YNU土木 3年生の皆さんへ
細田です。
来年度の前半もフランスにいる予定ですが、新4年生で私の研究指導を希望する学生がいれば、しっかり指導しますので、ご心配なく!
フランスに遊びに来てもらえれば直接指導もできますし、スカイプ等での打ち合わせももちろんできます(現在もやっています)。また、ときどき日本出張もしますので、ほぼ問題なく私の指導で研究できると思ってもらって大丈夫です。
不安で、相談したい方はぜひ遠慮なくメール等で問い合わせてください。
本日、研究室紹介があったと思うので、補足説明です。
1/26(日)の23時過ぎの便でパリを出発します。
過去、海外出張はもちろん何度も経験していますが、今回ほど落ち着いて準備できていることもありません。
あまり昔のことは記憶にありませんが、ここ5年くらいの海外出張の準備はいつもバタバタ。何とか予定のNEXに飛び乗った、というようなことばかり覚えています。海外出張に出かけてからホテルの予約をしたことも何度もあります。
今回は、日曜の夜の出発、ということもありますが、2週間という長い日本出張の準備を万全に整えての出発です。留守中に家族に迷惑をかけるので、ミネラルウォーターやジュース等のストックもしておきました。
日本出張用の大学ノートも作りました。2週間、研究三昧なので、ノートがアイディアや新たな知見で一杯になることを期待しています。最初のページは、家族のために買って帰ってくるもののメモ書きになりましたが。
成田に到着後はかなりのハードスケジュールなので、珍しく少し気負っていますが、すべてのスケジュールに対してしっかりと準備をして、それぞれの時間を大切に過ごしていきたいと思います。
長期海外滞在が初めての経験なので、日本に戻った時にどのようなことを感じるのか、第一印象が楽しみです。ちなみに、パリに長期滞在を始めたときの第一印象は、「汚い」でした。今でもその印象は変わりませんが、もちろん、フランスの良い印象もたくさんと重ねられてきています。
あと1.5時間程度で我が家を出発です。大方の準備はできたので、2/3(月)の仙台での品質確保の研修会での講演資料を飛行機に乗るまでに仕上げてしまおうと思います。300人くらいの参加者となり、いよいよ産官学の協働が始まる、歴史的なステップになりそうです。
2ヶ月半ぶりに日本に戻りますが、パリでも鰹、昆布の和風だし、醤油、味噌、米などを日常の料理に使ってますので、それほど和食が恋しいわけでもありません。中国人の経営する寿司屋がフランスのどこの街に行ってもあるので、日本と質を比べるのはかわいそうですが、寿司もこちらでも食べていることもあるかと思います。
今回の日本出張では、初日の夜に徳山でおいしいふぐと獺祭をいただきますが、今の時点で食べたいなあと思うもの。
・うなぎ(行きつけの店に、何とか日本出張中に行けそう。2/7の昼食がチャンスかと)
・寿司
・おいしい日本酒が飲みたい(2ヶ月半、ワインとビールのみ)。
後は、実家の母親の手料理が食べられれば、満足です。
日本の食事が恋しい、というよりも、二週間、研究三昧で多くの方々とレベルの高い議論をできることが、何よりも楽しみです。
「建設工事システムがコンクリート構造物の品質に及ぼす影響」というのが、私の卒業論文のタイトルでした。小澤一雅先生が指導教員でしたが、私があまりに力不足だったこともあり、ろくな成果は得られませんでした。
なぜ示方書や共通仕様書には適切な方法が記載されているのに、実構造物ではその通りにできないのか。例えば、ガス圧接の不良や、段落としが設計規準通りに千鳥配置になされない現象はなぜ生じるのか、どうすれば防げるのか、というようなことに取組んだ研究です。
よくよく考えてみると、今、私の取り組んでいる品質確保の研究も、根っこは同じです。
そういう意味では、先日投稿した、「施工状況把握チェックシートによるコンクリート構造物の品質確保と協働関係の構築」という論文は、卒業論文のテーマに対する、今の私なりの解、と言えるかもしれません。当時と今とでは実力は雲泥の差ですが、18年越しの卒業論文と言ってもよいかもしれません。
もう一つ、どうしようもない駄作が私の修士論文で、これのリベンジが、昨年12月に修了した小松君の博士論文です。これも、16年越しの修士論文と言う見方もできるかと思います。
