今日は娘を二人連れて大学に行く日でして,私にとってはそれほど特別なことでもないのですが,まあ容易とは言えないことです。大学に連れて行くだけなら簡単ですが,二人を同伴して仕事をこなす,という一日ですので。
10時過ぎに到着して,私は11時から2件の研究打ち合わせ。さらに,4月から修士1年として法政大学から研究室に入ってくる学生も合流してランチ。もちろん私の娘たちもおりました。次女は服の袖にカレーが付いて途中からはかなり配慮しました。昼食後,その学生さんに入学後の過ごし方についてアドバイス。
午後も1件の研究打ち合わせをしつつ,娘たちにシュレッダー作業をやってもらったり,部屋の片づけをしたり,彼女たちの遊びと私の仕事を両立するようにベストを尽くしました。
家と大学の往復の間にも,いろんなことをこなします。家族旅行のNEXの手配や,郵便局での振込み,ルミネの飲食店での忘れ物の回収,散髪,夕食の買い物など。娘たちもクタクタになるほど活動して,帰宅してから夕食。自宅で夕食を作って三人でヘルシーな食事をいただきました。
今日は「業績入力」という,大学の研究者総覧というデータベースへの入力を開始しました。大学でしか入力できない,という辛いシステムでして,入力にはどれほど時間がかかるか,研究者の皆さんには分かりますよね。私の場合,出張でほとんどいなかったり,家庭との両立もあるので,実質的に自分のオフィスで働いている時間などほとんどありません。ですから,誰かに代わりに入力してもらうしかありません。私の研究室の秘書さん(3月からは実質的に私の秘書さん)に入力していただくように準備を進め,今日,めでたく秘書さんの入力作業が始まりました。これで,私は,自宅でもどこでも,入力作業を支援するファイルを整備することで,データベースが充実していくことになります。
今度の4月以降,このデータベースを元に,大学での業績評価などが行なわれるそうです。そういうように脅かしていただかないと,データベースの入力に本気になれません。あれやこれや,何でもデータを作成しろ,と言われると,私のような人間はサボります。このデータベースだけはしっかり作っておいてくれ,全ての評価はこのデータベースで実施するから,と言われれば,やります。少し良い方向に動いているかと思います。
もう少し,本音を言えば,このデータベースに入力していなくても,大学の運営側は,重要なデータは握っています。誰が金を獲得しているか,など。ということは,日常的に作らされているデータのほとんどはどうでもよいデータであって,もっと現場の人間の作業を軽減するように運営側が知恵を絞るべきなのです。今回の業績入力の脅しは,そういう意味で好感を持っております。
さて,寄り道が長くなりましたが,今日は子供たちを同伴しつつも,私としては重要な仕事もこなせて良い一日となりました。
私は子供たちに対して本気で接します。リスペクトしているし,一人の人間として,対等にぶつかり合います。その辺りを子供たちも感じるようで,その真剣勝負が私は好きです。
今日も,朝から三人でずっと一緒に過ごしましたので,すごく仲の良い時間もあれば,三人それぞれがぶつかり合っているときもあるし,とても充実した時間でした。
明日は私は仕事に専念させてもらって,28日からは家族の旅行です。
以下,先ほど,鞆の浦のさくらホームの羽田冨美江さん(ポニョのリサのモデル)と,NHK解説委員の後藤千恵さんにお送りしたメールの内容です。一部,このブログ用に加除修正しておりますが。
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羽田さん,後藤さん
細田です。
鞆の浦に行くとどうして元気になるのか,また2.23に私の中ですべてがつながるきっかけとなった鞆の本質は何なのか,ときどき考えていますが,後藤さんからののメールにも答えがありました。
人のつながり,地域力などの言葉はこれまでも聞いていたのですが,どうもズドンとストライク!ではなかったのです。後藤さんのメールの中に「人が主役」とありました。
鞆の浦の地域介護の研究で博士論文をまとめられる山本さんの言葉では,「通常の介護施設は利便性を提供しているが,さくらホームは「幸せ」を提供している」とのことです。人が主役なのですね。利用者の方々が幸せを感じられるように,すべての配慮がなされている。
現代の日本で語られているほとんどのことにおいて,人が主役ではなく,私の目から見ると本来の目的でない手段のことばかり論じられているように見えます。
以下,少し小難しいですが,京都大学教授で土木の研究者(国土政策,交通学などが一応の専門ですが,何でもできる人)であり,安部内閣の内閣官房参与になった藤井聡先生(44才,私の5つ上)と,3/19に私が対談したのですが,そのときの私の結論です。私も以前から,最も大切なことは,日本人が日本人らしい生き方,考え方を取り戻すこと,であると思っており,「人」が最も大切であると確信していました。
「根底に大きな愛を持ち(正直者),信念を持ったプラグマティストが,不屈の精神で,コンプライアンスから脱却すべく独立の精神を持って,想定にとらわれず,熱血(真剣に,手段を選ばずに)に,連携して行動するようになること。そうなれば,日本は大丈夫です。そして,そのように変化が始まっています。大丈夫,日本は。」
人が主役であることを,心の底から納得できること。それが,鞆の魅力ですね。
