしもの時」や「将来」に備えたサービスが国から当たり前に提供されているのだ。公的に供給される基盤サービスが充実しすぎていたために、「将来を見据えたサービス」に投資するという考え方が希薄なのである。私達の社会基盤改革は、当たり前にそこにあるサービスの存在に気付くところから始まるのかもしれない。
【参考文献】
『日本医師会 世界に誇れる日本の医療保険制度』(2022/10/15閲覧)
https://www.med.or.jp/people/info/kaifo/
「目先の利益」だけを見て「将来の利益」を見捨てる日本
安宅 建人
私は以前からなぜ日本では土木やインフラ施設に対する投資額が減っているのかについて疑問を抱き続けてきた。そこで今日学んだストック効果とフロー効果がこれを解決する一つの要素ではないかと思い一つの仮定を立ててみた。
フロー効果ばかりを追い求め、ストック効果を発揮できない悪名高い土木施設を作った結果世論が土木に投資する額が多いことは無駄だと感じるようになり、政府も土木に割く予算を減らすことになったのではないか?
この仮説が正しいか北海道富良野市にある東郷ダムを例に見ていく。このダムは1977年から国の灌漑事業に基づき作られたダムで、建設途中にため池の増設などを経て当初の予定から10年も遅れた1992年に完成した。しかしできた時点でもうすでに日本の農業は衰退に向かっており、必要ではない状態にあったのです。さらに悪いことに試験貯水を行ったところなんと計画の4倍以上の量の水が漏れていてダムとしては全く使えないものが出来上がった。その後も改修工事を繰り返すが、ダムの形式がロックフィルという岩を積み上げて作る形であり、水漏れの箇所を特定できなかった。事業は2010年に会計検査院が問題であると指摘するまで続き、当初の予定である予算63億円がなんと379億円まで膨れ上がってしまった。これはダムを壊して再構築するのにかかる費用の約3倍である。結局事業は打ち切られ結果として430万トンの水をためられる予定が、たった18万トンの水しかためられないダムが出来上がった。これではもちろん地元住民のみならず、北海道民の多くから批判を受ける結果となり、国会でも問題になりました。確かにこの例を見るとこの仮説は正しいと思う。しかしここまで問題が大きくなるまで放置した国の会計検査院にも問題があると思う。コンコルド効果を放置した結果このようになってしまったのだ。もう少し臨機応変に計画の変更などをするべきだったとも思う。また、現代の報道では土木施設のストック効果を報道するものはあまり無い一方で、このように失敗したときだけは無駄な投資だと言って叩くのも世論に土木への投資は無駄であると印象づける一因になったのではないだろうか。
また、授業で先生がおっしゃっていたように、目先のフロー効果にばかりとらわれ、土木事業は単なる経済活動として雇用を生み出す一つであり、ストック効果という部分に目がいかないからこそ、決まっている全体の予算という枠組みの中で減らしやすいものなのではないかとも考えた。
一方で無駄と叩かれながらもそのストック効果を大いに発揮している土木構造物もたくさんある。ここでは八ッ場ダムを例に見ていく。
八ッ場ダムは群馬県の利根川水系の吾妻川にあるダムであり、2020年に完成したダムである。その建設には多くの反対意見があり、民主党政権下においては、一時事業が停止したこともあった。しかし、途中で事業を中止することで発生する補償金が高くつくこと、ダムの効果が十分に期待されることなどを理由に建設が再開された。その後ダム堤体が完成し、2019年10月からダムの試験貯水を始めたところ、ちょうどその1週間ほど後に台風19号が発生し、予定では数か月にわたって貯水するはずが、たった数日間のうちにほぼ満水となった。これに対して、ニュースやSNSで無駄といわれた公共事業が下流の人の命を救ったとして少しではあるが広まった。今回の場合はもともとがほぼ空ということもあり、想定以上の治水効果を発揮したとされたが、適切に運用を行えばストック効果を発揮し続けてくれるはずである。また、観光資源としてもストック効果を発揮するのではないだろうか?私がGWに訪問したときは駐車場が満車で、臨時の駐車場を利用したこともあって、土木構造物が観光名所となり、一般の人にも周知されていることに少しうれしさを感じたものだ。昼食をいただいた飲食店の方もダムができた後はお客さんの数が目に見えて増えたと言っており、地元住民にとってもダム建設がプラスに働いているように思われた。