16年かかろうが、18年かかろうが、少しずつ前進していけばよい、と今では思えます。愚鈍な人間ですので、あきらめないことを決意することが、最も大切なことなのかもしれません。
これからも、ちょっと取組んだらすぐに成果が出るような研究ではなく、仕上げるのには10年でも20年でもかかるような研究テーマを設定したいものです。
フランスでの生活も日常になってきています。非日常であれば別ですが、日常は常に忙しい。また、日常とはあっという間に過ぎていきます。
1/26(日)の夜に日本に向けて出発し、2週間留守にするので、その間家族にはもちろん迷惑がかかります。
そこで、出発までのパリでの2週間は、私は家事も出来得ることをやるつもりで努力しています。
今週の平日は水曜日以外の子供たちのお弁当をすべて作り、月~金の夕食も私が作ります。火曜や木曜は、私の夜の帰宅が早くないので、朝に夕食も準備してしまいます。
食事を作るためには買出しも当然に必要。火、木はシッターさんに子どもの迎えやお世話を手伝ってもらっているので、家の掃除もしないといけません。
また、日本出張が迫っていたり、日本では修論や卒論の追込みの時期なので、指導の時間もそれなりにかかります。
現在は、2名の指導学生が日本からインターンで来ているので、彼らの指導や世話もあります。
というわけで、決して暇ではなく、時間にそれなりに追われた生活となっています。でも、それでよいのだと思っています。
今の生活がずっと続くと私も不満に思うのかもしれませんが、 2週間程度と分かっているので家事にも相当な時間を割いても納得できます。日本出張の間は仕事に専念させてもらえるので、それくらいは当然です。そして、研究三昧の日本出張を終えた後は、気分一新でフランスでの生活をスタートすることと思います。
日常ではあるのですが、自分自身をいろいろと盛り上げることはちょっとした決断や工夫で可能であり、起伏のある生活を楽しみながら過ごすことで、時間が矢のように飛び過ぎることもなく、多少は時間を味わうこともできるのかと思います。
日本出張が終わるまでは全力を尽くし、パリに戻ってきたら少し息抜きの時間を取ろうと思います。
講義や講演などで比喩を上手に使うことは大事なことです。アナロジーを適切に活用すると、本質を理解するための手助けにもなります。
以下は、すべてが上手な比喩、アナロジーというわけでは必ずしもありませんが、 今後少し考え続けてみたい視点なのでメモしておきます。
土木チャンネルでの藤井先生と太田国土交通大臣との土木談義で、人間の高齢化社会についてはこれだけマスコミも含めて国民がわーわー議論するのに、なぜインフラやものの高齢化についてはあまり重要視されないのか、が分からない、とのことでした。使い捨てする文化が蔓延してしまったことや、自分以外のことに適切な関心を持てない大衆化のなれの果てなのでしょうか。
もう一つ、インフラ(道路網、鉄道網、情報通信網、郵便ネットワーク等々)とは人間の体で言うところの血管のようなものです。これも誰かが言っているのは何度か聞いたことがあるように思いますが、今朝、シャワーを浴びていて改めて思いました。
人間の体が生きているということは奇跡に近いことだとときどき思います。無数の細胞が有機的に統合されており、しかも細胞は常に入れ替わっており、統合体は非常に高度な機能を発揮する。とても信じがたいレベルのマネジメントです。
この統合体が機能するために血管のネットワークが必要なのは当たり前で、頭だけで生きられるわけがないし、一つの細胞だけで生きられるわけもない。当たり前のことです。
血管ネットワークが劣化してくればメンテナンスも当然に必要。
徳山前東北地方整備局長は、東日本大震災のときに、日本国家にとっては左腕の大火傷、という表現をされました。国家から見ればまだ体のいろんな部分が健全であり、だから救援することができた。しかし、自治体レベルで見れば全焼に近く、とても自力で復活することは無理。
人間の体で大火傷を負えば、大至急治療するのが当たり前。
高齢化で人間の体の中には機能が低下してくる部分もあるとは思いますが、そのときに、機能が低下してきた部分を切り捨てたり、無視したりするでしょうか。むしろ、その部分の血流が良くなるように温めたり、マッサージしたりするのではないでしょうか。