後藤さんと鞆の浦に行くことができて,よかったです。
私は心身の隅々まで熱血なのですが,みんなで鞆の浦を歩いているときに,羽田さんに「後藤さんは熱い人ですよ」と言ったら,羽田さんも「私も熱いから」とおっしゃってました。
熱血仲間,ということで,これからも末永くよろしくお願いいたします。
珍しく10日間くらいブログを休んでおりましたが,変わらず活動は続けており,facebookではそれなりに記事や写真を投稿しておりました。ブログを休んでいた理由は,花粉症による体力・気力の低下です。活動をするのに精一杯で,ブログにまで余力が残りませんでした。
14日(木)は,道路事業者の入札のための技術提案書の審査に外部の学識経験者?として出席。少しずつこういう経験も増えていますが,私はいろいろと勉強させていただいています。建設業界全体が,いわゆる談合問題の後の透明性の確保のためにシステムの激変が続いていますが,種々の矛盾を感じながらも,私はあるべき方向を自分なりに見つけられるよう,現場での理解を重ねながら勉強を続けたいと思います。
15日(金)は,私が幹事長を務めるJCIデータベース委員会の最終委員会でした。2年間の活動を終え,成果報告会+シンポジウムの開催に向けて,いろいろと作業が始まります。分厚い委員会報告書を取りまとめることになりますが,ある意味では私の研究者としての活動の本命に近い活動であり,今後も長期間展開していく活動ですから,次へつなげることを意識して取りまとめていきたいと思います。山口県のシステムに始まり,復興道路の品質確保もいよいよ本格始動します。既存のインフラの維持管理に対しても我々は本気です。皆で協働で,素晴らしい日本を築いて行きましょう。
15日(金)の夜は,データベース委員会の懇親会(飲み過ぎないように心がけました)の後,東急東横線の線路切替えの見学会の引率へ。さすがに夜中の2時半くらいに力尽きて,タクシーで帰りました。
16~17の週末は,ほとんど寝ていました。仕事もしたかったのですが,花粉症で体が言うことを聞きませんでした。
18日(月)は,JR東日本と東京大学コンクリート研究室一門の技術交流会。私もこの交流会に参加するのは10回以上ですが,毎回発表しています。多くの方々はこの場で発表することに相当の緊張感を覚えるそうですが,私は近年,楽しくて仕方ありません。皆さんに聞いていただきたい研究成果がたくさんあるからです。今年は,迷ったのですが,あえて自信の無い研究テーマも皆さんの意見をお聞きしたくて発表しました。「津谷川橋梁の津波による破壊シミュレーション」です。もう一件は,私もこれまで長らく携わってきた自己治癒コンクリートの研究ですが,今年から大きく「舵を切った」つもりでして,「クリンカ細骨材によるモルタルの緻密化と自己治癒機能」というようなタイトルで発表しました。
19日(火)の午前は,楽しみにしていた藤井聡先生との対談でした。たった1時間で,講演ではなく「対談」なので,私なりにベストを尽くしたつもりでした。多くの方々は良好な感想をいただきましたが,ある学生は「あえて言わしていただくと,先生が少し話し過ぎでした」とのこと。はあ,そうですか。藤井先生2:細田1くらいだったと思いますが,もっと藤井先生のお話を聞きたければ,藤井先生の講演会に行ってください。You tubeでも先生の本でも見れるありきたりの?列島強靭化論を聞いても,私は全く面白くないし,藤井先生のもっともっと深い知識やお考えを,少しでも垣間見ていただくことが目的であったと私は思っています。私でないと聞けないような質問をいくつかぶつけたつもりです。
19日に藤井先生との対談を終えて,ちょっとだけ大学によると,なんと,ぶっ壊れたと思っていた職場のデスクトップのPCに,データが残っていたことが判明。これは助かりました。でも,デスクトップPCの設定がおかしくなっており,何か異変が起きたことは間違いないようです。
その後,すぐに新幹線で広島県福山へ。何と,H24年度に7回目の鞆の浦です。H24年4月に初めて鞆の浦に行ったときは,どんなところかほとんど知りませんでした。今回は,私の家族四人と,私の両親も行く,というスペシャルツアーでした。新横浜で私の母親と娘二人と合流して,東京駅から乗ってきていた父親とも合流して,福山駅へ。福山で夕食を食べました。その後,遅れて到着した私の指導学生である赤間遼太君と差し飲み。鞆の浦について熱く語り合いました。また,翌日の作戦会議も行いました。
20日(水)は,ポニョのリサのモデルであるさくらホームの羽田冨美江さんと,赤間遼太君に出迎えてもらって,NHK解説委員の後藤千恵さんや,いつもお世話になっている山口県の二宮さん親子なども参加され,にぎやかなツアーになりました。詳細は別の記事に譲りますが,皆さん鞆の浦のファンになり,感激しておられたようです。特に,後藤千恵さんと,私の母親は,羽田冨美江さんの活動に感銘を受けたようです。その後,この日に参加したメンバーの中でメールのやりとりが共有されており,とても素晴らしい交流が始まっています。
21日(木)はコンクリート標準示方書の発刊に伴う講習会の初日。私も設計編のマスコンクリートの温度ひび割れ照査のフロー図の改訂にも関わりましたし,施工編では改訂のメンバーでしたので,これまでの講習会とは違う感覚で聞いておりました。が,あまりにも疲れており,最後の最後,少し居眠りをしてしまいました....