このように土木構造物は人々の役に立つという意味のストック効果だけでなく、地域を活性化するという意味でもストック効果を発揮できるのである。
我が国の国家予算に占める公共事業への投資は近年、少し増えたといっても長い目で見ると大幅に減っている。これは目先の利権や利益にとらわれ、長い目で物事を考えることのできる人が減っているということを示しているのではないだろうか。
確かに日本の政治家は高齢化が進んでおり、有権者に占める高齢者の割合が増え続けていることもあって選挙で勝つという目的だけでは長い目で物事を見る必要がないのかもしれない。しかし、我々一人ひとりが長い目で物事を考えるという意識を持って行動することこそがこの国が長期的な目線で物事を見て行動できるようになる第一歩となるのだと思う。
日常生活に潜む「ストック効果」的思考
都市科学部都市社会共生学科2年
伊藤紀奈
私は、今回の授業で初めて、土木工事やインフラストラクチャーの「ストック効果」について知った。土木に関する知識は全くと言っていいほど持っていないし、専門的な内容を理解することは難しかったが、その「ストック効果」の重要性はよくわかった。
一つトンネルを通すだけで、人々の暮らしがぐんと良くなる。ものによっては、何百年も機能を維持して、社会に貢献し続ける。建設費は高くつくかもしれないが、インフラは一回限りの使い捨てではない。この先何年も利用できるという「ストック効果」を考え合わせれば、高額な建設費も大損ではなく、むしろ黒字の可能性すらある。もっとも、黒字のインフラにするためには、建設場所や方法など様々な要素を検討して、最善のやり方を模索する必要があるが。
最初に述べたように、私は「ストック効果」という言葉を初めて知った。しかし、その意味について、驚くほどすんなりと理解できたのである。それは、この「ストック効果」によく似た考え方が、私たちの日常生活の中にも随所に見受けられるからだと考える。
例えば、以前、家の洗面所の電球が切れた時のこと。今までは白熱電球を使っていたが、これを機にLED電球に変えようかと父が悩んでいた。白熱電球のほうが価格は安いが、電気代が高い上に、寿命も短い。一方LED電球は、価格が高いものの、電気代は安く、長寿命である。結局どちらが得なのか。父はあれこれ計算して、合計何時間以上点灯させたらLED電球のほうが得になるという結論を導き出していた。
つまり、初めにかかる費用だけでなく、これから使用を継続していく上で支払うことになる電気代のことまで考慮に含めると、LED電球がより優れていたというわけだ。さらにこの場合、利益は金銭面のみに止まらなかった。白熱電球に比べて明るさの強いLED電球のお陰で、日々の暮らしが少し快適になったのである。
このように、「初期費用はかかるが将来的には得になる」という選択肢を選ぶという経験は、誰にでもある、ありふれた日常生活の一コマだと思う。簡単に言えば、コスパ(コストパフォーマンス)が良いものを選ぶということである。この考え方は、土木における「ストック効果」の考え方と、非常に似ているのではないか。
ここに共通するのは、「将来を見据えて考えること」である。土木の場合は、この場所にトンネルがあった場合、将来どのような「ストック効果」を見込めるか算出し、建設に踏み切る。日常生活においても、長く使い続けることを考えた上で、コストパフォーマンスがより良い商品を購入する。土木と日常では規模感は大きく異なるが、根幹となる考え方は、あまり変わらないのではないか。「将来を見据えて考えること」は、インフラ整備の一大プロジェクトにおいても、洗面所の電球選びにおいても、いつ・どのような場面においても大切である。そして、未来のことまで含めて考えると、必然と深い思考になる。
