本日昼休み、図書館中央メディアホールにてYNU研究者哲学サロンです。
司会進行の私の冒頭あいさつを、珍しく文章にまとめました。以下が原稿です。
「皆さん,こんんちは。
今日は,YNU研究者哲学サロンにお越しいただき,ありがとうございます。
主催のYNU21を語る会を代表いたしまして,サロンの趣旨をご説明いたします。本日の司会進行を務めます,都市イノベーション研究院の細田 暁と申します。よろしくお願いいたします。
YNU21を語る会とは,本学のあり方等を議論するため,各分野の若手中堅教員が集まり,長谷部学長の下に設置されたチームです。2年強,活動してきました。各教員が自身の研究・教育活動を発表し合い,自由に哲学を語り合う場からスタートし,私自身も極めて楽しく会合に参加してまいりました。私見ですが,大学,社会がまさに音を立てて壊れんとする中,仮に私自身がまっとうな人間であるとすれば,まだいくばくかの常識,正気が大学に残っていることを感じる数少ない場であると思っています。
本日は,研究者哲学サロンです。J.S.ミルによれば,大学とは社会にすぐに貢献する人材を育てるところではなく,知性・教養のある人間が育つための場です。そういう人間は,自然に社会に貢献できる人材に育ちます。そして,真実を探求するという困難なプロセスにおいてのみ,真に知性が磨かれる,と説きました。よって,研究とは,大学がもっとも大切にすべき根幹的営みの一つであろうと考えます。
私は,会議などよりも,本当に聴きたい研究者哲学を聴き,語り合い,議論することの方が重要と思います。来年度からの本格シリーズ開催のために,今回は特別なプレ開催となりますが,藤野陽三先生と長谷部学長にご登壇いただくこととしました。
藤野先生は,内閣府SIPのインフラ維持管理・ 更新・マネジメント技術 のプログラムディレクターを務めておられ,まさに分野の境界を越えた総合的な共同研究を主導しておられます。先生の座右の書に,京都大学名誉教授の梅棹忠夫先生の「研究経営論」があり,本日は梅棹哲学も踏まえた先生の研究者哲学を存分に語っていただけるものと期待しております。
皆さんご存知の長谷部先生には,丸山真男の説いた,ささら型の大学と,ささらの根底にあるべき哲学,について語っていただけるものと思います。
サロンという場は,実は日本に向いているように私は思っています。歌会のように詩歌等の芸術は我が国ではサロン的な場から誕生する伝統があったようにも思います。
YNUが輝くように,そして日本が本来のまっとうなあり方を取り戻せるように,この研究者哲学サロンが有意義な時間になることを期待しております。」
ぜひ、今回のプレ開催、そして来年度の本格シリーズ開催にも、ご参加ください!