22日(金)は卒業式,謝恩会,研究室打上げ。学部の卒業式は,教務委員ですので司会進行も務めましたが,いろいろと準備不足で,事前にかなりバタつきましたが,学位授与式は無事に行われました。39名の卒業生でした。ご活躍を心より祈念しております。大学院の修了式も同時に行われました。謝恩会もとても楽しく,多くの学生や先生方とお話できて幸せでした。昨年は,研究室打上げの後,朝5時までカラオケで暴れましたが,今年はとてもそんな元気は無く,研究室打上げパーティーの最後に,時間が足りないらしくて,教員の中で私だけスピーチする時間をもらえず,かなり不服でさっさと帰りました。新年度がどれだけ研究室にとって大きな転機であり,その大きさは私が一番理解していると思っています。私の一言一言に意味を持たせているつもりで,新年度の始まる直前に,大事なことを言おうと思っていたのに,残念でした。時間管理はしっかりやってもらいですな(笑)。まあ,新年度のスタートから,多くの新しいメンバーたちと本気でロケットスタートしますので,それに向けて自身の中で戦略,戦術を練りたいと思います。
そして今日は23日(土)。明日の24日(日)に,10年連続10回目のホームパーティーを開きます。研究室を卒業する全学生に声をかけて我が家に招待するビッグイベントでして,今年は私の都合の付く日がほとんど無く,こんな時期になってしまったので,引っ越し等で都合の付かない学生もおり,11名が来てくれることになりました。留学生も2名おり,子供たちにとっても貴重な国際交流の場でもあります。
今回は,パーティーの食材や飲み物の買い出し,調理はすべて私が行います。本日買い出しは無事に完了しました。自家用車もありませんので,重いものは配送してもらうことにしました。
片付けは家族みんなで頑張っていますが,長女がものすごい張り切りようで,子供部屋の飾り付けが素晴らしく,今,このブログはその部屋のベッドで書いています。部屋のドアに,この部屋のコンセプトに名前を付けて張り紙をしたら?と提案したら,「ようこそ,お花の国」という張り紙がなされています。もうすぐ長女と一緒にこのベッドで就寝しますが,長女はリビングの飾り付けを今も頑張っています。
私も幼少時にいろいろと苦い経験もしたことがあるのですが,こうやってお客さんをもてなすことを楽しめるようになっておくと,人生が豊かになると思います。明日は,子供たち二人と私でお客さんたちを歓迎することになりそうですが,楽しい時間を過ごしたいと思います。
まだまだ仕事がたまっており,25日からは数日間,仕事に精を出すつもりですが,28日からは家族でバカンスです。子供たちもすごく楽しみにしているので,家族水入らずの時間をゆっくり過ごしたいと思います。私はリラックスした状態で仕事もバシバシこなすと思いますが,激務,激動になりそうな新年度に向けて,英気を養いたいと思います。
昨日は、帰国の翌日で、入試関係の業務があると思って大学に来たのですが、私の勘違いだったようで業務なし。
恐ろしいほどに頭が働かず、メールを書くことも苦痛なくらい。まともな文章が書けない。思考力が麻痺していたようです。
花粉症の症状がひどかったため、本来は夕食後か寝る前に飲む薬(抗ヒスタミン薬)を朝飲みました。これまでも朝に飲んだことはあったのですが、副作用を自覚したことはありませんでした。
薬の副作用なのか、花粉症の症状なのか、時差ボケなのか、よく分かりませんが、全く頭が作動しない。人と話していても、自分の意識が遊離しているような状況で、全く仕事にならないので、仕事はあきらめて、書類の整理や、頭が働かなくてもできる作業などに従事。
さっさと仕事を切り上げて横浜へ。人と会って食事をする約束をしていたのですが、これほど頭が働かない状態で大丈夫かなと思っていましたが、お酒をゆっくり飲んで時間が経過するとそれなりに頭も作動し始めて、それなりに会話はできました。
帰宅途中に我が都市イノベーション研究院長の梅本洋一先生が急逝されたというメールを受信して、言葉を失いました。とてもお元気そうだったのに、信じられません。
昨夜はぐっすりと寝ました。今日は春の嵐のように風が吹き荒れています。 梅本先生のご逝去を悲しむ風の嵐でしょうか。ご冥福を心からお祈りいたします。
昨日に続いて、今日も業務の勘違いをしており、自分の時間をいただけたので、本格的に業務を開始しました。明日からは外部の仕事も多数入り、また余裕の無い日常に戻ります。4月に入ると、通常の二倍の講義を負担しながら、新体制の研究室をリードしていかなくてはなりません。
新しい学生たちを10名程度迎え入れ(学部4年生、修士1年生)、例年以上に学生たちに主体的に動いてもらうように、マネジメントする必要があります。学生たちの研究も、4月にすぐにスタートするつもりです。
3月20日は家族も連れての鞆の浦ツアー、3月末からは家族での休暇、とリラックスもしながら、大きな変化の年である2013年度をパワフルにスタートさせたいと思います。
よく,海外に行くと日本のことがよく見える,と聞きます。