初めにかかるコストだけでなく、この先どのような利益をもたらし得るか熟慮すること。最低限のコストで最大の利益を生み出す方法を探求すること。「インフラストラクチャーのストック効果」などと言うと堅苦しく、難しいことのように感じるが、それに類似した考え方に基づいて日々の選択を行っている人は多いと思う。逆に言うと、私たちの多くは、「コスパが良いほうを選ぶ」という行為をするが、それを土木に応用したものが「ストック効果」である、とも捉えられるだろう。土木において「ストック効果」という考え方があるのはもちろんだが、日常生活の中にも「ストック効果」的思考が潜んでいるのではないだろうか。
「今日の講義で感じた不愉快さの分析」 大木 陽介
今回の講義では、様々な話があった。聞いたことのある話もあったが、初めて知ることが多かった。今日の話題の多くに共通することは、マスメディアで一般的に取り上げられている言説とは異なるものであり、時に「トンデモ論」と批判されていることだった。そして、聞いていて何となく不愉快な気持ちになった。この理由について、私なりに考えてみた。
その理由は、箇条書きにして以下のようなものであると思う。
1:自分の持つ「認識」への批判が、自分自身への批判であると感じることによる「拒絶」
2:相手が自分を馬鹿にしているという感覚による「反発」
3:よく知らない相手から、自身にとって馴染み深いものを批判されたことへの「不信感」
4:先に頭の中にある言説において、「そのような意見を信じてはいけない」とされていることによる「警戒」
5:どちらが正しいのかよく分からないという、すっきりしない「混乱」
・1について
今日の講義でもあるように、自分の意見は自分自身と不可分である。したがって、「自分のものとは異なる意見もある」ということは分かっていても、そこから更に「お前の考えは間違っている」と言われると、自分を否定されたように気持ちになり、心の壁を作ってしまった。
・2について
今日の講義でもあったが、このような話をするときによく用いられている表現として、「あなたは騙されている」というものがある。騙されている=間抜けである、と言われているような気がして、その時点で心理的な反発が生まれてしまった。
・3について
人間には、なじみ深いものや、何度も触れたに愛着を持つという心理的作用(ザイオンス効果)があるという。そのため、マスメディアで良く取り上げられる言説に対し、根拠は無いが愛着のようなものを感じていると思う。それに対し、細田先生とは初めてお会いした。例えば初めて会った人に自分が好きな曲や好きな本を否定されたときのような不信感があった。
・4について
マスメディアでは、国債発行によるデフレ脱却や、炭素社会について、その結末が取り返しのつかないことであるように論じている。(ドイツのような貨幣破綻や、大規模気候変動)そのことから、「そんなことを言って、もしメディアの言うよう結末が実現したらどうするんだ」という警戒心があった。
・5について
対立する意見について調べを進めると、自分には、どちらの言葉も尤もらしく思え、また対立意見を批判するのを聞くと、何となくそんな気がしてしまう。さらに、「陰謀論である」「○○の手先だ」といったレッテルが飛び交い、双方に東大教授が名を連ね、一方が「○○を証明する論文が」と言えば、対立側も「○○を否定する論文が」と言っている。それを聞くと、尚更どちらを信じたらよいか、混乱してしまう。
このような不愉快さがあるから、出来る事なら今日話されたような問題には関わりたくないというのが正直な心だが、何度も指摘されたように、これらは他人事ではないので、それではいけないと思う。まずは不愉快さを飲み込んで自分の中に対立する両論を置き、「多角的な意見」を持ちながら自分なりの考えを探っておくことが大切だと感じた。
「血管としてのインフラとその財産を守る責任」 堀 雅也
今回の講義で特に共感した点がインフラを血管として扱う理論である。
インフラが廃止される理由としてしばしば挙げられるのは「維持費用などを考えたコストパフォーマンスが悪い」「そもそも維持する体力が運営会社に無い」「災害復旧のコストが高すぎる」の3点と考えるが、これらはいずれも対処可能な理由であると考えており、以下に示していく。