過疎高齢化しているところにはインフラもいらないし、投資もいらない。そんなあまりに低レベルの意見がまかり通る世の中です。この国土の中で人間が自然に対して土木的に働きかけていないところなどごくわずかです。世界遺産級の限られたエリアのみ。働きかけをやめると国土は人間のとても住めないエリアに放置されてしまいます。壊死します。その状態で日本を営み続けていけると本心から思っているのでしょうか。おそらく何も考えていないに等しいのでしょうね。
ごくごく当たり前のことを、理解できない、理解しようとしない、見ようともしない大衆が多いのでしょうね。藤井先生も太田大臣もイデオロギーにとらわれた「思考停止」である、と指摘していました。
コンクリートを人間に例えたり、維持管理を医療行為に例えたり、ということはこれまでもよくやってきていますが、もう少し人間とのアナロジーを深く考えて、講義、講演等で活用してみようと思います。
私のフランス滞在期間を大まかに区切ると、最初の3分の1が今週で終わろうとしています。
家族は先行して9月に渡仏しましたが、私が本格的にフランス滞在を始めたのは10月頭で、しかも、10/12~24、10/29~11/10は日本で仕事・用事をしていたので、最初の3分の1の期間のうちフランスで過ごしたのは約3ヶ月になります。
当初はいろいろと不安もありましたが、今のところ家族でのフランスでの生活も軌道に乗り、それぞれが頑張っており、またうまく連携・支え合いもできているように思います。
私も、種々の制約条件がある中で、フランスでの時間をどのように過ごすべきか、常に考え、実際の生活でチャレンジを重ねてきました。
・研究所にいる時間は限られる。
・家事、子どもの相手にかなり時間を取られる。
・出張は好き勝手にはできない。
というのが主たる制約条件ではありましたが、それらに文句を言ってもどうなるわけでもなく、逆にそれらの制約条件をなるべくプラスに考えて行動するように努めてきました。
なかなか100%満足、というわけにはいきませんが、この3分の1を振り返って、以下のように感じています。
論文執筆はそれなりに努力をし、大きな和文論文を二つ投稿することができ、よかったと思っています。私の30代の集大成といってもよい論文を2つ書くことができ、ほっとしています。次の和文論文は目視評価法をマネジメント的な視点で論じるものにする予定ですが、これは40代の序盤の仕事に位置付けられると思っています。
英語論文はまだ国際会議の論文を1本しか書けておらず、次の3分の1の期間に多くを執筆することになりそうです。幸い、いくつかの国際会議の論文の締切りが近づいてきているので、締切りを活用しながら着実に書いていきたいと思います。
筆頭著者でない論文もそれなりには投稿したので、滞在期間中の重要な目的の一つである論文執筆については、それなりのスタートが切れたと思っています。
読書については順調。読みたい本がまだまだ数えきれないほどたくさんあり、楽しく勉強できています。
フランス語の勉強はかなり改善できそうですが、無駄なストレスを感じても仕方なく、Speed Learningを軸に、別途フランス語の初歩の勉強も開始しました。少しずつ、身に付いてきてはおり、食料品の買い物程度はフランス語でできているので、滞在期間中にどれくらい上達するのか、むしろ自分で楽しむくらいの気分で気楽にやりたいと思います。そのうち、会話スクールに週1回程度、行くことになりそうです。
研究所での研究ですが、少しずつ、研究所の研究者たちとのディスカッションも始まっており、私の部屋の女性研究者も産休・育休から今日、戻ってきました。やはり、経験豊富な研究者と話すと、30分話すだけでも相当に情報交換できるので、今後もなるべく研究者とディスカッションする機会を持てるよう、努力したいと思います。もちろん、研究所外の研究者や欧州の他の国の研究者とのコミュニケーションも重要ですが、制約条件と相談しながら徐々に展開していきたいと思います。
私の指導学生の佐藤君と横山君がインターンで来てくれたので、 大変苦労もしたようですが、SWATも持ってきてくれました。これはとても大きなことで、私がフランスにいるときにSWATがこちらにある、ということはいろいろな活用法があろうかと思っています。3/3(月)には、岩城先生、石田先生らも研究所に来られて、プチ・国際ワークショップを私のマネジメントで開催しますが、そのときにもSWATのデモンストレーションをできるよう、準備を進めたいと思っています。佐藤君、横山君には感謝しています。
講義資料等の整備はまだ全く手を付けておらず、残りの期間に着手です。