いくら視野を広げて,なるべく相対的に自分たちの活動を見ようと思っていても,そのど真ん中にいる当事者には見えにくいこともあります。
今回も,たった一週間ちょっとの海外出張でしたが,非常に多くのことを感じました。自分の中に物の見方がある程度確立されているので,日常を離れて,いろんな人と話してみることで,普段見えないことが見えてきます。
今回感じて考えたことは,日本に戻ってからの研究室運営にフィードバックしますし, 私の自己研鑽の方向性にも何らかの影響を与えると思います。
日本の大学のあり方は,これでいいのでしょうかね。私の研究室も,技術職員もアシスタントもいない状況で,よく研究活動を回していけるものだと思っています。私の研究室は,企業との連携もそれなりにあるので,closedでやっているわけではなく,まだマシなのかもしれませんが,closedでやっている研究室などはとてもとても海外の強力な研究機関などに太刀打ちできないように思うのですが,間違っているでしょうか。理系と文系で違うかもしれないし,工学だから特にそう感じるのかもしれませんが。
私は土木工学の特にコンクリート工学の研究のやり方しかまだよく知りませんが,日本の研究者たちも組織的に連携してやってはいます。議論のレベルは,日本の方が高いかと思います。でも,個々人の研究者の組織があまりにも脆弱です。何でもかんでも研究室のリーダー(親方)にのしかかってくるシステムであり,あまりにも過酷です。
プレイングマネジャーとしての活躍を求められる我々研究者,教育者にとってもっと仕事のやりやすい大学になってほしいですね。
競争至上主義の方々は,そんな大学であればやめて,私学でも海外の大学でもどこでも行けばよい,と簡単に言いますが,私は日本が大事であり,自分の持ち場をしっかりと持って,地道に周囲に貢献していくことの方がはるかに大事であると確信しています。ですから,着実に努力を続けるし,大きな動きを創る必要があるときは,同志たちと連携して死力を尽くします。自分の身さえ良ければよい,というような輩の言うことには絶対になびきません。
周囲の人は,私のことを「行動力が高い」と評することが多いです。バイタリティーはあると思いますが,行動力があるかどうかは自分ではまだ疑問です。
行動力のある人はたくさんいると思いますが,その中にもいろいろとタイプがあろうかと思います。
私の場合は,7つの習慣にもある通り,少しずつ少しずつ「影響の輪」を広げていくタイプです。少しずつ人脈も広がっていくし,人のネットワークが広がるということが,仕事の舞台が増えるということです。
そうすると,行動したくなくても,自分がやるべきと思う最優先事項を行っているだけで,あちこちを飛び回っていることになります。
本当に根っからの行動家であるかというとそうではないように思うのです。行動力というよりは,実行力がある,という方が適切に思います。
私の置かれている状況の中で,当たり前の選択を重ねているだけ。
ですから,かねてから少しコンプレックスだったのが,国際的な活動が乏しいこと。国内でのパワフルな活動に比べて,国際的な活動は明らかに見劣りします。ややめんどくさいので国際会議にも最近はあまり顔を出していませんでした。 国際会議でない海外出張にはそれなりに行っていますが。
そういう意味で,今回の海外出張は,私に国際的に活動するポテンシャルがあるのかどうか,自分なりに試す機会でもありました。
幸いにも,3ヶ所で非常に歓待していただき,非常に有意義な研究のディスカッションができました。これはとても勇気づけられることで,自分たちのやってきた研究が海外の人たちから見ても面白い,ということですので,信念を強く持って研究活動を進めて行きたいと改めて思いました。
そして,今回も影響の輪を少し広げることができました。
国内でも少しずつ少しずつ行動力を向上させていったように,国際的にも一歩ずつ実績と行動力を高めていこうと思いました。
パリに移動して,IFSTTAR(イフスター)を初めて訪問。実は,今回の出張の最重要訪問箇所はここでした。
以前はLCPCという組織で,フランス中央土木研究所です。交通系の研究組織と合併して名称も変更になったようです。
ポンデショセーという土木の名門大学と連携して実務的な研究を行っている組織で,ヴェロニクという女性研究者がコンクリートの耐久性などの研究チームのリーダーです。このチームとのディスカッションが今回の出張の一番の目的でした。
ヴェロニクはあいにく海外出張中でしたが,彼女のチームのミカエルが出迎えてくれて,彼を含む3人の研究者と研究のプレゼンテーションをし合い,ディスカッションを行いました。
10月から共同研究を開始することを念頭に置いて,クリエイティブに議論をしましたが,いくらでも連携できることがありそうで,特に我々のSWATには強い興味を示していました。
私も海外経験が豊富なわけでは全くありませんが,研究の濃厚なディスカッションは,日常的に日本で行っていますし,私の議論している研究者たちはトップレベルの研究者ばかりですので,研究の思考としてはかなり鍛えられていると思っています。