第一に、コストパフォーマンスに関して、そもそもインフラはそれ単体で建設費用や維持費用を賄うものでは無い。日本は類稀な旅客輸送大国であるから、たまたま都市部では鉄道事業だけで黒字を維持できる私鉄が発生しているが、本来鉄道は赤字が基本である。例えばモスクワの地下鉄は1分おきに電車が来るが、日本より利用者は圧倒的に少ない。しかしそれは、使いやすさや人の流動性を維持するためのコストとして、社会(大抵は行政)が負担するのが当然となっているために成し遂げられている。
他方、日本では赤字を理由に路線が次々と廃止されている。盲腸線とはいえ1日9往復程度走っていた標津線や、ネットワーク網をしっかり構成していたはずの名寄本線、池北線(→ふるさと銀河線)は廃止が大失敗だったと言える路線の代表例であろう。
私は、この「ネットワーク網」を重要視している。例えば標津線のような盲腸線であれば、需要はあくまで線内の根室標津や中標津などから釧路、厚床などの間に発生するのみであるが、名寄本線や池北線のようなネットワーク網を構成する路線では路線を乗り通す「宗谷エリア~名寄~遠軽~北見エリア」「十勝エリア~池田~北見~北見エリア」のような需要が存在する。現在でも智頭急行や北総線、湖西線などではこの通過需要が需要の大部分を占めているが、この通過需要はネットワーク網が構成されて初めて発揮される。(たとえば成田スカイアクセスの開業前、北総線はただのニュータウンからの通勤路線であった) そのため、路線の廃止はこのネットワーク網を破壊する事を意味しており、廃止箇所だけでなく通過需要すら無くしてしまう「機会損失」と言える。また、後述するが、災害などで近隣の交通が遮断された際に代替交通となれる点も、普段の需要に現れないものの大切な財産である。今年の東北豪雨で日本中が痛感していると信じている。
第二に、そもそも運営する会社の体力が無い場合、これに関してもそもそもそのような赤字路線の経営に体力を求めること自体が間違っている。第一の例と類似するが、例として銚子電鉄と富山地方鉄道を挙げる。銚子電鉄は銚子市内で完結し、東部の市街地と南東端の外川町を結んでおり、行政に代わって銚子市の交通システムを担っていると言える。富山地方鉄道(の鉄道線)は富山市と滑川、魚津、黒部、上市、立山、舟橋の各市町村を結んでいる鉄道であり、特にJR→あいの風とやま鉄道の路線の通らない上市町、立山町、舟橋村にとっては命綱となっている。しかしこの富山地方鉄道は企業体力が無く、脱線事故を繰り返す程にまでなっている。これらの町村は鉄道が消えた暁には交通の不便な過疎町村になるのは目に見えているのだから、利用促進に全力を注ぐべきである事は言うまでもない。
このことを理解し実現している自治体として、和歌山県の御坊市が挙げられる。御坊市は中心部がJRの御坊駅から少々離れており、紀州鉄道の学問駅から市役所前駅の西方、西御坊駅周辺に繁華街が散らばっている。この繁華街を縫って走る紀州鉄道によって市内の流動性が保たれているので、日本一の赤字率ではあるものの市が補填して今も運行を続けている。
このような(特にローカルな)私鉄は、本来行政が負担・保障すべき市区町村内の交通をたまたま私鉄が肩代わりしてくれているだけであり、行政が私鉄に経営状態の改善を求めている様では一向に状態が改善しないのは当たり前のことである。歴史上、自治体の中心から少し離れたJR・国鉄の駅を結んだ鉄道は数多くあったが、ほぼすべてが「採算が取れない」ため廃止されている。これらの鉄道は大抵が地元の有力者がまとまって資金を出し作ったものであり、最初から採算など考えていない真の「インフラとしての鉄道」であるためである。
第三に、災害復旧のコストが高いためにそのまま廃止に追いやられた事例に関して述べる。近年では日高本線や大船渡線、高千穂鉄道などが挙げられるが、これらの3路線は全く違った背景と結果を持つため、それぞれを比較し最適な被災後の鉄道の在り方を論ずる。もっとも、ダムの未整備による洪水等の人災が故の被災であればその元を正すのが第一であるが、この3路線に関しては防ぎ得なかった災害(それぞれ高波、津波、台風)によるものなので、被災後の在り方に焦点を当てる。