フランスのインフラ等の訪問はかなり満足の行くレベルで実施できており、今後の教育にも大いに知識、経験を活用できそうです。明日はいよいよ、マルヌ川にかかるフレシネーのPC橋梁を見に行きます。
家族の生活は皆で協力し合って、とても充実したものになっていると思います。また、フランスにいる友人との交流も順調に重ねており、今後も交友関係は大切にしたいと思っています。
以上、総じてみれば、最初の3分の1は、多少の反省点はあるもののまあ合格点ではないかと思います。
1/26夜からの日本出張では気分を入れ替えて日本での仕事に全力投球し、気分一新してフランスでの第2ステージに戻ってきたいと思います。
今日、日曜日は昼食前にジョギングをしました。前日からすることを決めていて、長女もやりたいと言うので、初めての長女とのジョギングとなりました。
私が長女の体力もイメージして、コース選択をしました。 セーヌ川沿いを走り、アレクサンドル三世橋からアンヴァリッドまで歩き、陸軍士官学校の辺りからエッフェル塔まで再度走り、自宅近辺まで各国大使館の建物などを見ながら歩きました。ジョギングとウォーキングと合計で45分程度のよい運動になりました。
長女も非常に気に入ったようで、今後は長女とジョギングをする機会も増えそうです。
日曜日の昼前にジョギングをしたことは初めてかもしれませんが、セーヌ川沿いやエッフェル塔の近くの大きな公園には、それはそれはすごい数のジョギングをしている人たちがいました。ジョギング大国なのかもしれませんし、またパリのそれらのエリアは最も多いのかもしれません。
金曜日の夕方以降、非常に充実した時間を過ごしています。平日は家事に仕事に出来得ることをやった気分で、その充実感と週末の解放感を家族と一緒に味わうことができました。
昨日は子供二人とコンコルド広場、マドレーヌ寺院、エッフェル塔の散歩をし、今日はジョギングもしました。ジョギングする前に、米5kgの買い物にも行きました。私が日本出張中にも十分の備蓄をしておくためです。
この一週間、外食は全くなしで自宅で健康的なものを食べており、この週末には仕事と読書もバランス良くできており、充実感を味わいながらのたっぷりの睡眠も快適で、まさに理想的な週末になりました。
修士の学生たちが論文提出期間を迎えており佳境に入っていますので、私も適切に指導したいと思います。いよいよ一週間後に日本出張です。
一つ前の「マネジメント」の記事とも関連すると思いますが、仕事をしていく上で多くの「判断」が求められます。
判断とは、いくつかの選択肢の中から選択をする、ということですから、仕事に限らず生活のほぼすべてのプロセスで判断していることになります。
特に責任の重い人の判断は、プロジェクトの成否を決めたり、組織の繁栄・衰退に大きく影響したりします。
そして、判断するときに、その人の価値観や基本原則が他の人にも見えるものです。
私もいろんな人の判断を見てきましたが、心底感心する判断にも何度も遭遇してきました。どうしてそのような判断をするのか、価値観や基本原則とともに説明してくれた恩師、師匠、先輩もたくさんいました。また、「7つの習慣」等、価値観や基本原則を構築、ブラッシュアップしていく努力も、これまで積み重ねてきました。
ですから、私には他人が判断するときには、その人の価値観や基本原則が見えます。そして、何度も判断の場面を見る身近にいる人の場合、信頼できる人と、信頼できない人を見分け、私の接する態度(本気度)も全く異なることになります。(後者の場合、お付き合いする必要がない、と思ってしまう。)
もちろん、どの人も自分の価値観、基本原則に基づいてベストの選択をしているのだと思います。わざわざ悪い選択をしようと思う人は少ないでしょうから。
ですが、人の価値観、基本原則には信じがたいくらいのばらつき、幅があります。これはどうしようもない事実です。
そして、基本原則がどっしりとしている人から見ると、そうでない人の判断はぶれて見えます。一貫性が無いのです。もしくは、明らかに自分が良くなるように、という意思が見え、しかも短期的な視点で判断していることが多いです。
ぶれない、ということがある意味では大人、ということでしょうか。