今回も,カイロ大学教授,デルフト工科大学の研究者たち,IFSTTARの研究者たちと議論を重ねましたが,こちらが回答に困ることは一回もありませんでした。また,IFSTTARの研究は実務的ということもあって非常に興味深く,研究所が移転中ということで研究者たちはかなり複雑な心境のようでしたが,彼らを盛り上げる,という意味でも私がここを本命に選んだことは間違いではない,と思います。
一か所に拠点を置いてそこにずっと居座るつもりはさらさらなく,デルフトとも連携できそうだし,カイロに行けば津波の橋梁被害のシミュレーションを自分でもできるし,非常にワクワクします。
未熟だ未熟だと思いつつ精進を重ねてきましたが,いつの間にか一定レベルの研究者になっていたんだな,とこれまでの人生を振り返ってやや感慨深くなっています。
ようやく本格的な研究,社会貢献をできるスタートラインに立ったと思っていますので,これまで通り,同志たちとチャレンジを真摯に重ねていきたいと思います。
今日の日中は,パリを観光します。
アメリカの大学教授,ランディ・パウシュ先生の「最後の授業」をご存知でしょうか。
この講義のときすでにパウシュ先生は,ガンで亡くなることが分かっていました。確かこの授業の数か月後に亡くなったはずです。
この講義は全米で中継され,私はDVDか何かで見ました。またパウシュ先生の著作も和訳されていて,この講義についての内容でした。ぜひ一読されるとよいと思います。
この講義は本当に感動的なもので,私も涙を流しながら受講しました。そのキーワードが,feedback loopです。
皆さんも,教わった先生の言葉がふと心に浮かんでくることってありませんか?常に自分を原点に立ち戻らせてくれる教え,それがfeedback loopです。
自分の教え子たちに,feedback loopを与えてあげることのできる教師が一級の教師であり,そうでない教師は名前だけの偽物です。
私に多くの師匠がいることは何度も公言していますが,その中でもやはり岡村甫先生のfeedback loopは強烈です。数え上げると両手の指で足りません。私が今の人間であるのも,岡村先生からいただいたfeedback loopに何度も導かれ,適切な選択を重ねてきたからであると,心から思います。
今も,高速列車タリスでパリへ向かっていますが,岡村先生の教えの一つが心の中に浮かんでいます。本当に強烈な先生だったのですね。
私も,常に本質的なメッセージを発している人間のつもりですが,後輩や弟子たちの心にfeedback loopが形成されているでしょうか。私の残すfeedback loopとは何でしょうか。
それは,私の教えた後輩たちが,彼らの生き様で証明してくれると思います。
教育とはそういうものですな。
さて,今日は出張の最終業務予定地のパリへ移動します。
初めて乗りますが,ロッテルダムからタリスという高速列車でパリ北駅へ。まずはタリスにしっかりと乗ること。
最終業務予定地は,旧名称LCPCで現在はIFSTTARという名称の,フランス中央土木研究所。ここで,数名の研究者とディスカッションします。共同研究を開始できるよう,コンクリート構造物の耐久性に関する私の研究室の研究をいくつか紹介し,将来展望を議論します。先方からは自己治癒コンクリートと,SWATについて聞きたい,と言われていますので,もちろん話してきます。
フランス人は個性的らしく,私の知っているフランス人にはよい人が多いのですが,これまた楽しみ。日本人も十分に個性的ですので,私もサムライスピリット丸出しで乗り込んできます。お土産は扇子。富士山がどどーんと描いてある扇子を六本持っていきます。カイロ,デルフトで渡すのを忘れたので六本すべて大盤振る舞い。富士山もいよいよ噴火するぜ,という情報とともに日本の現状を説明してあげます。
PCのアダプターも何とか作動しており,今日のディスカッションを乗り切れば,後はぶっ壊れても何とかなるかと思います。
昨日,デルフト工科大学でも,プレゼンの予行演習をたっぷりとさせていただいたので,もう準備万端。
タリスでは車窓を楽しみ,パリ北駅に着いてからIFSTTARまでは迷路状態かと思いますが,これも頭の体操。楽しんできます。先方の研究者がランチを一緒にしませんか,と誘ってくれているので,遅くなりすぎずに到着したいです。
夜は,奥さんの親友のパトリシアの家に行けることになりそうで,これまた楽しみ。お子さんもいるそうで,私もパトリシアに会うのは4回目(1回目は私も学生のとき,10秒くらい,フランスの大学の寮ですれ違った気がする。2回目は2007年のパトリシアの結婚式。3回目は,日本の我が家に家族で遊びに来てくれた。)なので,いろいろおしゃべりできるとうれしいです。フランス語の発音も少し教えてもらおう。
--> 結局,私の時差ボケと疲労のため,パトリシアの自宅訪問はキャンセルになりました。残念!