今朝は、2月に入って4回目のスイミングをしました。1000mのスイミングと300mの水中ウォーキング。私にとっては、膝痛の緩和のための足腰のトレーニングとしても、水中ウォーキングも非常に重要です。
今日は午後1時から、東京で90分の講演がありますが、午前のスケジュールを空にし、自分の時間に使うことにしました。まだ2月も激務が続くので、常にリラックス、リフレッシュも忘れないようにしないと長続きしません。
現代は、特に我が国では、なるがままに任せておくと、自分自身もばらばらになってしまいかねません。あれもこれもやらなければならない。家事も子育ても、講義も研究も、講演も、現場指導も、予算申請も、各種の事務仕事も、困った学生の教務指導も、・・・・
ですが、すべての行為を同じ人間が行っています。
2月の中旬の今朝の時点で、自分の中での一体感が高まっています。様々な行為は考えようによってはすべてつながっています。俯瞰的に(独立的に)見る自分がいて、細部の行為にも細やかな配慮をすることで、全体がハーモナイズするようなイメージです。
今朝のスイミングでは、500m泳いだ後、300m水中ウォーキングし、小休憩した後の、最後の500mが快適でした。スピードは落として、自分の本当に泳ぎたいスピードで、クロールと平泳ぎを繰り返し、500m休憩なしでほとんど疲れずに泳ぎました。ただ泳ぐ、という感覚でした。いいかげんに泳ぐのではなく、細部まで自分なりにこだわってきれいに泳ぎました。
上記の水泳のように、自分の行う様々な仕事を、自分の本来のペースで、自分なりにこだわってやっていければと思います。
午後の講演まで、どこかの喫茶店で、卒論の添削、自身の業績調書の更新、学会誌のテクニカルレポートの原稿執筆などをリラックスして行い、午後の講演では、関東の生コンの技術者の方々を対象に90分、現時点での私のベストの情報をご提供できればと思います。
そういえば、脱スマホは容易ではないかもしれませんが、スマホ依存を徐々に低減させようと思っており、音楽はウォークマンで聴くことに変えました。iTuneの操作性が大嫌いなのも理由の一つです。ちなみに元来、スマホのアプリ(スーパーマリオ以外)はほとんど使用しておりません。興味なし。
好きな音楽を聴きながら、本日の仕事も本格スタートです。
大学は年度末の繁忙期、ということで様々な業務を並行して行っていますが、土木史の講義のレポートの採点ももうすぐ終わりそうです。
以下、環境リスク共生学科という、私たちも属する都市科学部(H29年度創設)の他学科の女子学生(1年生)の最終回のレポートです。この学科の学生のレポートは面白いものが多く、今後、都市科学部は楽しみですね。
「タイトル:土木と人間
この土木史と文明という授業では、人間の暮らしの全てを支える土木について幅広く学ぶことができたのと同時に、人間として社会に貢献するためにあるべき姿を学ぶことができた。
講義の初めの方は正直不満であった。私は土木に興味があってもっと多くのことを知りたくてこの授業を取ったのに、どうして30分も精神論を聴かなくてはならないのだろうか。その30分でより深く土木の話をして欲しい。そう思っていた。しかし、講義の回数を重ねるにつれて、その考えが大変愚かなことであることに気付かされた。
土木とは普段、我々の意識の外に存在する。そこら中にありすぎて、あることが当たり前すぎて意識することができないでいる。それほどまでに土木とは無くてはならない、人間の暮らしを根底から支えるものである。そしてその土木を作るのは全て人間である。
人間が作り上げたものによって人間は暮らしている。土木とは人間であり、土木史とは人間の歴史なのである。人間がおかしくなったとき土木もおかしくなる。土木がおかしくなったとき人間は崩壊する。この悪循環がこれまで築いてきた文明を破壊するのだ。
強い社会をつくるためにも、新しい時代をつくる私たちこそが強くなる必要がある。毎授業で先生が熱く伝えてくれたことこそが人間を、土木を、そして社会を強くする。」
うーん、講義をさせていただき、感謝いたします。。。
大学の研究、教育環境が年々厳しい状況に追い込まれていることは、最近は報道等でもなされるようになってきました。実際に生身で体験している私からすると、やや麻痺している感もありますが、研究者、教育者として自分にでき得ることをやるしかない、と思って日々生きています。
このままの我が国の状況がいつまでも続くとは思わず(続けば破滅)、何かを契機にいつかは方向性も変化するとは思いますが、現状においても誠実に生きる我々にできることは、何かあるはずです。
2月23日(金)の昼休みに以下の「YNU研究哲学サロン」が開催されます。本格的には来年度にシリーズで開催される予定で、今回は豪華なスピーカーをお二人お呼びして、司会は私が務める「プレ開催」です。
YNU研究サロン、なるものを2/23昼に開催することだけが先に決まり、内容は何でもいい、とのことだったので、1/19のYNU21という会議で私が発案し、皆さんと議論しながら以下の企画に固まりました。「哲学」が重要と思っておりまして、藤野陽三先生に、先生の座右の書の一つである梅棹忠夫先生の「研究経営論」から学ばれた研究哲学も踏まえ、学際的な共同研究のあり方について語っていただくことにしました。
長谷部学長の「ささら」哲学のお話もいただき、その後には、活発な研究哲学談義が花咲くことを期待しております。
ぜひぜひご参集くださいませ!