もちろん、私自身の判断が非常に多くの方々に見られていることも意識していますので、このようにブログを書き続けることも私の価値観や基本原則を明示する大事な行為ですし、特に後輩の方々(まだ、変化していける若者たち)には、なぜそのような判断をするのか、その背後にある考え方とともに説明するように心がけています。
私は「マネジメント」が好きです。強い興味もあるし、自分の中で得意なことの一つだとも思っています。
「マネジメント」の適切な日本語訳が無いので、おそらく日本人の大多数はマネジメントが真にどういうものであるのか分かってはいないと思うし、もしかすると私の理解も欧米の人たちとの理解とは同じではないのかもしれません。
(1) マネジメントを、「やりくり」と説明する方が結構います。これはマネジメントの一面を適切に表しているとは思います。種々の制約条件がある中で、結果をよくするために、出来得る工夫をしてやりくりする。いくらやりくりしても、結果がよくならないとマネジメントとは言わない。
(2) マネジメントはこれだけでなく、制約条件を固定のものと考えず、制約条件そのものを時間、お金をかけて、仕事をやりやすいように変更していくことも含んでいると思います。
上記の(1)はとにかくよい結果を得るために、現状に不満を言うのではなく、ベストを尽くす行為。(2)は、将来的に全体が良くなっていくように哲学、理念に基づいて戦略的に動くイメージ。
私の仕事でも上記の(1)、(2)をミックスして行うわけですが、今朝、子供たちのお弁当を作りながら、これらのマネジメントのことをふと思いました。
平日は忙しいわけです。パリでは毎日お弁当を作るわけではありませんが、朝早起きして、子供たちのお弁当と、さらに同時に夕食の準備もしなくてはならないときもあります。一日だけならまだしも、その翌日の材料のことなどもそれなりに考えてマネジメントする必要があります。料理をすることは食材の買出し、ストックと切り離しては考えられませんから。これは、上記の(1)のマネジメントになります。コストのことも考えながら、限られた時間の中で、おいしい食事を家族が食べられるようにする。
一方で、日本人がパリでそれなりに満足できる食生活をするためには、炊飯器も必要だし、お米やらふりかけやら、何かといろいろ必要なわけです。9月に日本のヨドバシカメラで炊飯器を買って苦労しながら家に持ち帰ったり、それをパリに持ってきたり、持ってきても変圧器がないと動かないので3万円以上もする大きな変圧器を購入して持ってきたり、という苦労を思い出します。また、何度も日本と往復していた時に、ふりかけやら、炊き込みご飯のもとやら、を相当に買い込んで、何度かスーツケースで運んだのも今や懐かしく思います。これらは、(2)のマネジメントになります。困ってから考えるのではなく、先を見通して手を打っていく。
非常に乱暴な言い方をすれば(間違っているかもしれませんが)、(1)は女性が得意で、(2)は男性が得意でしょうか。あくまで一般的なイメージの話です。(実態に基づいて悪口を言えば、男は(1)が苦手で、(2)が得意と思い込んでいるが、実は(1)も(2)も満足にできない男が山ほどいる。)
世の中でマネジメントがいろいろなところで論じられますが、男がマネジメントを論じることが多いので、(2)のタイプが多くなりがちに思います。(2)にしても、本当に共感できる哲学、理念で将来像を示す方は限られていますが。
マネジメントにおいては、(1)も(2)も両方大切です。
私は(1)と(2)の両方が大切であることを生活やこれまでの経験から、骨身に染みて理解していると思っています。ですから、いつのまにか私の研究もそのような方向に向かってきています。
構造物の品質確保にしても、(2)の意見や研究は非常に多いのですが、(1)が少ない、もしくはほとんどない。
現在、復興道路でチャレンジしている目視評価、施工状況把握チェックシートの活用などは、どちらかというと(1)のタイプです。こういう泥臭いことをやる人がほとんどいないように思います。
一方で、フィロソフィーも非常に重要で、結局、我々はどこを目指すのか、という哲学、理念をいつも議論し、意識しておく必要があるのだと思います。
マネジメントについては、私はまだまだ赤子のような存在ですが、これからはかなりの時間をかけて勉強し、研究し、実践していくことになると思います。
近いうちに、私なりのマネジメントの定義もしっかりと確立できるように努力したいと思います。
今日、木曜日は研究所で終日集中的に仕事をできる日の予定だったのですが、長女がお腹の調子を崩して、自宅で子供二人の面倒を見ることになりました。。。