今回の出張は,私のこれまでの海外出張と比べても異質です。私が2/23に変わったからなのか,何なのか分かりませんが,あまりにも多くのことを感じます。眠りの浅いときは,寝ているときも思考しているのを感じます。眠りから覚めるとき,思考の答えとともに,プールのような空間から浮かび上がってくる感覚を何度も味わっています。
鞆の浦にどっぷりと浸かるようになってから,心や感受性などが,子供に帰っていくように感じています。
私の研究能力はほとんど無いというのはよいとしても,私のコミュニケーション能力が日本人の平均レベルからはかなり高いところにあることは,周囲の皆さんは認めてくださると思います。特に,外国の人から見ると,私は一般の日本人よりもはるかにフレンドリーで話しやすいそうです。ほとんどの外国人にそう言われます。その源泉は何なのでしょうか。
(1) 英語力
まず,必須かどうか分からないけれど,英語力。これは,甲陽学院での英語教育が良かったことが第一ですが,実は大学の4年生のとき,ほとんど英語を話せませんでした。東大のコンクリート研に配属されて,留学生がたくさんいたので,「話してみよう!」と思ってドイツ人の留学生のハウケさんのところに行って,サッカーの話でもしようと思ったのですが,ほとんど話せませんでした。読み書きは得意でしたが,会話は全くできなかった。
修士1年生のときに台湾,韓国,日本の大学の三国交流会に参加して,これが非常に大きな経験でした。台湾人の友人がたくさんできて,英語でしかコミュニケーションできないので,これが大きなトリガーになりました。後日,台湾からそれらの友達が遊びに来ましたが,その友達Greg曰く,私の英語力は初めて台湾に行ったときに比べて段違いに向上していたそうです。Gregは英語ペラペラです。
東大の土木工学科が提供していた英語教室にも参加し,英語を勉強する意欲の高い人たちと一緒に,良質の教材を使って,イギリス人のレイボーン先生に教えてもらったことは良い経験でした。この教室の授業に参加するのが楽しみだったことを今でも覚えています。
その後は,基本的には東大コンクリート研の留学生との英語での会話が基本。国を代表するようなエリートたちですから,会話の内容も深いし,研究についてのディスカッションもするし,非常に仲のよい留学生とは酒を飲みながら何時間も話しました。愚痴を聞いてやったこともあります。
その後,横浜国大で勤務するようになってからは,留学生の指導,留学生との会話,英語で行なう大学院の講義などが私の英語力をキープするツールになっています。また,最近は専門バカから脱却しようとしておりますので,今後は多くの分野の書物を英語で読むことにもなろうかと思います。アダム・スミスやケインズから初めてみようかと思いますが,あまり気張らずにシドニー・シェルダンなども楽しく読み,語彙や表現力を増強したいと思います。
今は,英語で話すときは,頭の中は英語で思考しています。語彙が不足するときだけ瞬間的に思考が止まって,日本語の単語を思い浮かべてふさわしい英語表現を創り出し,会話に挿入しています。台湾での三国交流会に参加したころは,まだ日本語を頭の中で英訳して話していましたが,その後は現在に近いと思います。
(2) 無知の知
さて,英語力はよいとして,もう一つ根源的な源泉は,「一人では何もできない」ことを自覚していることです。
社会心理学の山岸俊夫先生も言われているように,「高信頼」の人間は,人と信頼関係を築くことで自分が得をすることを知っています。信頼関係を築く,ということはコミュニケーションする,もしくは飲みニケーションする,ということです。
これも,基本姿勢は東大のコンクリート研で養われたように思います。運動もできるし,勉強もできると思い込んでいた自分よりも,はるかにすごい人たちがごろごろいる環境に身を置いた。プライドのようなものはズタズタに引き裂かれ,それでもすごい人たちに一歩でも近づきたい一心で自分にできる努力を重ねてきました。
ですから,私には多くの師匠がいます。私が盗みたい!と思う考え方や能力を持っておられる方は,皆,私の師匠になります。師匠になる,ということはコミュニケーションする,ということです。相手に自分のことを深く理解してもらわないと,深い会話はできませんので,私自身のこともさらけ出すし,相手のことをとにかく理解しようと質問も重ねます。
コミュニケーションとは,相手が心地よくなる会話を重ねる,ということです。自分のことも伝えないといけないので,そのバランスが大事になります。自分勝手な会話はコミュニケーションとは言いません。常に相手の反応を見ながら,相手の話したいことを引き出してあげること,それがコミュニケーションです。私はそうやって,多くの本当のプロフェッショナルエンジニアや,プロの研究者たちから,真髄的な考え方を学んできました。
最近では,相手の考えを引き出す能力も相当に向上してきたので,JR東日本の石橋忠良博士や,北大名誉教授の角田先生,横浜国大名誉教授の池田先生のロングインタビューを取り仕切りました。あのようなインタビューは,私でないと実施できないと思います。もちろんこれもコミュニケーション。