短縮前の日高本線は長大ながらも盲腸線であり、路線の駅から接続するバスもせいぜい富川から平取・日高方面へのバスと終着の様似から襟裳を経由して広尾方面へと結ぶバスがそれぞれ数本ずつあるだけと、通過需要が殆ど想定されていない状況であった。そのような中、2015年の高波で厚賀~大狩部間にて路盤が流出、鵡川以南は長期の運休を余儀なくされた。ただ、路盤流出による運休は仕方ないにせよ、日高町の日高門別や厚賀まで運行出来なかったのは閉塞システムのコストカットによるものと言われており、この点は悪循環があったと言える。とはいえ、その後の復旧費用の捻出には地元自治体が揃って反対しており、結果的に廃止となるのは時間の問題であった。なお鉄道運休後に新ひだか町、浦河町、様似町といった沿線自治体の人口増加率は軒並み下がっており、このままでは代行バスすら立ち行かなくなる限界状態の地域になって行くと考えられる。
大船渡線は、東日本大震災からの復興のためにも早期にBRTとして復旧されており、その後病院や役所、学校、少し外れた集落など、鉄道時代はアクセスの悪かった地域に根を張るように路線を拡充させており、類稀なる成功例と扱えると考える。残る課題は旧軌道内での制限速度が60km/h(一般道に準拠するため)と鉄道時代よりかなり遅い点くらいであり、法整備が最大の問題と言えるところまで漕ぎ着けたのは後々参考になると確信している。
高千穂鉄道は国鉄高千穂線が第三セクター化された路線であり、延岡と高千穂を結んでいた。我が国のルーツを辿れるとして、鉄道が消えた今でも観光地として一定の人気がある高千穂へのアクセスを担えていたにも関わらず、災害復旧の費用が捻出できず廃止されてしまった歴史を持つ。高千穂鉄道廃止時には地元の観光業者が受け皿を作ったにも関わらず税によって難航し、当時の東国原知事も復旧を目指したが、復活は叶わなかった。なお、その後当時の受け皿であった高千穂あまてらす鉄道が観光用の鉄道として部分的に利用しており、今年は入場者数が過去最高を記録するなど需要の兆しは見えている。神話の舞台や国の名勝の揃う地域として国や県が整備することを提案したい。
逆に、鉄道を防災に活かしている例としては阿佐海岸鉄道がある。道路が寸断された際に鉄道を代替道路とし、孤立を避ける考えによるものであり、DMVの導入も相まって先述した大船渡線と同じように地域内の交通としての役割を得ている。無論自治体からの出資や補助金の上で成り立っており、地方の特に小規模なローカル私鉄の新しいスタイルとして注目されている。
現在私は関西大学の方々と、廃線の危機に瀕する鉄道路線の方策に関してディスカッションをしており、その中で「安易に廃止やバス転換を前提としない」方策を探している。上に挙げた例は全て、行政などがしっかりと資金を提供すれば問題は解決し、今も街の発展に寄与していたはずのものであるが、鉄道に限らず、インフラはすべての基盤であり、国家にとっても国民にとっても大切な財産である。その維持と責任を民間だけに押し付けるのではなく、国家・自治体・民間・そして利用する国民が協力して維持するのが望ましいと私は考える。
参考
・JTB小さな時刻表2022年春号 JTBパブリッシング 2022年
・JR北海道 日高線 厚賀~大狩部間 67k506m 付近における盛土流出について https://web.archive.org/web/20150115032522/http://www.jrhokkaido.co.jp/press/2015/150113-3.pdf 最終閲覧日:2022年10月7日
・浦河町人口ビジョン https://www.town.urakawa.hokkaido.jp/chousei/chihousousei/files/zinkoubizyonkaiteiban.pdf 最終閲覧日:2022年10月7日
・宮崎日日新聞「高千穂、GW観光6万人 あまてらす鉄道、過去最多」https://news.yahoo.co.jp/articles/78834081ccceca6253d0f3a37e646e42052411b7 最終閲覧日:2022年10月7日
『日本人よ、当事者意識を持ち一極集中を解消しよう』 中嶋 駿介