90分の講義を最初から最後の隅々の時間まで、大切に使うように設計している「土木史と技術者倫理」(都市科学部では「土木史と文明」に講義名が変わりました)ですが、紹介した図書もファイルにまとめてあります。
合計で60冊でしょうか。2/2時点では最新版がアップされていませんが、すぐに最終版がアップされます。
紹介する対象が学生ですので、その点をご勘案の上、参考にしていただければと思います。
学部3年の今井 健太朗君のレポートです。
①はじめに
「7つの習慣」の第1から第3の習慣までを読んで考えたこと、感じたこと、議論の中で生まれた考えなどを以下に記述し、最後に現時点でのミッション・ステートメントを述べる。これから記載する範囲に第1から第3の習慣までと制限を設けたのは、第4以降は他者との関係性や関わり方について述べたものであったため、現時点でのわたしのとっては主体的であるなどの私的成功に至っておらず、机上の空論になってしまうためである。
②読書し考えたこと、感じたこと
インサイドアウトやパラダイム、原則という概念の導入から、主体的であること、最優先事項を優先することなどさまざまな項目があるが、そのどれかを実践するという話ではなく、自身の生活においてその全てが自然に行われているようにあるというのが最終目標であるということが重要であるように思う。
なかでも、主体的な人間であるということは達成することが非常に困難な状態の課題である。他者からの影響によってではなく自分の選択によって結果が決まるという項目を理解することは可能でも、日常生活で唯一、簡単には実践の段階に至れないものであるよう思えた。
③議論の中で感じたこと
同じ本を読んで議論に向かっているのに、誰一人として感想や意見が一致せず聞いていて非常に面白かった。語句や内容の解釈が違うことで同じ文章から受ける印象が違い、実例に則した課題や相談に対して自分では考えられないようなアプローチを聞くことができ、非常に有意義な時間をすごせたように思える。
④議論を通して自分の中で変化が見られたこと
主体的な人間の特徴として、他人の話をよく聞き、立場を理解することに努めるという記述が本書の中にあったとおり、議論の場では極力他人の話に耳を傾けることにしていた。ミッション・ステートメントを仮作成して行った議論では他人に対する配慮が欠けていることを気付かされ、細田先生が死生観についておっしゃっていたときも、まわりとの意見の違いから改めて「死」というものについて考えさせられる好機を得た。パラダイムが凝り固まったものであったことを痛感させられ、主に「他者」という存在を意識して思考するようになった。
⑤現在のミッション・ステートメント
以上より、わたしのミッション・ステートメントにおいて「主体性」という方針に「他者」という要素が加わり、「自主的な思考判断により、人生を自由に選択する」というミッションを達成するために以下の原則を持つ。
・他者の影響を恐れない
外的要因による変化を受け入れる
・選択を他者に委ねない
常に思考した上での行動を心がける
・役割を意識し、さまざまなアプローチを心がける
兄、3年生、アルバイトなど状況に応じて考え方を変え、その場に応じた最適解を探す。
・優先順位に基づいた行動をとる
第2領域を意識しつつ行動の優先順位を把握するよう努力する。
・他者への配慮を忘れない
相手の立場を理解すること、発言の意図を考慮することに努める
以上の原則を自分の中心におく。2017年12月7日現在のミッション・ステートメントであり、更新を怠らない。
⑥少人数ゼミを受けた感想
対話形式で議論を行うことで刺激的な経験を得ることができた。また、7つの習慣という本との出会いもこのゼミがなければ無いものだったので、これからの人生に活かしていくエッセンスを多く得られた、非常に有意義な時間をすごすことができた。ミッション・ステートメントを考え始めてから日が浅いため、拙い内容で再構成の余地が大いにあると思われる。簡潔にまとめるつもりが長くなってしまったのは、文章力と発想をまとめる力の欠如の表れなので反省したい。