この二つ目の源泉「一人では何もできない」は,枯れることはありません。 今でも全く未熟だと思っているし,学ぶことだらけです。一歩成長するたびに,次々と舞台に引きずり出されるので,もっと力を付けないと対応できません。私の根幹は「コンクリート工学」にあると自覚していますので,私の全研究活動の半分,少なくとも3分の1はコンクリート工学に拠点を置き,その他はマネジメントや土木工学全般にシフトしようと思っています。土木史も重要な研究対象の一つです。学ぶことだらけなので,今後も,多くの方とコミュニケーションをしながら,一歩ずつ成長していく所存です。もちろん,周囲のために。
(3) 「語るべきもの」・・・コミュニケーションとはおしゃべりではなく,語ること。
もう一つ,最後の重要な源泉は,「語るべきものをもつ」ことです。
英語はあくまで手段。英語が使えないなら通訳を使ってもよいけれど,我々のような一般人が常に通訳を帯同することも非現実的です。あくまで手段ですが,一般人には必須の手段でしょうか。学生に良く言うのは,「君たちのこれまでの英語の勉強の仕方は間違っている。君たちの現実がそれを証明している。本当に英語を使いたいのであれば,勉強の仕方を根底から変えなさい。そして,やり方を,英語を使いこなせる人に教えてもらいなさい。」です。私のところに英語力を向上させるために一度話を聞きに来た人たちはいますが,継続的に弟子入りを志願した人はこれまで皆無です。皆さん,本気じゃないんでしょうね。
さて,「語るべきもの」を持つことは,英語を使えることよりももっと大事です。中身が無くてペラペラ薄っぺらい英語を話すことがどれだけ空しいことか。
海外の人たちは日本のことをよく知りません。1707年の宝永地震,富士山の噴火があったことももちろん知らないし,我が国が明治維新以降,経済発展を重ねてきたけど,現状がどうであるのかも,本当には分かっていません。我が国の進むべき方向など知る由もありません。
私は日本人ですから,私が語るべきこととは,当然に日本のことです。日本の良さ,日本の課題を相対的に語ることができるかどうか。
これは,日本の歴史をしっかりと勉強する,ということです。国民として当たり前の義務です。
10年前の私と,39歳の今の私とでは,語れることの中身が全く異なります。これも,日常をしっかりと真面目に生きていることの積み重ねであろうと思います。土木史の講義を担当していることも非常に大きいです。
というわけで,長い日記になりましたが,コミュニケーション力とは,人生そのものである,というのが私の結論です。
皆さん,頑張って日々コミュニケーションいたしましょう!
今日はランチの後,Ericと研究のディスカッション。
クリンカ細骨材によるモルタルの緻密化と自己治癒現象と,表面吸水試験(SWAT)についてプレゼンしました。昨日,私の中では「敗北」に近い失敗プレゼンをしてしまったので,今日は「リベンジ」のつもりで頑張ってSWATについて説明しました。
非常に良いディスカッションができたと思います。まずは,私の研究室が高いレベルの活動をしていることを,各所で認識してもらう必要があります。そして,研究の成果を英語,日本語で公表していく必要があります。時間はかかりますが,地道に頑張っていくしかありません。
また,私の研究テーマは実務的なものもかなり多く,世の中の役に立っているとは思いますが,基礎研究として評価されにくいという面もあります。そういう意味でも,今日発表した研究は基礎研究として頑張って進めなくてはならない研究です。津波による橋梁の破壊シミュレーションも,早く研究の柱として育てて,カイロ大学のHamed先生らと共著論文を出せるように努力します。そうしようと誓い合っています。
一方で,実務的な研究をしっかりと形にしていくことも非常に重要です。また,その成果をどのように発信していくか,特に国際的にどのように発信していくかも重要になってくるかと思います。日本の中では通じる議論でも,海外では必ずしも魅力的に見えないことも多いです。例えば山口県のシステムを,海外でどのように説明すればよいでしょうか。昨年の台湾での国際会議で,田村先生や私の山口県のシステムの話は好評だったので,よく戦術を考えれば魅力的なアピールも十分にできるかと思います。
やはり,海外で宣伝するには,基礎研究によるアピールが一番です。山口県のシステムも,SWATによる評価などと抱き合わせで紹介すると非常に迫力を伴うはずです。
結論としては,これまでやってきたことを,誠実に進めていくのが一番と思われます。頑張ろー。
今や,私の親友とも言える,Ericです。今回も楽しいディスカッションができて幸せでした。途中から,ポスドクのOguzanも同席して,話に花が咲きました。
今日も朝から一日,microlabで過ごしています。
朝一番で,同じフロアにいるDr.Hoogenboomに会いました。彼は,以前,東大のコンクリ研に来ていて,そのとき私もちょうど学生でおりました。ほとんどしゃべらない寡黙な人,というイメージでしたが,こちらで会うとすごく気さくで話に花が咲きました。
このフロアには知り合いも多く,とても居心地がよいです。研究テーマも私のテーマと似通っている,耐久性や構造物の劣化,Self healingなどを扱っている研究者も多く,それなりの?刺激を受けたり,私のプレゼンにも興味を示す研究者も多く,楽しいです。
今日は,microlabのボスのブロイゲル教授は非常に多忙で,午後から外国へ行くとか。先ほど,私の部屋に立ち寄って雑談してくださいました。
