細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

年男

2021-04-09 08:57:56 | 人生論

今日で、4回目の年男となりました。誕生日を大きく意識することは、40歳になったとき以降、あまりなかったのですが、年男、というのは少し考えるきっかけになりました。もう一回りすると還暦になるので、短くない人生を生きてきたなあと感じます。

まずは、大過なく48年も生きてくることができ、本当に多くの方々のご指導、ご支援のおかげであり、感謝の気持ちで一杯です。今後、大変な状況に陥ることもあると思いますが、自分にできることをしっかりとやる、という愚直な生き方で行きたいと思っています。

ちょうど3回目の年男の直前(3月3日)に、「山口システム」に出会い、その後、東日本大震災の後の復興道路の品質確保に発展していきましたので、やはり12年のサイクルというものにはそれなりの意味がありそうです。

私にとって、1つ目のサイクルは幼少期。兵庫県で生まれ育ち、3歳からは明石市魚住町の一軒家でわんぱくに育ちました。泥だらけになって遊んでいましたし、両親の出身地である島根県大田市の田舎でも相当な期間(夏休み丸々、を何度も繰り返したのでまさに相当な期間)を過ごしました。島根の海や山で育てられた感覚が私の根っこにあります。

本日は、静岡の伊豆へ出張で、国交省の中部地方整備局の河津トンネルの覆工コンクリートの品質確保です。もうすぐ始まる実施工の前の、候補のコンクリートの実際のミキサーでの練混ぜや、時間経過にともなうフレッシュコンクリートの経時変化の実験です。この仕事も山口システムの延長にありますが、それが今日であることにも何かの意味があるのでしょう。

今朝、出張に出る前に、少量の着替えを包む風呂敷に、私の母方の祖父母の名字が縫い込まれてあり、島根の祖父母との思い出をいろいろと思いだし、一緒に駅に向かった長女に聞かせながら楽しい会話を交わしました。長女も今日からお弁当で、最近の私のブームの、大きいおにぎりとちょっとしたおかず、のお弁当を作って長女に持たせました。

さて、2つ目のサイクルは社会に出る準備。甲陽学院で中高を過ごし、自由な校風で伸び伸びと育てていただいたように感じます。特に部活(バスケ部)において、もっとこうしておけばよかった、という後悔は山ほどありますが、それも含めて私の実力でしょう。大学の3年生までの3年間も、今振り返ればベストな過ごし方とはとても思えませんが、その無駄のように思える時間での経験も、必ず今の私の一部になっているはずです。どのような時間を過ごすか、がその人の人生そのもの、ですから。

大学の4年生以降は、どっぷりとコンクリート研。2つ目のサイクルが終わる24歳になった時点では、箸にも棒にも掛からぬ研究レベルでしたが、まあ、その後、社会に出るための準備期間ということでご愛敬。岡村甫先生の影響で、いろいろな本を読み始めたのが収穫でした。

3つ目のサイクルでは、家族を築いたことが大きな出来事でした。二人の娘にも恵まれ、奥さんと共働きで、子育てをする、というのは今思い出してもかなり大変な時期でしたが、充実した時期でした。両親、義理の両親にも多大なサポートをしてもらい、娘たちが健康に育っていることにとにかく感謝です。娘たちと手をつなぎながら、保育園や小学校に通った時期の思い出は、私にとって永遠にかけがえのないものとなるでしょう。

このサイクルの出だしは、修士2年でスタートし、その後に博士課程の3年が続きますが、12年のサイクル全体として、プロとしてのデビュー時期でした。研究者としてやっていけるのか、心の底から不安になったことも何度もありましたが、博士課程における膨張コンクリートの研究や、JR東日本の構造技術センターでの実務経験等が契機・転機になり、何とかよちよち歩きで研究者・教育者人生を開始しました。30歳5ヶ月で助教授として現在の職場に雇っていただきましたが、まあよく務まったものだ、と今更ながら冷や冷やいたします。一緒に研究を頑張ってくれた学生たちや、学会、企業の皆様、職場の先輩の先生方等にご指導や刺激をいただいて、何とか大きな挫折をせずに一人立ちできるレベルに至ることができました。研究者としては大した能力・特技の無い自分に、何ができるのだろう、と真剣に自分と向き合った時期でもあったと思います。

そして、今終わろうとしている4つ目のサイクルは、プロとして研鑽を積んだ時期、とでも総括できるでしょうか。研究者、教育者として社会に貢献できるようになり、私自身のやり方、オリジナリティにもそれなりに自信を持つことができ、土木や教育の意義も、自分なりに理解を深めた時期でもありました。冒頭に述べたように、このサイクルが始まる直前に山口県のひび割れ抑制システムに出会い、衝撃を受け、私の人生も大きく変化しました。この品質確保システムの取組みで出会った方々との時間は私の宝物であり、私を大きく育ててくれました。今もまだ、この取組みは続いていますが、私自身の役割が決して小さくないことを自覚して、責任感を持って続けていきたいと思います。

この4つ目のサイクルでは、多くの留学生の指導も担当しました。とても優秀な留学生と英語で研究をする、というのは2つ目のサイクルの終盤で大学の研究室で見ていた憧れの活動で、それを実践するには相当な苦労も伴いましたが、やはりこの過程で、私自身が研究者、教育者として大きく鍛えられたとずっと実感してきたし、今でも確信しています。このサイクルに、私が主査を務める形で11名の博士の方が誕生しました。これらの方々をはじめとし、多くの留学生や日本人学生たちと研究活動を通じて学ばせていただいたことが、私の根幹にあります。このような充実した留学生教育、研究活動をできるシステムを整えてくださった職場の先輩方に大きな敬意と感謝を抱きます。この環境が継続できるよう、私も最大限の努力をしたいと思います。

昨年度と今年度、横浜国立大学の土木の主任教授を務めています。そういう意味でも、やはり自分の役回りは確実に変化していくし、やり方もそれに合わせて改善、変化していくべきなのでしょう。

これからの12年は、終わったときにはそれなりの振り返りがあるのでしょうが、少しでも社会や周囲に貢献できるよう、これまで皆様に育てていただいたご恩に報いる時期であろうと今は思っています。昨年度、今年度とコロナ禍で、YNU土木の主任教授を務めることも、何らかの使命と思い、決して順風満帆とは言えないYNU土木が少しでも良くなるよう、あと一年主任として明るく行きたいと思います。

やや悶々としておりましたが、ここ数日、とても春らしい天気で、様々な意欲が戻ってきているのを感じます。新しい4年生の研究室配属も決まりましたので、私も心機一転、頑張ろうと思います。やはり春はよいですね。