インターンで来ている学生たちには申し訳ないですが、自宅でも仕事やSkypeでのミーティングはできるので問題なく、私も家でくつろぎながら仕事したり読書したりすることにしました。
リラックスして楽しく読む本としては、東野圭吾と村上春樹の作品が、今のところの私の中では両巨頭です。
東野圭吾の本では、加賀恭一郎刑事の出てくるシリーズをここのところ連続で読んでいますが、人情に溢れ、低俗な推理ものではなく、様々な知らないことにも触れることができ、とても好きなシリーズです。
今は、「祈りの幕が下りる時」という最新に近い本を読んでいます。
先ほど、途中で出てきたセリフ、「どれだけ無駄足を踏んだかで、捜査の結果が変わってくる」。これは研究も、人生も同じだな、と思います。
何も考えずに無駄な時間を過ごした、というのではなく、全力で取り組んで、一見無駄に終わったと思えることには無駄なことなどないと心から思えます。すべてが経験になるし、失敗に見える過程でどれだけのことを吸収し、感じるか、がその人の幅や度量になっていくのかな、とも思います。
むしろ、とんとんとん、と進むことの方が珍しく、かつ進むことは良いことなのかもしれませんが、落とし穴やしっぺ返しがつきものです。とんとんとんと行くことなどない、と私などは思っていますが、地道に下積みを重ねて、それが少しずつ成果に結びつく、というのが真実かなと思います。積重ねた結果、成果が一気に表れる場合もありますが、それも下積みの結果だろうと思います。
研究にもいろいろなタイプのものがありますが、刑事の捜査と似た、推理力を働かせて仮説・検証していく過程も研究には多くあるので、その意味でも楽しく読めるのだろうと感じています。
今日の午前は、出張?でした。
日本にいると、出張しかしていないんじゃないか、というくらい自分のオフィスで仕事をする時間が少ないですが、フランスでの時間はとにかくオフィス、家庭での時間が多いです。一人で来ていれば、間違いなく欧州をあちこち飛び回っているかと思うのですが、家族で生活しているとそういうわけにはいきません。最初は、その生活に自分が満足できるのかやや心配でしたが、じっくりと腰を据えて勉強したり論文を書いたりすることが心地よく、今はとても満足しています。まだ滞在期間の3分の1も終わっていませんが、徐々に行動範囲も広がってくるかと思います。4月以降は、国際会議やワークショップに参加する機会も出てくるので、国際出張を有効に活用したいと思います。
45才であれば、社会的に背負っているものももっと大きいと思うので、欧州でいろいろと飛び回った方がよいでしょう。今の40才の私は、 飛び回ってももちろん有意義とは思いますが、それよりも日本でできない腰を据えて取り組むことを徹底的にやるべきで、もしかするとまとまったこのような落ち着いた時間は最後になるのかもしれません。
前置きが長くなりましたが、今日の午前は、パリのコンコルドにあるJRグループのパリ事務所を訪問しました。東大コンクリート研の5つ上の先輩がおられることを紹介していただき、初対面でしたが、パリ事務所の所長も出てこられ、私はインターンで来ている学生2名を帯同しましたが、大変に話が盛り上がり、勉強になりました。
所長は10分くらいしか時間が無いので、という話でしたが、結局1時間以上私と話しまくっていました。
私もコンクリートばか(良い意味での)の状況はすでに終わっており、土木史の講義の経験や、興味の対象も広いこともあり、フランス、欧州と日本の違い、郊外から都市中心を貫く鉄道システムの歴史的な経緯(ドイツ、フランス、日本がパイオニア)、欧州と日本の教育システム、土木とCivil Engineering、などなど多岐に渡る話題が沸騰し、また夕食でもぜひ食べに行きましょう、と所長からお誘いいただきました。
その後、私は次女のお迎えが迫っていたので15分足らずで本題の欧州の鉄道の状況についてごく簡単にレクチャーいただきました。
すぐにご訪問できるので、また機会を改めて訪問させていただこうと思いました。
フランスにいると、日本にいるときよりも人とのコミュニケーションの機会、量は少ないと思います。少ないのが悪いのではなく、別の形で充実しているのですが、やはり私はコミュニケーションが好きなのだな、と改めて思いました。頭が活性化するし、とにかくポジティブに情報交換することは刺激的で大変に勉強になります。