常日頃、一極集中により混沌とした東京の現状にもやもやとした違和感を抱くことが少なくない。前半では、「豊かさ」を例に日本人の当事者意識が欠けていることを示し、後半では、当事者意識の欠如が一極集中の一因となっていることを示す。
『東京一極集中の是正方策について』(国土交通省)によれば、一極集中の改善を目指して「豊かさ=賃金の高さ」からの意識転換を図る必要があるという。私はこれに驚愕した。なぜならば、「豊かさ」の根幹には安定した収入があり、それなくして「豊かさ」を実現することは不可能だと考えていたからだ。この資料を読み、国民の目を景気の低迷から逸らそうという意図を感じ、絶対に賃金は上げないという確固たる意志も感じた。東京と地方の間には大きな賃金格差があることは事実だ。ならば地方の賃金を上げればいいじゃないか、私はそう考えた。しかし、現実には行政はなかなか地方の賃金を上げようとしない。講義を受けて、その理由の一つに国民の当事者意識が欠如していることがあると考えた。同様に、講義でも「じゃあやればいいじゃないか」という感想を抱くことが何回もあった。具体的にはデフレに対応した財政出動や、なかなか増えない公共投資などだ。しかし、これらも国民の無関心すなわち当事者意識の欠如がゆえに行われない。
日本国民は当事者意識を持つべきだと考えると同時に、自分自身も当事者意識が欠如していたと深く反省した。なぜならば、「豊かさ」とは何かという軸が自分の中に定まっていなかったからだ。私が考える「豊かさ」とは何だろうか。宇沢が『社会的資本論』で紹介した「ゆたかな社会」の定義にはおおむね賛同する。そのうえで、豊かな社会には「愛」が溢れていることが必要だと私は今回結論付けた。自己中心的にならず、他人を無条件に助け、思いやりをもって接する。このような「愛」がゆたかな社会には必要だと考える。今回の私はこのように結論付けたものの、「豊かさ」とは何かという問いは一生考え続ける問題なのだと思う。以上のように「豊かさ」についての思考を深めるうち、それを実現するためには私が国民の一人として能動的に豊かさを追い求める必要があると悟った。私は覚悟を決めて当事者意識を持つことができた。
一極集中が進む都市に住む人々は、自分の利益になること以外はしないような自己中心的な人間が多い印象を受ける。これは、真の「豊かさ」とは何かを考えることなく漠然と資本主義の一つの歯車として組み込まれてしまっているからではないだろうか。すなわち、当事者意識が欠如しているからではないだろうか。真の「豊かさ」とは何かを自己に問いかけることで覚悟をもって当事者意識を持つことができると考える。
さて、冒頭で挙げた資料において、一極集中の一因として東京への若者の流入が挙げられている。大学進学や就職のタイミングで若者が上京することで一極集中が進んでしまっているというのだ。しかし、これらの若者が大学を卒業するタイミングで地元に戻り就職していれば、全体で捉えたときに一極集中は発生しないはずである。したがって、より正確に表現すれば上京した若者がそのまま東京で就職してしまっていることで一極集中が引き起こされていることが示唆される。しかし、私はこれが本質的な原因だとは考えない。一極集中の本質的な原因は、地方に東京に勝るほどの魅力がないことだと考える。ここで、魅力とは賃金や雇用のことである。若者視点では、東京よりも賃金が低い地元に戻ろうとは考えないし、雇用が少なく職に就けない地元に戻ろうとは考えない。他方で、企業の視点では取引先が多い東京に本社を置こうと考えるのは自然な流れである。
では、地方の賃金を上げ、企業本社を地方に移転し雇用を創出すればよいではないか、私はそう考えた。しかし、現実にはなかなか行われない。その原因は一貫して述べているように日本国民の当事者意識の欠如である。企業としては、たとえ地方に本社を設けたとしても取引先がいる場所まで短時間かつ低コストに移動できれば問題はないだろう。これを妨げているのが講義でも取り上げられた新幹線網構築の遅れである。新幹線網の構築に関しても、進まない原因の一つは日本人の当事者意識の欠如である。さらに、東京一極集中が抱える非常に深刻な災害リスクについても一般的な理解は浅い。これもまさに当事者意識の欠如が故である。東京に住む以上一極集中が抱える災害リスクについては理解しておく必要があるし、それを理解していれば地方への移住を考える層も増えるのではないだろうか。コロナウイルスが蔓延する最中に一時期流行した東京脱出は良い例である。