学部3年の三宅 佑君のレポートです。
タイトル「プレゼミを通して」
今回は、5回のプレゼミを通して自分の中で3つのパラダイム転換が起きたので、1つ1つここに書いていきたいと思っています。
まず1つ目は、いたって簡単なことで、読書がいかに大切であったかということです。常々、大学になってから本を読まなくてはとは思っていましたが、何かにつけて言い訳にしていて、実際はあまり本を読んでいませんでした。ですが、このプレゼミにおいて「7つの習慣」や、「後世の最大遺物」を読んでいくうちに、自分はとことん無知なのだと、強く感じました。本というのは、それを書いた人が生きている今を、どのように感じ、どのように解釈したかが鮮明に伝わってくるなと、この年になって理解しました。つまりその年代の鏡のような存在となって、今この瞬間を生きる自分たちに投げかけてくれているのが本だということに気づかされました。まさに自分にとって本というもののパラダイム転換でした。
2つ目は、日々自分にテコ入れをすることです。まさに、今までは流れによって生きてきました。その時が楽しければいいと言った変な偏見がありました。うすうすは気づいてはいました。それがいけないことであり、立ち返った後に必ず後悔するということはわかってはいました。しかしながら自分の意識の弱さと、その偏見を根こそぎ変えるだけのパラダイム転換に出会っていませんでした。しかし、今回の7つの習慣を読み、自分自身を律し、向き合っていけるのは自分しかいないということを痛感させられました。最優先事項を決めるということがまさに、自分のできていなかった最たる例だと思います。このことは、自分自身と向き合う時間を与えてくれて、また今やるべきこと、というのが見えてきました。常に日々の中でも「今これは大事なのか」ということは強く思うようになりました。時間を効率よく過ごすことができて、未熟ではありますが、この先も結果がどうあれ、納得して過ごしていくことができそうなので、とても為になったと感じています。
3つ目は、自分自身のミッションステートメントを立てるということです。これは正直まだまだ改善の余地があるし、日々更新していくものだと思います。ですが、そのミッションステートメントの土台となるようなもの、つまり自分は何のために生きているのかということは子供のころから決まっていたものがあったので、草案ではありますが、現時点でのミッションステートメントをここに記載したいと思います。
【大前提】
自分はより多くの人を助ける。
自分を貫く。
【自分自身】
何事にも全力でやる。
目的を持つ。
何事にも興味を持つ。
無知であると理解する。
日々テコ入れをする。(自分自身への報連相)
日々勉強をする
【対人関係】
悪いことを悪いといえる。
組織の中で一番率先して動く。
誰にでも聞く耳を持つ。
感謝の気持ちを伝える。(すみませんではなくありがとう)
学部3年の中村 航君のレポートです。
タイトル「少人数ゼミを通じて考えたこと」
これまでの私は、自身のコントロールややる気を他人に依存して生活してきた。過去の私を振り返ると、負けず嫌いで必要以上に集団での優劣を意識し、他人よりも優れていたい気持ちが先行しており視野が狭く無理をしていた。しかし未来の自分を想像したとき、このままでは仕事での成功ばかりを追い求め本当に必要なことに時間を使えず、人生に後悔してしまうと感じた。今回「7つの習慣」を読み、自分の中心にある物は“頼られたい気持ち”であり“周りの人が幸せに感じ生活できること”こそが自分の生きがいなのだと気づくことができた。そしてそのためには影響の輪を見極め、自らの原則に従い生活することが重要である。今回のゼミを通じて今後の人生におけるミッションステートメントを考えたので記していく。
1. 「正しさを理解し、表面的なルールでなく本質をとらえた行動をとる。」
私はこれまで結果にこだわって生活してきた。もちろん結果は重要だがその結果に至るまでの内容にこそ本当の価値が存在するのだと思う。日頃の取り組みを具現化するものが結果であり、結果までのプロセスを大事にする人間に今後はなる。