私の最も仲の良い,准教授のエリックが,今日は比較的時間があるそうなので,私の研究についてディスカッションします。昨日,SWAT(Surface Water Absorption Test)のプレゼンがクソみたいなレベルで空振りしてしまったので,今日は万全の準備をしました。
昨日のプレゼンでは,時差の影響で疲れていたり,用意していたパワーポイントがあまりにもマニアックな情報に偏っていて使い物にならなかったり,という状態でしたが,そこはこちらも百戦錬磨で,それなりには伝わっていたようです。かなり本質を突いた質問が頻発しましたので,今日はこちらも万全の状態で迎撃したいと思います。やっぱり,レベルの高い研究者たちとの議論は楽しいですな。こちらの思考も非常に刺激されます。
さて,明日は今回の出張の最後のvisitでパリに行きます。高速鉄道タリスで移動しますので,とても楽しみです。
ホテルから徒歩でブラブラと歩いて,デルフト工科大学に到着。Civil Engineeringというのが土木工学科です。
建物も知っていたので建物に入ってエレベータで6Fへ。ブロイゲル教授らのMicrolabに到着しました。さっそく廊下でブロイゲル先生を見かけ,声をかけてご挨拶。私が最も懇意にしている,エリック准教授もそこにコーヒーを入れに出てきて談笑。エリックに,私の机に案内してもらって,自分の居場所を確保できて一安心。普段は秘書さんが使っている机だとか。立派な机を与えていただいて,感謝です。
とりあえず,居場所とPCとインターネット接続環境さえあれば,何とでもなります。「やることたくさんあるから,ほっといてね」とエリックに告げて,自由時間となりました。「後で自分でブラブラして研究者と適当にディスカッションするから」と伝えて,さようなら。
滞在は二日間ですが,その間に研究のディスカッションをするだけなので,後は自分の自由時間。この研究室の論文を読んだり,自分の仕事をしたり,パリでの研究ディスカッションの準備をしたり,と自分の使いたいように時間を使います。
カイロ空港でもいろいろありましたが,カイロからアムステルダムへ飛び,午前8時くらいに到着して,デルフトに向かいました。3度目のデルフトと思いますが,電車に揺られ,デルフト駅に着いたら駅周辺が工事中でどこから出ていいのか分からず何人かに道を聞きました。
デルフトは一般的にはきれいな街ですが,舗装もレンガのところが多く,スーツケースをごろごろ転がすにはかなり不便。また,タバコのすいがらが落ちている箇所も多く,今の私から見ると「そうでもないな」という感想。それでも,路地から見上げた飛行機雲は素晴らしかったです。
見慣れた街並みを散策し,チェックインできるまで2時間以上あったので,一人でランチ。明日の研究ミーティングのためのパワーポイントの英訳を進めました。が,後で気づくのですが,この作業がきちんと保存されていなかった....無駄な時間と見るか,英語のトレーニングを2回できた,とポジティブに捉えるか...
昼食後,あまりに疲れていたので,ホテルで昼寝。起きてメールを見ていたら,同じく横浜国大からデルフトに出張で来ている中尾先生から夕食のお誘いが。中尾先生の学生の吉岡君もデルフトで研究をしているらしく,三人でディナー。私もおいしい赤ワインもいただいて,いろんな愚痴?をお聞きしたり,相変わらずの私のポジティブ攻撃を二人にお見舞いしたりして,楽しく過ごしました。他では聞けない貴重な情報もたくさんいただき,またまた勉強になりました。
さあ,今日は今回の出張の山場でしょうか。私の研究室の研究をデルフトの研究者たちに紹介してきます。すでにパワーポイントもほぼ準備できて,話すのはいくらでも話せますので,準備万端。
それにしても危険な?空港ですな。
Novotelホテルからシャトルバスで数分でカイロ国際空港に着いて,出国のカウンターにたどり着くまでに何人もに呼び止められ,制服を着たそれらしい女性や男性にも声をかけられ,変なところに連れて行かれそうになりました。どうも相手が言っている情報が怪しいので,こちらもしかめっ面をして英語で巻くしたてていると,さらにきちんとした制服を着た人が助けに?来てくれたので,さっさとそのあほらしい場所を後にして,チェックインへ。
航空会社のチェックインカウンターにたどり着くまでに荷物検査があるのですが,その検査場にまた怪しい輩がたまっていて,ひっきりなしに声をかけてきます。「俺のノートPCに触るな。どれだけ重要か分かっとんのか,おんどれ!」というような剣幕で私もどなり散らして,相手も引いていきました。
この国の輩には,堂々とした態度を見せつけないと,次から次へと付け込んできます。日本人は脇が甘いからね。堂々と振る舞っていれば,輩も無視するので,徹底して「気」を発するようにしています。ストレッチと周囲への威嚇の一石二鳥で,やたら柔軟体操をしたり,回し蹴りの格好をしたりと,身体を動かして見せつけています。戦闘モードに入ったらこちらの方が逃げ足も速いし,エジプト人くらいであればおそらくバトルになってもこちらの方が強い。スリムな東洋人の体操は,輩たちにも不気味なはずです。ブルース・リーに感謝です。
私も各所で財布をすられたり,だまされたり,様々な経験を重ねてきておりますが,そろそろ,普通の輩では近づけないようなレベルになってきたかと思います。注意すべきは忘れ物!
前にもカイロ国際空港来たことあると思うんだけど,こんな危険だったかな。