一極集中の原因、問題、解決策のいずれに対しても、国民の当事者意識の欠如が深刻に影響していることが分かった。これを広く国民に知らせていくのはもちろん重要であるが、それ以前に私の理解もまだ不完全である。これからの講義を通して、日本を再生するために私ができることを当事者意識の元に模索していきたい。
「日本はゆたかな社会なのか? パラグアイとの比較を通して」 伊東 秀真
南米パラグアイに渡航した経験をもとに、日本の社会が「ゆたか」であるのか宇沢弘文の定義を用いて考察したい。一般的に見れば、日本は、国内総生産(GDP)世界3位、高層ビルが林立し、おいしい食べ物に溢れ、高性能の電化製品・生活用品が出回っている、ゆたかな国だと言えるのではないか。宇沢の定義に照らし合わせても、自然環境の保全・衛生的な住環境の整備・学校教育制度の充実・高度な医療サービスの提供と基本的諸条件を満たしているといえよう。社会を構成している各個人の暮らしについて考える。毎日のように満員電車に押し込まれ、長時間かけて通勤する。朝早くに家を出ても帰れるのは夜遅く。休日は、家族で買い物やファミレスに出かけるといったところだろう。働いている人の幸福度はどうか。日々の仕事にやりがいを持って働いている人間がどれだけいるか。日本に帰国して、駅のホームで見かけたサラリーマンに釘付けになった。顔は疲れ切って、気力を失い、目はどこか遠くを見つめているようであった。それは、パラグアイで見てきた表情には無いものだった。個人の暮らしを送るため、健康で充実した日々を失ってまで働かざるを得ない日本人の姿は衝撃であった。
宇沢は「幸福で、安定的な家庭を営み、できるだけ多様な社会的接触をもち、文化的水準の高い一生をおくることができるような社会」と定義した。物質的な豊かさに留まらず、精神的な豊かさについても言及しているのである。現在の日本社会は、核家族化が問題になっているが、事態はもっと悪化しており、他者への干渉が極端に減っている。分かりやすくいえば、周囲で困っている人がいるのに手を差し伸べない。電車では席を譲らず、子連れの母親が階段の前で困っているのに、誰も助けない。
パラグアイの農村部で出会った人々の姿は全くの逆であった。貧しいながらも幸福な家庭を築き上げ、家族・友人同士で協力していた。シャワーはお湯が出ず、普段の食事はイモやとうもろこしの粉を主とした質素なものだ。電気もほとんどないので夜は早く寝るし、電波は通じないこともある。それでもテレレというお茶の回し飲み文化を愛し、常に庭先に座って穏やかに話している。週末になればどの地域でも、軒先に集まり皆で音楽を聞きながら回し飲みをしている。また、祝い事の際には家畜の鶏を絞め殺して振る舞う。彼らは握手かハグを交わせばそれだけで友達である。彼らは、明るく、面倒見がよく、誰をも家族のように扱う。鼻血が出ただけなのに、3人が集まって綿やタオル、トイレの場所を彼らは教えてくれた。
もちろん、宇沢の定義からすると、パラグアイはゆたかな国ではないだろう。社会基盤施設は未熟で、河川は大雨やストームのたび氾濫を起こす。川沿いに住む人たちはわずかな収入が入る度に、ガレキを購入して自分の家の土地を嵩上げする。ゴミ処分場は満杯で、未処理のゴミを山の中に積み上げているだけ。上下水道が敷かれていない家庭が多くあり、井戸水に頼っている。未舗装の道路が全体の約8割を占める。飲酒運転・シートベルトの未着用がまかり通る。
どちらがゆたかな社会かは、わからない。ただ、他人に関心を持たないこの日本社会の行く末は、想像力が欠如し社会全体で見ても不具合をきたすことが多々起きることは間違いないだろう。
参考文献 社会的共通資本 宇沢弘文 岩波新書
「土木の存在意義を知らない人々、忘れてしまっていた私」 渡 由貴