2. 「全てのことは日々の積み重ねであり、負の感情を抱いたとき衝突せずに相手にどう映っているか考える。」
日々おこることは、私がこれまでに選択してきたことの結果であり、直面する問題は自らが導いたものだと思う。だからこそ問題の原因を相手でなく、自分にあると考えることで影響の輪を広げることができる。
3. 「人との関わりを大事にし、すべての人が心地よさを感じられるような行動をとる。」
私はいろんな人々に支えられて生活しており、日常を当たり前だと思わず感謝の心を持つようにする。そして自らも周りの人が心地よさを感じられるような行動をとることを意識し生活する。
4. 「自然を愛し、技術を愛するために勉学に対し真摯に取り組む。」
土木工学は人々のためにある学問である。先人方が築かれた物の偉大さに気づき、後世へと引き継ぐため、まずは勉学に対し清き心で取り組む。そして地球を愛し、環境への配慮ができる技術者になる。
今後はその日における全ての選択を自分の原則に従うようにし、毎朝ミッションステートメントを確認して日々を送ろうと思う。
私が開講した少人数ゼミ「人間学とリーダーシップについて考える」は昨年に終了しましたが、「7つの習慣」を共通の課題図書とし、副読本は各自が読み、すでに研究室配属されている先輩の学生4名も含め、私も一員となって議論しました。
昨年12月に提出してもらったレポートは公開を前提に書いてもらいましたので、遅くなりましたが一つずつ公開していきます。
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学部3年 福原冴基君のレポートです。
タイトル「私の生き方を考える」
1. ゼミを通した考察
① 自分を見る
あらゆる刺激に対して自分を客観視して行動の選択を行うことは,何者にも侵されることのない自分の自由な権利になる.刺激に反応的な人間は主体性がなく行動選択の自由権がないことから,関心の輪が拡大せずさらに周囲に影響の輪を拡大できない.主体的に自分を見ることで能動的に行動でき,関心の輪と影響の輪をバランスよく広げることで次のステップである自分の使命を考えることができる.
② 自分の使命を考える
人間の中心があるもの・人に偏っていると,他のもの・人に対する価値観を失ってしまう.主体的に自分の内面を深く見つめ,人間らしい自分の「高尚なる勇ましい生き方」を考えていく必要があると考えられる.この生き方を考えていくことで関心の輪と影響の輪のバランスを取りながらさまざまなもの・人に対する価値観もバランスよく向上する.さらに,この高尚なる勇ましい生き方を中心にもの・人に対する自分の役割‐使命を考えて行動することで適切な影響の輪を広げ,後世に自分が持っていた人生のバトンを託すことができるのである.
③ 自分を時間管理する
時間管理は緊急度と重要度の2つが関わるが,自分の使命をクリアするためには緊急でないが重要であることの活動を拡大することが重要である.活動例として挙げられるのは読書や趣味であると考えられ,本は多くの著者の精神を感じ取って言葉を咀嚼して吸収することで関心の輪が広がり,趣味は心身のリラックスにとても重要な活動となると考えられる.
2. 自分自身への適用と私の生き方
少人数ゼミを通して自分自身について考え始める前は,自分がどう生きたいか,といよりは,自分がなにをしたいか,に重点を置いて将来について考えていた.しかしそれでは私が生きた証が残るというよりは「漠然と自己中心にただ生きているような感覚」であるような偏った考え方をしていたと少人数ゼミを通して感じた.主体的に行動することによって自分を客観視できる上に関心の輪の拡大によって世の中の様々な課題把握をすることができる.その課題に対する当事者意識を持てるようになれば,自分の主体性が確保され,課題に対して自分自身がどのような役割を持って生きて,解決できるように努力できるかを考えることが私の生き方を考えるうえで重要なファクターになると考えられる.そのために私は使命を常に意識し,読書や趣味などの時間を拡大して個人のマネジメントを怠らないようにしたい.