その後、今日は水曜日ですので、正午前から次女のお迎えとお世話です。学生たちも家に呼んで、ラーメンをごちそうし(スープは手作り、ミニキャベツ、たまねぎ、マッシュルームが具。トッピングとしてボイルエビとゆで卵)、「次女との水曜日散歩 No.7」として、自宅近くのパリ日本文化会館に散歩に行きました。写真はFacebookでアップした通りです。National Gegraphicの秀逸な写真集"JAPON"を購入しました。
主として、私の指導学生たちにとって大事な情報なのですが、私の日本出張中の予定がおよそ固まってきました。参考までに以下に記しておきます。
1/27(月) 日本着
1/28(火) 早朝の飛行機で山口県へ。官学共同ミーティング、徳山泊。
1/29(水) 広島県福山市鞆の浦へ移動。地域防災の研究。
1/30(木) 午前に、鞆小学校で防災授業。その後、福山から高松へ電車で移動してNEXCO西日本の研修会で講演。高松から岡山経由で品川へ戻り、品川発の岩手県宮古行きの夜行バスで移動。
1/31(金) 朝、7:25に宮古駅に到着予定。岩手県宮古市の復興道路のトンネル現場へ。夜に盛岡まで戻り、泊。
2/1(土) 首都圏に戻り、午後、東大にて示方書勉強会
2/2(日) ようやく大学に出勤して、指導学生との研究ゼミ。
2/3(月) 仙台で、品質確保の研修会で講演、仙台泊。
2/4(火) 午後、大学で共同研究先とミーティング+懇親会。
2/5(水) 午前、都内で共同研究先と研究打ち合わせ。午後、熱血ドボ研の定例会と懇親会。
2/6(木) 高知工科大学で岡村甫先生のインタビュー(JCIランドマーク委員会)、高知泊。
2/7(金) 高知から首都圏へ移動。夕方、共同研究先とミーティング+懇親会。
2/8(土) 研究室冬合宿(終日ゼミ)@三崎
2/9(日) パリへ出発
まだ若干の隙間がありますが、大学へもほとんど顔を出せそうにないので、空いた時間は学生たちの研究指導に使いたいと思います。
1/14(火)が毎年のバタバタ恒例行事?である、JCI年次論文集の締切りでした。
フランスにいても研究は日本を主体にもちろん継続しておりますので、 今年は連名の論文5編にチャレンジしましたが、2つは検討が詰め切れず投稿を断念しました。別の機会にチャレンジです。
投稿したうちの1つは、コンクリートの電柱が塩害で劣化するメカニズムの解明と、塩害に強い電柱とするための基礎的な検討に関する論文です。
この論文の中で、電柱が劣化するきっかけとなる弱点部について論じています。この弱点部Aがとにかく弱く、その近くに別のメカニズムで弱点部Bが生じることも明らかにしました。
問題は、Aがやられると、その近くのBも連鎖的にやられ、AもBもやられて大変な劣化になる、ということです。
一方で、Aの部分がたまたま弱点にならない程度に強かったら、Bの部分が弱くても何とかひどい劣化には至らずに済む、のです。
1月の休暇の終盤からおそらく花粉症(パリでは大丈夫。地方の街で症状らしきものが出た)だと思うのですが、体調が優れず、すると連鎖的に気分も優れなくなり、この私でも少し悲観的に考える場面がいくつかありました。
昨日辺りから体調が戻ってきて、気分も明るくなり、行動的になってきたように思います。
一事が万事でしょうから、コンクリートの電柱も、人間も同じ。また、我が国そのものも同じかな、と思います。デフレで日本全体が病に冒され、窒息しかかっている状況に大地震などの自然災害が襲い掛かってくる連鎖的な状況は絶対に避けるべきで、デフレを克服し、強靭化への努力を全力で進め、願わくば東京五輪も大成功に終わった後くらいに首都圏直下地震が来れば、今直撃するのとはダメージが決定的に異なると思われます。首都圏直下、南海トラフが一挙に来れば、回復不能なダメージを被ることも十分に起こり得ます。よく出される例ですが、1755年のリスボンの大地震・津波で、世界を制覇したポルトガルは凋落しました。
心の調子が戻ってくると、何気ないことも本当に楽しく思えます。年末年始、停滞していたフランス語の勉強(Speed Learning)も通勤時間を活用して活性化してきたし、そのうち奥さんの会社の計らいで語学学校に少し通うことになりそうです。私の中でフランス語の勉強をする目的(日常会話をそれなりにできるようになる+Speed Learningの会話からフランスの文化やフランス人の考え方を体感する)は明確ですので、またとない機会を楽しめればと思います。