私は高校生の時、建築学科に入ることを志していた。図工や美術、ものづくりが好きで、それを仕事に活かすならば、と考えたとき、「建築」だけが頭に思い浮かんだ。大学では楽しそうな模型づくりができるし、おしゃれな建物を作るからそこにいる人々もみんなおしゃれそうだし、自分のものづくりのアイデアが実物で機能を持つものとして実現されるのはなんだかやりがいがありそう。極めつけは、高校二年生の時、学校の職業講話の会で建築家の方がおっしゃっていた、「建築家は地図に載る、後世に残るものを作るのだ」という言葉。それを聞いて、自分もせっかく授けられた人生、何か死んだ後も残るものを作りたいと思い、建築学科に入ることを強く望むようになった。しかし結果は、建築学科に落ちて都市基盤学科に入学する、というもの。訳の分からない名前の学科でほとんど知らない「土木」という分野を勉強していくことが急遽決まり、困惑していた。当時持っている微かな知識から土木のイメージを表すと、「ヘルメットを被って工事をする、大工さん、現場、茶色、おしゃれとかそういうものは取り入れない」というものであった。今でも、私の専攻は土木工学であると伝えると、大学生または社会人にもなって、当時の私と同じようなことを言ってくる人、つまり土木の本当の姿を知らない人は沢山いる。というか、ほとんどの人がそうだ。入学前の私は、建築学科に落ちたことへの悔しさもあり、土木という分野に嫌悪を感じていた。
入学3年目にして土木が本当はどのようなものなのか、ようやく分かってきた。土木は私たちの生活に関すること全てを支えている。そして土木が無かったら人々は皆生きてゆけない。綺麗な水が簡単に手に入れにくければ、病気を引き起こす可能性のある安全でない水を人々が飲むようになってしまう。また水無しでは作れない食料を手に入れるのが困難になり、奪い合いが横行し、戦争勃発にも発展する。下水処理が行われなければ糞尿に触れてしまったり何らかのきっかけで糞尿が飲み水に混入したりし、感染症が流行する。防災機能のある構造物やまちづくりが無かったり、国土の改良が行われていなかったりすれば、自然の力にソフト面だけで太刀打ちすることはできず、自然災害が起こったらその被害をほぼそのままの大きさで受けることになる。土木は以上の例を初めとする人々の命を奪うような状況を変え、それが今までの歴史の中で語られてきた文明を作りだしてきた。そして生きるためだけでなく、生活をより豊かにするためにも、土木が活躍する。例えば、交通ネットワークを整備して人間が移動できたり物事を発展させたりする範囲が増えている。過去の失敗事例から学び、工夫したまちづくりを行えば、人々が便利に、安心して暮らせ、活気のあるまちにすることができる。これらが、土木というものの本当の姿であり、これらを実行するための学びが、土木工学である。
入学当初、中村哲医師がアフガニスタンに河川を作り何万人もの人々の命を救ったという事実を知った。また、都市基盤学科に入り土木の説明や様々なオリエンテーションを受ける中で、自分たち人間が淘汰され滅びることなくこれまで文明と歴史を築き上げてきたのは土木の存在があったからであり、今日の我々の豊かな生活を作りだしているのも土木である、という事実を知った。それらを知った時に感じた、「土木に携わり、今後人々の生活を支え、文明を作りだす立場になれることへの誇り」「土木工学を学んでみるのも面白そうだな」という思い。それを本日の授業を受けるまで、心の隅に忘れてしまっていた。また、建築との比較に関して、入学前に私が抱いていた建築学科に対する憧れの要素は、都市基盤学科でも大方当てはまることである。特に心を動かされた「地図に残るものを作る」というのは、むしろ土木構造物の方が、規模も大きいし、個人ではなく不特定多数の人々のためにつくられるものだから、感じられるやりがいも大きそうである。そしてやりたかった模型づくりも、おしゃれさも、そんなの今になって考えれば建築の本質でもなく、土木でも好きならば趣味でできる。
土木工学の目的や存在意義を深く理解されず、実際の見かけだけが土木のイメージとして語られているのを悲しく感じる。しかし、一番悲しいのは、都市基盤学科へ入学してから2年間、徐々に自分が土木の目的や存在意義を意識する機会が減り、土木へのパッションが無い状態で土木工学を学んできてしまったという点だ。本講義は、以上の入学当初私が知った土木の本質を思い出させてくれ、私の土木の道に対するパッションを与えてくれる、そんな意義のあるものであった。