2月がスタートしました。
1月は体調不良からスタートしましたが、最終的には上向いて2月に入りました。
1月30日に土木史の講義の最終回も終わり、帰宅時に読んだ2年生のレポートで何度も涙を流しました。まさに私の全力をもって講義に臨んだつもりですが、すべての学生ではないものの、少なくない学生たちも全力で応えてくれたようです。200名を超える巨大教室での講義でも、工夫すれば本物の講義が成立する、ということですね。極めて実験的な講義ではありますが、スタイルもほぼ確立されてきたので、現状維持にとどまらず、次への発展を模索したいと思います。
土木史の講義からは、私も多大なエネルギーをいただきました。大学、講義、というシステムがあることに改めて感謝いたします。
昨日、1月31日には、椿先生の最終講義が実施されました。「構造の力学Ⅲ」の最終回をもって最終講義とする、という最近の一般的な理系の先生の最終講義(ご自身の研究成果について、大勢のお客さんを呼んで開催する)とは異なるスタイルでしたが、とても素敵な最終講義でした。学部2年生が教室の前で生の講義を受け、教室の後ろの方にはOBOGや土木の現役教員も少なからず聴講していました。学部の講義の中に、椿先生のこれまでのご研究や、考えてきて来られたことを少しずつ織り込まれ、60分足らずの講義でしたが、最後の花束贈呈、記念写真撮影も含めて、とても和やかな、温かい時間であったように思います。
私も同じように、私の講義の最終回は椿先生と同じようにやってみたいなと思いました。温かい雰囲気にはならないだろうな。。。暑苦しさがそのときにも残っているでしょうか?果たして、私の講義の最終回はいつになるでしょうか。
悩みはそれなりにありますが、一つの悩みのたねでもあった、JCIの研究委員会の運営についても、今日、2/1のWGでブレイクスルーがありました。WGのメンバーも私と同様悩んでいたかもしれませんが、今日は非常にクリエイティブで、スケールの大きな議論ができました。具体的な内容はまた追ってブログでも報告しますが、そのきっかけになったのは、いかに日本の電力事情が厳しいか、また、人類の直面する資源、エネルギー問題がいかに深刻か、について本当の知識を入手でき始めたかこと、でした。相当に厳しい状況なので、皆さんも真実を知ることをおすすめします。
テレビ番組で勉強したい方は、これをどうぞ。シリーズ物の番組なので、今後も続いていきます。
上記のテレビ番組のメインの解説者である、小野章昌さんも執筆者の一人である、本はこちら。この本を読めば、電力、エネルギー、資源問題の根幹、深刻な状況、真実が分かるかと思います。過激なタイトルですが(私は別に過激とも思いませんが)、タイトルは本屋で売れるための作戦だそうで、中身は硬派でデータに基づいた良書、です。ぜひご一読されることをおすすめします。
このような電力、資源の問題の真相に迫る情報を得ることができたのも、1月冒頭の体調不良があったからです。人生万事塞翁が馬、ですね。
申請していた大型研究助成もヒアリング審査に進むこともでき、私の得意なプレゼンで頑張って説明しようと思います。この研究の意義も、今であればもっと高い次元で説明することができそうです。
明日、2/2は新潟県でのコンクリート構造物の品質確保に関する講習会で60分、講演します。実質的な新潟県でのキックオフになりますので、とても大事なイベントです。もちろん、夜の大型懇親会も含めてすべて重要イベントですので、気合とエネルギー満点で行ってこようと思います。
2月はかなりタフなスケジュールになると思いますが、チャレンジのスタートです。