日本出張も近づいてきたし、2名の指導学生もインターンで来ているので、12月と違ってかなり忙しいですが、それでももちろん、日本での生活に比べれば自分の時間は圧倒的に多いです。何度も何度も、この環境に感謝をして、その気持ちを忘れずに、最も大切である「時間」を有意義に使いたいと思います。
研究とは簡単で誰にでもできるものだ、と岡村甫先生はおっしゃっているし、「仮説と検証」という具体的な方法も示しておられます。
一方で、研究の難しさは私も学生のころから肌で感じてきたし、最近は多少はやり方を自分なりに体得したように思うこともあります。学生の頃、もだえ苦しんでいたころはとても楽しいとは思えなかったけど、それでも面白い結果が出たときの充実感は今でも覚えていますし、最近はもちろん研究が大好きです。
ここのところ、学生の研究指導が活発になってきたり、日本の論文投稿の時期だったり、日本からインターンで学生が2名来ているのでその面倒を見たり、と研究のやり方について考えることが多く、いろいろと感じたのでまとめておきます。私自身の調子も万全でなかったこともあり、スマイルズの「自助論」を読んで励まされて感じたことなども含んでいます。
まず、研究はポジティブでないとできない。これは研究に限らず、生きることそのものに対しても同じかと思います。
特に研究を推進していく過程では、ポジティブに失敗からこそ多くの教訓が得られることを認識して、力強く進んでいく必要があります。
一方で、研究萌芽期のアイディアをいろいろ出す時期にもポジティブさは不可欠。どれだけアイディアを出せるかが勝負かと思います。
また、研究を取りまとめていく際、論文を執筆する際にも、論理の詰めや文章の詰めを行っていきますが、これもネガティブな作業に見えますが、やはりポジティブに神経を研ぎ澄ませて洗練させていく必要があろうかと思います。
そこで、一つ目の結論は、とにかくポジティブであらねばならない。楽観的、悲観的という話とは違うと思っておりまして、明るい気持ちで積極的に、攻めたり守ったりする、必要があろうかと思います。ですので、心身の健康を整えることも非常に重要。特に、学生はこの前提条件が十分でないことが多々あります。
次に、岡村先生の言うところの「仮説と検証」ですが、これが分かりやすいようで実は学生には分かりにくい。
「仮説と検証」という考え方が非常にしっくりくる例では分かりやすいのですが、必ずしもそうでない局面は多々あります。
私は、「徹底的に具体的に考えなさい」という言い方をします。
「AとBという二つの条件で数値シミュレーションをします。」という研究計画を立てる人がいるとして、これは全く具体的ではない。
徹底的に具体的に考えたなら、AとBという条件で数値シミュレーションをすると、こういう結果が出ると想定される。それらの結果をこのようなグラフに整理すると、こういう知見が得られると思う。だからやります。
上記の、結果を想定している時点で、「仮説」が絡んできます。
学生に「仮説と検証」と言ってもなかなか実践できないのですが、もっともっと具体的に考えるということを通して、自分の研究の目的が何であり、それを達成するために必要な手段が何であるかを考えてもらうのが一つの方法かな、と思います。
そこで、二つ目の結論。「徹底的に具体的に考える」。それは、現場に立つ(仮想的にでもよい)、ということとほぼ同義だと思っています。
最後は、やはり力量が必要ということです。学生は経験も十分でないので、教員などと一緒に研究を行うことが多いですが、役割分担をしています。経験を積めばミスをしなくなりますが(その分、柔軟性や行動力が落ちるかもしれないけど)、学生はどうしてもミスをしがちです。それは悪いこととは思いません。ですが、間違った論旨、間違ったモデル化、間違った入力条件などで間違った結果を世の中に発信しないように、様々な角度から検証が必要で、これが力量を要する理由です。
三つ目は結論ではありませんが、研究を通して、その研究に関わるすべての人の力が鍛えられることが、研究の魅力でもありますね。
研究室の学生たちの研究はこれから佳境に入ります。苦しい、ということはチャレンジのしがいのあるテーマ、ということだと思うので、自分の総力が試されていると思ってチャレンジしてもらえればと思います。